再訪もまた楽しからずや
先日、公開句会東京マッハが岐阜県高山市で開催された。よつて「飛騨マッハ」といふ。
高山には、高校生のときに修学旅行で訪れたことがある。
高山自体にはあまり記憶がなくて、白川郷に行つたことと、高山では市内の一流ホテルに泊まつて、テーブルマナーを学ぶといふ名目でかなり高級な感じの夕食を食べてことしか覚えてゐない。
そんな高山なので、あちこち歩き回れたらいいなあと思ふたが、残念ながらできなかつた。
前日、名古屋で一泊したからである。
理由になつてゐない?
名古屋から高山まで、特急に乗つても二時間半かかる。
飛騨マッハは十二時半開場だ。開演までは一時間あるけれど、開演までの時間で選句をする必要がある。できれば開場直後に入りたい。
開場前に食事はすませたい。すると、十一時には高山についてゐたい。それには名古屋を八時半には出なければならない。
一時間前なら七時半、それより前は特急がないので、終電で行つて始発を待つことになる。
ムリ。
最近とみに早起きができなくなつてゐて、とくに前日は三時間台睡眠だつたりしたものだから、八時半出発でもかなりつらかつた。
こんなことなら高山に泊まるんだつたなあ。
しかし、さうすると高山着が十二時を過ぎてしまふ。
なぜといつて、前日は名古屋で歌舞伎の顔見世興行を見ることになつてゐたからだ。
歌舞伎の興行としてはかなり早めに終演するけれど、そこから名古屋駅に出て乗り換へて、といふことになると、万が一のことも考へるとどんなに早くても九時名古屋発がいいところだ。
九時に名古屋発だと、もう特急はないので、三時間半くらゐかけてのんびり行くことになる。
そんなわけで、十一時高山着といふのは、やつがれの中ではそれしかない選択ではあつた。
ではあつたんだが、むーん、もつたいなかつたかなあ。
十一時について、混み始める前にと思ひ、即食事どころを探した。
おほよその目星はつけてゐた。
駅からそんなに遠くなくて、その通りを行けばほかにも食事どころのありさうなところ。
そんな道を歩いてみるつもりでゐた。
駅を出てものの十分もしないうちに、目星をつけてゐた店のうち最初の一軒にたどりついた。
迷ふこともなかつた。
すぐに食べられさうだつたので、その店に入ることにした。
いやはや、なんだらう、このスムースさ。
食事のあと、まだちよつと時間があるといふので店のあたりをぶらぶらしてみたけれど、これまた道に迷ふことがない。
やつがれは方角についてはひどく極端なたちで、ほぼ間違へない町と絶対間違へてしまふ町とがある。
間違へてしまふ町については以前も書いたな。
お堀の周りに弱い。
国立劇場にはじめて行くときもえらく迷つたし、四谷では必ず逆の方向に行つてしまふ。
この前は行き慣れてゐるはずなのに、お茶の水駅に出るつもりで気がついたら水道橋駅についてゐた。
なんなのだらうか。水道橋駅はさすがにショックだつたよ。とほほ。
間違へない町といふと、飯田がさうかな。
先日も、鼎駅からICにつながる道の方まで歩いて、ついたらお目当てのお店がまだ開店前で、仕方なくすごすごとそこから飯田市川本喜八郎人形美術館まで歩いたのだが、途中迷ふことはなかつた。
はじめて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つたときも、なかなかつかないなーとは思ふたけれども、迷はずについたし。
「ここで食べやう」と決めた食事どころにもいつもちやんと行けてゐる。
京都は、まあ、間違ふ人の方が少なからうと思ふのでおいといて、さうだなあ、日野でも目的地には迷はずつけたし、さういへばお堀のそばだけれども、ある人のお宅を訪ねて行つたときもちやんとついたんだつた。さういふこともある。
そんな感じで、その時々や場所場所によつて、迷ふたり迷はなかつたりする。
高山は、「ここに行く」と決めてゐたところにはすべて迷はずにたどりついた。
しかも、とくに行き先を決めずにぶらぶらしてゐても、「駅にたどりつけないかも」とか「飛騨マッハの会場はどこ?」といつたやうな不安を覚えることはなかつた。
いい町ぢやあないか。
道のところどころにある案内表示もわかりやすいんだよね。
海外からの観光客も多かつたし、万事わかりやすく作つてゐるんだらう。
すばらしい。
そんなわけで、行く前は「もう高山には行かないかもしれないし」と思つてゐたが、うーん、もう一度くらゐはどうにかして行きたいなあ。
東京からだと時間がかかるか知らん。
さういへば去年の五月に奈良に行つた。
中学校の修学旅行以来だつた。
そのときは興福寺のそばの宿に泊まつたのだが、興福寺に行くことはなかつた。予定に入つてゐなかつたのである。
阿修羅、見たかつたのになー。
阿修羅については、東京国立博物館で開催された阿修羅展で360度ぐるりと見ることはできたのだが。
でもやつぱり、お寺にも行きたいよねー。
といふわけで、行つてみたのである。
晴れた日だつた。
周囲に高層ビルのないせゐか、ひどく開放された気分になつた。
あたりは観光客や修学旅行生でいつぱいなのだが、しかし、国宝館などをのぞくと、込み合つてゐる、といふ感じはしない。
いいなあ。
中学生のときに来たときもこんな感じだつたらうか。
それとも、あの時はそんなこと感じる余裕もなくあちこちに連れまわされてゐたかな。
この日も泊まりは大阪で、あまり時間はなかつたのだが、それでもなんだかのんびりした心持ちになつた。
修学旅行で行つた法隆寺とか薬師寺にも行つてみたい。
そんな気がする。
こどものころ行つたことのある場所やよく行つた場所に行くとおもしろいよ。
そんな記事を最近webで見かけた。
詳しくは読んでゐないが、さういふこともあるな、と思ふ。
こどものころといふのは、自分の意思でどこかに行く、といふことがなかなかできない。
行きたいところには行けても、つれて行つてもらはなければならない。
修学旅行に至ると、行きたいところには行けず、行きたくもないところにつれて行かれることがある。
さういふところに、自分の足で行つてみると、おもしろい発見がある、と、さういふことなんだらう。
修学旅行のときは単につれて行かれただけでなんの記憶もないところにいま行つたら、またちがつた感慨があるのではあるまいか。
そんな気がする。
高山からの帰り、新幹線で浜名湖付近を通り過ぎるときに、さういへば、こどものころ夏休みによく来たな、と思ひ出した。
今度は浜松に行つてみるか。
こどものころに一度だけ、浜松城に行つたことがある。
あのころは家族で車で移動してゐた。
いまはない。
今度行つてみやうかな。
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