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Wednesday, 26 November 2014

川本喜八郎人形ギャラリー 令旨発す

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの第五回展示のうち、入り口を入つて右側にあるケースには、「令旨発す」といふ題名がついてゐる。
治承・寿永の乱の発端、といふところか。

ケースの一番入口に近い方である向かつて右側奥には驢馬に乗つた源頼政がゐる。
源三位頼政といへば鵺退治である、とは最近つぶやいたばかりだ。
こども向けの「平家物語」を読んだとき、突然それまでの流れを断ち切るかのやうに、頼政の鵺退治の話が出てきた。
いま考へると、かなり唐突な展開である。
それまで鵺のやうなファンタシーな生き物が出てくるやうな話はまつたくなかつたし、そんな雰囲気すらなかつたからだ。
しかし、当時はまつたく不思議でもなんでもなかつた。
さういふものだと思つて読んでゐた。
したがつてやつがれにとつて源頼政とは、鵺を退治したし、以仁王の令旨に応じて挙兵して宇治平等院の戦ひで自害する、さういふ人である。
これは、俵藤太が大百足を踏みつぶして大蛇を退治したこともあるし、平将門を討ちもした人、といふのと同様である。
なんでこどものころはそれを不思議と思はなかつたのかね。
単にやつがれがものごとに対して疑問を抱かないやうな愚かしいこどもだつたといふだけかな。
これが頼光の大江山の鬼退治だと、金太郎の話からはじまつたりするので、違和感がなかつたんだらうなあ、と想像も働くのだが。
さういへば、頼政は頼光の子孫か。鬼退治した人の末だもの、鵺くらゐ退治したつてをかしかないか。
ちなみに、前回の展示のときにゐた多田蔵人行綱も頼光の子孫である。こちらにはさういふ伝説めいた話はないが、最近読んだ本に、「鵯越の逆落としをしたのは義経ではなくて行綱らしい」とか書いてあつた。

さて、渋谷の頼政は老人態である。
以仁王令旨のころの頼政は喜寿に近い年齢なので、かうなるのだらう。
そんな老齢で戦はうと思つたのか、といふことがまづ驚きである。
すでに家督は長男に譲り本人は出家した後なので、僧形ではある。たとへば頭巾をかぶつてゐる。
能では「頼政頭巾」といふのらしいから、頼政といへばかういふ頭巾をかぶつてゐるものといふお約束があるのだらう。
さう思ふと、そのカシラもなんとなく能の面めいて見えてくる。
顔だけ見ると、そんなに猛々しい老人には見えない。好々爺然としてゐるといつてもいいやうな表情だと思ふ。
頼政は歌もよくしたといふことなので、さういふところも表現されてゐるのかもしれないなあ。

驢馬がまた可愛い。
「人形劇三国志」のはじまつたばかりのころ、テント内にゐる董卓の背後にゐた駱駝を思ひ出す。入口がちよつと開いてゐて、駱駝が顔をのぞかせてゐるんだが、これが妙に可愛くてね。話の筋には全然関係ないのに、忘れられない。

可愛いといへば、その左側にゐる以仁王の乗つてゐる白馬もまた愛らしい。
多分、平治の乱の展示のときに重盛が乗つてゐた馬とおなじぢやないかなあ。

そして、馬上の以仁王がいいんだなあ。
高貴の人ゆゑのやはらかさ、またそれゆゑの弱さの綯い交ぜになつたやうな表情がたまらん。
悲劇の人としての表現なのかもしれないなあとも思ふ。
挙兵して、みづから武装して戦ふやうな強さもちよつぴり感じられるあたりもいい。
身に付けてゐる鎧の色も華やかだ。ピンクの強い藤色のやうな色が主でその色を引き締めるやうに濃い紫がところどころに使はれてゐる。巴や葵だつてこんな優美な色の鎧は着てないよ。
以仁王が令旨を発したのは、安徳帝が即位したため自分が天皇になる道はないと思つてのこと、といふことである。
最近、なんかそんなことを書いたよなあ、と思つたら、「宗盛に先を越されて「自分の番はやつてこない」と思つた成親」だつた。
それを考へると、従三位まであがつた頼政はなんだつたのかね。よほど信頼されてゐたのか、頼政をおさへておけばひとまづは安泰と思はれてゐたのか。

そんな頼政を怒らせたのが、頼政と以仁王との前にゐる源仲綱をめぐる事件である。
向かつて左側にゐるのが仲綱、右側にゐるのが兼綱だ。
仲綱は、なにかと平宗盛にいぢめられてゐた。大変な名馬を持つてゐたのだが、宗盛になかば脅されるやうにして献上したところ、宗盛は馬に「仲綱」と名前をつけたといふんだなあ。
従三位まで上つた人がそんなことで、と思ふが、それまでにも募るものがいろいろとあつたのだらうなあ。
仲綱は、葡萄茶の鎧が地味でもあり華やかでもある。膝をついて、矢を射かけられて針鼠になつた兼綱を助け起こさうといふところか。

おそらくは戦つて戻つてきたところであらう兼綱も、膝をついて息も絶え絶えといつたやうすでゐる。朱色といふか赤茶のやうな色の草摺。その背には幾本も矢がささつてゐる。
カシラはこちらをわづかに向けて、最後の力をふりしぼつて頭を上げやうとしてゐるところ、とでもいつたところか。
兼綱も相当の剛の者だつたといふけれど、かうなつてしまつてはいけない。

以仁王の挙兵自体は失敗に終はるわけだが、この後平家打倒の気運はますます高まるのである。

といふわけで、以下続く。
外のケースと「南都炎上」についてはこちら
「二人義経」についてはこちら

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