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Wednesday, 08 October 2014

くだを巻く螽蟖

「老後破産」の記事を読んだ。
TwitterのTimeLineに並んでゐたからである。
他人事ではない。
つねづねさう思ふてゐる。
また、やつがれは大層後ろ向きな性格である。
これまたつねづねさう思ふてゐるし、ここにも何度か書いてゐる。
それでもなほ、読んでうちのめされることしばしであつた。

衝撃のあまり、URLを保存することも忘れてしまつたが、ほんと、他人事ではない。
明日は我が身、である。
おかげで、それまでは「来月の「勧進帳」は久しぶりに一階で見やうか知らん」と思つてゐた気持ちがすつかりしぼんでしまつた。

来月の歌舞伎座は吉例顔見世興行である。
初世松本白鸚追善公演といふことで、孫にあたる市川染五郎が初役で「勧進帳」の弁慶を演じることになつてゐる。
富樫には白鸚の長男である松本幸四郎、そして義経に白鸚の実の次男である中村吉右衛門、といふ、なんか、もう、「それ、あり?」な配役になつてゐる。
そんな配役なので、これはもう二度とないかもしれないし(といふよりは、二度とないであらうし)、見るなら一階だな、と思ふたのである。

思へば歌舞伎座の一階席になど、去年の十月以来座つたことがないのに、である。

だが、「老後破産」を思ふにつけ、歌舞伎座の一階で芝居を見るだなんて、身の程を知らぬ所行なのではないかといふ気がしてくる。
三階の一番安い席でさへ、座つてはいけないのではないか。
そもそも、観劇などといふのはお大尽のすることで、稼がぬことには生きてゆかれぬ資産を持たぬ庶民がすることではないのでは。

ないのでは、でなく、ない、のである。
芝居見物なんぞといふのは、生活に余裕のある人のすることで、日々の暮らしに汲々とする人間のすることではない。
わかつてはゐるんだけどなあ。

もつといふと、やつがれは芝居を見るに値しない人間である。
芝居に限らず、ものを見る目といふものがないんだな。
ほかの人、とくに識者といふやうな人がほめてゐるものがいいものには見えない。
それならまだしも、ものごとの深いところを理解して受け取る能力がない。

識者のほめるものが悪く見えるのは、趣味の問題もあるだらうからいいとして、ものごとの深いところを理解できないのはどうよ。
見る価値があるのか。
ないな。
ない。

といふやうなことは、もうずいぶんと前から思つてゐた。
多分、芝居の席が取りづらくなつてきたころから思つてゐたと思ふ。
それまでは、「まあ座席もあいてゐることだし、無理しない範囲で通ふのはありだらう」くらゐに、自分を甘やかしてゐた。
それが、「歌舞伎ブーム」などといふものがあつたかなかつたかよくわからないうちに、座席が押さへづらくなつてきて、「……もしかして、やつがれ風情が見てはいけないのかも。見たいと思つてゐる、もつと感受性の強い人とか芝居への愛にあふれてゐる人が見られるやうにした方がいいのかも。自分ひとりでも見るのをあきらめたら、その分見られる人もゐるだらうし」と思ふやうになつた、と。
そんな寸法である。

かういふ考へ方をするのは、なにもやつがれ一人ではない。
たとへば、引退興行などの場合には、「長いこと引退する人のことを見てきた人に譲りたいから」といふので、わざとチケットを買はない人がゐたりする。

さういふ人とやつがれとどう違ふのか、といふと、自分のことを信用してゐるか否か、といふところだと思ふ。
やつがれは、自分のことを信用してゐない。
信用してゐない、といふか、有り体に云つて、「芝居を見せるのはもつたいない」人間だと思つてゐる。
いつたいなんのために毎月芝居見物に行つてゐるのか。
我ながら不思議である。
わかつちやゐないのにね。

見に行くのは好きだからだらう。
さうも思ふ。
だが世の中にはやつがれよりも芝居とか役者とかにずつと濃い愛情を注ぐ人があつて、さういふ人にはどうも「かなはないなー」と思つてしまふ。
好きといふのは勝ち負けの問題ではないのだが、どうもやつがれには他人より愛が薄いといふか情が薄いといふ引け目があつて、それでチト退きがちになつてしまつたりもする。
だいたい「好き」と公言してゐて居への愛情を隠さないやうな人はいつのまにか「俳優祭」に行けてゐたりするのに、やつがれはといへば未だに電話がつながつたことすらない。
これつてやつぱり愛情の過多によるんぢやあるまいか。
芝居さんはみづからを愛する人を愛する。
そんな気がする。
そして、それは芝居さんに限らないのだ。
#芝居さん、とか書いてゐるとなんとなく仲達が脳裡に浮かぶなあ。

まあ、かういふ感情をさして人は「拗ねてゐる」といふのかもしれない。
そのとほりである。

もとい。
いづれにしても、芝居見物や演奏会通ひなどといふものは、持てる者の娯楽であつて、持たない者は指をくはへてあきらめるしかない。
淀川長治は、晩年、若者に向かつて、「オペラに行け、バレエに行け、金がないなら親からくすねても行け、仕事をやめてでも行け」と云つたのださうである。これも昨日TLにリツイートがまはつてきて知つた。
おそらく、持たない者でも若者だつたら見てもいいのだ。
若くもなく、こどものたかられるばかりの持たない大人は、分別を覚えるべきなのである。

ああ、もう、「べきなのである」と書いてゐるところからして、「わかつてるよ。わかつてるけどできないんだよ」つて云つてゐるやうなものだな。

そんなわけで、来月の「勧進帳」は一階で見る。
「老後破産」まつしぐら、だ。

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