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Tuesday, 30 September 2014

黒に紫

9/17から9/26までスウェーデンとフィンランドとに行つてきた、といふ話はすでに幾度か書いたとほりである。
道中の友はタティングレースであつた。

Lisbeth #40のMintでMary KoniorのMasqueradeを作つたり、佐賀錦の黒に黒いスリーカットビーズを通して七宝模様もどきを作つたりしてゐた。

タティングレースを持参したのは、荷物が最小限ですむからだ。
道中あみものをしやうかとも思つたが、航空会社に「機内に編み針を持ち込んでも問題ないか」を問ひあはせるのが面倒だつた。

なぜ道中あみものをしやうかと思つたかといふと、以前のヴェヴメッサについて書かれたblogなどを見て、ヴェヴメッサの会場ではあみものをしてゐる人もたくさんゐる、といふやうな話を見たからだつた。
まあそりやあ、会場でおりものをはじめるのはちよつとむづかしいよね。ヂヤンテイ織でもない限り。

と思つてゐたらこは如何に。
ヴェヴメッサの会場では、ベルトを織つてゐる人がゐた。
デモンストレーションではあつたやうだが、初日は髭のお兄さんが織つてゐて、二日めもおなじお兄さんが織つてゐたが、途中でお姉さんに代はつてゐた。織つてゐるものもお兄さんとお姉さんで別だつたやうに思ふ。

そんなわけで、やつがれも負けじと会場でビーズタティングなどしてみた。
どうしてここで「負けじと」になるのかが我ながら疑問である。
勝ち負けの問題ぢやないんだけどなー。
しかし、さう思つてしまふのだから仕方がない。

ところで、スウェーデンには蚕はゐないのださうである。
アルムグレン絹織物博物館で確認したから間違ひではあるまい。
養蚕の北限はもつと南なんだらうな。
一説によると桑の北限が樺太だといふことなので、まあ、スウェーデンでは無理だらう。

といふわけで、スウェーデン産の絹糸といふものは存在しない。
スウェーデンには絹糸の製糸工場もないだらう。
あるとしたら繭を輸入してゐるんだらう。
そんなことしたら、途中で成虫になつたりしない? するよねえ?
冷凍するといふ手もあるのかもしれないがそこまでするかなあ。

それでは、ヴェヴメッサに出展してゐた絹糸屋はいつたいなんだつたんだらうねえ。
確認はしてゐないが、売られてゐた絹糸自体はどこかよその国で紡がれたものだらう。
「絹で伝統的なものを織つたり編んだりしてね」といふことなのだらうか。
いまとなつては、わからぬ。

ウメオでは、「今年のマイブームは赤と黒ね」などと思つてゐた。
ウメオに行く前からさうだつた。
以前もちらつと書いた「赤は血の色 黒は罪の色」つてな感じだらうか。ヘドロの歌ぢやね。
北方民族博物館でも、それは変はらなかつた。
北方民族博物館の、織物や編み物をおさめた引き出しを開けて、百年以上前に編まれたものなどを見ると、赤と黒のものが多い。
解説によると、白と黒とで編んで、あとで赤く染めたのだといふ。赤い染料が貴重だつたから、とのことだ。
いいよねえ、赤と黒。

さう思つてゐたのだが。
アルムグレン絹織物博物館でちよつと変化した。
絹織物博物館にも引き出しがあつて、開けると工場だつたころに生産された織り地のサンプルがおさめられてゐた。
ここにあつた黒地に紫の織り地がとてもすてきで、ねえ。
光の加減ではほとんど紫には見えないやうな、茶色といふか、黒とあまり変はらないやうな色に見える。
それがやはり光の加減によつて、あでやかな紫色に見えることがある。
黒に紫。
いいぢやあないか。

しかし。
赤と黒の場合は、とくに素材にこだはららなくてもいいやうに思つてゐた。
毛糸でもいいし、綿の糸でもかまふまい。
だが、黒に紫は違ふ。
黒に紫は、絹でなければならない。
それも、光沢をもつたものでなければならない。
あやしく光る黒い地にほんのり紫が漂ふやうでなければならない。

あみものではむづかしいかなあ。
手元には佐賀錦の黒い糸がもう一巻ある。
紫を買ひに行かうか知らん。

そんなことを考へてしまふくらゐ、よかつたんだよなあ。
佐賀錦といふことは、当然タティングレースに使ふつもりである。
黒をメインに紫を散らすやうな感じのデザインを考へてゐるのだが……なにかよいものはないかのう。

Monday, 29 September 2014

あみもの者のヴェヴメッサ

9/17から9/26まで、スウェーデンとフィンランドとに行つてきた。
前半の主目的は、9/18から9/20まで開催されてゐたウメオでのヴェヴメッサである。
何度か書いたやうに、Umeåは現地では「ユーメオ」と発音されてゐた。
また、メッサについては「VÄV 2014 i Umeå」といふ表記が多かつたやうに思ふ。

VÄV 2014 i Umeå

ここはひとつ検索の要を考へて、「ヴェヴメッサ」と表記することにする。
「NOLIA」とは、ヴェヴメッサの会場の名前である。「ビッグサイト」とか「幕張メッセ」のやうなものだと思ふ。

さて、「VÄV」とはスウェーデン語で「織物」のことなのらしい。
「Vävmässa」とは「織物の見本市」とでもいふたところだらう。
三年に一度、スウェーデンのどこかで開催されるといふ。

織りの見本市に、編みものしかしない人間が行つて楽しいのか。

さういふ疑問はあつて然るべきである。
行く前にさう考へないわけではなかつたが、そんなに心配はしてゐなかつた。
なぜといつて、必ず毛糸が売られてゐるはずだ、といふ気がしてゐたからだ。

そして、その予感は正しかつた。
これがヴェヴメッサ初日の戦利品である。

戦利品

下の左からエステルヨートランドのレース糸であるペルス、同じく合太糸のヴィーシェの赤と黒、それとスピンドル二本、スピンドルのおまけにもらつた毛が上に置いてある。

赤と黒の毛糸は、「スウェーデンから届いたニット 2―マフラー ネックウォーマー 三角ショール」に掲載されてゐる三角ショールを編むつもりで買つた。

実は二日目にも行つて、エステルヨートランドのキャラメルをひとかせ増やしてしまつた。

エステルヨートランドのブースでは、この秋号の「毛糸だま」の切り抜きを掲示してゐた。
やつがれがブースに行く前に、日本人二名が展示者と親しげに話をしてゐた。
毛糸の価格は、ガムラスタンやセーデルマルムにある毛糸屋で見たものよりすこし安かつた。

エステルヨートランドはヴェヴメッサに来てるだらうなあと思つてはゐた。
とくに根拠はないが、なんとなくそんな気がした。
三年に一度のお祭りだし、手仕事系のイヴェントだし、ゐるだらうと思つたのだ。

展示場内の入口付近はさすがに織物用の糸を主に扱ふブースがあつた。

vävmässa i Umeå 2014

しかし、この右側のブース(メッサ価格と称してかなりの安売りをしてゐた)のもつと右側には織物もあるし編みものもあるブースがあつたし、エステルヨートランドのブースの周囲にも編みものを扱ふブースが多かつた。
絹糸のブースでは編みもののサンプルが多かつたし、裂き織りに使ふやうな太い糸を使つてかぎ針編みのドイリーを編んだ結果床の敷物になつてしまつた、といふやうなサンプルを飾つてゐるブースもあつた。

入口から展示場の外にかけては織物の展示が多かつたけれど、サーミ族の展示のあたりには、こんな編み掛けのくつ下も展示されてゐた。

Sápmi Stocking vävmässa i Umeå 2014, Nolia, Sweden 2014

ウメオはヴェステルボッテン県の県庁所在地といふことで、ヴェステルボッテン地方のものといふのも多く展示されてゐた。
ヴェステルボッテン土産のブースでは、外国人相手に地元の人が自身の編んだかぎ針編みの帽子について熱く語つてゐた。
なんでも上等の麻糸を使つてゐて、糸のうつくしさと編み地のおもしろさを出すためにすじ編みをしてゐる、とのことだつた。

こんな感じで、編みものしかしない人でもヴェヴメッサは楽しいイヴェントである。
織物もする人ならさらに楽しいであらう。
でもまあ、展示日程三日のうち、最初の一日に行けばいいかな。
今回はそんな気がした。
ほかの回はまた違ふのかもしれない。

スウェーデンのイヴェントだが、海外から来てゐる人も多いやうだつた。
ノリアの会場についてまづ話しかけてきたのはテキサスから来たといふ一団だつた。
やつがれたちが集合写真を撮つてゐると、「撮りませうか」と話しかけてきたのである。
「私たちも撮つてほしいのよ」と云つて。
入場前にいきなり国際交流である(違。

会場およびウメオを歩く「平たい顔族」はたいてい日本人だつた。
ウメオ空港でおなじ便で来た人がほかに二人ゐたし、宿の向かひの部屋は関西から来たといふ人々で、こちらは六人くらゐはゐたらうか。
この人々は織物をする一団だつたのではないかと思ふ。
入場してすぐの展示のところで話しかけてきた人は、「Ms.イトーを待つてゐる」と云ふてゐたしなー。

ほかに、ウメオのヘムスロイドでノルウェーの人に話しかけられたし、上にも書いたやうに、展示側の人が英語で説明する場面も多く見かけた。
みんな、あちこちから来るんだなあ。

入口手前にも織物が飾られてゐた。
白樺が多かつたのは、さういふテーマだつたのか、はたまた織りの技法にぴつたりの題材だつたのか。
それはよくわからない。

気に入つたものをいくつか写真に撮つた。

VÄV 2014 i Umeå

VÄV 2014 i Umeå

VÄV 2014 i Umeå

Friday, 26 September 2014

旅の友

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ル・ボナーのネコリュックと、setoのEater-sagari。

ネコリュックは、猫の腹側にしか入れ口がないので、海外旅行向きかと。背負ふと自分の背中側にファスナーが来るので。
まあ、スリの団体に囲まれた日にはどーにもならないだらうがな。

Eater-sagariは、躰にぴつたり沿ふところがいい。
もう一回り大きいのを持つて行くべきだつたかも、だけど。
大は小を兼ねるといふし。

Thursday, 25 September 2014

教会とか

水曜日のヘルシンキは、ほぼ快晴といつたところ。日中くもることもあつたが、まづまづの天気であつた。
その分寒かつたがな。

駅は修覆中で、覆ひをかぶつてゐる部分も多かつた。
この角度は比較的まし。

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朝はまづマーケット広場方面に向かつた。
朝からやつてるし、そばに大聖堂もあるからだ。
ヘルシンキ大聖堂は、前回行つた時は妙なジーさんにつかまつてしまつて、あまりよい思い出がない。
いままで全然気がつかなかつたけれど、ルーテル派の教会なのださう。中央部分の四隅にルターとメランヒトン、そしてアグリコラなる人物の像が飾られてゐる。もう一隅は、大理石とおぼしき柱のやうなもので覆はれてゐる。

その后、マーケット広場に行き、同行者があちころつかまりまくる。
何故か自分で織つたものを販売してゐる人が多かつたのだ。
季節的なものかのう。

それからTaitoに行き、そこから怒濤のお土産買ひがはじまつてしまつた。
幸ひなことにやつがれはまきこまれずにすんだけれど。

この写真はそんな買物道中で見つけたポスターである。

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何のポスターなのかさつぱりわからない。

エスプラナーディ通りをぶらぶら歩いて、アカデミア書店へ向かふ。
以前より手藝関連の本は充実してゐた。
ちやうど昼時だつたので、カフェ・アールトで昼食。
一階にスターバックスコーヒーができたせゐか、以前より空いてゐる気がした。
隣のストックマンデパートのWiFiが拾へてかなり快適。

ボケてゐるが、ダークチョコレート。
飲物自体には甘味がない。

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トラムに乗つて、テンペリアウキオ教会に行く。
周囲のお宅がいい感じだ。

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岩の教会の名のとほり、住宅街のまん中に突然ごつごつとした物体があらはれる。
前回は讃美歌のBGMが多かつたやうに記憶するが、今回はなんとなくジョージ・ウィンストン風だつたのがチト残念。

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今回の移動手段はトラムのみ。
目の前を「ドクター・イエロー(仮名)」が通つてあはててカメラを向けたが、遠くに行つてしまつた後だつた。

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無念。

Wednesday, 24 September 2014

工場と工房と

月曜日、火曜日と、織物関連の見物がつづいた。

月曜日には、ストックホルムのセーデルマルム島にあるStiftelsen K A Almgren Sidenväveri & Museum に行つた。
19世紀創業で、1970年代まで工場として機能してゐたといふ。
1990年代に絹織物博物館として開業したのらしい。
地下鉄スルッセン駅から歩いてすぐのところにある。
ストックホルムカードが使へる。

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中ではジャガード織機の実演を見せてくれるほか、絹織物製作に用ゐてゐた道具の数々や1940年代に撮影したアルムグレン社の紹介動画を見ることができる。
動画は日本語版を見せてもらつた。
たどたどしい日本語を聞くと、健気だなあと思ふ。

屋根裏には、展示物もいろいろある。
例によつて引出しを開けると織地のサンプルがあつたりして、これが素敵。

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火曜日は一路フィンランドに向かひ、旅行会社の案内では「ヘルシンキ郊外」といはれてゐた地に赴く。裂き織工房見学だ。
車で2時間つて、新宿からだつたら双葉SAだぜ。

白樺の森と農地の交互にあらはれる車窓を眺めつつ、2時間半後に目的地にたどりつく。

この写真は、工房のものではないが、色は似てゐる。
工房の写真などは後日、気が向いたら。

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古い家を改造して作つたといふ工房には、巨大な織機のある部屋と、織りあがつたマットをおいてある部屋とがある。
マットが何本も並ぶ中、工房主が迷はずいろいろ取り出すさまもまた圧巻。

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織りはやらないので、何をどう撮つていいやらよくわからなかつたのが残念。

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主な写真はデジタルカメラで撮つたので、機会があればまた後日。

Tuesday, 23 September 2014

三回め

日曜日は、お店などはお休みなので、いきほひ博物館に行くことになる。
前回前々回にも行つた北方民族博物館にまづ行つた。
ここは三度め。

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今年はこんな感じだつたが、2年前の5月はこんな感じだつたし、

Nordiska Museet

10年前の3月はこんなだつた。

Nordic Museum

ここは建物自体も楽しい。如何にも「ヨーロッパ」といふ感じがする。
ただし外観のゴシック調が「スウェーデン」的かどうかは謎。
教会はわりとこんな感じが多いやうに思ふ。

北方民族博物館は、そんな名前のくせに、ほぼスウェーデンのものしか展示されてゐない。サーミ族の展示が北欧各国にまたがつてゐるくらゐか。
このあたり一帯がスウェーデンだつたこともあるから、その矜持からくる命名なのだらう。

家具や食器などが年代別に並べられてゐたり、その時々の特別展示があつたりする。
今回の特別展示は、装飾品だつた。ものすごくこまかいビーズ織のブレスレットやメガネチェインに目を奪はれた。
ビーズ自体が実に小さい。
こんなの作つてたんだねえ。

ちなみに十年前の特別展示は、DOReDoと広瀬光治だつた。

我々にとつてのメイン展示は、引出の並ぶ部屋である。
各引出しには様々な種類の織・刺繍・編物がおさめられてゐる。古いものをしまつてあるのらしい。
以前行つたときも書いたと思ふが、40番手より細い糸で作つたマクラメに、今回も見入つてしまふ。

ここまでは撮影禁止区域。
今回は入口を入つてすぐのところに、wild apples and cultivated fruitsと銘打つて、スウェーデンのリンゴが展示されてゐた。リンゴのほかにも梨とかがあつたやうに思ふ。
試食コーナーもあつた。
あまりの数に数へるのはあきらめた。

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その後はスカンセン野外博物館といふのもお約束。
今回は西の方の入口から入つた。

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途中、激写した孔雀の写真などは後日。
雷鳴が聞こえてきて、帰ることに。

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ストックホルムで雨ははじめて。
この後ゲリラ豪雨に見舞はれることになるとは、神ならぬ身には知れぬことなのであつた。

Monday, 22 September 2014

古い街

土曜日にガムラスタンに行つた。
観光目的といふよりは毛糸屋めあてだつたのだが、そこで買ふつもりだつた毛糸はすべてユーメオで調達できてしまつたので、いきほひ観光になつてしまふ。

毛糸屋付近は以前は海だつたのらしい。
トンネルの先に海が見える。
こちらにむかつてくる人影がなんとなくいい感じだつたのでつひ。

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こんな道にもちやんと通りの名前がついてゐる。

さらに観光客気分になつて、衛兵の交代式も見る。
この写真は、観光客が式はいまかいまかと待ちかまへる中、ひどくのんびりと話をする衛兵とその他一名。
のちにその他一名も衛兵かなにかでラッパ吹きといふことが判明する。

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交代式は、まあ一回見ればいいかな。

Saturday, 20 September 2014

欧州文化首都2014

ユーメオ(ウメオ)では至るところでキノコの生えてゐるのを見かけた。
住宅街を歩いてゐると、突然奇妙な物体があらはれる。

ウメオで見たキノコ

ほかにもいろいろなキノコが生えてゐた。
湿気の多いところだからなのかのう。

朝起きた時は、一日めは霧で、二日めはくもつてゐた。
両日とも昼間になると快晴……とはいかないまでも、好天に恵まれた。
しかし、霧に煙る景色といふのも悪くない。

窓の外

ユーメオは今年の欧州文化首都なのださうで、こんなマークが町中にあつたりする。

Umeå 2014 Capital of Culture

スティングは関係ないよん。

Friday, 19 September 2014

梅川

ウメオ(土地の人は「ユーメオ」と発音する)は、スウェーデンの北方にある町で、スウェーデン第十の都市とWikipediaにはある。
ストックホルムの規模から想像されたし。

これは霧の朝、橋の上からウメ川の上流を撮つた写真。

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おなじあたりを同日の昼間に撮つた写真。

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宿も住宅街の比較的そばにあり、歩いてゐても楽しかつた。のほほんとできて。

ヴェヴメッサについては、帰国後に。

Thursday, 18 September 2014

なう

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成田を経て
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コウペンハウンを過ぎ

ストックホルムを経て
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ユーメオにゐる。

Wednesday, 17 September 2014

依存し過ぎ

9月12日のこと、午後五時半ごろ渋谷ヒカリエの八階に行くと、エスカレータをのぼりきつたところの前方が暗い。
さう、川本喜八郎人形ギャラリーが、閉まつてゐるのである。
扉前方にゐる関平のゐるケースも暗ければ、扉の奥も真つ暗だ。そして、そこには「Closed」の札がさがつてゐた。

この時のショックをどう表現したらいいだらうか。

わかつてゐる。
しよつ中行つてゐるぢやあないか。
そのとほりだ。

しかし、今回の展示になつてからはまだのんびりと見る余裕がない。
いつもなぜか時間に追はれて見てゐる。
とくにほかに予定がなくてギャラリーに行つたといふ日はいまの展示になつてからまだ一度しかない。
いつもだつたら東京に行くといへば「ぢやあヒカリエに寄つて行くかな」といふ感じで「隙あらばヒカリエ」状態だつた。
それが、ここのところ仕事に疲れてゐるせゐか、どうにも時間がない。
ギリギリまで家にゐて、用事が終はればそそくさと帰宅する。
ヒカリエに寄つてゐる余裕がない。

さうなんだよなあ。
余裕がないんだよなあ。

この日も国立劇場の文楽公演第三部に行く前にうまいこと時間ができたので立ち寄つたのだつた。
吁嗟、だといふのに、ギャラリーが閉まつてゐる。

もしかしたらなにかあつたのだらうか。
ギャラリー内の空調がイカレてしまつた、とか。
ケースの中の人形が倒れてしまつた、とか。
照明のせゐで人形がいたみまくつてしまつた、とか。
心ない客が写真を撮りまくつてゐるところを役人に見つかつた、とか。
あるいは、朝十一時に開館する係の役人が突然休んでしまつた、とか。

いろいろと悪い方悪い方に想像はむかつてゆく。

もうこのまま開館することはないのではあるまいか、とか。

そんなに気になるのなら翌日行けばいいのに、翌日は歌舞伎座の夜の部だつた。
その前に散髪に寄つたら一時間以上待たされてしまつた。
客がゐないからすぐ順番が来るだらうと思つてゐたら、やつがれの前の人々はみな名前を書いて外に用事を足しに行つてゐたのだつた。
そんなわけで、あはよくばヒカリエに寄つて、その足でGUCCIに向かひ、そのまま歌舞伎座に行かうとといふ思惑はすべてかなはなかつた。
食事さへしてゐる暇がなかつた。
あーあ。

さらにその翌日は別に用事があり、その翌日は荷物を受け取る約束をしてゐた。

そんなわけで、今日やつと行つてきた。

開いてゐた。
よかつたー。

あたりまへのことが、めうに嬉しい。
来館者ノートを見ると、9/12だけなにも記述がない。
一日閉ぢたままだつたのかな。
ほかの日には書き込みがあつたので、開いてゐたのだらう。

安心すると同時に、こんなに依存していてどうする、といふ不安もある。
まちつと、なくても大丈夫なやうにならないとなー。

などと云ひつつ、あと二ヶ月会へるかどうかの面々を見るにつけ、いまのうちに目に焼き付けておかなければ、と思ふたりするのであつた。

そんなやつがれは、いまでも初回の展示のときのお気に入りの位置に佇んでしまふことがある。
当時そこから見えた光景が、いまだに一番好きなのだつた。

Tuesday, 16 September 2014

何を作りませうかねえ

The Twirlyをつなぐプロジェクトはやはり少しづつ進んでゐて、今日は34枚めをつなぐところまできた。
なぜタティングレースはつづくのかといふと、昼休みのあまつた時間にやる、と決めてゐるからだな。
家に帰つてからだと、疲れ切つてゐるときなどは、ほとんどなにもしなくなつてしまふ。
休みの日も出かけてしまつたりすると、それこそなにもしない。

しかし、昼休みにする、と決めてゐれば、これは間違ひなく進む。
牛歩であつても進む。
といふことを、つながりゆくThe Twirlyを見るたびにしみじみ思ふのであつた。
進めたかつたら、必ずそれをする時間を決める。
決めて、実行する。
あたりまへのことだが、さういふことなのだ。

さて。
前回も書いたやうに、このThe Twirlyをつなぐプロジェクトは十日ほど休むつもりでゐる。
つもりではゐるのだが、代はりにやることが決まつてゐない。
ここ二三年ほどずつとと「ビーズと戯れたい」と云ひつづけてゐるのて、なにかしらビーズをあしらつたものを作るか。
或はもつとかんたんにシャトルひとつでできるやうなものを作るか。
いろいろ考へてゐるところである。

ビーズをあしらつたものでは、Jan StawaszのTatted Treasuresに出てゐるチョーカーの続きを作らうかかなあと思つてゐる。
佐賀錦の黒い糸にスリーカットの黒いビーズを通して、最初の何模様かは作つて放置したままになつてゐる。
七宝に似た、好きな模様だ。
昨日ちよつと手にとつてみたけれど、佐賀錦は結びやすいね。リングの芯糸を引くときの滑り具合とか、最高である。
これの続きを作るのもいいなあ、もうビーズは糸に通してあるわけだし。

また、なにか全然別のものを作りたいといふ気持ちもある。
ここのところThe Twirlyばかりだつたしね。
段染め糸とか、あるいはもつと明るい色の糸とか、ここのところ使つてゐない糸でここのところ作つてゐないやうなものを作りたい。
でもそれが何なのかは自分でもよくわからないのだつた。

とりあへずはシャトルに糸だけ巻いてみるかなあ。
とはいへ、作るものによつては糸の巻き具合も変はつてくるので、やはりなにを作るかをまづ決めないとなー。

そんなわけで、結局The Twirlyをつなげ続けてゐるやうな気もしないではないのであつた。

Monday, 15 September 2014

指定以外の毛糸? 使ふでせう、ふつーに

例によつて編めてゐない。
先週は紡ぎもしなかつたなー。

そんな中、「michiyoの編みものワークショップ」のポケット付ポンチョを編むつもりで買つたハマナカのアメリーが届いた。
しかし、まだ「風工房のシンプル夏ニット、こもの 」のストールを編んでゐる最中なので、どうも手を出す気にならない。

そんな中、以前買つた「スウェーデンから届いたニット 2―マフラー ネックウォーマー 三角ショール」をパラパラと見てゐたら、これも編みたいあれも編みたいになつてしまつて、なあ。
もちろん、編んではゐないのだけれども。

「スウェーデンから届いたニット」は1も2もエステルヨートランドの毛糸を使つてゐる。
本の冒頭に解説があつて、「100g300mの毛糸を使ふやうに」といふやうな注釈がついてゐる。
これがちよつと危険なんだよなあ。

100g300mといふことは、普通に考へると中細から合太くらゐの糸だ。
でもそれはあくまでも「普通に考へると」であつて、なにごとにも例外はある。
たとへば、もう廃番になつてしまつたけれど、ROWANのROWANSPUN DKは50g200mだつた。
普通は50g200mといつたら中細毛糸で、それもちよつと細い部類に入る。
しかし、ROWANSPUN DKは名前からもわかるとほりDK、すなはち合太から並太の中間くらゐの太さの糸である。
太さがあるわりに長いから軽い。紳士もののMサイズのヴェストが250gくらゐでできてしまふ。

重さと長さの比率だけでは、それがどんな糸なのかはわからない、といふことだ。
本邦では、あとはゲージで確認する方法がある。
10cm四方の中に何段何目あるかで、だいたいどんな糸かわかるやうになつてゐる。
アメリカだとWPI (Wraps per inch)が用ゐられることもある。1インチの中にその糸を何本並べられるかで糸の太さをはからうといふのだ。

重さと長さの比率とゲージ(又はWPI)でだいたいはわかる……と云ひたいところだが、もちろんそれだけでもダメで、羊毛だけなのか化繊混なのか、アルパカなのかカシミヤなのか、綿なのか絹なのか、素材も重要だ。
綿なんかだと加工も重要になつてくる。俗に「シルケット加工」といはれるつやつやとした糸になつてゐるか否かは重要な点だ。
もつと云ふと、何本撚り合はせてあるか、とか、撚りはS向きかZ向きかとか、もつと気になる点はたくさんある。
毛糸は実物を見て買はないとね、といふ所以である。

つまり、「スウェーデンから届いたニット」に掲載されてゐる作品を編むには、それなりに考へて毛糸を選ばないといけない、といふことだ。
エステルヨートランドの指定糸を使ふのなら別だけどね。
それと、「スウェーデンから届いたニット2」は基本的にはマフラーばかりなので、あまりゲージがどーのといふのは関係ないとは云へる。

以前編んだこのスカーフも、別段ゲージだの糸の後さだのは気にしないで編んだ。

Triangular Scarf

使用糸はダイヤシルクオンブレ。色番号はKO550。針は5号を使ふたのらしい。
これがねえ、編んでみたら実に使へるマフラーだつたんだね。

通常は写真のやうにぐるりと首の周りに巻いて前でちよいと結ぶやうにして使つてゐる。
これの何がいいかといふと、まづあたたかい。ぐるりと巻いてゐるからね。
そしてマフラーの端が気にならない。前で結んでゐるからね。
さらに暑いなと思つたら、三角部分を背中にまはしてちいさいショールのやうにして使へる。
云ふことないねー。

しかし、そのエステルヨートランドの糸を、今回仕入れてみやうかな、と思ふてゐたりするんだなー、これが。

実はこれまでエステルヨートランドの糸はオンブレとレース糸のやうに細いペルスとを買つたことがあるのだが、どちらもまだ使つたことがない。
買ふ前に手元のあるのを使へよ、といふ話もあるのだが。
それは次回の講釈で、といつたところかな。

Friday, 12 September 2014

逢魔が刻と月の夜

人形劇の「シャーロックホームズ」を見てゐたら、夕景がとてもうつくしかつた。
さういへば「人形活劇 新・三銃士(以下、人形劇三銃士)」のときもさうだつたな。
そして、「人形劇三国志」もまた、夕景に見とれることしばしな番組であつた。

夕方の場面がうつくしいのは人形劇の伝統だらうか。
さうなのかもしれない。
或は黄昏時といふものは、なにもかもうつくしくしてしまふものなのかも、と思はないでもない。

なぜといつて、「人形劇三国志」で「夕方の場面」といつてぱつと思ひつくのが、呂布による董卓殺しの場だからだ。
「人形劇三国志」では、董卓は「帝に即位してほしい」とだまされて宮中にやつてくる。
とある部屋の前まで来ると、「ここからはお一人で」と云はれ、おつきの家臣はみなその場で待たされることになる。
董卓ひとりがおほきな部屋に入つていくと、そこには槍を持つた呂布が待ちかまへてゐて、くんずほぐれつの大立ち回りになるわけだ。
……と書けばなんとなくいい感じだが、実際はなんとも見苦しい殺し場である。
逃げる董卓と追ふ呂布とが、夕日の射し込む大広間でどたばたと争ふ姿は、けつしてうつくしいものではない。
呂布としたことが、董卓ひとりを殺すのにかなり手間取るしね。
それでゐて、夕焼けをうつしたやうな壁や屏風、橙色を帯びたあかりなんかがとてもいい感じなのだ。

いい。
とてもいい。

ほかに「人形劇三国志」の夕景といつて思ひつくのは、関羽が勝平を養子に迎へる場面と、いまはのきはの周瑜を乗せた呉の船団がとつぷりと日の暮れた長江を下つていく場面、だらうか。
関羽と勝平との場面では、ほかにも夕暮れに近いやうな時刻と思はれるものがいくつかあつて、どれもいい。
母を亡くした父戀ひ子の切なさが、夕刻といふことでいやましにされる。
そんな気がする。

そんな黄昏時の場面のよさが、「人形劇三銃士」にも「シャーロックホームズ」にも引き継がれてゐる。
そんな風に思ふ。

ところで、もうひとつ引き継いでほしかつたよなー、と思ふものに、夜の場面がある。
「人形劇三銃士」には夜の場面も結構多いのだが、つひぞ「うつくしい」と思ふたことがない。
「シャーロックホームズ」でもいくつか夜の場面があつたけれども、同様である。

をかしいなあ。「人形劇三国志」の夜景はすてきだつたのに。

さう思つて「人形劇三国志」を見返してみて、なんとなく違ひがわかつた。

「人形劇三国志」の夜の方が、「人形劇三銃士」や「シャーロックホームズ」に比べて暗い。敢て云ふと、闇が濃い。
「人形劇三銃士」や「シャーロックホームズ」の夜空が紺色や藍色だとしたら、「人形劇三国志」の夜空は墨のやうな黒だ。
そして、人形や大道具小道具にかかる影も、「人形劇三国志」の方が深い。

「人形劇三銃士」や「シャーロックホームズ」は演出上さうしてゐるのかもしれないし、「人形劇三国志」の場合は単にカメラの性能でさうとしかうつせなかつたのかもしれないな、と思ふたりもする。
だとしたらもうこれは如何ともし難いことではある。

月夜の演出も、「人形劇三国志」と「人形劇三銃士」・「シャーロックホームズ」とでは異なる。
「シャーロックホームズ」は話数が少ないのでこれから違ふ場面もでてくるかもしれないけれど、「人形劇三銃士」は、夜空を見上げるとそこにあるのは満月だつたりする。

「人形劇三国志」は違ふ。
その時々によつて、月は満ちたり欠けたりしてゐる。
やつがれが「人形劇三国志」中一番好きな月夜の場面は、これまた董卓の出てくる場面である。
董卓が王允を自室に呼んで、「帝を廃してみづからが帝位につくつもりである」と本心を明かす場面。
窓の外には月が浮かんでゐる。満月でも三日月でも半月でもない、中途半端に欠けた月が輝いてゐる。
そんなきれいな月の夜に、むくつけき男が猫背の老人を呼び出して、謀反の企てを語る。
そして、人形に落ちる黒い影。

いい。
とてつもなくいい。

どうもやつがれは「うつくしい夕景」や「きれいな月夜」にそぐはない人々が下世話に動きまはる場面に心を動かされるのらしい。
下世話な人々の活動だけではダメなんだな。

そして、夜は暗いもので、ゆゑに月は明るい、といふのが表現されてゐるのが好きなのだらう。
「シャーロックホームズ」を現代の話、と思ふてしまふのも、その夜の明るさゆゑな気がしてゐる。
19世紀末のロンドンはもつと暗かつたはずだ。
さう思ふてしまふからだ。

その「シャーロックホームズ」も、モリアーティ教頭が生活指導を担当するやうになり、もしかしたら今後は夜の場面が増えるのかも。
さうしたら、もしかすると深い闇の世界を見ることもできるかもね。
そんな期待をしてゐる。

Thursday, 11 September 2014

美術展 行くべきか行かざるべきか

2014/9/13~11/9開催の「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」に行きたい。
#おいおい、ATOKは「北斎」も変換できないのかよ。
駅でポスターを見かけて、久しぶりに美術館に行つてみるかなあ、などと思ふてゐる。

行きたいが、込んでゐるんだらうなあ。
さう思ふと二の足を踏んでしまふ。
しかし、Webサイトを見て美術展グッズに心惹かれてもゐる。
普段はあまり興味はないけれど、図録とセットで買ふとお得といふトートバッグがいい感じだ。

十月は国立劇場に行く日の目処もたたぬので、美術館へ行つてゐる余裕もなささうだし、なんとなく、「行きたかつたのにな」で終はつてゐる気もする。
美的感覚に欠けるから、といふのも理由だし、芸術作品を鑑賞する能力がないから、といふのも理由ではある。
まあしかし、なにしろとにかく人の多いところへはあまり行きたくない。
今年は「栄西と建仁寺」展に行つた
遠いことと人の多さとに疲れきつてしまつた。
海北友松の「雲龍図」は比較的ゆつくり見ることができたけれどね。やつがれの見に行つたときはキトラ古墳展の方がものすごい人で助かつたのかもしれない。

ここのところ渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーや飯田市川本喜八郎人形美術館で、のんびり自分のペースでみることに慣れてしまつてゐるからなあ。
ヒカリエも飯田も、芸術作品を見に行く、といふよりは、知り合ひに会ひに行く、といふ感じではあるけれどもね。
飯田の場合は特に「吉三さんに会ひにいく」といふ心が強い。
あれだな、「羽がほしい翼がほしい 飛んでいきたい」つて、八重垣姫でもあるが(途中諏訪湖を通るしね)、どちらかといふと櫓のお七つちやんの心だね。
とはいへ、戀に盲目になる姫や娘にはあまり興味はないのだが。

そこいくと、今月歌舞伎座でかかつてゐる「菊畑」の皆鶴姫はちよつといい。
戀に身を焼く姫や娘といふのは、大抵の場合ちよつとおつむがどうかしてゐる。
戀に目がくらんでゐる、といふてもいい。
たとへば「菅原伝授手習鑑」の「賀の祝」に出てくる八重だ。
もうね、見るたびに「アホか」とつぶやいてしまふくらゐ周りのことを理解してゐないんだよね。
夫である桜丸が大事、といふのはわかる。
わかるけど、あんたたち夫婦が軽率なことをするからこんなことになつちやつたんだろーが、と、いつも思ふてしまふ。
そんなわけで、桜丸の切腹も「当然」と思ふて見てしまふので、なんでそんなに悲劇的に取り上げられるのか理解に苦しむ。

皆鶴姫はちよつと違ふんだよね。
皆鶴姫は、虎蔵大好きだけれども、その一方で、虎蔵が牛若丸であること、その虎蔵のそばにゐる智恵内が自分の叔父の鬼三太であることに気がついてゐるのだ。
虎蔵の正体だけなら、好きで好きでいつでも見てゐて、あるときふつと気がついてしまふ、だとか、或は八重垣姫のやうに直感でわかつてしまふ、といふことはあるかもしれない。
智恵内についても気づいてゐる、といふところが皆鶴姫の他の赤姫と違ふところである。
ちよつぴり聡い。
さすがは吉岡家の娘。あつぱれである。

…………なんの話だつたか。
ああ、美術展に行くか行かないかといふ話か。

さう、そんなわけで、普段は比較的空いてゐる渋谷や飯田で見るばかりなので、その他の美術展の込み方に辟易してしまふのだ。
それに滅多に行かない美術展に行くといふことは、自分の見たいものがそこにあるといふことで、じつくり見たいんだよね。それができないとなると、かなり欲求不満がたまる。
だつたら行かない方がいいんぢやあるまいか。
そんな感じで行かない方向にばかりものごとを考へてしまふ。

いかんなあ。

そんなわけで、予定表を見ながら行けさうな日を探してゐる。
ここに書いたら行くかなあ、といふ希望も込めて書いてみた。

Wednesday, 10 September 2014

働く女の人が増えたら

これから就職する若い女の人には、専業主婦になりたいといふ人が多いのだといふ。

といふ話はTwitterに流れてきた呟きで読んだので、ソースもわからないし実際のところどうなのかも不明だ。
しかし、さうあつてもをかしかないな、とは思ふ。
働いてゐる女の人の中で、「かうなりたい」と思はせるやうな人がゐなければ、そりや働く気にはならないだらう。
専業主婦になつて、願はくばお金持ちに嫁いで、昼からシャンパン略して昼シャンの生活を送る。
それが彼女たちの理想なのだといふ。

「働く女の人を増やさう」といふ動きとは完全に逆行してゐる。

働かうが働くまいが、それで他人に迷惑かけずに自立して生きていけるのであれば、どうでもいいぢやあないか。
やつがれなどはさう思ふ。
だいたい、働く女の人を増やさうなんぞといふのは、もともとは政府の思惑である。
働く人が増えれば、税収もあがるし、おそらく国内総生産だとかさういふものもあがるのだらう。
ひとり本邦だけのことではない。
そもそも米国あたりではさういふことで働く女の人が増えたのだと思ふ。
別段、Women's Liberationが成功したとか、さういふ話ではないのだ。

それに、世の中には、働く女の人が増えたら困ることになる業界だつてあるだらう。
手藝業界もそのひとつなんぢやないかとにらんでゐる。

以前も書いたやうに、手藝のお教室といふのはなぜか平日開講といふところが多い。
それも、午後六時以降もやつてゐるところはすくない。午前中から夕方くらゐまで。
カルチャースクール開講分も含めて、手藝のお教室といふのはさうしたものである。

この件についてボヤいたら、「だつて講師も主婦だからね」と云はれた、といふ話も書いた。
さう、手藝のお教室の多くは、講師も主婦なのである。お教室では先生かもしれないけれど、家に帰つたら誰かの奥さんだし、誰かのお母さんだし、場合によつては誰かの義理の娘だつたりする。
つまり、お教室を開けるのは平日の朝家族を送り出して家の片づけをしてからと、夜家族の帰つてくる前の支度の時間までしかない、といふことだ。

これが成り立つてゐるのは、お教室に通ふ生徒もまた多くは講師とおなじだからである。
家に帰つたら夫がゐて、多分にこどもがゐて、もしかすると義理の親や実の親がゐる。
土日は家族が家にゐたり、こどもが部活動でもやつてゐやうものなら試合だの遠征だのいろいろあつて留守にはできなかつたりする。
畢竟、お教室に通へるのは平日の昼間、といふことになるわけだ。

お教室には通つたことはないけれど、おそらくかういふからくりになつてゐるのだと思ふ。

ここで、世の多くの女の人が働きに出るやうになつたらどうだらう。
それも、平日の9to5働くやうな仕事に従事したら。
手藝のお教室なんぞは閑古鳥の鳴く場所になつてしまふのではあるまいか。
生徒が来てくれないのであれば、平日の夜間や土日に開催するやうになるだらうか。
まあ、なるだらうな。
それで生徒が増えるかどうかはまた別問題だけれども。

手藝のお教室を開いてゐる人々は、危機感を覚えてゐたりするのだらうか。
女の人がみんな社会進出を果たし、平日は仕事に追はれる身になつたら、うちなんか生徒さん来なくなつちやふ、などと心配してゐる人はゐないのか。

知り合ひにさういふ人がゐないから、実際のところはどうなのかわからない。

扶養家族手当が減らされたりして、否応なく働かざるを得ない女の人はたくさんゐるのだらうが。
昼シャンとまではいかなくても、専業主婦になる女の人も多くなるのではあるまいか。
だつて本人がさうのぞんでゐるんだもの。
それに、専業主婦は大変なんだぞ。
昼シャンするやうな人はさうでもないのかもしれないが。

Tuesday, 09 September 2014

タティングレースとかばん

The Twirlyをつなぐプロジェクトはあひかはらずちよこちよこと進んでゐる。
昨日32枚めのモチーフの端糸を引き込んで、33枚めに着手したところだ。

順調……では実はないのだが、まあしかし、進んではゐる。

そこで問題になつてきてゐることがある。
ものが大きくなつてきてゐる、といふことだ。

普段持ち歩くタティングレース用具は、すべて濱野皮革のナティカFといふがま口の財布に入れてゐる。
濱野のがま口については以前も書いたやうに、とても使ひやすい。財布としても使ひやすいし、タティングシャトルやクロススティッチ針、クロバーのタティングレース用かぎ針などを入れてもいい。下からファスナーで開くポケットにはイヤフォンを入れてゐる。

使ひやすい上に作りもしつかりしてゐる。
使ひはじめてもう何年たつだらう。
そろそろ十年くらゐたつと思ふ。どこもほころんだり壊れたりしたやうすはない。シャトルの先のかぎ針でうつかりひつかけてしまつたところ以外に問題はない。
がま口の調子も上々だ。

それで新たに財布用に買はうとしたら、ほしい色がなかつたんだよねえ。
といふのが、以前にも書いた話だ。

タティングのモチーフやエジング、栞なども小さいうちは濱野のがま口に入れてゐる。
すなはちがま口だけ持ち出せば大抵のことはできてしまふ、といふことだ。
糸を切るときはクロバーの糸きりカッターで切る。これもがま口に入れることができる。
濱野のがま口は、中にちいさいポケットがあり、上にも書いたやうに下からファスナーで開くポケットも中は独立してゐる。
ほんたうにいろいろと使ひやすくできてゐる。

問題は、作つてゐるものが大きくなると、がま口にはおさまらない、といふことである。
至極当然のことではあるけれど。

持ち歩くのなら、そろそろ入れ物を替へなければ。
しかし、なにに入れればいいのか。
いや、入れるものは決まつてゐる。
あやの小路のこれまたがま口のバッグインバッグだ。店では「リング付きがま口多機能ポーチ」といふ名前で売つてゐるやうだ。大きいサイズと小さいのとあつて、やつがれの持つてゐるのは小さい方である。
あやの小路のバッグインバッグは、バッグインバッグとしてやつがれの入れたいものがすべて入るやうなサイズではない。
しかし、持ち歩き用のタティングレース用具入れには最適だ。Lizbethのスレッドホルダーも余裕で入る。
バッグインバッグ用にできてゐるので、ポケットもたくさんついてゐる。
いふことないね。

困るのは、このあやの小路のがま口を入れるかばんについて、なのである。

自分の入れたいものが全部入らないと書いたけれど、あやの小路のバッグインバッグは小さいサイズでもかなり大きい。
まちが結構あるし、がま口部分が金属なのでそれ以上は小さくならないからだ。
さうすると、普段から荷物の多いやつがれのかばんにはおさまらないことがあるんだよなあ。
つまり、持つかばんを選ぶことになる。

最近はカナナリュックを愛用してゐる。
カナナリュックはいまのところ持ち歩きたいものをほぼ全部入れることができてゐる。A4の書類などはキングジムのOLETTAに入れればいいしね。
荷物はやつぱりひとつに限る。かばんを二つも提げてゐると、どうもどちらかひとつは忘れてしまひさうな気がしてならない。
そんなカナナリュックだが、どうにもまちが狭い。
このまちの狭さが通勤電車にも耐へ得るコンパクトさにつながつてゐるので長所といへば長所なのだ。
しかし、あやの小路のバッグインバッグを入れたら、それでまちはいつぱいいつぱいになつてしまふんだなあ、これが。

現在手持ちのかばんであやの小路のバッグインバッグを入れて問題がなささうなのは、ブロガーズトートとc.o.u.のBel Airくらゐだものなあ。

タティングレース用具を持ち歩くのは、小さいからなのだが。
ここまで大きくなつてしまふと、さうもいへなくなつてしまふ。
ほんたうは、複数段のモチーフで、一番外周でとなりのモチーフとつなぐ、といふのがいいのかもしれないなあ。
外では中のモチーフだけ作つて、家で外周部分を作りつつモチーフをつなげる、といふのがいいやうな気がする。

まあ、なかなかさううまくはいかないのだけれどもね。

などといひながら、来週あたりからチトThe Twirlyをつなげるプロジェクトは休みにしやうかと思つてゐる。
シャトルひとつで作れるモチーフかエジングかなにかを作ることにしたいと思つてゐるからだ。
そのあひだは濱野のがま口だけでなんとかなるかなあ。

Monday, 08 September 2014

双糸にしてみる

先週の金曜日、紡いでゐたポロワスを双糸にした。
紡ぎはじめたのが8/24だから、ここまでほぼ二週間かかつたことになる。

Untitled

最後に双糸にしたのつていつだらう。
なんだか遠い昔のやうな気がする。
そのせゐもあつて、双糸にする作業もなかなかはかどらなかつた。

単糸は、Greensleeves Spindles の Trifles といふスピンドルで紡いでゐた。これは以前も書いたとほりである。
だいたい35gくらゐのスピンドルで、この重さのわりには細い糸が紡げる。
おそらく、重心が中心に集まつてゐるからだらう。絹糸を細く紡ぐスピンドルにもさうしたものがある。
とくに軽いといふわけではないが、重心を中心に集めてゐるので細く紡げるのだといふ。

双糸には、Kundert Spindles のスピンドルを使つてみた。こちらは32gくらゐかなあ。気がついてみたら単糸を紡いだスピンドルよりも軽い。

普通に考へたら、双糸用に使ふスピンドルの方が単糸用よりも重たくなるところだ。
もちろん、まつたくおなじスピンドルを使つてもいい。むしろ、単糸も双糸もおなじスピンドルを使ふ人の方が多いのではあるまいか。そんな気がする。

でも、スピンドルを替へるのであれば、双糸用には重たいものを使ふだらう。実際、これまでもさうしてきたし。

今回重さが逆転してしまつたのは、Kundertのスピンドルの重さを忘れてゐたことと、Kundertのスピンドルはいつも双糸用に使つてゐたことが原因である。

Kundertのスピンドルは、基本的にどれもおなじ形状をしてゐる。独楽といふか重石の部分が、平たくて大きい。
ゆゑに、回転がすこしゆるやかになつて、ふんはりと回るといふ印象がある。
実際に使つてみると、回転のゆるやかさなどといふのは「気持ち」ていどのもののやうな気もするけどもね。

どうも単糸の撚りをかけすぎてしまふところがあるので、双糸にするときはちよつとふんはりさせたい。
さういふ思ひもある。

Kundertのスピンドルも、とても使ひやすいスピンドルであるので、ほんたうは単糸にも使ひたいのだが、未だに紡いだことはない。
そのうち、といつも思つてゐるんだけれどもねえ。

使ひやすいスピンドルで双糸にしてはみたものの、途中、かなり難儀をしたことも確かである。
理由は上にも書いたとほり、久しぶりのことだからだ。
今回は Andean Plying をしてみた。
この方法は、双糸を作るのに最適な方法だと思つてゐる。
単糸の両端から撚りあはせるので、必ず両方の糸の最後がそろふのである。
単糸を二本用意して撚りあはせると、たいていはどちらかが長くなつてしまふ。そこはそこからうまく長い方の糸の端をもつてきて撚りあはせればいいのだが、さうすると糸をつないだ場所ができてしまふんだよねえ。そんなものはぱつと見ただけではわからないんだけれどもさ。

しかし、世の中にはスーツを見て「あ、ここで糸をついだな」といふのがわかる人がゐるといふ。
これは織るときの話だとは思ふけれど、あのこまかい地から細い糸をどこでついだかわかるだなんて、ちよつと想像の外だなあ。
想像の外ではあるけれど、広い世間にはさういふ人もゐる。
糸はできるだけつぎたくない。
これは編んでゐるときもさうだらう。
去年あたりは25gとか30gとかの毛糸だまが幅を利かせてゐたけれど、そんなに少ない糸で着るものなんか編む気にはならない。
しよつ中糸をついでゐるやうだからだ。

以前はねえ、ユザワヤにもクレハの中細毛糸がかせで売られてゐたものだがねえ。あれは250gくらゐはあつたんではあるまいか。
当時は「中細毛糸をそんなにたくさん使ふことはないよなあ」と思つてゐたから買つたことはない。
でも考へてみたら、中細毛糸は二本取や三本取にすれぱいいんだよね。
あのときに買つておくんだつたかなあ。

そんなわけで、Andean Plying で双糸にする作業をはじめると、糸の繰り出し方もなんとなく思ひ出した。
Andean Plyingでは手首に糸を巻き付けて外側と内側とから糸を繰り出して双糸にする。この糸の繰り出し方にチトこつがある。
今回はトップから紡いでゐることもあつて、かなり梳毛な感じに紡げてゐた。それで糸を繰り出しやすかつたといふのもある。紡毛な感じに紡げてゐたら、糸同士がからまりやすくてうまくいかなかつたかもしれない。

問題は、撚りあはせる加減にあつた。
どれくらゐ撚りあはせればいいか、よくわからないのである。

紡いだ糸のバランスは、紡いだ糸の端と端とを近づけたときに、下に垂れ下がつた糸がねぢれなければよし、とされてゐる。
今回、時折その調子でバランスを確かめてみたが、バランスがとれてゐるといふ状態にすると、かなり撚りが弱い感じがした。
それで仕方なく、バランスを確かめながら撚りあはせるのはあきらめて、目分量でだいたいこれくらゐだらうといふくらゐに撚りをかけてみた。

かせにとつてぶらさげてみたら、ねぢれなかつたので、おそらく、バランスはとれてゐるのだらう。

そこだけはうまくいつたが、いろいろ想定とは違ふ結果になつてしまつた。
単糸を紡ぐのに少し重たいTriflesを使つたのは、細くは紡げてもそれなりに太い糸にしたかつたからだ。
希望としては、中細から合太のあひだくらゐ。
でもどこからどう見ても合細から中細のあひだくらゐの糸になつてしまつた。
また、レース模様を入れるつもりでゐたから、双糸の撚りはすこし甘めにするつもりでゐた。
レース模様は、多少撚りの甘い糸の方が編み地が平らになつて模様がきれいに出る、といふ話である。まあ、甘いといつてもていど問題だとは思ふけれども。
でも、双糸の撚りはかなり強いなー。まあ、バランスはとれてゐるんだからそこは気にしなくていいのか。

双糸にしてだいたい250m。重さは撚りどめをしてからはかるつもりである。
さう、土日とあつたといふのに、まだ撚りどめをしてゐない。
さうかうしてゐるうちに、左手人差し指の痛みも取れてきたので、あみものも再開したい。
毛はまだまだあまつてゐる。

やつがれの明日はどつちだ。

Friday, 05 September 2014

「消えたボーイフレンドの冒険」の謎

やつと「人形劇シャーロックホームズ」を見ることができた。
八月に放映された新作三点を録画で見た。

平岩紙が出てゐる!
だとか、
浅野和之がまた出てきた!
だとか、
毒蛇も逃げてくモリアーティ教頭がステキ過ぎる!
だとか、いろいろあるのだが、今回は「消えたボーイフレンドの冒険」の回について書く。
実は昨日の「Blogの文章」は、「消えたボーイフレンドの冒険」を見てゐて思ひついた内容だつたりする。

ことの核心に触れる部分もあるので、未見の方とはこちらでおさらばでござんす。
あ、「二都物語」の核心にも触れるので、ネタバレのお嫌な方もこちらでお別れでござんす。

「消えたボーイフレンドの冒険」は、「消えた花婿事件」の翻案である。
基本的な内容は原作とおなじで、ちよつとしたアレンジが加へられてゐる。

「消えたボーイフレンドの冒険」の冒頭、ワトソンが本を手にしてゐる。
それを見て、ホームズが「小説を読むなんて気が知れない」といふやうなことを云ふ。
すると、ワトソンは「小説はいろんなことを教へてくれるんだよ」といふやうなことを返す。

このとき、ワトソンが手にしてゐる本の題名はA Tale of Two Cities
ディケンズの「二都物語」だ。

人形劇の「シャーロックホームズ」の設定が何時代なのかはわからない。
勝手に現代だと思つてゐたが、具体的な憑拠はない。
むしろ、もしかするとちよつと古い時代なのかな、と思ふことの方が多い。
懐中時計なんかが出てくるし。「SHERLOCK」とちがつてPCとかiPhoneとか出てこないし。まあ、PCとかが出てこないのは、寮に持ち込み禁止なのかもと思はないでもないけれど。
あら、こんな調子では「シャーロックホームズ」を見る資格がないか知らん。

もとい。
もし人形劇の「シャーロックホームズ」の時代設定が原作とおなじだとしても、ワトソンが「二都物語」を手にしてゐてをかしいところはなにもない。

といふわけで、やつぱりちよつと昔の設定なのかなあ。

時代設定はとりあへず脇においておくとして。
なぜ、ワトソンが「二都物語」を手にしてゐたのか。それを考へたい。

ディケンズなら、ほかにもいくらも本がある。
本邦では「クリスマス・キャロル」とか「オリバー・ツイスト」の方が有名なんぢやないかなあ。
「オリバー・ツイスト」はさうでもないか。でも、やつがれがこどものころのお子様向け文学全集には「二都物語」はなかつたやうに思ふ。

ディケンズにかぎる必要もまたない。
舞台はロンドン郊外の学校といふことだから、イギリスの作家の本にしたかつた、といふことはあるかもしれない。
しかし、イギリスの作家なら、ディケンズ以外にもたくさんゐる。
小説ではないが、イギリスといへばシェイクスピア、といふ向きもあらう。
「シェイクスピア物語」を手にしてゐたつていい。

しかし、ここは、「二都物語」でなければならない。
なぜといつて、「消えたボーイフレンドの冒険」は、秘めた戀の物語だからだ。
それも、絶対云ひ出せない、云つてはいけない戀だから。
だから「二都物語」なのである。

「二都物語」は、革命前のフランスで、貴族に監禁された父を持つ娘とその貴族の親類の男との物語である。
かんたんに書くとさうなつてしまふが、ここにもうひとり、男が登場する。
貴族の親類の男にうりふたつで、ひどくだらしない男。
本来は才能にあふれてゐるはずなのに、その能力を発揮する術を持たない男。
そして、貴族に監禁された父を持つ娘に戀をしてしまふ、そんな男。

男は、娘に告白しやうとして、娘は自分に瓜二つの別の男を愛してゐることを知り、身を引く。
「忘れないでほしい、あなたとあなたの愛するもののために命をかける男のゐることを」と云ふて。

この身を引いた男は、自分とそつくりの男の身替はりになつて、ギロチンの露と消へる。

ワトソンはこの物語を読んでゐた。
したがつて、秘めたる戀心のなんたるかを理解してゐた、といふ寸法なわけだ。

まあ、女心のなんたるかを「二都物語」だけで理解できるかどうかは謎だけどなー。
むしろ、マダム・ドファルジュの気持ちなんてわからない方が人生幸せかもしれないしなー。

「消えたボーイフレンドの冒険」といふ題名だけで、わかる人には最後のオチまですべてわかつてしまふといへばそれまでだが、ワトソンが持つてゐるのが「二都物語」といふことで、
「原作とは違ふんですよ。犯人は相手を愛してゐるんですよ」
といふことがわかるやうになつてゐる、とも云へる。

うがち過ぎ?
まあ、さうかも知れんな。

Thursday, 04 September 2014

Blogの文章

先日、学校に通つてゐた時分の友人のblogを見ておどろいた。
やたらと改行が多いのである。
それだけならまだしも、文章の途中で改行してゐる。
たとへばこんな感じだ。

----- ここから -----

昨日、塾帰りの息子と一緒に

近所でおいしいとうわさのカフェ[コーヒーの絵文字]に

行ってきました[ハートマーク]。


人気のパフェは売り切れだったけど[涙マーク]

紅茶のシフォンケーキはとてもおいしかった[エクスクラメーションマークの絵文字 × 5]


息子も頭を使ったあと甘いものを食べて

満足したようす。

いつまでつきあってくれるかなー。

----- ここまで -----

ざつとこんな感じなのである。

かういふ文章の書き方は、芸能人のblogなどではよく見かける。
文章の途中で改行してあつて、しかもその改行がダブルスペースだつたりして、縦には長いけれどあまり内容もないやうすのエントリだつたりする。

芸能人のblogといふのはさういふものなのだらう。

さう思つてゐたらば、こは如何に。
身近におなじやうに書く人がゐたなんて。

なんだか、とてもショックだつた。
学校にゐた時分は、いはゆる「できる人」だつたのになー。
勉強はもちろん、その他もろもろ、そつなくなんでもこなすやうな人だつた。
こんな中身のないやうなblogを書く人ぢやなかつたのにー。
いや、まあ、もちろん、中身のあることも書いてゐたりはするんだがね。
おなじやうな形式で。

最近の大学生にはMicrosoft Wordや同 Excelを使へない人が増えてゐるのださうである。
以前の大学生は、卒業論文などを書くのにWordを使つてゐた。それで、まがりなりにもWordを使ふことはできてゐた。
#え、TeX? それはまた別の話。

ところが、最近はiPhoneなどのスマートフォンから印刷できる印刷機が増えてゐて、レポートも論文もすべてスマートフォンで作成する学生が増えてゐるのだ、といふ。
その結果、Wordはもちろん、PCの扱ひにも慣れてゐない学生が以前より多くなつてゐる、といふのだ。

また、学生に顕著なのはLINEなどによる友達同士のコミュニケーションに割く時間が多く、世の中のニュースなどはほとんど知らないといふ人なのらしい。
新聞も読まないし、もちろん本や、マンガさへ読まない。TVも見ないのだといふ。

Webで読んだ話だから、どこまでほんたうかはわからない。
しかし、さういふ人がゐてもをかしくないよな、とは思ふ。

学生時代の友人のblogの書きつぷりと、PCの使へない現代の学生と、この話はやつがれの中ではつながつてゐる。

どちらも、まとまつた文章を書いたり読んだりする余裕のない人々だ、といふ点で。

余裕、といふと違ふかな。
時間、といつておくか。
「まとまつた文章を書いたり読んだりする時間のない人々」、現代人とは、総じてさういふものであるのらしい。

ときどき思ふ。
自分はいつたいなにを書いてゐるのか、と。

世の中には、ほかに楽しいことがたくさんある。
Web上には読んで楽しい、見て役立つ情報があふれてゐる。
やつがれの書いたことなど誰が読むだらうか。

誰も読まない。
読んで甲斐なく、読む義理もない。

身近な人がスカスカに見えるやうな文章でblogを書いてゐて、世の中の若者は自分と関はりのない他人やものごとには興味がない。
さうした中で、やつがれのblogのエントリなど読む人間がゐるのか。

ゐないね。
まづゐない。
ゐるわけがない。

さう思ふのは、blogでエントリを公開してゐる人間としてはまことに危険極まりないことだ。
読む人間がゐるゐないに関はらず、blogのエントリを公開するといふことは、全世界に向けてみづからの意見を発信するといふことにほかならない。
つまり、誰が読んでゐるのかわからない。
公開するからには読まれることを前提に書くべきだ。

それはさうなんだけどもさ。
でも、世の風潮からいつてさ、こんな文字だらけの、しかもかういふ仮名遣ひをしてゐる文章を読む人がゐるのだらうか。
さう思つてしまふのである。

そんなわけで、「blog、見ましたよ」とか云はれると、心底びつくりしてしまふわけだ。

それでもblogのエントリを書き続けてゐるのは、ひとつには自分用の備忘録として、といふ理由がある。
三年手帳などもさうだけれども、「自分 entertainment」のために書いてゐる。
つまり、自分が楽しめるものがよそにあるのであれば、こんなことはしないわけだ。
スマートフォンにはりつきつぱなしになつてゐるといふ現代の若者と、やつてゐることはまつたく変はりない。

こんな調子でつづけていいのかどうか。
まあ、いいんだらうな。
自分が楽しければ、それでいいだらう。
そんな風に思ふてゐる。

Wednesday, 03 September 2014

手帳に書かれた記録を読む

来年の手帳も決まりつつある。

SmythsonのSCHOTT'S MISCELLANY DIARY (以下、SCHOTT'S) は来年もスケジュール帳として使ふ。スケジュール帳といふか、やつがれの場合は結局記録帳になつてしまふわけだが。
三年手帳は来年が三年目なのでそのまま継続。
どうしやうか迷つてゐたほぼ日手帳は、MOTHER2のカヴァがあるといふので使ふことにした。最初に競争に負けて「もう来年からはほぼ日手帳はやめやうかな」と思つてゐたところ、Twitterで再販のはじまつたことを教へてくれた方があつて、注文することができた。ありがたいことである。

三年手帳と用途のかぶるほぼ日手帳の使ひ道は悩むところではあるが、まあ、なんとかなるだらう。
いま三年手帳と連携させてゐるカンミ堂のピコットフセンを、ほぼ日手帳でも使つてみやうかな、とか考へてゐる。

ところで、SCHOTT'Sである。
記録帳といつても、「どこに行つた」とか「なにを見た」、「なにを読んだ」といふことしか書きこんではゐない。
感想めいたことは一字たりとも書いてはゐない。
だといふのに、パラパラと見返すと、これがなんだかおもしろいのである。

もともと、SCHOTT'Sは読んでおもしろい手帳だ。
ベン・ショットの集めた雑学が一冊の手帳のあちらこちらにちりばめられてゐる。
たとへば今日はE.E.カミングスの命日ださうだ。死んだのは1962年ださうである。
今年は午年。
25年前にはホメイニがサルマン・ラシュディに死の警告を与へ、天安門事件があつた。
50年前にはマンデラが終身刑になり、リチャード・バートンとエリザベス・テイラーが最初の結婚をした。
800年前、ブーヴィーヌの戦いがあつた。
そんな感じ。

メモページには著名人の発言や著作からの引用句が並んでゐて、これも読んでゐておもしろい。
絶対使ふことはないけれど、葉巻のサイズなんかも書いてある。

使用開始前からSCHOTT'Sがめくつて楽しい手帳であることは、以前も書いたとほりだ。
さうした雑学のあれこれを読むのももちろん楽しい。
でも、自分が書いたただの記録を読み返すのも悪くない。

たとへば、かばんの記録だ。
その日使つたかばんを毎日SCHOTT'Sに記録してゐる。
一度使ひはじめると、長いことおなじかばんを使つてゐるのがわかる。
週末には平日と違ふかばんを使ふことが多い。これは、社員証の入つたかばんを持ち歩かないやうにと考へてゐるからだ。週明けにさらに別のかばんに持ち替へることもあるし、金曜日まで使つてゐたかばんをそのまま使ふこともある。
そこの切り替へ加減がおもしろいんだなあ。自分のことなんだけれどもさ。
記録をつけてゐると、できるだけ満遍なく手持ちのかばんを使はうとするやうだ。
かばんの記録をつけはじめたのは、いらないかばんをあぶり出すためだつた。
でも、基本的には手元にあるかばんといふのは気に入つて買つたものである。
手放すのはしのびない。
さういふわけで、たまにSCHOTT'Sを見返しては「あー、あのかばん、最近使つてないなー」といふのでひつぱりだしてくる、といふ寸法なのである。
そこらへんの心の動きの透けて見えるあたりがおもしろさの所以であらう。

萬年筆のインキ補充の記録なんかもそれに近いかな。
だいたい中屋万年筆の十角軸は一ヶ月くらゐで補充してゐて、でもたまに遅れることがあつて、さういふときは「書けてないんだなー」と思ふ。
かういふ時は、読書記録も少なめで、さういへばこのころ仕事が忙しかつたんだよなあ、などと思ひ出すよすがになる。

こんな感じで、事実の記録だけでも、いろいろと思ひ出したり類推したりする材料になるものだ。
まあ、自分のことだからわかる、といふこともあるけれど。

中世ヨーロッパの農村の生活」といふ本を読んだときも思つた。
事実が延々と書き連ねられてゐるだけなのに、この本はひどくおもしろい。
読書メーターの感想を見ると、統計ばかりでつまらない、とか、論文のやうで読んでもおもしろくない、といふやうなことばが並んでゐる。
人によつてまざまなんだなあ、と思ふ。
この本は、下手に物語仕立てになつてゐる本よりも、絶対におもしろい。
統計や裁判の記録などから、「人間つてやつぱり昔から変はらないんだな」といふことがよくわかる。
多分、事実の記録からその裏を読み取れる人、事実と事実とのあひだを埋める想像力のある人にはおもしろい本なのだと思ふ。

自分の手帳につけた自分の記録といふのは、想像しなくても記憶で事実と事実とのあひだを埋めることができる。
だからよりお手軽に楽しめるのだらう。

そんなわけで、来年もSCHOTT'Sはおなじやうに使ひつづけるつもりだ。
まちつと予定と記録との書き分けはしたいと思つて現在試行錯誤をしてゐるところである。

Tuesday, 02 September 2014

六角形をつなぐ罠

The Twirlys

The Twirlyをつなげるプロジェクトは、31枚めをつないであとは端糸を引き込むだけになつてゐる。
あと4枚つなぐと7枚つなぎのモチーフがまた一つ、つながることになる。

The Twirlyはここでも何度も書いてゐるやうに、Jon Yusoffのデザインしたモチーフである。
モチーフ単体の作り方しか出てゐなくて、つないだときにどうなるかはやつてみるまでわからなかつた。

とりあへず7枚つないでみて、「こんな風になるのかー」と思つた。
それを1列につないだやうすはなんとなく想像できた。
写真のやうに列同士を互ひ違ひにつないだらどうなるかは、想像できてゐない。
おほよそのやうすは予想できるがね。

つなぎ方も試行錯誤しながらつないでゐる。
このモチーフは前の段のモチーフのどこにつなげばいいのだらうかー、とか、考へ考へつないでゐる。
をかしいなあ。もつとかんたんにつながるはずだつたのに。
六角形を甘く見てゐたな。

正三角形・正四角形・正六角形は、つないだときに平面が埋まる。
そのはずである。
そのつもりでゐたから、もつとかんたんだと思つてゐたんだよな。
平面を埋めるやうにつなぐには、辺と辺とをあはせるやうにする必要がある。
The Twirlyは六角形ではあるけれども、そして、正六角形にかなり近い形ではあるけれども、どこらへんが辺なのか、判然とはしない。
いや、ちよつと見ればわかる話なんだけれどもね。
最初につなぐときに辺のことを考へなかつたのだ。
それで、なんだか苦労してつなぐ羽目に陥つてしまつたのである。

六角形とか十二角形には、かうしたつなぎ方がある。
以前、十二角形のモチーフを7つつないだときに、(仮の)辺と辺とがあはさるやうにつないだものと角と角とをつないだモチーフとを作つてみたことがある。
おなじモチーフを同じ数だけ同じ形になるやうにつないでも、辺と辺とがあはさつてゐる場合と、角と角とをつないだ場合とは、当然ながら見栄えが変はつてくる。

今回は、できれば大きめのモチーフを作りたかつたので、角と角とをつなげるやうにしてみた。
辺と辺とをつなげてゐれば、もつとかんたんに全体をつなげてゐたのにね。
と、これはあとで気がついたことである。

つなぎ方を考へるのは楽にはなるが、辺と辺とをつなぐ方が過度と角とをつなぐよりもつなぐ回数が増えてくるので、それはそれで手間ではある。
自分ではThe Twirlyは角と角とをつなぐ方が映えると思つた。
だからこれでいいのである。多分。

そんなわけで、糸もあるし、まだまだつなぐ予定である。
どこまでいけるかのう。

Monday, 01 September 2014

買つてしまつた

秋冬のあみもの書籍を買つてしまつた。
michiyoの編みものワークショップ」がそれである。

「毛糸だま」の春号(だつたと思ふ)を買つて以来だから、ずいぶんたつ。
去年の秋冬は、それ以外のあみもの書籍はまつたく買はなかつた。
近年、めづらしいことである。
たいてい、毎年一冊は買ふ。
一冊は、とか書いておいてなんだが、二冊三冊は普通に買ふ。

買つて編むのか、といふと……うーん、ここ三年か四年ばかりは、ずいぶんと本に載つてゐるものを編んでゐる気がする。
しかも、秋冬はここ三回連続着るものを編んでゐる。
最初はかぎ針編みのカーディガン、その次が棒針編みのヴェストとおなじく棒針編みのマーガレットといふ名のヴェスト、そして、去年はたた&たた夫さんのところのセーターを編んだ。

さうやつて、秋冬は結構(やつがれにとつては)大作を編んでゐるが、それにくらべて春夏はほとんど編めてゐない。
ここ二年ばかりのことを思ひ出してみても、夏はストールとかスカーフとかしか編めてないんだよなあ。
まあ、暑いんだから編んだものなんか着なくてもいいんだけれどもね。
今週あたりから、編みかけになつてゐるリネンのストールを再開するつもりではゐる。

ところで、買つた本から編んだもの、といふと、圧倒的にmichiyoか風工房のデザインのものが多い。
上に書いたカーディガンとヴェストとはmichiyoの本から編んだものだし、夏に仕上げたスカーフもストールも今編んでゐるものもいづれも風工房のデザインだ。

マーガレットといふ名のヴェストとセーターとは違ふし、もつといふと、セーターのもともとのデザイナはたた&たた夫さんだが、輪で編むといふのでだいぶ自分で手を入れた。
セーター用に買つておいた毛糸がだいぶあまつてしまつたので、メビウス編みのポンチョもどきを作つたが、これも自分で考へて編んだものだ。

でも数からいくと、断然michiyoか風工房なんだよね。
今回買つた本もmichiyoだしね。

ずつと編んでゐると、編みたいけれども編んでゐないものといふのもたくさんある。

たとへば茶羽織ね。
以前買つた「毛糸だま」に掲載されてゐて、一度編みたいと思ひつつ、編む量と毛糸の量との多いことに二の足を踏んだままここまできてしまつた。
デザインしたのはリボン刺繍で有名な人で、襟にリボン刺繍のやうなものがほどこされてゐたやうに記憶する。
いまだつたら編めるかなあ。
別に和服を着るわけではないのだが、いいぢやん、茶羽織だけ羽織つたつて。

あと、これも以前の「毛糸だま」に出てゐたのだが、六枚はぎのヴェストを編みたいと思つてゐる。
何年前の「毛糸だま」かなあ。下手すると二十年くらゐ前のものかもしれない。
六枚はぎで、シェイプされた形にできあがるヴェストである。
昨今の作品といふのは、世の流れに沿つてあまり躯の線が出ない作品が多い。
やつがれなぞはそれで大いに助かつてゐる。
でも、あの六枚はぎのヴェストが編みたいんだよねえ。
いまとなつてはああいふデザインはなかなかないからだ。

そして、これまた以前から編みたいと思つてゐたのがタイツである。

生まれてはじめて購入したあみもの洋書のうち、一冊はElizabeth ZimmermannのKnitters' Almanacで、もう一冊は北欧の編み込み模様を取り扱つた本だつた。
どちらにも、編んだタイツが出てゐた。

「タイツ」と呼ぶのはをかしいだらうか。
いまどき風にいふと、「レギンス」である。

とくに編み込み模様のタイツの方はとても素敵で「いつか編みたい」と思つてゐたのだが、
「すぐに股の内側がすり切れるわよ」
といふ母のことばに二の足を踏んで今に至る。

いいと思ふんだけどなー、手編みのレギンス。
きつとあたたかいことだらう。

と、思つてゐたら、こはいかに。
今回買つた本にも手編みのレギンスが出ているぢやあないか。
しかも脇に模様入りである。
編みたいなー編みたいなー。

使用する糸はハマナカのアメリー。毛70%、化繊30%の糸ださうである。
さうだねえ、化繊混紡の強さがレギンスには必要かもしれないねえ。
あたたかさといふ点でいけば、毛100%にかなふものはないのだが。
くつ下などでもさうだけれども、化繊の助けが必要なものはいくらもある。
アメリーが洗濯機で洗へるものかどうかは調べてゐない。

編みたいと思ふてはみたものの、しかし、いろいろハードルも高いのだつた。

まづ、サイズを変更しないと編めない。
セーターやヴェストだつたらなんとかできるんだがなあ。
といふのは、実は家庭科の授業で型紙の補正の仕方を習つたことがあるからだ。
あらかた忘れてしまつたけれど。
記憶が正しければ、ダーツがあつたらその部分からどれくらゐ補正する、とか、どことどこをどう補正する、とか、習つたのである。
習つたのに、すつかり忘れてしまつた。
もつたいない。
学校で習ふことの中では数少ない実生活で役立つ貴重な知識だつたといふのに。

ただ、そのときのおぼろげな記憶から、なんとなく「ああだつたはず」「かうだつたやうな気がする」といふので、それとなくできたりするのである。
デザイン的に難がなければ。

問題は、そのときに習つたのは上着だけで、ズボンの類の補正の仕方は習はなかつたんだねー。

補正なんて、自分のサイズをはかつて、そのとほりに変更して編めばいいぢやない。
さういふ向きもあらう。

人体といふのは、立体にできてゐる。
しかも左右非対称だし、出るところと引つこむところがわりとランダムにある。
三次元で考へる必要がある、ともいへる。
補正はさうかんたんな話でもないのだ。

しかし、ものはあみものである。
つまり、伸縮する。
多少小さくても伸びるし、大きかつたら……まあ、どうしやうもないかもしれないけど。

といふわけで、この秋冬は念願のタイツを編む……
かどうかは謎だなあ。

とりあへず、アメリーでポケットつきのポンチョを編んでみやうとは思ふてゐる。

2014年8月の読書メーター

2014年8月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:1585ページ
ナイス数:13ナイス

論理的で正しい日本語を使うための技術とトレーニング論理的で正しい日本語を使うための技術とトレーニング感想
三森ゆりかの本のときも思ふたが、論理的になるつて「ヤな奴になる」とほぼ同義だ。論理的になるより先に、自分の意見を主張していいことや他人の意見を尊重すること、意見と人格とは別物であることを理解する必要がある。この本でもエトス・ロゴス・パトスが説明されてゐて、主にロゴスを扱つてゐるが、一番重要なのはエトスなのではあるまいか。一番どうにもならなさうだけれどもさ。ロゴスが一番訓練次第でどうにかなるんだらうけれどそれだけではダメだ。最後の方は漢字の読みや書き取り、東大と京大の入試問題が掲載されてゐる。不要かと思ふ。
読了日:8月1日 著者:木南法子
悟浄歎異 —沙門悟浄の手記—悟浄歎異 —沙門悟浄の手記—感想
我が厨二の書。読みつつイタイ思ひをする。夏だから。
読了日:8月1日 著者:中島敦
悟浄出世悟浄出世感想
「悟浄歎異」を読んだのであはせて読んだ。中に出てくる「西遊記」の抜粋を読むと、「西遊記」全篇をこの文体で読んでみたいといふくるほしい思ひにかられる。
読了日:8月1日 著者:中島敦
〔改訂新版〕音楽の文章術 論文・レポートの執筆から文献表記法まで〔改訂新版〕音楽の文章術 論文・レポートの執筆から文献表記法まで感想
米国の音楽を専攻する学部生に向けた書。「音楽の」とあるが、文章術の部分は音楽に限った内容ではない。万人の役に立つ書である。英語の文法について述べた部分は、英文を書くとき参考にしたい。「音楽の」と題名のあるのが惜しまれるくらい一般向けの内容だ。よい文章を書くには、たくさん読んでたくさん書いて、アウトラインをしっかり作って推敲に推敲を重ねるしかないのだなあ。それが毎回できればよいのだが。
読了日:8月7日 著者:リチャード・J.ウィンジェル
WaldenWalden感想
「森の生活」をモデルにした里にこれから行くといふことで読んでみた。Kindle Paperwhiteではじめて読んだ作品である。ソローのことを「ニート」といふ人がゐるけれど、どちらかといふと「フリーター」ぢやないのか。労働に重きを置かず、生きていくのに最低限必要な稼ぎを得たらあとは好きに暮らすつて、いいんぢやない? その割に大したこと書いてないよね、といふ意見もあるやうだが、それはソローにはどうでもよかつたのではないか。「こんな風に生きてもいいんだ」と思へる一冊。
読了日:8月16日 著者:HenryDavidThoreau
死者の書死者の書感想
結構漢字を使つてあるのに、なぜか黒つぽい感じがしない。ひらがなとの割合が絶妙なのか。そして漢字があるとどうしても訓読みしたくなる。
読了日:8月19日 著者:折口信夫
陋巷に在り1―儒の巻―(新潮文庫)陋巷に在り1―儒の巻―(新潮文庫)感想
この本のKindle版が出たらKindle Paperwhiteを買はうと決めてゐた。あとがきを見たら「オンライン出版が云々」といふ話が出てゐて、しみじみと読んでしまつた。表紙は大きい絵では見られないんだな。残念。
読了日:8月25日 著者:酒見賢一
殺しの時間-乱視読者のミステリ散歩殺しの時間-乱視読者のミステリ散歩感想
ミステリマガジンには昔から楽しみにしてゐるコラムが必ずあって、青木雨彦とか山口雅也とか、そして若島正とか。といふわけで、懐かしく読み返す。未訳本の中にはいまでも手に入るものもあるやうで、我と我が身を省みることなく、「読んでみやうかなあ」などと思つてしまふ。だまされたと思つてひとつ読んでみるかな。
読了日:8月28日 著者:若島正
文字禍文字禍感想
喜劇。さう思つて読んでゐる。腹を抱へて笑ふやうな話ではないが、同病相憐れむ的な笑ひが、気がつくと唇の端に浮かんでゐる。
読了日:8月28日 著者:中島敦

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