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Thursday, 30 October 2014

使ひ終はつた手帳の処遇

使ひ終はつた手帳をどうしやう。

Moleskineに代表される手帳を使ひはじめて4年、使ひ終へたノートが10冊はある。
実は数へたことはない。
だいたい4ヶ月に1冊ペースなのではないかと思ふので、12冊くらゐだらうと思つてゐる。

手帳の種類はさまざまなので、いまのところ順番には並んでゐない。
大きさは預金通帳サイズか文庫本サイズのどちらかだ。

ほかにスケジュールと日記を書いてゐるほぼ日手帳がある。これが10冊。

これ、どうしたものかねえ。

なぜ使ひ終へた手帳を取つておくのか。
捨てるにしのびないから、といふのが一番大きな理由である。捨てるのがめんどうくさい、といふのも本心だ。
しかし、取つておくならば、なにかしら役割があるのではあるまいか。
まあ、本棚を占領するといふのも役割のひとつかもしれないけれども。

取つておくといふことは、見返すつもりである、といふことであらう。
実際、職場においてゐる使ひ終へた手帳については、時折見返すこともある。
以前、似たやうな仕事をしたときのことが書いてあつたりするからだ。
書いておいてよかつたといふ話を、三年手帳のところでもしたやうに思ふ。

見返す、といふことでいへば、三年手帳はいい。
二年分のことが記されてゐたりするからだ。
使ひはじめたときは普通の手帳と変はりないがな。
でもその三年手帳も三年たつて日々の欄をすべて埋めたら持ち歩くことはなくなる。

取つておいて、頻繁に見返すか、といふと、さうでもないんだよなあ。
おもな理由は、「見返してゐる時間がとれない」といふことだ。
おそらく、毎日の予定に「過去の手帳を見返す時間」といふのを組み込めばいいのだ、と、それはわかつてゐながら、できてゐない。
だいたいどうやつて見返すといふのか。
1年前のことを見返すか。それとも1冊前の分を見返すか。
毎日、その日のことを何年前はどうだつたか、とか見返すのか。
実はやつがれはこの「何年前の今日、なにをしてゐたか」を見返すのが意味もなく好きだ。
だから三年手帳を使つてゐても楽しい。
でも、好きなのにできてゐない。
手帳にわかりやすい見出しがあるわけではないからだ。
見出しをつければいいのか。
うーん、これはちよつとやつてみやう。

しかし、それでも毎日見返すとはかぎらないなあ。
以前もすこし書いたやうに、現在使つてゐる手帳では、前日の記録、一週間前の記録、一ヶ月前の記録を見返すやうにはしてゐる。
ここのところ見返すことがなくなつてゐたけれど、また復活した。
そんなことをしてなにか効用があるのか、といふと、うーん、やつがれとしてはなにもないな。
たぶん、なにもないからやらなくなつてしまつてゐたのだらう。
ただ、日々書き込んでゐることどもを、できるだけリンクさせたい、といふ思ひはあつて、またはじめてみた。
たとへば、本を読んでゐる最中にもあれこれ書いたりするので、読み終へたあとの感想部分に「読んでゐる最中に書いたメモ」のページ数を書き込んだりとか、或はここのところ源平関連の本を読むことが多いので、芝居を見た感想に本の感想のページ数を書き込んでみたり、その逆もしたりなどしてゐる。

ただ、かういふことも、またその後見返すことがないと、なんのためにやつてゐるのかわからないなあ、と思ふのだつた。
意味がないぢやん。

……まあ、意味がなくてもいいのか。

しかし、この先も手帳が増えつづけることを考へると、おいそれと手帳を増やすわけにはいかないな、とも思ふ。
「1冊のノートにすべて書け」とは、さうしておけばどこになにを書いたか探さなくてすむからだ。
でも、もしかすると、ノートの使ひわけをしてゐると、どんどんノートが増えて収拾がつかなくなるぞ、といふこともあるのかもしれない。

それに、ひとつ前くらゐの手帳の内容は即確認したいこととかあるんだよね。普段持ち歩いてゐないからできないけどさ。
それつて使ひわけをしてゐたら、その分持ち歩かないといけないつてことだよね。
それを考へたら、やはり「1冊のノートにすべて書く」になつてしまふのではないかなあ。
1冊のノートにすべて集約してゐても、前の手帳を持ち歩かうと思つたら、手帳はできるかぎり薄くて持ち歩きやすいものであつてほしい。
Smythsonか……。
などと、心は千々に乱れるのである。
大袈裟だけど。

それにしても、使ひ終へた手帳をとつておく必要があるのか、といふのは考へるべき課題だな。
あまりとつておくべき理由を思ひつかないしね。
だいたい、やつがれの死んだ暁には、いづれにしてもすべて捨てられてしまふのだ。
だつたら自分の手で、と思はなくもない。

そして、もちろん、捨てるつもりはまつたくない。
いまのところはね。

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