次の手帳はMoleskine
次のノートはMoleskineに決めた。
The Simpsons 25周年記念のポケットサイズ罫線ありである。
以前はかういふ特別なノートが出ると罫線ありとなしと一冊づつ買ふてゐたこともある。まあ、好きな柄に限るけど。買つてゐないのもある。多分。
好みとしては罫線なしだ。もしくは方眼罫が好きである。
ただ、罫線なしだと果てしなく書き込む文字が小さくなつてしまふのだよなあ。
かまはないぢやん、とも思ふけど、あとで見直したときに見やすくない。自分で書いた字であつても、だ。むしろ、自分で書いた字だから、かもしれない。
見直したとき、と書いたが、今回のノートではあんまり見直しとかしなかつたなあ、と、これは反省点である。
前回のノートの話題のときだつたかな、以前は左側のページはなにも書かずにおいて、あとで見直したときに書き込むやうにしてゐた、と書いた。
記録したことは定期的に見直す。
これは、なにに書いてあつたんだらう。「モレスキン「伝説のノート」活用術」だつたかなあ。それとも「たった一度の人生を記録しなさい」だつたらうか。
まづ、前の日に書いたことを見直す。
それから一週間に一度先週書いたことを見直す。
さらに一ヶ月に一度先月書いたことを見直す。
さうするといい、といふやうなことが、どこかに書かれてゐた。
それで、4年前にはじめてMoleskineを使ひはじめたときに、律儀にそれを守るやうにしたのだつた。
もともと、やつがれは自分の書いたものを見直すといふことをしなかつた。
書いたら書きつぱなし。
だから拙blogにもおなじことが何度も書かれてゐたりする。
でもまあ、ここまで書いてしまふと、もう以前に何を書いたかとか、忘れちやふんだよね。
だから見直せ、といふことか。うむ。
SmythsonのPanamaを使ふやうになつて、左側のページもびつしり埋めるやうになつたけれど、見直しだけはときどきやつてゐた。
先週の、とか、先月の、とかいふのはだんだん曖昧になつていつたが、前日の、は結構まめにやつてゐたやうに思ふ。
Panamaはそれなりに罫線が広いので、びつしり書いても書き込む余裕がある。だから見直したときに、似たやうなことを書いてゐるページ数を書き込んだりとかちよつとしたことを書いたりできる。
また、Panamaつて、なんだか見返したくなる手帳なんだよね。
といふ話も何度か書いてゐる。今年SCHOTT'S MISCELLANY DIARYを使つてみて、なんとなくぱらぱらめくるのが楽しくて、つい見返してしまふ。
これといつたことは書いてないんだけどね。
今回、アサヒヤ紙文具店のクイール・ノートを半年ほど使つてゐた。
あまり見直しした形跡がない。
また、あまり見直した記憶もない。
せつかく書いてゐるのに、もつたいない。
まあ、見直さないせゐでおなじことを何度も何度も書いてゐたりはするんだけどね。
やつがれの手帳は、ライフログともちよつと違ふし、アイディアノートでもない。
思ひついたことを書き付ける、といふ意味ではアイディアノートなのかもしれないけれど、なんかちよつと違ふ。
ライフログだつたらもつと文章を短く書くだらう。やつがれの文章は、ライフログには長すぎる。
ぢやあいつたいなんなんでせうねえ。
我ながら謎ではある。
最初はライフログをつけるつもりでゐたと思ふんだけどなあ。ライフログについてはTwitterの方がよほどそれらしくなつてゐる気がする。
今年はほぼ日手帳をいつもの使ひ方にしなかつたせゐか、ノートの方に「眠い」とか「だるい」とか書いてしまつたりして失敗したな、とも思つてゐる。来年はほぼ日手帳をこれまでの使ひ方に戻すつもりなので、「眠い」とか「だるい」とかいふ愚痴はほぼ日手帳が受け止めてくれることと思ふ。
Moleskineの問題点は使ふペンを選ぶこと、と、これも毎回書いてゐる。
Moleskineを使つてゐるあひだに、Moleskineに使へない萬年筆をどうするか、考へないとなあ。
これまたいつも、「清書するノートを作ればいいぢやない」と思ふ。
清書用のノートにはなるべくペンを選ばないやうなものを用ゐる。
さうすれば、ペンの処遇に困ることはない。
問題は、「清書してゐる時間がないよ」といふことか。
だいたい清書してゐるやうな余裕があれば、書いたことの見直しだつてもつとちやんとするだらう。
さうか、見直しをしなかつた、といふことは、余裕がなかつた、といふことか。
なるほどね。
といふわけで、クイール・ノートの残りもあと3ページ。
おそらく今日明日中にはMoleskineに戻る予定である。
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