岡本綺堂に「平家蟹」といふ芝居がある。
壇ノ浦の後の落人の悲劇、とでもいふべきか。
主人公は玉蟲。屋島の戦ひで、那須与一が射た扇を掲げてゐた上臈である。
いまは落ちぶれ果てた玉蟲だが、気位だけは高い。源氏憎しの念に燃えてゐる。
そんな玉蟲の妹・玉琴はたつきの道として春をひさぎ、あらうことか那須与一の弟と戀に落ちてしまふ。
当然玉蟲には許せない。縁を切るから出て行けと、妹を追ひ出してしまふ。
日も暮れて、ひとり縁側に座す玉蟲は、縁の下からやつてくる平家蟹たちに語りかける。蟹に向かつて「新中納言殿」とか「能登守殿」などと呼びかける。
平家蟹は、その甲羅が人の顔のやうに見えるといふ。
玉蟲には、蟹たちがいまは亡き平家の公達に見えるのだ。
この芝居を中村芝翫で見て、実に怖い思ひをした。
その一方で、「わかるなあ」とも思つた。
玉蟲には、同志がゐない。
生きてゐる人間に、自分の気持ちをわかつてくれる人がゐない。
妹でさへ、堕落してしまふ。
心の支へは、あの世に失せた人ばかり。
現実を受け入れられない玉蟲がいけないのか。
現実は受け入れなければならないものなのか。
もういいぢやん、死人だけがともだちだつて。
そんな風に思つたのである。
11月14日に展示替へ後の川本喜八郎人形ギャラリーに行つて、そんなことを思ひ出した。
以前も書いたやうに、今回の展示はALL 平家物語である。
名前を見るだに慕はしい人々の並ぶ中、なんだか「平家蟹」の玉蟲のやうな心持ちになつてきてしまつたとしてもなんら不思議なことはあるまい。
ギャラリーの外にあるケースに、源義高と大姫とがゐる。
義高は義仲の息子、大姫は頼朝の娘である。
まだこどものふたりが寄り添ふやうに立つてゐて、「小さな恋のメロディ」といつた感じだ。
それがよけいに切ない。
説明にもあるやうに、義高は人質として頼朝のもとで暮らしてゐて、大姫とはいいなづけの関係だ。
でもその約束が果たされることはない。
義仲の死後、頼朝が義高の命を狙つてゐることを知つた大姫は、義高を逃がさうとするが、義高は頼朝の手の者に殺されてしまふ。
大姫は、病床に伏してしまふ。
その後、頼朝は大姫を入内させやうと画策するが、大姫は若くしてこの世を去つてしまふ。
なんか、こー、切ない。
しかも、義高が凛々しいんだ、これが。
大姫を見る表情が凛としてゐて、いいんだなあ。とくに向かつて右側から見たときがいい。
対する大姫は、恋する乙女といふよりは、まちつと意志の強い女の子に見える。
義高は紺色の地に銀色や赤銅色の荒波にところどころ鶴か飛んでゐる模様の衣装で、大姫は白に近いやはらかなベージュ色の地に淡い桃色などで秋の草花を散らした模様の衣装で、このとりあはせもいい。
エスカレータの前のケースに、「平家物語」の脚本がおかれてゐて、おそらく放映前の仮題だらう、表紙に「愛・平家物語」といふやうな題名が書かれてゐたりする。
義高と大姫とを見ると、「描きたかつたのはかういふ話だつたのかもねえ」と思つたりもする。
そして、今回、ギャラリーの中も、なんだかそんな感じが漂つてゐるのだつた。
中に入つて左側にあるケースには、「南都炎上」といふ題名がついてゐる。
いきなり藤原親雅が座りこんでうめいてゐる図が飛び込んでくるのでびつくりしてしまふ。
興福寺で切られた髻を握りしめ、ざんばら髪で外聞もなく嘆いてゐるといつたやうすだ。
これがなんだか怖い。
お公家さんだから置き眉だし、もともとはユーモラスなんだらう顔立ちが、ゆがんで見えて怖いのだらう。
衣装は白つぽい地に金色つぽい色でひし形の中にいろんな形の鳩(だらう)がゐる模様。ひし形とひし形をつなぐ部分には花の模様があつたりもする。
その隣には妹尾兼康が立つてゐる。
これが実に凛々しい。
芝居の「俊寛」しか知らない向きには、「これが妹尾か!」とおどろくこと請け合ひである。
妹尾兼康は、軽装の兵を率いて興福寺に向かひ、返り討ちにあふ。首が猿沢の池に並べられたといふから、まあ興福寺のやり方もひどい。
ここにゐる妹尾は、「ダンディ」とでもいひたいやうなやうすですつくと立つてゐる。顎をぐつと引いたやうすがまたすてき。
衣装は薄地で白つぽい地に藤の花の模様である。藤の花の紫と葉の緑とから、とてもさはやかな印象を受ける。
その後ろに、病床の清盛がゐる。
布団も衣装も白一色。
病んでゐるだらうに、脇息にもたれつつ、ぢつとこちらを睨んでゐる。いや、それとも、こちらのやうすを窺つてゐるだけなのだらうか。
背も丸まつて、前回のこの世の春を謳歌してゐたやうすは微塵も見られない。
衣装は一見青海波の地模様だが、よくよく見ると波の線と線とのあひだに細かい模様が入つてゐる。
その手前、このケースの中心にゐるのが資盛と建礼門院右京大夫である。
ほら、ここにも「愛・平家物語」が。
資盛は、重衡、惟盛と並んでやつがれの中では「平家のダメダメくん」なのだが。
しかし、ここの資盛は実にすてき。
もー、あんたたち、そんなことやつてる場合ぢやないでせう、と思ひつつも、資盛と右京大夫とにはうつとりしてしまふ。
実際、資盛は祖父である清盛にも「この大事なときになにをしてゐた」とか、右京大夫との逢瀬をなぢられちやふんだけどね。
座して右京大夫を抱き寄せる資盛とそんな資盛にすがるやうな右京大夫とは、外のケースにゐる義高と大姫とのやうに見つめあつてはゐないものの、ふたりしてうつむいたやうすが趣があつていいんだなあ。
資盛は淡くてくすんだサーモンピンクのやうな地に地の色よりさらに淡いやうな色の糸や銀の糸を使つた楓の葉の模様の衣装を身につけてゐる。その下には、periwinkleをもつと薄くしたやうな水色の地に細い線の模様の入つた衣装で、色気もあり、やさしくもある印象を受ける。
右京大夫は朱色といふか橙といふかの地に六角形を敷き詰めてひとつひとつの六角形の中にいろんな花のある模様の華やかな衣装。この衣装の裾がきれいにひろがつてゐて、これまたうつとりする。
建礼門院右京大夫といふと、中村吉右衛門の「武蔵坊弁慶」のときの真野あずさがすてきだつたんだよなあ、などと思ひ出したりもした。
その斜め後ろに、もう一人の「ダメダメくん」、重衡が立つてゐる。見上げる先には燃える東大寺だか興福寺だかがあるのだらうか。
南都焼き討ちは、部下の兵士が火攻めと勘違ひしたから起きたこと、と、物語の中ではなつてゐる。
大河ドラマ「平清盛」では、顔まで炭で真つ黒にした重衡が、東大寺や興福寺を焼いたことを誇らしげに父・清盛に告げてゐた。
やつがれは、どちらかといふと大河ドラマ派なんだな。だから「ダメダメくん」と思つてしまふわけだけれども。
このときの、困つたやうな、「なんで我が子はこんなに世の中のことがわからないのか」とでもいふやうな表情でゐながら、重衡に「ようやつた」といふ清盛がよかつたんだなー。
重衡は頭には烏帽子、身には鎧をまとつてゐる。この鎧の草摺の模様がおもしろい。
ほかの人の模様は一色でなければ、縦の縞か横の縞かにわかれる。あるいは真ん中から三角形に色が変はつていくものもあるか。いづれにしても、左右対称のものが多い。
重衡の鎧は違ふ。
左斜め下から色が変はつていくのである。
いまのところ、ほかにこんな鎧を着てゐる人は見たことないなあ。
なんだらう、重衡は特別なのか知らん。
なにか所以があるのだらう。
ケースの一番奥には明雲と山伏ふたりがゐる。
明雲の前に控へるふたりの山伏の違ひがおもしろいぞ。
向かつて左側が如何にも三下めいた荒つぽいタイプで、右側がいかめしい顔つきの兄貴分、みたやうな感じがする。
衣装はほぼおなじながら、三下つぽい方は帯代はりに縄を使つてゐて、頭巾のかぶり方や衣装の着方もどこか雑な感じ。
右側の兄貴分のやうな方は、頭巾もきちんと折つてかぶつてゐるし、組み紐のやうなもので衣装をとめてゐて、着方もきちんとしてゐる。
明雲は、こんな顔の人ゐるよなー、と思ふ。
法住寺合戦で戦死するやうな坊さんなのでイメージではもつと猛々しい感じなのだが、ここにゐる明雲はどちらかといふと陰謀家めいた印象の坊さんである。
髪もないが眉もないのがさう思はせる原因なのかも。
右京大夫よりももつと赤みのつよい朱色の地にきらびやかな模様が散らされてゐる衣装で、着付け方のせゐか一見ひどくなで肩に見えるのも、原因、かな。
といふわけで、以下つづく。
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