予想はしない
渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーは、予想では来月のいまごろ展示替へをしてゐるのではないかと思ふ。もしかすると、もう終はつてゐるかな。
今回、「次の展示の予想」を書かないのは、八月のイヴェントのときにそれとなく聞いてしまつたからだ。
八月の時点での話で、実際にどうなるかはわからないけれどもね。
でもまあ、義経とか弁慶とかが出てくるのだらう。
今回お休み中の頼朝・政子も出てくるかもしれない。
義仲とその周辺の人々もゐるかな。
そんな感じだ。
先日、人形アニメーションの講座を受講できた身としては、渋谷でも人形アニメーションの人形を見てみたいなあ、と思ふ。
うーん、でも現在のケースの状態だとむづかしいかなあ。
飯田市川本喜八郎人形美術館では、人形アニメーションの人形はちよつと小ぶりなケースにゐて、人形劇の人形に比べて間近に見ることができる。
リカちやん人形より小さいからね。身長はおなじくらゐかもと思はないでもないが。あ、「鬼」の兄弟なんかはリカちやんよりも背は高いんぢやないかな。
でも顔が圧倒的に小さい。リカちやんはかなりデフォルメされてゐるので、実際の人間に比べて頭部の比率が大きいんだよね。人形アニメーションの人形の頭身の率は、実際の人間とほぼ変はらないのではないかと思ふ。これは人形劇の人形もさうだとどこかで聞いた気がする。
渋谷には壁に沿つて大きいケースがあるだけだから、人形アニメーションの人形を見やすく展示するのはむづかしいかもしれないなあ。
でも、希望だけは述べておかう。
そんなわけで、現在渋谷にゐる面々ともあと一ヶ月弱。
時間を見つけては会ひにいくやうにしてゐる。
蒋幹の着付けが左前、といふのは以前から気になるところであつたし、八月のイヴェントのときにもちよつと訊いてみたりはした。
最近気になるのは、しごきである。
しごき、と書いたが、なにか別の呼び名があるのかもしれない。
曹操の陣営からはるばる呉に赴いたのだから、旅装だらう。
さうしたら胴に巻いてゐるあれはしごきなのではないかいな。
まあ、とにかく、蒋幹は胴に布をまいてゐる。帯といふには薄い生地だ。色はピンクがかつた淡い紫色で、とてもよい色だ。牡丹色のサテン地の衣装とあはせてゐるからドギツく見えるけど。
よくよく見ると、このしごきが切りつぱなしである。
なんだらう、スパークとかなのだらうか。
ほかの人形の衣装といつて、裾の始末は大抵縫はずにとめてある。多分、のりかなにかをつけてアイロンで押さへてゐるのだらう。
この点は、以前からとても気になつてゐる。
基本的には、人形の衣装には縫ひ目が見えない。
祟徳院の衣装だけ、透ける濃い青い地に赤い糸で点々と縫ひ目の見えてゐたけれど(そしてそれがとても素敵なんだけど)、ほかはぱつとは思ひつかないなあ。
あ、玄徳とか慮植とかが最初のころに着てゐた胴抜きのやうな衣装には縫ひ目が見えてゐたつけか。
あとは縫ひ目の見える服といふと、紳々竜々の衣装とか、菅輅の衣装とかか。どうも、木綿地の服の裾は縫ひとめるものなのらしい。多分、木綿地はのりでとめたりするとかたくなつたりしてきれいな仕上がりにならないのだらう。勝手な推測だけれども。
真夏のころは、この蒋幹を見るたびに「暑苦しー」と思つてゐたものだつた。
色味がね、暑苦しい。
牡丹色のサテン地の衣装にアップリケのやうに色とりどりの花が散らしてあつて、しごき(仮)もてりのある紫色で、とにかく派手である。
目がドングリ眼なところもいけないのかもしれない。
それが横にちよつと視線をうつすと、いきなりすつきりした印象になるのもおもしろかつた。
龐統先生ですな。
色味は朽ち葉のやうな色といふか枯れ葉のやうな色なのだけれども、なんとなく涼しげな印象がある。
上に羽織つてゐる衣装の生地が薄地だからかな。
八月のときにうかがつた話だと、龐統の胴体には綿が巻いてあつて、それで恰幅がよくなつてゐるのださうな。
さうした暑苦しさはまつたく感じないんだよねえ、見てても。
涼しげといふと、その隣にゐる諸葛瑾にもなんとなくさはやかな印象がある。
展示替へ直後に書いたやうに、衣装のところどころに緑色が配されてゐるのがさはやかさの源だらうと思つてゐる。
冠(かな)の緒もあざやかな緑だしね。
人形劇の諸葛瑾にはあまりさはやかな印象はないのだが。
顔立ちも人形劇のときとはだいぶ変はつてゐるし、人形劇のときとは別人、かもな。
ああ、ついでだから書いてしまはう。
諸葛瑾の隣は諸葛亮で、衣装からいつたら今回ゐる三国志の面々の中では一等涼しげなのではあるまいか。
そのわりにあまり「涼しげ」といふ印象を受けないのは、展示替へ直後にも書いたとほり、どこか厳しげな印象があるからだらう。
でも、今回書きたいのはそんなことではない。
今の展示の孔明で気になること、それは、指である。
一番最初の展示のとき、えらく細くて長く見えた孔明の指が、今回はそれほど細くは見えないのだ。
人形アニメーションでも人形劇でもさうなのだが、飯田や渋谷に展示されてゐる川本喜八郎の人形の多くは、手の骨の部分が針金になつてゐて、そのまはりに樹脂をかぶせて手を形作つてゐる。
だから指もまげることができて、ものを持たせるやうなこともできる。
その構造ゆゑに、手の形はそれほど繊細な感じにはならない。
今回ゐる中では小喬の手などはちいさく可憐な感じである。貂蝉の手もそんな感じだつた。
でもそんなのは女の人の手だけで、男の人の手といふと、グローブめいた大きな手の印象しかない。
人形劇のときの孔明は、別段手に特徴はなかつたんだけどなあ。
ヒカリエの最初の展示のときは、白羽扇を握る指がほつそり長く見えたんだよね。
それが今回はさうは見えない。
どうしたことだらう。
前回はかるく握つてゐたから細く見え、今回はがつしり握つてゐるから太く見えるのだらうか。
或は前回は背後から照明があたるやうになつてゐたので、影ができて指が細く見えてゐたのだらうか。
はたまた今回の手は前回の手とまた違ふ手なのだらうか。
気になるなあ。
こんな感じで、何度行つても飽きない。
今の人形に会へるのも今だけなので、可能なかぎり通ひたいと思つてゐる。
« The Oscar Wilde Diary とほぼ日手帳 | Main | 最近少し書くやうになつた »
Comments