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Thursday, 02 October 2014

講座「川本喜八郎氏の人形アニメーション」に行つてきた

9月28日(日)、「川本喜八郎氏の人形アニメーション」という講座を聞きに、渋谷ヒカリエにある渋谷区防災センター会議室に行つた。

講師はアニメーション評論家のおかだえみこ氏。
渋谷区民優先といふ話だつたが、ありがたいことにお話を聞くことができた。

渋谷区主催のかうした講座はこれまでにもあつた。
いづれも歴史寄りの話であり、当然のことながら渋谷区民優先といふので申込みを躊躇するうちに日が過ぎてゐた。

今回の講座に申し込んでみたのは、人形アニメーションについて語る講座といふのがめづらしい気がしたことと、川本喜八郎の人形アニメーション作品を見られることのふたつが理由である。

川本喜八郎の人形アニメーションなら、DVDにもなつてゐるし、わざわざ見に行く必要はないぢやあないか。
さういふ意見もあらう。
やつがれもさう思ふ。

しかし、見に行きたい。
なぜといつて、川本喜八郎の人形アニメーションを見ることしかできない空間で見たいからである。

このblogにも何度か書いてゐるやうに、やつがれは「ながら族」である。
TVだけを見る、といふことができない。
TVを見ながらあみものをしたり、TVを見ながらタティングレースをしたり、時にはTVを見ながら本を読んだりする。
それで両方頭に入つてゐるのか、と訊かれると甚だ返答に窮するが、どうもTVのモニタだけを見るといふのは時間のムダな気がするのである。

TVを見るだけなら、両手はあいてゐる。
だからあみものはできる。タティングレースもできるだらう。
あみものもタティングレースも時に手元を見る必要があるが、ずつと見てゐる必要はない。
#などと書くとタティングレースに真剣に取り組む人に怒られるかもしれないが。

もつといふと、TVのモニタはずつと見つめてゐなければならないものではない。
TVに流れる映像は、見る側の集中を必要としない。
だから本も読めるのである。

それと、やつがれが「ながら族」なのは、「楽しいこと」に別の「楽しいこと」を足したらもつと楽しいだらう、といふ考へもあつてのこと、といふのがある。

くどいほど書いてゐるが、北村薫の小説に、「本を読むときにはおいしいものを食べたい」だつたか「おいしいものを食べるときには本を読みたい」といふやうなことを云ふ主人公が出てくる。
いただきもののクッキーを前にして、本を読みながら食べやうと考へる場面があつたと記憶する。
これがね、よくわかるんだよねぇ。
本を読みながらなにかを食べるだなんて、行儀が悪いはしたない、と云はれるのは承知で、おもしろい本を読みながらおいしいものを食べるのは、これまた至福の時なんだよなあ。
本がおもしろくて没頭してゐたら食べものの味なんてわからないだらう、といふ意見もあらう。
それはさうなんだけれども、でも、楽しいことに楽しいことが重なつたら、1+1を超える効果があるやうな気がしないか?

ゆゑに、映画や芝居を見ながらあみものができないだらうか、といふ妄想につながつていくのだが、まあ、それも何度か書いてゐるのでここではおく。

川本喜八郎の人形アニメーションは、そんな「ながら族」な見方を許してはくれない。
見る側に集中を要求する。
といふよりは、見てゐる方が自然とさうなつてしまふのである。
よそごとを考へる余裕がない(まあまつたくないわけでもないけれど)。
全身全霊を傾けて見なければ。
さういふ気分にさせる。
それでゐて、見終へたあとに肩が凝るかといふとさうでもない。
この夏「死者の書」を見たときにはさすがにちよつと疲れた気はするけれど、一時間も集中して見ればさうなるだらう。

さういふ作品を自宅でDVDで見ると、やはりなんとなく集中がつづかなかつたりして、なんだか申し訳ない気分になつてしまふ。
根が「ながら」なもんだから仕方がない。
そんなわけで、今回も見られるのなら見たい、と思ふたわけだ。

今回は講師のお話のあと、「鬼」を見ることができた。
「鬼」は今昔物語から題材を取つた作品で、おそらく二作目にあたる。
ほぼ真つ暗な背景の中、登場人物は年老いて病んだ老母と二人の息子の三人である。
息子たちの顔は、人形浄瑠璃の人形のカシラをそのまま持つてきたやうな感じだ。

講師であるおかだえみこは、この作品を見て「すごーい」と叫んでしまつたのださうだ。
それ以前に「花折り」も見てはゐたけれど、可愛く楽しいだけの作品で、すばらしいとは思つたけれど、すごいと思ふには至らなかつた、とも話してゐた。
「花折り」にくらべて、「鬼」は内容も深くて、人間の業(とは講師の方は云はなかつたが)を表現してあますところなく、とにかく「すごい」と思ふたのださうである。

「鬼」は、脚本や演出、人形がすばらしいのはもちろんのこと、講座では話に出なかつたが、音楽がとにかくいい。
初見のときに「うわー、こんな曲を書いてこんな曲を弾くのはあの人しかゐないよ」と思ひ、クレジットを見たらそのとほり、「鶴澤清治」とあつた。
文楽にはことに詳しくないやつがれだが、見始めたころいろいろ教へてくれた人が鶴澤清治の贔屓で、自然とCDとか買つたりしてたんだよね。
「鬼」のBGMは三味線が鶴澤清治で尺八が山口五郎といふ、これ以上望むべくもないやうな豪華な布陣だ。
セリフはまつたくなく無声映画のやうにときおり文字だけの画面が出てくる作品で、人形は三味線と尺八とにあはせて動く。その躍動感をなんと表現したらいいだらう。
また、不条理とでもいひたいやうな結末を迎へるあたりの音楽の、曰く言ひ難いしづけさと不気味さ。
講師の方のセリフを奪ふやうだが、ほんたうに「すごーい」としか云ひやうがない。

惜しむらくは、最後の説明めいた文章が不要かな、といつたところか。
海外で上演することを考へての演出なんだらうとは思ふが、ない方がいいのに。

会場には、「モニタの縦横比がオリジナルと違ふのが残念」といふ意見もあつて、そのとほりだとは思ひつつも、かうして見ることができたことがとても嬉しかつた。

講座の感想などもあるのだが、それはまた機会があれば書くことにしたい。

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