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Friday, 31 October 2014

銀のスプーンと縁がない

先日、TwitterのTimeLineに「最近歌舞伎を観劇する客の和装の質がよろしくない」といふやうな内容のつぶやきがまはつてきた。

歌右衛門のころは、初日楽日ともなると気合ひの入つた和服で見に来る客が多かつたのださう。
そして、こどものころからいいものを見ていいものを聞いていいものを食べていいものを着て(そして、当然いいところに住んで)きたやうな客が減つてゐる、といふやうな趣旨であつたと思ふ。

和装については、芝居見物の折に見かける範囲でいふと、圧倒的にお年を召した方の装ひの方がステキである。
着こなしにしてもさうだし、立ち姿、歩く姿、いちいちさまになつてゐる。
ちかごろはお若い方にも着慣れたやうすの方が増えてゐるやうに思ふけれども、経験の差は如何ともしがたい。

でも、それは、仕方ないんぢやないかなあ。
慣れてないんだからさ。
いまの若い方々がお年を召すころには、やはり「お年を召した方の装ひの方がダンゼンステキね」などと云はれるやうになるのではあるまいか。

いや、わかつてゐる。
もともとの発言主の意図はそこにはない。

ここにも以前書いたやうに思ふが、芝居を見てゐると、ときに「やつがれ風情が見てもいいのか」といふ気になる。
残念ながらやつがれは「こどものころからいいものを見ていいものを聞いていいものを食べていいものを着て(そして、当然いいところに住んで)きた」わけではない。
忘れもしない小学三年生のある日、突然歌舞伎を見たくなつて、親に頼んだところ、「自分で稼げるやうになつたら行きなさい」と突き放された、そんな家庭で育つた人間である。
親に理解がなかつた。そもそも伝統芸能に対する興味もなかつた。
もつといへば先立つものがなかつたね。

親もそのまた親も、芸術的なことに関する素養はまつたくない。
家族の中で、芝居を見たり演奏会に行つたり(最近は行かないけれど)、年に一度行くか行かないかではあるものの展覧会に行つたりするのはやつがれ一人だ。

それつて、「いいものに触れてきたわけではない」といふことが劣等感になつてゐるんだよね。
認めたくないけれども。

もちろん、文化的にちよつとどうかなといふ境遇に育つても、芝居や演奏からさまざまなことを享受できる人といふのはゐる。
たぶんたくさんゐることだらう。
これまた残念ながら、やつがれはさうではない。
見るには見て、聞くには聞いてきたけれど、あまり役に立つてゐない。
まつたく、もつたいないことこの上ないのである。

ゆゑに、ときどき思ふのだ。
もしかして、「こどものころからいいものに触れる」ことのできる環境に育つたら、いま見聞きしてゐることどもも、もつとよく理解できてゐたのかな、とか。
もつといふと、さういふ環境で育つてゐたら、自分が見聞きすることで見せてくれたり聞かせてくれたりする側になにかしら貢献できたりしたのかな、とか。

最近では演奏会にも行かなくなつてしまつたし、芝居はといふといつも一番安い席で一度だけ見るやうになつてしまつた。劇場での買ひものはほぼ皆無。舞台写真も筋書や番付さへ買はなくなつてしまつた。

まあね、単に「楽しかつた」「きれいだつた」でいいんぢやない、といふ気もしてはゐる。
むづかしいことは評論家にでもまかせておいて、「よかつたねー」でいいぢやん、とかね。
自分がものごとの深いところをつかむことができず理解することもできないのは、育ちのせゐもあるけれど、持つて生まれた資質のせゐでもあり、わかつてゐながら磨いてこなかつた自分のせゐでもある。
いちいちそんなことを嘆いてゐてもどうにもならない。

冒頭のつぶやきにある「いいお召し物のお客」とは住む世界が違ふのだよ。
それでいいぢやあないか。
な。

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