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Friday, 28 November 2014

集合知と物語

集合知といふことばがある。
いろいろと定義はあるやうだが、やつがれは「大勢からの大量の情報からなる知識」のやうなものだと思つてゐる。

たとへば物語だ。

物語といふのは、長い時を経て、大勢が語るやうになつたものをまとめたものである。
「長い時を経て」といふのが「集合知」にはない概念ではあるが、最終的に出てくるものはおなじなのではあるまいか。

ここのところ話題にしてゐるティム・ブラウンの Change by Design には、大勢の意見の方が個人の意見よりも正しい場合がある、と書いてある。
「クイズ・ミリオネア」の本家本元版では、知人に電話して得た答へよりも、会場の総意の方が正しい場合が多い、といふのだ。
さうなる理由もこの本には書いてある。

これつて、物語にもいへるんぢやないかな。

「平家物語」がいまある形になつたもとは、数多の琵琶法師が語り語つてあるていど洗練されたものなのではあるまいか、とか。
「三国志演義」は羅貫中が書いたことになつてゐるけれども、これも巷間に伝はる物語のおもしろいところを抽出した結果ああなつたのではあるまいか、とか。

文楽や歌舞伎だつてさうで、これまたたとへば「仮名手本忠臣蔵」は「碁盤太平記」を元にした作品で、しかも三人がかりで書かれたものである。弟子の手も入つてゐるだらうから、実際にはもつと大勢で書いてゐる可能性もある。
さらに、これまた長い年月を経て数多の役者が工夫をこらし変更を加へていまある「仮名手本忠臣蔵」になつてゐる。
おもしろいのは道理なのだ。
だつて「集合知」なんだもの。

さう考へると、まんがもまたさうなのではないかなあ。
まんがの筋には担当編集の意見もかなり関与してゐると聞く。
すなはち、まんがの筋を考へてゐるのは作者ひとりではないといふことだ。
ひとりよりはふたり。
さういふことなのではあるまいか。

さういへば、今年 Powers of Two といふ本が出版された。まだ出だししか読んでゐないけれど、世の中の多くのことはふたりの人間が関与してなされたこと、といふやうな内容である。
冒頭部分に出てくるのは、"With a Little Help from My Friends" を作成してゐる途中のジョン・レノンとポール・マッカートニーの話だ。この話はよく知られてゐると思ふ。どちらが作曲、どちらが作詞、といふことなく、お互ひに案を出しあつて、いつのまにか曲ができあがつてゐる、そんな感じの逸話だ。

ひとりぢやダメなのかなぁ。
大勢でないとダメなのだらうか。

まあ、「ひとりの知識の方が大勢のそれに勝る」といふ意見の人もゐないことはない。
でも、さう云つてゐるのは、かなり能力の高さうな人だ。つまり、凡百の徒とは一緒になにかする気にはならないつて感じの人ね。
さういふ人はさうなのだらうなあ、とは思ふ。

かく云ふやつがれは、ひとりが好きで、団体行動ができないタイプである。
すなはち、ダメつてことか。

すこし勝機があるとすれば、それは、「大勢から集めてきた大量の情報を「編集」する部分」、かな。
これはひとりでもできさうな気がするのだが如何。
著作権法つて、結局さういふことでせう?

Thursday, 27 November 2014

学校で手書きを教へない?

フィンランドでは、2016年から学校で handwriting を教へなくなるといふ。
代はりにタイピングを教へるのださうな。

「手書き(handwriting)を教へなくなる?」と驚いたが、どうやら筆記体を教へなくなるといふことらしい。
筆記体かー。それならありかな。
筆記体は、各国語で微妙に違つたりするからなあ。
たとへば、英語で小文字のrを筆記体で書くと、ドイツではわかつてもらへなかつたりする。
それを考へると、

Handwriting is a totally useless skill.
なんてなことばにも、「totally」かどうかはともかくとして、うなづけないこともない。
筆記体が書けないとサインのときに困るのでは、と思ふけれど、それは自分の名前だけ筆記体で書ければいい話だ。わざわざ学校で教へることもないのだらう。

アメリカ人が筆記体でノートをつけてゐるところなど見たことないしな。
ではブロック体か、といはれると、悩む。
でも筆記体ではない。
なんだか癖のある一字一字が独立した字が多いやうに思ふ。
それは、クリスマスカードなどでも同様である。
「かういふ字が美しい字である」といふ共通認識はないやうに見受けられた。

リンク先の記事を読むと、筆記体だとかカリグラフィーの授業がある、と書かれてゐるので、フィンランドではまた事情が違ふのだらうし、国によつて異なるのだらう。

でもなあ、たとへば学校で行書なり草書なりの書き方を教へてくれてゐたら、学校で教へるんだもの、無理矢理にでも覚えただらうに、と、思ふのである。
そんなことを考へるのはやつがれだけかな。
以前も書いたやうに、おとなになつたら連綿体が読み書きできるやうになるもの、と思つてゐた。
しかし、当然ながら、自分で練習しなければ、自動的に書いたり読んだりできるやうにはならない。
最近ではもう連綿体を読み書きすることはあきらめてゐる。
それよりも、読める字を書く方が先決だと思ふからだ。

筆記体のいいところは、一字一字はなして書くよりも素早く書きつけることができること、だらう。
筆記体を知らない人は、ますますペンで紙に字を書きつけることがなくなるのかもしれない。
キーボードで入力した方が早い。
さう思ふのにちがひない。

実はやつがれも一時はさう思つてゐたことがある。
紙に書くよりも、コンピュータにキーボードから入力した方が早いではないか、と。
しかし、実際はそんなに早く入力する必要はないのだ。
早さが求められる場合もあるし、大量に書き写さないとならない場合などは、キーボードから入力した方が圧倒的に早い。
学校に通つてゐるあひだは、さういふこともあらう。
でも、この年になると、そんなことはほとんどなくなる。
公的には議事録を書くときくらゐだらうか。
私的には年賀状の宛名書きくらゐだらうな、ある期間内に大量に文字を書かないといけないことなんて。
そして、昔ならいざ知らず、いまのご時世年賀状の宛名を連綿体で書く人はゐない。
読める人間が少ないからだ。
きつと、昔の郵便局員はみな連綿体を読むことに長けてゐたのだらうなあ。

Newton MessagePad 120 は、筆記体で入力しやすい PDA だつた。
それが、Newton MessagePad 2100 ではなぜか筆記体の認識率が下がつてゐた。
Palm Pilot では Graffiti といふ速記体のやうな文字を一字づつ書き込む方式で手書き文字を認識してゐた。
筆記体衰退の歴史をいち早く体現してゐたのかもしれないなあ。

Wednesday, 26 November 2014

川本喜八郎人形ギャラリー 令旨発す

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの第五回展示のうち、入り口を入つて右側にあるケースには、「令旨発す」といふ題名がついてゐる。
治承・寿永の乱の発端、といふところか。

ケースの一番入口に近い方である向かつて右側奥には驢馬に乗つた源頼政がゐる。
源三位頼政といへば鵺退治である、とは最近つぶやいたばかりだ。
こども向けの「平家物語」を読んだとき、突然それまでの流れを断ち切るかのやうに、頼政の鵺退治の話が出てきた。
いま考へると、かなり唐突な展開である。
それまで鵺のやうなファンタシーな生き物が出てくるやうな話はまつたくなかつたし、そんな雰囲気すらなかつたからだ。
しかし、当時はまつたく不思議でもなんでもなかつた。
さういふものだと思つて読んでゐた。
したがつてやつがれにとつて源頼政とは、鵺を退治したし、以仁王の令旨に応じて挙兵して宇治平等院の戦ひで自害する、さういふ人である。
これは、俵藤太が大百足を踏みつぶして大蛇を退治したこともあるし、平将門を討ちもした人、といふのと同様である。
なんでこどものころはそれを不思議と思はなかつたのかね。
単にやつがれがものごとに対して疑問を抱かないやうな愚かしいこどもだつたといふだけかな。
これが頼光の大江山の鬼退治だと、金太郎の話からはじまつたりするので、違和感がなかつたんだらうなあ、と想像も働くのだが。
さういへば、頼政は頼光の子孫か。鬼退治した人の末だもの、鵺くらゐ退治したつてをかしかないか。
ちなみに、前回の展示のときにゐた多田蔵人行綱も頼光の子孫である。こちらにはさういふ伝説めいた話はないが、最近読んだ本に、「鵯越の逆落としをしたのは義経ではなくて行綱らしい」とか書いてあつた。

さて、渋谷の頼政は老人態である。
以仁王令旨のころの頼政は喜寿に近い年齢なので、かうなるのだらう。
そんな老齢で戦はうと思つたのか、といふことがまづ驚きである。
すでに家督は長男に譲り本人は出家した後なので、僧形ではある。たとへば頭巾をかぶつてゐる。
能では「頼政頭巾」といふのらしいから、頼政といへばかういふ頭巾をかぶつてゐるものといふお約束があるのだらう。
さう思ふと、そのカシラもなんとなく能の面めいて見えてくる。
顔だけ見ると、そんなに猛々しい老人には見えない。好々爺然としてゐるといつてもいいやうな表情だと思ふ。
頼政は歌もよくしたといふことなので、さういふところも表現されてゐるのかもしれないなあ。

驢馬がまた可愛い。
「人形劇三国志」のはじまつたばかりのころ、テント内にゐる董卓の背後にゐた駱駝を思ひ出す。入口がちよつと開いてゐて、駱駝が顔をのぞかせてゐるんだが、これが妙に可愛くてね。話の筋には全然関係ないのに、忘れられない。

可愛いといへば、その左側にゐる以仁王の乗つてゐる白馬もまた愛らしい。
多分、平治の乱の展示のときに重盛が乗つてゐた馬とおなじぢやないかなあ。

そして、馬上の以仁王がいいんだなあ。
高貴の人ゆゑのやはらかさ、またそれゆゑの弱さの綯い交ぜになつたやうな表情がたまらん。
悲劇の人としての表現なのかもしれないなあとも思ふ。
挙兵して、みづから武装して戦ふやうな強さもちよつぴり感じられるあたりもいい。
身に付けてゐる鎧の色も華やかだ。ピンクの強い藤色のやうな色が主でその色を引き締めるやうに濃い紫がところどころに使はれてゐる。巴や葵だつてこんな優美な色の鎧は着てないよ。
以仁王が令旨を発したのは、安徳帝が即位したため自分が天皇になる道はないと思つてのこと、といふことである。
最近、なんかそんなことを書いたよなあ、と思つたら、「宗盛に先を越されて「自分の番はやつてこない」と思つた成親」だつた。
それを考へると、従三位まであがつた頼政はなんだつたのかね。よほど信頼されてゐたのか、頼政をおさへておけばひとまづは安泰と思はれてゐたのか。

そんな頼政を怒らせたのが、頼政と以仁王との前にゐる源仲綱をめぐる事件である。
向かつて左側にゐるのが仲綱、右側にゐるのが兼綱だ。
仲綱は、なにかと平宗盛にいぢめられてゐた。大変な名馬を持つてゐたのだが、宗盛になかば脅されるやうにして献上したところ、宗盛は馬に「仲綱」と名前をつけたといふんだなあ。
従三位まで上つた人がそんなことで、と思ふが、それまでにも募るものがいろいろとあつたのだらうなあ。
仲綱は、葡萄茶の鎧が地味でもあり華やかでもある。膝をついて、矢を射かけられて針鼠になつた兼綱を助け起こさうといふところか。

おそらくは戦つて戻つてきたところであらう兼綱も、膝をついて息も絶え絶えといつたやうすでゐる。朱色といふか赤茶のやうな色の草摺。その背には幾本も矢がささつてゐる。
カシラはこちらをわづかに向けて、最後の力をふりしぼつて頭を上げやうとしてゐるところ、とでもいつたところか。
兼綱も相当の剛の者だつたといふけれど、かうなつてしまつてはいけない。

以仁王の挙兵自体は失敗に終はるわけだが、この後平家打倒の気運はますます高まるのである。

といふわけで、以下続く。
外のケースと「南都炎上」についてはこちら
「二人義経」についてはこちら

Tuesday, 25 November 2014

種類があり過ぎて

レースフェスティバルといふのはあるのだらうか。

レースといふとどんなものを想像するだらう。
針でかがるやうなレースか。
それともボビンレースのやうな織物系のレースか。
棒針編みやかぎ針編みのレースもある。
マクラメやタティングレースは結ぶレースだ。

一口に「レース」といつてもいろいろありすぎて、ひとつにまとめるのはむづかしい。
日本ヴォーグのお教室には「レース講座」のやうなものがあつて、主なレースの技法をひととほり習へるやうだけれども。

こんな調子なので、本屋や図書館でレースの本を探さうとすると、ちよつと戸惑ふときがある。
「かぎ針編みのレースの本がほしいんだよね」と思つて本棚を探しても、「あみもの」とか「かぎ針編み」のところにはないことがあるのだ。
よくよく見ると、そのそばに「レース」といふコーナーがあつて、そこにかぎ針編みのレースの本もあつたりする。棒針編みも同様だ。

大抵の本屋はそんなに手芸本の取り扱ひはさほど多くはないので、そんなに苦労することはないかもしれない。
なにかの折りに、手芸本をたくさん並べてゐる本屋に行くと、そんなことがある。

図書館も然りだ。
おそらく、分類が違ふんだよね。
「あみもの」といふカテゴリの下に「あみもの全般」とか「棒針」、「かぎ針」、「その他」とかがあつて、「レース」は「あみもの」とおなじ階層にある分類なのだと思ふ。
とくに米国は明らかにそんな感じだ。
「あみもの」と「レース」とのあひだに「刺繍」が入るかな。そんな印象。

それで困ることがあるのか。
うーん、わかつてゐれば、「あみもの」も「レース」も両方探せばすむ話だ。
どれくらゐの人がわかつてゐるのか、謎だけどな。

たとへば、「ビーズ」のコーナーには、糸にビーズを通して棒針やかぎ針で編む作品を掲載した本がある。
これつて、「ビーズ」なんだらうか。
タティングレースにもあるか。糸にビーズを通しておいて、結ぶ作品が。
「ビーズ」といつてもその手法はいろいろあるけれど、あみものやタティングレースを用ゐたものは、あみものやレースの棚においておいた方が買ひたいと思ふ人が多いんぢやあるまいか。
書名に「ビーズ」つて入つてゐると、「ビーズ」のコーナーに入れられてしまふのかな。それとも、書籍の分類が「ビーズ」になつてゐるのだらうか。
かうした本は、「ビーズ」のコーナーにあるが故にほしい人の手に渡らない、さういふ場合があるやうに思へる。

レースフェスティバルがあつたら、そこらへんのものも全部ひつくるめて一同に会することもできさうだ。
派閥内の意識は高さうだけれどもね。「ボビンレースこそレース」だとか「ニードルレース以外はレースぢやない」だとか。
そんなことはないか。

Monday, 24 November 2014

待望のニットフェスティバル

キルトフェスティバルは毎年開催される。東京ドームで一週間近く。
しかも、そのあとパシフィコ横浜でも開かれたりする。展示内容はおなじだらうが、東京ドームで開催したものを、わさわさパシフィコ横浜でもやるなんて、すごいことだ。

一方、ニットフェスティバルは十年に一度開催されるかどうかである。
前回はいつだつたらう。確か浜松町でやつてゐた。二日間だか三日間、九月のまだ暑い時期だつたやうに記憶してゐる。

このとき、ストレッチ編みのミニ講習会があつて、針を持ち帰つた。かんたんな編み方もひとつだけ覚えた。
ほかにも求心編みとかあつたやうに思ふ。

あれから十年以上たつ。
そろそろ次のニットフェスティバルがあつてもいいのにと思ふのだが、開催の話は絶えて聞かない。

日本ヴォーグの通信販売を見ても、バッチワークやキルティングの素材や道具はとても多い。カタログの大半を占めてゐる。
あみものはといふと、秋冬の時期に少し取り上げられるくらゐだ。たまに夏物も出る。毛糸はあつても針など材料が出てくることは滅多にない。

考えへてみれば「素敵にハンドメイド」もさうか。あみものの放映は、毎月あるとは限らない。いまの時期は毎月なにかしらあるのこもしれないが、まつたくない月もある。

パッチワークやキルティングを楽しむ人口の方があみもの人口よりも多いといふことだらうか。
或はパッチワークやキルティングをする人々の方があみものをする人々よりも出費が多いのかもしれない。

さう考へて納得したものの、それだけでもないやうな気がしてきた。

あみものに比べて、パッチワークやキルティングは、身につけて外に出て「見て見てー」と、周囲に見てもらふことが少ないのではあるまいか。
パッチワークやキルティングの場合、東京ドームで飾られて一等目立つてゐるのは、巨大な壁掛けのやうなものである。
それつて、さういふところで展示でもしないかぎり、他人に見せびらかすわけにはいかないよね。

パッチワークやキルティングで、身につけて外に出られるものといふと、かばんなどが考へられる。ポーチとか筆入れとかもあるね。定期券入れとか。
でもそれくらゐかなあ。あまり着るものとか見かけない気がする。

一方あみものはといふと、まあ、編んだオブジェを作る人もゐるけれど、どちらかといふと身の丈サイズなものが多いやうに思ふ。
帽子とかマフラーとか、自分でかぶつたり巻いたりして、「見て見てー、これ編んだのよー」と外で見せびらかすことも可能だ。

パッチワークやキルティングで作つたものは見て楽しむもの、編んだものは使ふもの。
そんな違ひもあるやうに思ふ。

催しものが開かれるかどうかは、この違ひにもあるのかもしれないな。

そろそろひとつニットフェスティバル、如何ですかね。

Friday, 21 November 2014

手帳へのあこがれ

普段持ち歩く手帳をMoleskineにしてから、やはり書き込む量が増えた気がする。

以前書いたときは、「クイールノートは方眼罫で、書き込む字もおのづと小さくなるから量自体はそんなに変はつてゐない」と書いた。
なんか、そんなことはないやうな気がする。
数へたわけではないからはつきりとしたことはわからない。
もしかすると書き込む量はやはりおなじくらゐなのかもしれない。
しかし、手にしてぱらぱらとめくる回数は増えた。
これは間違ひない。

Moleskineが書き込みやすい訳については、やつがれの場合は罫線の幅がちやうどいいからといふのが一番の理由だつたりする。
あと、一ページ一内容にするとだいたい書きたいことを書けるといふのも大きい。
しかし、めくつてしまふ訳はなんだらう。
Smythson の Panama もつひつひぺらぺらめくつてしまふから、やつぱりサイズなのかなあ。
あと、表紙と中の用紙との厚みとが絶妙、といふのはあるかもしれない。
Rhodia の WebNotebookを使つてゐたころは、そんなにぺらぺらめくつたりはしなかつた。

こどものころ、手帳にあこがれてゐた。
小説の挿し絵やまんが、テレビドラマなどで、探偵などがなにやら書き込んでゐるあの手帳にである。

親に云ふと、確かにおなじやうなサイズの手帳が出てきた。
中身を開くと、一ページまたは見開きが七分割されてゐて、去年とか一昨年とかの日付が印刷されてゐた。

いや、違ふ。
これぢやない。

求めてゐるのは、予定表ではない。
単に罫線が引いてあるだけの、日付かまはず書き込めるやうな、そんな手帳だ。

しかし、どうやら世間では「手帳」イコール「スケジュール帳」なのらしかつた。
ええ?
では、あの小説やドラマにでてきた探偵たちは、その日の日付の欄にあれこれ細かく書き込んでゐたといふことなのか?
違ふだらう?

試しに辞書を引くと、手帳とは心覚えなどを書き留めておく小さな帳面である、といふやうなことが書いてある。
予定を管理する、とか、日付が印刷してある、とはどこにも書かれてゐない。
つまり、やつがれの求める、単に罫線が印刷されてゐるだけの、あれこれ書き込むだけのものも、「手帳」と呼んでいいはずだ。

そんなわけで、当時はA6サイズの帳面(ノート、ですな)を使つたりしてゐた。一時はずいぶんと使つた。持ち歩きやすいからね。
当時はなにか書き付けるとして、机の上といふことが多かつたので、表紙が薄くても痛痒を感じることはなかつた。

その後、A6サイズの帳面をあまり使はなくなつたのは、システム手帳を使ふやうになつたからだと思ふ。
能率手帳のやうなスケジュール帳を使つてゐた時期もある。
システム手帳ではリフィルの管理ができず(情けないことである)、能率手帳にはメモを書ききれないといふ問題点があつた。
やつがれの場合、メモといつてもメモぢやないからなあ。Moleskine のポケットサイズ一ページにびつしり字を書いてひとつのメモ、といつた感じだ。
能率手帳ではあつといふ間に書く場所がなくなつてしまふ。予定表部分をつぶせばいいとは思ひながら、それはなにかが違ふ気がする。

そこに Moleskine である。
最初に使つたのは無地の手帳だつた。
このサイズ、これつて、こどものころほしかつた、あの手帳とおなじサイズなのではあるまいか。
つまりは、Panama もそれくらゐなわけだけれども。

小説やドラマの中の探偵は、なにごとか書き付けたページをぴりりと切り取り、人に渡したりする。
最近の Moleskine はさうでもないやうだが、以前は切取線のあるページがあつた。
もう、まるであのとき見たあの手帳だよ。

さう思つたのは、しかし、最初の Moleskine を使ふやうになつてからしばらくたつた後だつたが。

先日、デザイン思考に関する講演会に行つてきた。
そこで、デザイナになるには、世の中のことを知り、世の中に対して好奇心を持つことが必要である、といふ話があつた。
好奇心を持つとそこから疑問が生まれ、疑問から発見を得、その発見からまた疑問が生じ……といふやうな話だつた。

やつがれはどうも美的感覚に欠けるところがあるし、体力と気力とに欠けるからつねに好奇心旺盛でゐるといふことがなかなかできないのだが、しかし、生じた疑問を書き留め、そこから得た発見を書き留め、さらに生まれた疑問を書き留めるといつたことは、まあできるんぢやないかな。

そんなわけで、今後も結局は Moleskine と Panama とのあひだを行つたり来たりしてしまふのではないかといふ気がしてゐる。
ときどき浮気しながらね。

Thursday, 20 November 2014

川本喜八郎人形ギャラリー 二人義経

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの第五回展示のうち、入り口を入つて左側正面にあるケースには、「二人義経」といふ題名がついてゐる。

ケースの向かつて一番左端にゐるのは平時忠である。
衣装は前回の展示のときとおなじかな。透ける焦げ茶の地に青海波の模様。
前回は、今回覚明の立つてゐるところにゐて、「平家物語」といふ垂れ幕を背負つて立つてゐた。向かつて左の方向を睨むやうな視線がよくてなあ。
今回は逆の方向を見てゐて、しかし、さほど悪さうな表情をしてはゐない。前回があまりにも悪い人めいた表情だつたからさう思ふのかもしれないけれど。
今回のカシラはちよつ年をとつてからのカシラだから、といふのもあるのかな。前回は悪さうに展示した、といふのもあるのかもしれない。
今回は右側をそれとなく窺つて、「若いもんは……」と思つてゐるやうな感じに見える。

といふのは、その右側に夕花と義経とがゐるからである。
ここも「愛の平家物語」かとも思へるが、そんなやうな、さうでもないやうな感じがいい。
夕花は時忠の娘だ。「新・平家物語」のオリジナルキャラクタである。
ギャラリーにある説明にも書いてあるやうに、夜更けに時忠の元を辞す義経に、危険だから女の格好で行くやうに、と、おんなもののかつぎと下駄とを差し出す場面を再現してゐる。
夕花が、これまた「優にやさしい」顔立ちで、とてもよい。全体的に桃色な印象なのも可愛い。桃色といふよりはピンクかな。
かういふ色の着物つて、結構むづかしいやうに思ふ。
ここ一年ばかり、新歌舞伎もので中村米吉や中村梅枝、中村虎之助といつた若手の役者がかういふ色の衣装で舞台に立つてゐたけれど、みなそれぞれに普段は可愛い(或は可愛くみせてゐる)のに、それほどでもなかつたんだよなあ。
もともと可愛いんだから、衣装はまちつと地味でもいいのに、と思つたりもした。
多分、かういふ色が似合ふやうになるのつて、大変なんだらう。
似合つてしまふ夕花はすごいな。

その夕花の向かひに、女物の下駄を履いた義経が立つてゐる。足下には脱いだものだらう草鞋がある。
説明を読むと、まづ足下に目がいく。白い素足に赤い鼻緒がなんともいい。袴をちよつとたくしあげてゐて、ふくらはぎあたりまで見えるのも効果を上げてゐるのかも。
それにしても、人形劇の義経はいい顔をしてゐる。
こちらも男にしては「優にやさしい」顔立ちながら、凛としてゐてどこか涼しげでもある。
人形劇で見ると、凛々しくさはやかでゐて、どこか母恋ひ子の面影もあつたりするところがいいんだよなあ、義経は。
今回ちよつと困つたやうなやうすにも見受けられるのは、夕花から思はぬ厚意を受けたからか。
前回の展示で敦盛が着てゐたのと似たやうな色の衣装で、義経の方がちよつと華やかかな。赤みか黄色みがちよつと強くて、全体的にちよつと淡くなつてゐのかもしれない。これがまたよく似合ふんだ。
この後、夕花の手にしてゐるかつぎをかぶつて五条大橋に向かふ義経は、そこで弁慶と出会ふわけだが、それはまた別の話、といつたところか。
来年の今ごろは、鎧姿の義経に会へるのかな。

義経の右側には、行宗がどつかと座してゐる。
こちらはカシラに視線が行くね。
特に、口元。不揃ひな出つ歯が特徴的だ。
新宮十郎の息子といふことになつてゐる行宗は、十郎によつて義経に仕立てられ、都で盗賊のやうなことをしてゐる。手にしてゐるのは覆面かな。
つかまりはするものの、どこかすばしこい印象を受けるのは、説明にさう書いてあるからなのか、それとも、目の感じかな。

その隣、ケースの一番右端にゐるのが新宮十郎こと行家である。
行家には、あまりいい印象がない。デカい話をぶちあげては、うまく行かなくなると逃げてしまふ人、といふイメージがある。
今回の展示でいふと、時忠より行家の方がよほど悪さうだ。悪だくみとかしてさうな雰囲気がある。
今回の展示の時忠には、敵ながらなんとなく義経を認めてゐるといふ大きさがあるからね。
行家の衣装は全体的に茶色系で、ところどころにいろんな模様が散らしてある。
今回の展示には全体的に茶色系の人が多いな。をぢさんが多いからかな。茶色といつても赤みが強かつたり緑がかつてゐたり、紫つぽかつたりいろいろなので、見てゐてとても楽しい。

以下、続く。
外のケースと「南都炎上」についてはこちら

Wednesday, 19 November 2014

川本喜八郎人形ギャラリー 南都炎上

岡本綺堂に「平家蟹」といふ芝居がある。
壇ノ浦の後の落人の悲劇、とでもいふべきか。
主人公は玉蟲。屋島の戦ひで、那須与一が射た扇を掲げてゐた上臈である。
いまは落ちぶれ果てた玉蟲だが、気位だけは高い。源氏憎しの念に燃えてゐる。
そんな玉蟲の妹・玉琴はたつきの道として春をひさぎ、あらうことか那須与一の弟と戀に落ちてしまふ。
当然玉蟲には許せない。縁を切るから出て行けと、妹を追ひ出してしまふ。
日も暮れて、ひとり縁側に座す玉蟲は、縁の下からやつてくる平家蟹たちに語りかける。蟹に向かつて「新中納言殿」とか「能登守殿」などと呼びかける。
平家蟹は、その甲羅が人の顔のやうに見えるといふ。
玉蟲には、蟹たちがいまは亡き平家の公達に見えるのだ。

この芝居を中村芝翫で見て、実に怖い思ひをした。
その一方で、「わかるなあ」とも思つた。
玉蟲には、同志がゐない。
生きてゐる人間に、自分の気持ちをわかつてくれる人がゐない。
妹でさへ、堕落してしまふ。
心の支へは、あの世に失せた人ばかり。
現実を受け入れられない玉蟲がいけないのか。
現実は受け入れなければならないものなのか。
もういいぢやん、死人だけがともだちだつて。
そんな風に思つたのである。

11月14日に展示替へ後の川本喜八郎人形ギャラリーに行つて、そんなことを思ひ出した。
以前も書いたやうに、今回の展示はALL 平家物語である。
名前を見るだに慕はしい人々の並ぶ中、なんだか「平家蟹」の玉蟲のやうな心持ちになつてきてしまつたとしてもなんら不思議なことはあるまい。

ギャラリーの外にあるケースに、源義高と大姫とがゐる。
義高は義仲の息子、大姫は頼朝の娘である。
まだこどものふたりが寄り添ふやうに立つてゐて、「小さな恋のメロディ」といつた感じだ。
それがよけいに切ない。
説明にもあるやうに、義高は人質として頼朝のもとで暮らしてゐて、大姫とはいいなづけの関係だ。
でもその約束が果たされることはない。
義仲の死後、頼朝が義高の命を狙つてゐることを知つた大姫は、義高を逃がさうとするが、義高は頼朝の手の者に殺されてしまふ。
大姫は、病床に伏してしまふ。
その後、頼朝は大姫を入内させやうと画策するが、大姫は若くしてこの世を去つてしまふ。

なんか、こー、切ない。

しかも、義高が凛々しいんだ、これが。
大姫を見る表情が凛としてゐて、いいんだなあ。とくに向かつて右側から見たときがいい。
対する大姫は、恋する乙女といふよりは、まちつと意志の強い女の子に見える。
義高は紺色の地に銀色や赤銅色の荒波にところどころ鶴か飛んでゐる模様の衣装で、大姫は白に近いやはらかなベージュ色の地に淡い桃色などで秋の草花を散らした模様の衣装で、このとりあはせもいい。

エスカレータの前のケースに、「平家物語」の脚本がおかれてゐて、おそらく放映前の仮題だらう、表紙に「愛・平家物語」といふやうな題名が書かれてゐたりする。
義高と大姫とを見ると、「描きたかつたのはかういふ話だつたのかもねえ」と思つたりもする。
そして、今回、ギャラリーの中も、なんだかそんな感じが漂つてゐるのだつた。

中に入つて左側にあるケースには、「南都炎上」といふ題名がついてゐる。
いきなり藤原親雅が座りこんでうめいてゐる図が飛び込んでくるのでびつくりしてしまふ。
興福寺で切られた髻を握りしめ、ざんばら髪で外聞もなく嘆いてゐるといつたやうすだ。
これがなんだか怖い。
お公家さんだから置き眉だし、もともとはユーモラスなんだらう顔立ちが、ゆがんで見えて怖いのだらう。
衣装は白つぽい地に金色つぽい色でひし形の中にいろんな形の鳩(だらう)がゐる模様。ひし形とひし形をつなぐ部分には花の模様があつたりもする。

その隣には妹尾兼康が立つてゐる。
これが実に凛々しい。
芝居の「俊寛」しか知らない向きには、「これが妹尾か!」とおどろくこと請け合ひである。
妹尾兼康は、軽装の兵を率いて興福寺に向かひ、返り討ちにあふ。首が猿沢の池に並べられたといふから、まあ興福寺のやり方もひどい。
ここにゐる妹尾は、「ダンディ」とでもいひたいやうなやうすですつくと立つてゐる。顎をぐつと引いたやうすがまたすてき。
衣装は薄地で白つぽい地に藤の花の模様である。藤の花の紫と葉の緑とから、とてもさはやかな印象を受ける。

その後ろに、病床の清盛がゐる。
布団も衣装も白一色。
病んでゐるだらうに、脇息にもたれつつ、ぢつとこちらを睨んでゐる。いや、それとも、こちらのやうすを窺つてゐるだけなのだらうか。
背も丸まつて、前回のこの世の春を謳歌してゐたやうすは微塵も見られない。
衣装は一見青海波の地模様だが、よくよく見ると波の線と線とのあひだに細かい模様が入つてゐる。

その手前、このケースの中心にゐるのが資盛と建礼門院右京大夫である。
ほら、ここにも「愛・平家物語」が。
資盛は、重衡、惟盛と並んでやつがれの中では「平家のダメダメくん」なのだが。
しかし、ここの資盛は実にすてき。
もー、あんたたち、そんなことやつてる場合ぢやないでせう、と思ひつつも、資盛と右京大夫とにはうつとりしてしまふ。
実際、資盛は祖父である清盛にも「この大事なときになにをしてゐた」とか、右京大夫との逢瀬をなぢられちやふんだけどね。
座して右京大夫を抱き寄せる資盛とそんな資盛にすがるやうな右京大夫とは、外のケースにゐる義高と大姫とのやうに見つめあつてはゐないものの、ふたりしてうつむいたやうすが趣があつていいんだなあ。
資盛は淡くてくすんだサーモンピンクのやうな地に地の色よりさらに淡いやうな色の糸や銀の糸を使つた楓の葉の模様の衣装を身につけてゐる。その下には、periwinkleをもつと薄くしたやうな水色の地に細い線の模様の入つた衣装で、色気もあり、やさしくもある印象を受ける。
右京大夫は朱色といふか橙といふかの地に六角形を敷き詰めてひとつひとつの六角形の中にいろんな花のある模様の華やかな衣装。この衣装の裾がきれいにひろがつてゐて、これまたうつとりする。

建礼門院右京大夫といふと、中村吉右衛門の「武蔵坊弁慶」のときの真野あずさがすてきだつたんだよなあ、などと思ひ出したりもした。

その斜め後ろに、もう一人の「ダメダメくん」、重衡が立つてゐる。見上げる先には燃える東大寺だか興福寺だかがあるのだらうか。
南都焼き討ちは、部下の兵士が火攻めと勘違ひしたから起きたこと、と、物語の中ではなつてゐる。
大河ドラマ「平清盛」では、顔まで炭で真つ黒にした重衡が、東大寺や興福寺を焼いたことを誇らしげに父・清盛に告げてゐた。
やつがれは、どちらかといふと大河ドラマ派なんだな。だから「ダメダメくん」と思つてしまふわけだけれども。
このときの、困つたやうな、「なんで我が子はこんなに世の中のことがわからないのか」とでもいふやうな表情でゐながら、重衡に「ようやつた」といふ清盛がよかつたんだなー。

重衡は頭には烏帽子、身には鎧をまとつてゐる。この鎧の草摺の模様がおもしろい。
ほかの人の模様は一色でなければ、縦の縞か横の縞かにわかれる。あるいは真ん中から三角形に色が変はつていくものもあるか。いづれにしても、左右対称のものが多い。
重衡の鎧は違ふ。
左斜め下から色が変はつていくのである。
いまのところ、ほかにこんな鎧を着てゐる人は見たことないなあ。
なんだらう、重衡は特別なのか知らん。
なにか所以があるのだらう。

ケースの一番奥には明雲と山伏ふたりがゐる。
明雲の前に控へるふたりの山伏の違ひがおもしろいぞ。
向かつて左側が如何にも三下めいた荒つぽいタイプで、右側がいかめしい顔つきの兄貴分、みたやうな感じがする。
衣装はほぼおなじながら、三下つぽい方は帯代はりに縄を使つてゐて、頭巾のかぶり方や衣装の着方もどこか雑な感じ。
右側の兄貴分のやうな方は、頭巾もきちんと折つてかぶつてゐるし、組み紐のやうなもので衣装をとめてゐて、着方もきちんとしてゐる。

明雲は、こんな顔の人ゐるよなー、と思ふ。
法住寺合戦で戦死するやうな坊さんなのでイメージではもつと猛々しい感じなのだが、ここにゐる明雲はどちらかといふと陰謀家めいた印象の坊さんである。
髪もないが眉もないのがさう思はせる原因なのかも。
右京大夫よりももつと赤みのつよい朱色の地にきらびやかな模様が散らされてゐる衣装で、着付け方のせゐか一見ひどくなで肩に見えるのも、原因、かな。

といふわけで、以下つづく。

Tuesday, 18 November 2014

言ひ訳大作戦

タティングレースのモチーフ作りがなかなか進まない。

なぜなのだらうか。
作つてゐるときは楽しいのである。
などと書きながら、夕べ、端糸の処理にちよつと手間取つてイラついたか。
どうも疲れてくると、端糸の始末といつた細かい作業が苦手になる。
Magic Thread だから、糸を引き込むだけなのにね。
もつと云ふと、はじまりとおはりの処理ができない。
ものごとに着手するのが大変、といふ話がある。
着手してしまつたら、ことは半ば済んだと考へてもいい、と云はれるのもまたむべなるかなといつたところだ。

さう云ひながら、一方では十里の道は九里をもつて半ばとせよ、などといふ話もある。
一歩を踏み出したくらゐで半分まできたなどと云つてゐてはいけない。
とくに遠くへ行く場合、それまでの疲れもたまつてゐるし、残り一割といふところでやつと半分と思ふくらゐがいい。
さういふことなのだらう。

ものづくりに関する限り、これはどちらも正しい気がする。
あみもので云へば作り目をはじめたらもうことは半ば済んだと思つてもよい。
ただし、セーターを編む場合は、すべてのパーツが編み上がつた状態を半ばと考へた方がいい。とじやはぎ、場合によつては襟などが残つてゐるからである。

あみものにしても、タティングレースにしても、着手したらすぐにできるといふわけではない。
とりあへず最初のうちに「半分までできた」と思つておく。そして、編んでゐるうちにそれを忘れて、あとちよつとでできるとといふところまできたら、「あと半分だ」と思ふ。
そんな感じがいいやうな気がする。

ところで、なぜタティングレースが進まないのか。
今回進まない理由は明らかで、途中でシャトルに巻いてゐる糸が足りなくなつたから、だ。
え、そんなこと、と思はれるかもしれない。
途中で糸が足りなくなつた場合、これまで使つてゐた糸の始末と、これから使ふ糸の始末とが必要になつてくる。
疲れてくるとこれが面倒なのだ。
なんで延々結びつづけてゐられないのかなあ。
さう思つてしまふ。

そんなわけで、ちんたらやつてゐるうちに、どうにもならなくなつて、仕方なく糸を足した、と、かういふ寸法である。
また今回の場合は、あと少しでモチーフができあがる、といふところだつた。このモチーフができたら色を変へやう。さうも思つてゐた。
それだけに、どれくらゐ糸を巻き足したらいいか判断に迷ふところがあつた。

云ひ訳?
うむ。まあ、かういふ「なぜ進まないか」「なぜできないか」といふ理由の大半は「云ひ訳」だ。
すくなくともやつがれはさうである。

はじめられない云ひ訳もいろいろある。
なにを隠さう、シャトルにぎりぎりいつぱい糸を巻いてある状態が好きだ。あ、藤戸先生ほどではなく、ね。はみ出るかはみ出ないかくらゐの感じで糸を巻いてある状態のタティングシャトルがとても好きなのである。
それはクロバーのシャトルでもさうだし、AerlitやPOP-A-BOBBIN TATTING SHUTTLE、G-8 Tatting Shuttle、いづれにしてもさうである。
つまり、糸を巻いてしまつたら使ひはじめられないのだ。
だつてその状態のシャトルが好きなんだもの。

これはちよつとしたジレンマだ。
永遠に使ひはじめられないではないか。
まあでもそのまま放置しておくわけにもいかないので、「どうせまた糸を巻くんだし」といふのでタティングをはじめる、といふ寸法である。

今回途中で糸が足りなくなつて、しかし糸をめいつぱい巻いてしまふと別の色の糸に変へられない、といふのも多分、なかなか進まなかつた理由のひとつなんだらうな。
糸はできるだけめいつぱい巻きたい。
その状態のシャトルが一番安定してゐるやうに感じられるからである。

まあしかし、そんなことも云つてはゐられないので、遅々としてはゐるものの、日々結んでゐる。
今年は12月の27日28日と土日でちよつと余裕があるからな。それまでになんとかしたい。

Monday, 17 November 2014

「質より量」の法則

「質より量」が重要だといふ。

最近、ティム・ブラウンの Change by Design> といふ本を読んだ。デザイン思考に関する本で、「デザイン思考つてなんだらう」と思つて読んでみたわけだ。

デザイン思考には五つのステップがあつて、そのうちの「創造」といふステップでは、「アイディアの幅を可能な限り広げる」のださうである。
つまり、多種多様なアイディアがたくさん必要で、すなはち「質より量」だといふのだ。

世に「ブレインストーミング」といふものがある。
会社勤めや宮仕への人でないと、あまり見聞きしないものかもしれない。
何人かであるものごとについて意見を出し合ふことをいふ。
ブレインストーミングでは、自分のものも含め、出てきた意見について否定的なことを云つてはならない。
とにかく意見を出す。
さういふ会議の形態である。

出てきた意見に否定的なことを云はないやうにすることで、どんどん多様な意見が出てくるやうにする。
それがブレインストーミングの肝だと思ふ。
つまり、意見の質よりも意見の量が必要だといふわけだ。

ブレインストーミングについては、職場ではあまり悪い意見は聞かない。
「ブレスト」などといふ略語になつてゐることを考へると、広く行はれてゐるものと思ふ。
だが、実際に多様な意見が出てくるかどうかは定かではない。
ブレインストーミングの効用については、疑問を呈する人もゐる。
スーザン・ケインがその著書 Quiet の中でブレインストーミングの効用はないといふ研究結果もある、といふやうなことを書いてゐるし、アリス・W・フラハティは「書きたがる脳 言語と創造性の科学」の中で、「実際にブレインストーミングをしても多様な意見などは出てこない。会社の意向に逆らふやうなことを云ふ社員などほとんどゐないからである」といふやうなことを書いてゐる。

それでゐて、世の中の会社人はブレインストーミングをやめやうとはしない。
たくさんの意見を出さうとすると、ほかにいい手がないからだらう。

ヲノサトルが、昨日の渋東ジャーナル改でおなじやうなことを書いてゐる。

習作、駄作、できの悪いものでも気にせず、とにかくガンガン作り続ける。すると、あるとき突然自分でも思いもよらない名作が生まれたりする。これは、ものを作る人なら誰でも経験していることと思う。

ブレインストーミングでさまざまな意見を出すのは、まづはアイディアを出しませうよ、といふことである。それを編集するのは、そのあと別途行ふ。
さういふことなのだといふ。

これつて、あみものでもさうだと思ふんだよね。
とにかく量をこなす。
さうしないと、まづうまくならないし、仕上げることができない。

いい作品を編めるやうになるかどうかはともかくとして、数をこなすことは重要だ。

あみものは、大まかにわけると、作り目・本体・伏せ目(仕上げ)の三つにわかれる。
作り目と本体の編む部分は、それなりにできるやうになる。
とくに編む部分はくり返しが多いので上達も早い。
けれども、編み終へることをしないと、いつまでたつても伏せ目ができるやうにはならない。
セーターなどの場合は、前後の身頃や両袖を編み上げて、それぞれつなぎあはせることをしないと、いつまでたつてもはぎやとじができるやうにならない。
一度はできるやうにはなつても、次にやるときには忘れてゐる。

「自分は不器用ですから」のやつがれが、ゴム編みの作り目や Twisted German Cast-on を使へるのは、一時ひたすらくつ下ばかり編んでゐたからだ。一目ゴム編み止めや二目ゴム編み止め、メリヤスはぎも同様である。
できはともかく、最初から最後まで作つた。
いつたい何足編んだらう。
「数へられるくらゐなら大したことない」といふ説を信じるならば、相当数編んだのだらう。

質はともかく、量を編むことで、できるやうになることもある。
ティム・ブラウンやヲノサトルの云ふてゐることとはかなり違つて恐縮だが、やつがれは「質より量」とはさういふことだ、ととらへてゐる。

などといひながら、ここ二週間くらゐなにも編めてゐない。
タティングレースも進んでゐないんだよなあ。
年賀状、もうあきらめやうか知らん。
と、毎年思つてゐる。

Friday, 14 November 2014

調和と個性

先月は、日本特殊陶業市民会館と新橋演舞場、それと歌舞伎座に行つた。
そして、アンサンブルについてちよつと考へたりした。

いまさらいふのも恐縮だが、菊五郎劇団のアンサンブル力はほんたうにすばらしい。主役から端役に至るまで、個々の役者の力量がすぐれてゐて、しかもバランスがとれてゐる。
平成中村座ではじめて菊五郎劇団以外の役者の演じる「め組の喧嘩」を見たときに、鳶の人々が天井に飛び上がるのに失敗してゐるのを生まれてはじめて見た。しかも一人だけとかぢやなかつたんだよね。
菊五郎劇団つてすごいんだなあ、とあらためて思つたことだつた。

先月は歌舞伎座と名古屋の日本特殊陶業市民会館とで「伊勢音頭恋寝刃」がかかつた。
個々の役者の魅力とか、初役の少なさ、舞台装置の自然さなどを考へると歌舞伎座の方が印象に残つてゐるのだが、芝居全体を考へるとどうも名古屋の方がよくできてゐたやうに思ふのである。
なんてーのかなあ、まとまつてゐる、とでもいはうか。
それとも、ほころびが少ない、だらうか。

たとへば幕明き直後、万次郎といふ男が出てくる。
吹けば飛ぶよな二枚目である。
つまり金と力はない。
自分の言動が周囲や世間にどう影響するのか、さつぱり考へる力も持たないし考へてみることすら思ひつかない。
それでゐて、なぜか異性から好かれてしまふ。

歌舞伎座ではこの役を中村梅玉が演じて、実によかつた。
もー、「あんた、なんにも考へてないでせう!」つてなもんである。
万次郎にはこの場の主役福岡貢に会つて紛失なしたるお家の重宝の行方について話したい、といふ悩みは一応あるものの、その悩みが全然身にしみてゐない。

福岡貢役の中村勘九郎は、この万次郎に乗つかればよかつたのだ。
さうすれば、これまたいい男で万次郎ほど弱々しくはないもののやつぱりどこか頼りない、といつたやうすを労せずして出せたんではあるまいか。
ところが、貢さんにはあまり万次郎さまの演技を受けてたやうすはなかつたんだよなあ。
受けてゐれば、もうちよつと力みのない貢さんになつてゐたんぢやあるまいか。
見ながら、「もつたいないなあ」と思つてしまつた。

名古屋の万次郎は中村萬太郎で、万次郎さまにしてはちよつと強いかな、といふ感じがした。
尾上菊之助の貢が線が細すぎるやうに感じたのも、そのせゐもあつたのかもしれない。
さう思ひはしたものの、こちらの貢さんは周囲の芝居をうまく受けてゐたやうに思ふ。
力んでるなー、などとはまつたく思はなかつたしね。

それぢやあ名古屋の方がよかつたのか、といふと……うーん、これは好きずきだらう。
物語重視なら名古屋、役者重視なら歌舞伎座だ。
今月国立劇場に行つたをり、英語版のイヤホンガイドを借りた。
英語版イヤホンガイドには幕間にお定まりの歌舞伎の説明がある。
大ざつぱにいふと、西洋の芝居はrepresentするもので、歌舞伎はpresentするもの、といふことだ。
西洋の芝居はtextを大事にするが、歌舞伎はactor重視である。
さう考へると、歌舞伎座の「伊勢音頭恋寝刃」の方がより歌舞伎的ではあつたらう。
でも昨今の客には西洋風の作りの方が受け入れやすいんぢやないかな。
とくに、ひいきの役者が出てゐない場合はさうなんぢやあるまいか。

ではアンサンブルがよければそれでいいのかといふと、一方でそれが裏目に出ることもある。
先月の新橋演舞場昼の部の一幕目の「俊寛」がそれだつた。
なんだか、みんな仲がいいのである。よすぎるといつてもいい。
猿之助劇団もまたアンサンブルのいい劇団だ。
アンサンブルがいいせゐか、島流しにあつてゐる俊寛、少将成経、判官康頼が、妙に仲よしに見えるのだ。
しかも、みんなふくふくとして幸せさうである。
別に御赦免船なんか来なくても、この三人に千鳥をあはせて四人で楽しく暮らしていける。
きつと海の幸も豊富で、都では食べられないやうな新鮮な魚を食べることもできるんだらう。
や、いいんですよ。さういふ解釈もあると思ふ。
つまり、俊寛と成経と康頼とは仲がよかつた、といふ解釈である。
さらには俊寛はいい人だつた、といふ解釈である。
さういふ「俊寛」があつても、別にいいんぢやないかな。
単にやつがれの好みにあはないだけで。

「平家物語」に出てくる俊寛は「ヤな奴」といふことになつてゐる。
お芝居の「俊寛」でも、「俊寛はヤな奴である」といふ解釈で演じる役者もゐる。
やつて来た成経と康頼とにむかつて、「なぜここのところ足が遠去かつてゐたのか」と拗ねるんだつたら、自分から行けばいいのに、と思はせるやうな俊寛、ね。
成経と康頼とも、なんとなく俊寛を避けてゐる。そんな風に演じられこともある。
といふか、それが主流なんぢやないかなあ。

ヤな奴だからこそ、その俊寛の変化が楽しめる、そんなお芝居なんぢやあるまいか。

ま、これはやつがれの解釈だけれども。

そんなわけで、先月はいろいろ見て「みんなちがつてみんないい」といふか、「みんなちがつて、人の好みといふのはむづかしいものなのだなあ」と思ふたりしたのだつた。
だから芝居見物はやめられないのである。

Thursday, 13 November 2014

エトス考

世に、臥薪嘗胆といふ。
「復讐のために艱難辛苦を重ねること」と辞書にはある。
それはちよつと違ふんぢやないかな。
薪の上に寝たり肝を嘗めたりといつたつらいことを日々やらないと、人は復讐心を忘れてしまふ。
さういふ意味なんぢやないかな。

さう思ふと、ちよつと安心する。
どんなに相手を恨んでみても、時間がたつと恨む気持ちは薄れていく。
恨みをたもつには、なにかしら自分の身を痛めるやうなことをしなければならない。
恨みをつのらせるのも苦しいけれど、そのためにさらにつらい思ひをするのはもつと苦しい。
そんな気がする。

ところがここに、薪の上に寝たり肝を嘗めたりしなくても、復讐心を忘れなかつた人物がゐる。
伍子胥である。
伍子胥は、父と兄とを殺した相手の墓を暴いて、その屍に鞭を打つたといふ。
周囲の人の目に、その姿はどううつつたことだらう。
Too extreme。
みなさう思つたのではあるまいか。

やがて、伍子胥の主である呉王夫差は、伍子胥の提言に耳を貸さなくなる。
その理由は「史記」には書かれてゐない。
でも思ふのだ。
みづからは薪の上に寝ることで復讐心をたもつた夫差は、そんなことをしなくても復讐に燃え続けた伍子胥を、気味の悪い人物と思つてゐたのではないか、と。

まあ、もしかしたら伍子胥もなにかしら復讐心を忘れないやうな荒行をしてゐたのかもしれないけどね。

ところで、これまた世にプレゼンテーションの極意といふものがある。
説得力の要素として、アリストテレスは「ロゴス・パトス・エトス」がある、と云つた。この三柱が、プレゼンテーションに不可欠だ、といふのだ。
ロゴスとは論理、パトスとは情熱または感情移入、そしてエトスとは人格とか人としての信頼性などと訳される。
プレゼンテーションに関する本や研修などでは、ロゴスについてはいろいろ教へてくれるし、「かうしたらいい」といふ方法も多彩だ。
人が人に教へられるのは、この三つのうちロゴスくらゐしかないからだ。
とくにエトスは、教へやうがないのではないかと常々思つてゐる。

職場に、さして専門知識のあるわけでもなければ、仕事に対する姿勢に疑問を覚えるやうな社員がゐたりする。
ところが、この社員が「仕事ができる」とみなされてゐることがある。
顧客からの覚えがめでたいからだ。
多少実務に問題があつても、「客に好かれてゐる」といふだけで、周囲は「仕事のできる人間」とみなしたりする。

「この人の方がよほど仕事ができるのに」と思はれるやうな人でも、顧客に受け入れてもらへないことがある。
これつて、エトスの問題だよね。
エトスにすぐれてゐるから、パトスのあることを客にわかつてもらへ、その結果好かれる。
そこにはロゴスはあまりなくても問題にはならない。
プレゼンテーションならいざ知らず、客との一対一に近い関係にはロゴスはあまり重要視されないこともある。

とはいへ、世の中にはロゴスを重視する人間もたくさんゐるから、さういふ客にはこの社員は使へない。

エトスのむづかしいのは、単に「いい人」であればいいといふことではない、といふことだ。
プレゼンテーションの達人と呼ばれる人々を見てみるといい。
スティーブ・ジョブズは「いい人」だつたらうか。
巷間知られてゐる逸話などから推量するに、お世辞にも「いい人」だつたとは思ひ難い。
それでゐてそのプレゼンテーションには定評がある。

一方では受け入れられるが他方では受け入れられない、さういふところがエトスにはあるやうに思ふ。
もちろん、全方向的に好かれる人もゐるかもしれないけどね。

エトスは一朝一夕に磨けるものではない。
こどものころから積み重ねてきたものがにぢみ出るものだ。
そして、ある人やある客に好かれなくても落胆することはない。
ほかの人やほかの客には受け入れられることもあるからだ。

伍子胥は、ロゴスを用ゐパトスをもつて夫差を説き、受け入れられなかつた。
伍子胥の持つエトスがさうさせたのではあるまいか。
そんな気がしてならない。

そして、夫差には受け入れられなかつたかもしれないが、受け入れてくれる君主もゐたらうになあ、と、つひ思つてしまふ。
伍子胥はそれをのぞまなかつたのかもしれないがな。

Wednesday, 12 November 2014

ペンケースたち

image

最近よく使つてゐる筆入れである。

……と思つたところが、コクヨのネオクリッツがないではないか!
うつかり写真を取り損ねてしまつたのらしい。不覚。

コクヨのネオクリッツは主に職場で使つてゐる。
職場では「机の上にものを放置して帰つてはならない」とかいふ不条理なお達しが出てゐる。
なんにもない状態で帰れ、といふのですよ、おくさん。
デスクトップPCとそれにつながるモニタやキーボード、マウスは出しつぱなしでもいいのださうだが(ダメといはれてもどうしやうもないしな)、それ以外のものはおいてゐてはいけないのださうである。もちろん、ティッシュペーパーの箱もダメだ。
正直云つて、かたづけたりなんだりが時間の無駄なんだよなー。
なんでかう、稼ぐ仕事をしない人や部署つて、稼いでくる社員や部署の足を引つ張るやうなことしかしないのだらうか。
これは永遠のテーマだと思ふなあ(大袈裟)。

もとい。
そんなわけで、コクヨのネオクリッツはとても役に立つのである。
ファスナーを閉じれば筆入れ。ファスナーを開いて上部を折り曲げれば筆立て。
完璧ぢやあないか。
会議室なんかでもいい感じなんだ、これが。
これにあはせた定規がほしいなあ、とつねづね思ひつつ、いつも忘れてゐる。最近あんまり定規を使ふ機会がないからねえ。

中に入れてゐるのは、シャープペンシル、パイロットのHI-TEC-C coleto の三色ペン、三菱UNIの鉛筆ホルダ、PLUSのDeco Rushと、ペリカントラディショナルのハイライターがメインで、あとはそのときどきによつて入れ替へてゐる。
見るからに実用的といふか、まあ、ちよつと仕事向き的な布陣だ。

写真の向かつて左側は、ナガサワ文具センターオリジナルのキップレザー五本差しのロールペンケース。
中には天冠の気にならない萬年筆を入れてゐる……つもりだつたが、ペリカンのスーヴェレーン800とかも入つてゐる。ほかにセーラー万年筆の細美研、モンブランのフレデリック・ショパン・エディション、LAMY2000と、もう一本はそのときの気分で入れ替へてゐる。さらに真ん中に六本目を差し込んだりすることもある。
このペンケースは、Moleskineでは使はないペンを集めてゐる感じだな。そんなわけで最近はあまり持ち歩いてはゐない。でも三年手帳記入用に使つてゐる細美研が入つてゐるので、つねにそばにはある。

ナガサワのキップレザーのロールペンケースは、これと十本差しとどちらにするかだいぶ迷つてゐた時期があつた。
ずいぶんと人気がある商品で、どちらも揃つてゐるといふことがあまりなく、あつても色が限られるといふことが多かつた。それで入手が遅れたといふ話もある。
実物は、以前神戸を訪れたときに見てゐる。
そのときにボルドーがいい色だな、と思つた。
五本差しにしたのは、「十本差しは持ち歩かないだらう」と思つたからだ。
十本差してもそんなに大きくならない、といふ話を聞いてはゐたが、実際に十本も差したら重たくなるんぢやあるまいか。
なかには、十本差しを買つたからといつて、十本全部差さなきやいけないわけぢやない、何本かさすだけでいい、といふ意見もあつた。
なるほど。それはさうかもしれない。
五本差しのペンケースに五本差すより、十本差しに五本差した方が、余裕があつていいかもしれない。
そんな風にも思つた。
結局五本差しにしたのは、ボルドーは五本差しの方がすてきだつたから、に尽きる気がする。
あと、「十本まるまる差さないやうにする」と決めてゐても、差せるんだからいづれ差すだらうと思つたからといふのもある。
やつがれの用途には五本差しで十分かな。
そのうち十本差しが必要だと思ふことがあつたら、買つてるかもしれないけれども。

真ん中のペンケースは、rethinkのLim Pen Sleeveだ。これもキップレザー製だといふ。三本差しである。
ここには大橋堂の細字と、ペリカントラディショナル、それとナガサワ文具センターオリジナルの透明軸のペンを入れてゐる。
このペンケース、といふか、ペンスリーブには Moleskine で使ふペンを入れてゐる。
このペンスリーブはちいさくまとまるといふのがいい。しかも、立てたときに安定感がある。まあ、それは差しているペンにもよるのかもしれないけれど、いま使用してゐる感じだと、ナガサワのペンケースより安定してゐるやうに見える。
使ひこんだ気はほとんどしないのだが、いつのまにかつやつやといい艶が出てゐて、ますます気に入つてゐる。

右は Pen and message のペンレスト兼用ケース。三本差しで、シュランケンカーフのアイリスである。
このペンケースには、いつも「旧枢軸国トリオ」を入れてゐる。
いまはペリカンのスーヴェレーン800、大橋堂、デルタのドルチェ・ヴィータを入れてゐる。
これまたそのときによつて入れるペンを変へることもあるが、必ず旧枢軸国産のペンを入れるやうにしてゐる。
とくに理由はないけれど、好きだからね。
ここに入つてゐるペンも、いまは Moleskine には使へないものばかりだなあ。ドルチェ・ヴィータがどうにか使へるかな、といふくらゐで、ペリカンも大橋堂も裏抜けしまくるので使ふことはできない。
それでも毎日持ち歩いてゐるのは、薄くてどこにでも入るから、だな。
おなじく薄くてどこにでも入るSmythsonのSCHOTT'S MICELLANY DIARYに書き込むのに使つたりしてゐる。

「ときどき入れ替へる」やうなことを書いてゐるけれど、実際は一度「このペンはここに入れる」と決めてしまふと、なかなか変へることができない。
ほんたうはもうちよつといろいろ組み替へたりしたいんだがなー。
それで、普段使ふ手帳が変はるタイミングで入れ替へたりしてるんだけどね。それもなかなか思ふにまかせない。
面倒くさがつてゐるだけだけど。

Tuesday, 11 November 2014

モチーフばかり作つてゐる

年賀状の準備は遅々として進まず、といひたいところだが、まあ、遅々としてはゐるものの、進んではゐる。

前回も書いたやうに、つなぐ場所を失敗しつつも、「切つてそれらしくつなげばいいや」的な感じで進めてゐる。

ここのところ Jon Yusoff のデザインしたモチーフばかり作つてゐたけれども、この週末は Nina Libin のモチーフを作つてゐた。
Tatted Lace of Beads: Techniques of Beanile Laceに掲載されてゐる六角形のモチーフだ。
この本は、基本的にはビーズタティングの本だけれども、冒頭にビーズを使はずタティングレースに特化した内容が載つてゐる。
ここにある三角形、四角形、六角形のモチーフが、とても好きなんだなあ。
好きなんだけど作らないのは、三角形と六角形とに関しては、ところどころにどこにもつながらないリングがあつて、これがぶらぶらするやうな気がするからである。
ドイリーとか置いて使ふものだつたらいいんだらうけれど、ぶらさげたりして使ふのにはどうなのかなあ。
どうやらおなじやうに思つてゐる人もゐたやうで、この三角形と六角形とのモチーフを改良したやうな作品を見たことがある。Nina Libin のデザインではどこにもつながつてゐなかつたリングのピコを、ほかのリングにつないだデザインだ。
しかし、つないでしまふとつないでしまふで、なんとなくバランスが妙な気がするんだよなあ。むづかしいね。

今回は年賀状に貼りつけるのだし、どこにもつながつてゐなくても問題はない。
よつて、三角形と六角形とは量産してみやうかな、と思つたりしてゐる。

ところで、モチーフを作るにあたり、シャトルもいろいろ持ち替へてみたりしてゐる。
久しぶりにクロバーのシャトルを使つたけれど、やつぱりいいね。大きさといひ、使ひ勝手といひ、文句ない。
生まれてはじめてタティングレースをはじめたときに使つてゐたシャトルだから、よけいに愛着もあるのかもしれない。ゆゑに「タティングしてるなあ」といふ満足感もある。
問題は、やはり糸、かなあ。
糸を巻き付けるのは、まあ、お道具があるからいいとして、あまつた糸を巻き取るのが難である。巻き取るときも巻き付けるときとおなじお道具を使へばいいのかもしれないが、これが案外うまくいかない。
ボビンに慣れてしまふと、かういふところが不便だなあ。

週末は Aerlit Tatting Shuttle を使つてゐた。
頓挫中の The Twilry をつなぐプロジェクトでも使つてゐるので、とくに問題なく使へてゐる。
いままで使つてゐなかつたシャトルなので、ちよつとボビンを回すときかたい感じがするが、これくらゐの方がいいのかもしれない。
The Twirly に使つてゐるシャトルは、逆にちよつとボビンを止める部分がゆるくなつてきてゐる気がするんだよね。これはこれで不便。

お道具は、「これ」と決めるのもいいけれど、「これもいいしあれもいい」といふのも楽しい。
たださうなつてくると、「あのシャトルが使ひたいから」といふので無用なものを作つてしまつたりすることがある、といふのが問題かなあ。
ひとつの作品はひとつの(といふか、決めた)シャトルで作りたいからね。途中で別のシャトルに替へたくない。

しばらくは、死蔵してゐるレース糸を出してきて、せつせとモチーフ作りに励む予定だ。
合間に週末編んだ cowl のメリヤスはぎをしなければ。

Monday, 10 November 2014

「消費マインドの冷え込み」を実感する

昨日11月9日の日曜日の午後三時半ごろ、突然思ひたつて、cowl を編み始めてしまつた。
年賀状の準備(タティングレースのモチーフ作り)はまるでできてゐない。

突然 cowl を編み始めたのには理由がある。
最近、たんすの中を見てゐたら、これまた突然、Rowan の Cocoon が三玉見つかつたからである。
Rowan の Cocoon は、二三年前に半額だつたのを買つた。
帽子と cowl とを編んで、全部使つてしまつたはずだつた。
すくなくともやつがれの頭の中では、「もう我が家には Cocoon はない」といふことになつてゐた。
それが突然見つかつてしまつたのである。
しかも三玉とかいふ中途半端な数で。

悩んで、ひとまづはまた cowl を編んでみることにした。
今回編むことにしたのは、縦長に編んで最後に輪にする形である。
cowl を編むときは、大抵輪の状態で編む。最後にメリヤスはぎをしたくないからだ。
輪の状態でぐるぐる編むのが好きだからといふのも理由のひとつだ。

昨日編み始めて、夜には編み終はつた。
まだメリヤスはぎが残つてゐるが、それはまあ、追々やることにする。

パターンは、Ravelry から探してきた。
フリーである。

一昨日、丸善丸の内店に行つた。
なにかしらあみものの本を買ふつもりであつた。
候補は三冊くらゐあつた。
「デンマークの暮らしから生まれたニット」と「編みたい糸で、編みたいパターン」、それと嶋田俊之の「シェットランド・レース」である。
あ、「毛糸だま」の最新号もあるから全部で四冊か。
あと、なぜかかぎ針編みをしたい気持ちが高まつてゐるので、かぎ針編みの本でなにかよささうなものはないかな、と思つてゐた。

一冊も買はずに帰つてきた。

上記三冊は、すでに何度か店頭で手にしてゐる。
それで気に入つてゐる、といふか、気になつてゐる本だ。
これまでだつたら買つてゐる本である。
それなのに、なんといふことだらうか。

「この本には編みたいものがひとつしかない」「この本には編みたいものがいくつかあるけれど、手持ちの毛糸とあはない」などの理由で、買はうと取り上げつつも、結局本棚に戻してしまふ。

そんなことをくり返して、その日は戻つてきてしまつた。

たぶん、これは「消費マインドの冷え込み」といふアレである。
これまでだつたら、ひとつでも編みたいものがあれば買つてゐたのになあ。手持ちの毛糸とあはなくても「まあなんとかなるだらう」くらゐの気持ちで買つてゐた。

それが、なにがどうなつたのかわからないけれど、突然、「編みたいものがひとつしかないんぢや買へない」「手持ちの毛糸とあはないから買はない」といふ風に心持ちが変はつてきてしまつたのである。

ニュースなどを見てゐると、四月の消費税率引き上げに伴ふ「消費マインドの冷え込み」は一時的なもので、そのうちなくなる、と云ふてゐたやうに思ふ。
すくなくとも、四月五月くらゐの段階ではさう云つてゐたんぢやないかな。
六月七月の賞与の時期になつたら、よくなるんぢやないか。
或は秋が来たら。

これまたニュースなどを見るかぎり、どうも「消費マインドの冷え込み」とやらはつづいてゐるやうな気がする。
すくなくともやつがれの中ではつづいてゐる。
食料品や日用品を買ふときも、現在かごの中に入つてゐるものの総額をおほよそではあるものの計算しながら買ふやうになつたし、一度に使ふ金額も以前より減つてゐる。そもそも買ひものに行く回数が減つた。
食料品や日用品でさへさうなのである。
あとは推して知るべしだ。

もうかうなつてくると、消費マインドとやらは「冷え込」んでゐるわけぢやあないんぢやあるまいか。
いまある(だらう)この「消費マインド」こそが「消費マインド」なんぢやあるまいか。
そんな気がする。

円が安くなると輸入品の値段があがる。
これから冷えるのに、灯油の価格もあがるだらう。
光熱費は全体的にあがる。
食料品や日常品も、輸入してきたもので作つてゐるものは高くなるだらうし、だいたい作るのに工場を動かするのにかかる光熱費があがるんだから、その値段も反映されることになる。
毛糸やあみものの本を買つてゐる場合か?

それでもこの冬は「michiyoの編みものワークショップ」とラトヴィアのくつ下の本を買つてはゐるんだがね。
「michiyoの編みものワークショップ」にあはせて毛糸も買つた。
九月にはスウェーデンで毛糸を買つてきてゐるしね。
まつたく消費してゐないわけではない。

それでも、「ほしい本はあつて、でも買はない」といふ自分の行動に、我ながらすくなからずショックを受けてゐることも確かなのだつた。
この反動がどこかでやつてくるやうな気もするしね。

ちなみに、あみものの本も毛糸もやたらと手元にあるので、編まないといふことはない。
これもまた確かなことである。

Friday, 07 November 2014

クリーム色にセピア色

World Paper Free Day とやらなのださうである。
と、書いたら、日本時間ではすでに翌日になつてゐた。
ここには2014年11月6日と書いてある。

みづからの身をふり返つてみるに、職場ではほとんど紙を使はないやうになつてゐる。
紙を使ふか否かはそのときの仕事によるから、いまは単に使はない仕事をしてゐる、といふことだらう。
お客さんが紙依存症なら使ふし、さうでなければ使はない。
そんな感じ。
あ、あと、文章のチェックをする場合は印刷するな。画面で見てゐると誤記や誤変換を見逃しやすいのだ。こればかりは仕方がないと思ふてゐる。機械的に確認する方法もないわけぢやあないがね。

さはさりながら、毎日紙を使ふてはゐる。
予定表はSmythson の Schott's Miscellany Diary だし、あれこれを書く手帳に MOLESKINE を使ふてゐる。ときに5x3カードも使ふ。
ここのところ、くれたけの万年毛筆ぺんてるの筆ペンきらりとに惚れ込んでゐるので、ツバメノートの縦書きノートも買ふてしまつた。
いま読んでゐる本はたまたまKindleで読んでゐるけれど、本を読むといふことになつたら紙を使ふてゐることになるのだらう。使ふといふか、紙を使つたものを読んでゐる、といふか。

上記参照先を見るかぎり、ここでいふ「Paper」といふのは主に職場でプリンタから印刷したのを指すやうだから、手書きに使ふ紙は関係ないのかもしれないな。
手書きに使ふていどなら、使はないやうにしやうといふ運動も起きないのかもしれない。

かつて、清涼院流水が世に出てきたときには、「一度全部手で書いてみればいいのに」と思ふたものなあ。
あの分厚さは、キーボードを使ふから可能なのではあるまいか。
さう思ふたからである。
さうすると、世の中の紙を増やしてゐる所以は、キーボード入力といふことになるのだらう。
まあ、さういふ一面もあるとは思ふ。

さて、そんな中、今日は久しぶりに LAMY の SAFARI にインキを入れてみた。
この SAFARI は萬年筆に入れあげはじめたころに買ふたものである。透明軸だつたのだが、だいぶ軸がくもつてきてしまつてゐる。
このペンについては以前も書いてゐる。やつがれは、どちらかといふとやはらかい書き味のペンが好きなのだが、このペンはとてもかたい書き味なのだ。さりさりとした感じで、ちよつと鉛筆で書いてゐるやうな感じがする。そこがいい。

鉛筆のやうに書き味のこのペンに入れてゐるのは、Dr.Jansen の William Shakespeare だ。
茶色のインキとしてははじめて買ふたものである。
はじめての Moleskine を使ひはじめたのもちやうどこのころだつた。
はじめての Moleskine は優秀なノートで、モンブランのボルドーで書き込んでも、カランダッシュのターコイズグリーンで書き込んでも、このシェイクスピアで書き込んでも、まつたく裏抜けすることがなかつた。にぢみは多少はあつたのかもしれないが、全然気にならなかつた。

Moleskine のクリーム色の紙に、セピア色のシェイクスピアはとてもよくうつつた。
鉛筆を使ふてゐるやうな気持ちで、いろいろ書き込んでゐた。
Moleskine と この SAFARI とは、当時一番よく使つてゐた組み合はせだつたと思ふ。

いつしか Moleskine の紙はよくにぢむやうになつてしまつた。しかも裏抜けする。
嘆いてゐるのは萬年筆使ひばかりではないのらしい。ボールペンでも使へるものを選ぶのだといふ。
さう嘆きつつも使つてゐるのは、なんでなのかねー。
といふ話は、以前書いた

現在の手帳が Moleskine で、普段使つてゐる萬年筆がだいぶ限定されてゐる。
プラチナ萬年筆のブルーブラックを入れた中屋万年筆の細軟と、おなじインキを入れたやはり中屋の中軟、これまたおなじインキを入れたプラチナ萬年筆のポケット万年筆と、セーラー万年筆の青墨を入れた大橋堂の細字。
この四本がメインで、裏抜けはほぼないし、にぢみも気にならない。雨の日とかはちよつと気になるけど、その程度だ。
あとはナガサワ文具センターのルノワール・ピンクを入れたナガサワオリジナルの透明軸のペンと、Dr.Jansen の Frederic Chopin を入れたパイロットの PRERA細字、ペリカンの Jade を入れたモンブランの Chopin エディション細字、純正ブルーを入れたデルタのドルチェヴィータ細字と純正ターコイズを入れたペリカンのトラディショナル極細を使つてゐる。ルノワール・ピンクは追記用、Dr.Jansen の Chopin は感想用で、その他は気分転換に使ふ。
幸ひなことに、やつがれは筆圧が低いので、上記のペンとインキであれば、まあまあ、にぢんだり裏抜けしたりしても気にならない程度には書ける。
にぢみや裏抜けがどーしても許せないといふ人にはダメなレヴェルだとは思ふけれども。

Shakespeare も裏抜けするんだよねー、と思ひながら、書いてみたのがこれである。

image

左端にちよこつとうつつてゐるのが、表のページに Shakespeare を入れた SAFARI極細で書いてみたページだ。
裏ににぢんでるねぇ。
でもまあ、これくらゐなら、いいかなあ。
気にしてゐたら、Moleskine は使へない。
さうも思ふ。

右側のページを見ると、やはり Moleskine のクリーム色の紙に Shakespeare はよく似合ふ。
やつぱり使つちやはうかなあ。

Thursday, 06 November 2014

NHK文化祭に行く

11月2日(日)、NHK文化祭なるイヴェントに行つてみた。

毎年開催されてゐるのだらうか、全体的にはお子さま向け、家族連れ向けのイヴェントである。
ワンワンなどの着ぐるみもゐたりする。
番組で実際に使用してゐるTVカメラを操作できるブースもあつたりする。まあお子さま限定だらうと思ふけど。
正装姿で楽器を持つて歩いてゐる一団がゐたから、ちよつとしたアンサンブルの演奏会などもあるのだらう。
やつがれの行つたときには、「スポーツと食」とかいふ主題で、日本カーリング女子代表の選手たちを壇上に呼び、なにやらインタヴューなどを行つてゐた。
詳細は上記リンク先を参照のこと。

NHK放送センターの周囲は渋谷区のお祭りとやらで、ずらりと屋台が並び、人々が「どつとくりだす」をやつてゐた。
当然、ものすごい人混みだ。
そのためだらう、NHK放送センターにもたくさんの人が流れ込んでくる。
人混みの苦手なやつがれにはつらいイヴェントだ。

なのになぜ行つたのか。
人形劇の「シャーロックホームズ」の人形が展示されてゐると聞いたからである。

あとで知つたが、それだけなら行く必要はなかつたのかもしれないなあ。
なぜといつて、11月30日(日)から12月28日(日)まで、NHKスタジオパークで「NHKパペットエンターテインメント シャーロックホームズ展」といふイヴェントが開催されるといふのを知つたからだ。
うーん、こちらも混雑が予想されるのか知らん。

でもまあ、行つて正解だつたと思ふ。
ホームズの展示はもちろんよかつたのだけれども、なつかしのキャラクタといつた感じでペーパークラフトのにこにこぷんやプリンプリン物語の面々を見ることができたからだ。
その場にあるQRコードをスマートフォンなどで読み込むとWebからペーパークラフトをダウンロードできるやうになつてゐた。
じゃじゃ丸くんは、やつがれの中では歴代No.1の「おかあさんといっしょ」着ぐるみキャラクタだ。
プリンプリン物語のメンバーの中には、ルチ将軍もゐた。「IQ1300!」だよねえ。懐かしい。残念ながら頭の巨大さは表現されてゐなかつた。自分でダウンロードして作り足す必要がありさうだ。しないけど。

なんだかこれだけで十分満足してしまつてゐる自分がいとほしいといふかあはれといふか、ね。
プリンプリン物語とか三国志が放映されてゐた時分には、NHK放送センターの入り口に人形が飾られてゐたりしたんだよね。「あんた誰?」くらゐの端役も待つてゐてくれたりして、あれは毎回楽しみだつた。
いまはどうなんだらう。「シャーロックホームズ」の人形はNHK放送センターで待つてゐてくれたりしないのか知らん。
しないのかもしれないなあ。

さて、肝心のNHK文化祭における「シャーロックホームズ」は、といふと、人形は、ホームズ、ワトソン、ハドソンさん、アイリーン・アドラー先生の四人だけだつたものの、人形設定のスケッチや、原型を作る前の粘土細工なども飾られてゐたからだ。粘土細工にはシャーマンもゐた。可愛い。
人形のスケッチには、番組内でワトソンメモといふ形で紹介されてゐるのとおなじものもあつたのかなあ。
はづかしながら、ホームズの胸元のスカーフがベイカー街周辺の地図だとははじめて知つたよ。
ダルタニアンとホームズの頭部を並べて描いてあるスケッチもあつた。そんなのもちよつと楽しい。

ホームズには、人形者の心をくすぐる要素があるなあ。
顔がビスクドールのやうな感じになつてゐるあたりとかね。髪の毛はつやつやとした仕上げになつてゐるけれど、顔はつや消しの磁器みたやうな感じになつてゐる。
ちよつと斜に構へて流し目で、顎のあたりに手をやつてゐる姿で展示されてゐて、これがまたいいんだな。

斜に構えてゐるホームズとは逆に、ワトソンは正面切つて飾られてゐた。なんだかとつても「welcome」といつた雰囲気で、これがまたよい。
照明の具合もあるのかもしれないけれど、ワトソンは全体的に茶色つぽいといふか、皮膚などは日に焼けた感じで元気いつぱい、といつた趣がある。
TV画面で見てゐるときは、ホームズとワトソンとの色合ひは必ずしも調和してはゐないなあと思ふときもあるのだが、そこがいいのかもなあ。とくにかうして並んでゐるとさう思ふ。

ハドソンさんは、TVで見ると鬱陶しいが(さういふ役回りだからね)、展示されてゐるのを見ると、春風駘蕩といつた感じである。全体的に桃色系の色合ひで、それがよい。髪の毛部分が紙細工のやうに見えて、それがふんはりと軽い感じを出してゐるのもいいのかも。
鬱陶しいといひながら、出てくるとちよつとうれしい気がするのも、そんな明るさがあるからかもしれない。

アイリーン・アドラー先生も桃色系なのに、ハドソンさんとはまつたく違つた趣があるのがおもしろい。
ハドソンさんの口元はお喋りな人のそれなのに、アドラー先生の口元はなんともエロティックだ。
竹宮恵子が公開してゐたスケッチに、いくつも口元ばかり描いたものがあつた。普通にしてゐてもちらつと歯が見える、だとか脇にちよこつとした書き込みもあつたりした。いかに色気のある口元を描くことができるか、といふやうなことに挑戦してゐたものらしい。
今回、アドラー先生を見て、そんなことを思ひ出した。
うーん、やつぱりアイリーン・アドラー先生はステキだわー。

行きは原宿駅から歩いていつた。
でも、こどものころはいつも渋谷駅から歩いてきて、渋谷駅へと帰つていつた。親につれてきてもらつてゐたころも、「人形劇三国志」の音入れを見学しにきたときも、「関羽の死」の収録を見にきたときもさうだつた。
ここのところはNHKホールに行くにも原宿駅を利用することが多かつた。
じゃじゃ丸くんやルチ将軍を見て、いろいろ懐かしくなつて、ぼんやりと渋谷駅まで歩いてしまつた。
バカだねえ。

ところで、NHK文化祭でホームズたちに会つたせゐだらうか。
TVの放映で彼らを見ると、以前より親しみを覚えるやうになつてゐる。
いまのところはすでに見たことのある回ばかり放映されてゐるが、それもまた楽しみになつてきた。

もひとつところで、「ちいさいお友だち」はほぼホームズたちが飾られてゐるあたりはスルーしてゐたことが気になつてゐる。
まあ、対象年齢はまちつと上なのかな。さうするとNHK文化祭にはわざわざ来ない子たちなのかもしれない。
え、「おほきなお友だち」向きの番組?
いやー、それは、ないだろー、多分。

Wednesday, 05 November 2014

ALL 平家プログラム

昨日11月4日(火)、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーに行つてきた。

……書くまでもないか。
行くと思はれてゐるだらうし。
あたりまへのことを書かないといふ筆法からいくと、やつてはいけないことだ。
しかし、あたりまへのことでも書いておかないと、あとで自分が忘れてしまふ。

といふわけで、ひとまづ、記しておく。

第四回の展示は昨日で最後だつた。
今日から展示替へがはじまつて、11月14日(金)に第五回の展示が公開される。
第五回の概要については、川本喜八郎 Official WEB SITEに記載されてゐる。
ALL 平家物語になる、と。

さういふわけで、先日も「予想はしない」と書いたのだつた。
物語の流れと今回の展示から、出てくる人はだいたい予想がつくしね。
細かいところまではわからないけれども。
今回は平氏一門がかなり展示されてゐたので、次回は少なからう。今回ゐなかつた資盛とか重衡とかがゐるかなあ、もしかして、といつたところか。
義経は出てくるだらう。人形劇の義経は素敵だからなあ。「義経」といつたらもう彼しか考へられない。
あと義仲。義仲は、川本喜八郎が平家物語中とても興味を覚える人物と語つてゐたので、とくに楽しみにしてゐる。
それから去年の8月のイヴェントで見かけた実盛とか、ゐるかなあ。次回の展示で出てくるとしたら、髪の毛は染めた実盛だらう。

個人的に気になつてゐるのは西行だ。いつ出てきてもをかしかない気もするのに、未だ見かけてゐない。
いま飯田市川本喜八郎人形美術館に行くと、西行に会へる。人形劇には出てゐなかつた方だけれども。
8月に「死者の書」を見に行つたをり、西行をあらためて見て、なんとなくほかの人形と違ふ気がした。
よくよく見たら、目の色が灰色だつた。
それでこの日はほかの人形も目の玉ばかりに注意を向けて見てしまつた。
さういへば里見八犬伝の人形の中では、左母二郎の目は茶色いだけで中心の黒い部分がなかつたなあ。それがまたちよつと異様な雰囲気になつてゐてよかつた。
といふわけで、西行の目は人形劇に出てゐたときはどうだつたか知らん、といふのが気になつてゐる。
人形劇で実際に動いてゐると、そこまでよく見えなかつたりするんだよね。孫権くらゐ目が大きいと「あ、緑だ」とかわかつたりするけれど。

義仲が出てくれば巴御前とか葵とかも出てくるかもしれない。
静御前がゐるかどうか。
気になる。
平家物語は女の人も多いから華やかでいいよね。

などと書きつつも、でも飯田で見ると一番華やかなのは曹操のケースなんだよなあ、といつも思ふ。
曹操のケースはやつがれの見たかぎりいつも野郎ばつかりなんだけどなー。
いまの飯田の展示だと、曹操とほかに四人しかゐないけれども、なんとなくにぎやかさうな感じはする。
有象無象、といつたら失礼か。多士済々ゆゑだらう。

……予想はしないとか書きながらしてしまふのは業である。
多分。

ところで今回の展示では、時忠と後白河院とをしげしげと見ることが多かつた。
どちらも目が横を見てゐてね、陰謀家めいた表情でとてもよかつた。
どちらが、といはれると、悩むなあ。

時忠は動きを感じるやうな姿がよかつた。風をはらんでゐる感じ、とでもいはうか。
川本喜八郎の人形アニメーションを見ると、無風状態で撮つてゐのに(さうでなければ撮れないだらう)、ほんたうに風の吹いてゐるやうに感じる場面が数多ある。「ほんたうに」といふのは、見てゐるこちら側にも吹きかかつてくるかのやうな感じがするといふことだ。
今回の時忠の姿を見てゐると、向かつて左方向から風がふはりと吹き付けてきてゐるかのやうな、そんな感じがしたんだよね。

一方後白河院は、陰のあるやうすがとてもよかつた。
物理的にも陰影が濃かつた。
後白河院のゐたケースにあたる照明が少なかつたからだらう。
すぐそばにある平氏一門のケースには外からも照明が当てられてゐたけれど、後白河院のゐるケースの照明はケースの中のものだけだつた。
照明が少ないと、細かい部分は多少見づらいと感じることもある。
けれども、そのため生まれる陰影のすばらしさもある。
後白河院は、金色づくめの衣装を着てゐて、向かつて右の方を見てゐる。ぐるりと右側に回りこむやうにして見ると、光のあたつて金色に輝く部分と、陰になつて暗くしづんで見えるやうな部分とのコントラストがおもろかつたんだなあ。
初回の展示のときの孔明や、その次の展示の時の敗残の為朝も、かうした光と陰とのコントラストがおもしろかつた。
次回はどうなるだらう。実に楽しみである。

結局予想だらけではないか。
まあ、さうなるよな、必然的に。

Tuesday, 04 November 2014

モチーフ三昧

先週の土曜日から年賀状準備期間に突入した。

といつても、タティングレースのモチーフを量産するだけだけど。
問題は、「量産」がむづかしい、といふことだがな。

作つたモチーフは年賀状に貼りつける。
最低でも20枚はほしい。
だつたら、かんたんなのを作ればいいぢやあないか。
自分でもさう思ふ。
しかし、かんたんなモチーフは飽きる。
作つてゐても楽しくない場合もある。
そんなわけで、時間がないのにchallengingなモチーフを作りはじめてしまつたりして、なかなか進まない。
といふのが、この連休の状況である。

しかし、モチーフづくりは楽しい。
つなげて大きくすることなど考へずに、一枚完結のちいさいものを作る。
しかも、その後の用途は決まつてゐる。
いいぢやあないか。

モチーフだけを作る場合の問題点として、そのままではどうしやうもない、といふことがある。
いや、まあ、そのまま飾つてもいいんだけどね。
ほぼ日手帳でナイロンカヴァを使つてゐるならカヴァオンカヴァといふ透明のカヴァがさらについてくるから、手帳とカヴァとのあひだにモチーフを入れてもいい。
生まれてはじめて使つたほぼ日手帳ではさうやつてモチーフをはさんでゐた。

モチーフによつてはペンダントトップ代はりに使へるものもあらうし、それをいふならピアスにできるものもあらう。さういへば、かばんにぶらさげるチャーム(といふのだらうか)を作つたこともあつたか。

あとはコースターとか?
ほかにはなにがあるだらう。
ぱつと思ひつくのはこんなところかな。

そんなわけで、使ひ道がいまひとつ思ひつかず、モチーフだけを作るといふことが最近なくなつてゐる。
いまも The Twirly とか Masquerade とか作つてゐるけれど、どちらもつないで大きくしやうとしてゐるしね。
大きくしたら使ひ道があるのか、といはれると、答へに困るけれども。
まあ、The Twirly はぼんやりと使ひ道を決めてはゐる。そこまで到達できるかどうかわからないけれど。

さう考へると、大きいものを作るのも考へものか。
そもそも仕上がるといふ保証がない。
モチーフ一枚ならなんとか完成にはこぎつけられさうだもんな。

ところでモチーフは、現在のところ Jon Yusoffの本から選んで作つてゐる。
夕べは Casis といふモチーフを作つてゐた。
一カ所つなぎ間違へてしまつたので、写真は取つてゐない。
年賀状に貼るときは、間違へた部分を切つて、のりでうまいことつなげるつもりだ。

この Casis といふモチーフは二段のモチーフで、中央部分の一段目はチェインからはじめ、スプリットリングで二段目にあがる。
二段目はスプリットリングとモックリング。
去年のいまごろも確か作らうとして、挫折した記憶がある。
うまくできなかつたんだね。
どこがうまくできなかつたかといふと、まづチェインからはじめるところ。クリップをはさんではじめて、クリップのあつたところにあとから糸をつなげて円にするのだが、このあとから糸をつなげる部分がきれいにできなかつた。
あと二段目のモックリングがきれいにできなかつた。糸を引きすぎてしまふんだよね。

昨日作つてみてどうだつたか、といふと、やはりチェインからはじめて糸をつなぐところはあまりきれいにできてゐない。これは課題だなあ。クリップが細すぎたのだと思ふ。それでかぎ針を入れてむりやり広げる形になつてしまつた。
モックリング部分は、去年よりまし。なんでましになつたのかは、不明である。最近モックリングとか作つてないのでうまくいつた理由がわからない。

これでつなぎ間違へさへなければよかつたんだけれどもねえ。
まあ、世の中さういふものである。

この先もしばらくモチーフ三昧だ。
今週はもうちよつとかんたんにできるモチーフを作つてみるつもりである。

Monday, 03 November 2014

フツーのあみもの者

Stockholm Scarf は、すこしづつではあるものの進んでゐる。
日に4段編めればいい方といつた調子だ。
そしてこの連休中はまつたく編めてゐない。
先週もちよつと書いたやうに、年賀状の準備に着手したからだ。
それはまた明日にでも書くかと思ふ。

さて、Stockholm Scarf はストックホルムで買つてきた糸で編んでゐる。
ストックホルムに行つた所以はヴェヴメッサだ。
ヴェヴメッサは織物関係のイヴェントだが、あみもの者が行つても楽しい、とはすでに書いたとほりである。

織物関係のイヴェントなので、同行者は織物関係の人ばかりだつた。
あたりまへといへばあたりまへだ。
もつといふと、その道で収入を得てゐる人がほとんどだつた。
これもまた至極当然のことかと思はれる。
イヴェントがあるから海外に行くつて、さういふことでもないとしないことだといふ気がするからだ。
つまり、編むことで収入を得るどころか編むことで時間とお金とを消費するばかりの人間がさういふイヴェントに行く、といふことは、かなり普通ではない、といふことになる。
婉曲な書き方をしたが、えうするに「ディープだ」といふことだ。

自分がディープなあみもの者である、などとはそれまで考へたことはなかつた。
旅行中、織物関係の人々と話してゐて指摘されるまでは。
フツーにあみものをする人は、ネットで編み図を探したりしないし、外国語のパターンの解読とかしない、とその時云はれた。
自分の知り合ひはみんなやつてますけど、と反論したら、それは知り合ひがみなディープなのだ、と返された。

ぬーん。
いはれてみれば、毎日更新を楽しみにしてゐるブログの方は、いつも編みものの本から何か編んでゐるやうな気がする。
編物のブログを更新してゐるといふだけでかなりディープだと思はれるが、海外のパターンを編んでゐるのを見たことはつひぞない。
毛糸も通信販売でかなり買つてゐるやうに見受けられるが、海外の店から毛糸を取り寄せてゐるやうすもない。

さういふものなのかもしれないなあ。

何をもつて「ディープ」とするかは、実はさうかんたんなことでもないとは思ふ。
日常的にあみものをする時点で、ディープとも云へる。
やつがれなんか、フツーのあみもの者、或はあみもの者としては極めてフツーだと思ふんだけどなあ。
相対的なものだから、仕方ないか。

Saturday, 01 November 2014

2014年10月の読書メーター

2014年10月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2744ページ
ナイス数:10ナイス

陋巷に在り3―媚の巻―(新潮文庫)陋巷に在り3―媚の巻―(新潮文庫)感想
この巻を読むに及んであらためてKindle版の出てくれたよろこびをかみしめる。
読了日:10月1日 著者:酒見賢一
史記 5 世家 上 新釈漢文大系 (85)史記 5 世家 上 新釈漢文大系 (85)感想
必ずといつていいほど君主が愛妾に溺れてダメになる、といふ末路をたどるため、どの国の話だつたかわからなくなるほどである。その中で驪姫は別格。ここまでは互ひに滅ぼし合ふやうな戦争はしなかつた時代の話なのかな。
読了日:10月4日 著者:吉田賢抗
A STUDY IN SCARLET (annotated)A STUDY IN SCARLET (annotated)感想
今読むと犯人の動機を語るくだりが「たるい」感じがする。さういへばこの本ではじめて「nil」といふ単語を知つたんだつたよなあ、とか、思ひ出すことも多い。この後「冒険」とかも読み返してみやうかな。
読了日:10月7日 著者:SirArthurConanDoyle
泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)感想
第四部の前におさらひ。あらためて読むと、「詩を残してないのは曹操を意識して」とか「龐統とは元々はあまり面識がない」とか、「そーぢやないかなー」と勝手に思つてゐたことが書いてあつたりして、「さう思ふよねー」などと思ひつつ読む。全篇真顔で読み通す自分がちよつと怖い。
読了日:10月10日 著者:酒見賢一
中世の人物 第1巻―京・鎌倉の時代編 保元・平治の乱と平氏の栄華中世の人物 第1巻―京・鎌倉の時代編 保元・平治の乱と平氏の栄華感想
ほかの時代についてもさうなんだけれども、「歴史」としてよりは「政治」として見たい、といふのはある。史料の信憑性とか客観性とかを考へると、まづ「政治学」としては成り立たないのだが、でも、これつて、やつぱり「政治」でせう。違ふのかな。続く巻も楽しみである。
読了日:10月17日 著者:
八犬傳(上) (角川文庫)八犬傳(上) (角川文庫)感想
朝日新聞連載時も入れると四回目くらゐだらうか。連載当時も馬琴と北斎との関係や「東海道四谷怪談」の初演の話などに心惹かれつつ読んだ。挿絵が切り絵だつたのも好きだつたなあ。八犬伝の部分もコンパクトでよい。
読了日:10月18日 著者:山田風太郎
保元物語 (岩波文庫)保元物語 (岩波文庫)感想
為朝がモンスター過ぎる。「連邦の白いヤツは化け物か」つてかういふ時に使ふんだらうな。義経はほんたうは義朝の八男だけど叔父にはばかつて九郎と名乗つたといふ説や、弱過ぎてはづかしいからといふので流れて行つた弓を取りに行つた話が生まれるのもむべなるかなといつたところ。清盛が忠正を殺した理由も凄まじい。
読了日:10月22日 著者:
中世の人物●京・鎌倉の時代編 第2巻中世の人物●京・鎌倉の時代編 第2巻感想
通り一遍のことしか知らないので、「在地領主に対する所領設定を中心」にした義仲の話はチト物足りない感じ。義仲のことなら既にあれこれ書かれてゐるからそちらを見ろ、といふことなのかな。宗盛無能ぢやない説もきつといろいろあるんだらう。こちらはちよつと気になる。
読了日:10月27日 著者:
平治物語 (岩波文庫)平治物語 (岩波文庫)感想
「保元物語」と作者が同じとするならば、段々書き慣れて来て筆が走つてきたといふ感じで、次第に美文調が増えてくるのがおもしろい。「臥待の月もさし出でず北山下の音冴えて」とかね。最後は駆け足。
読了日:10月29日 著者:岸谷誠一

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