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Friday, 01 August 2014

やればいいのに

人はなぜ「これをやるといいよ」と云はれたことができないのか。

やつがれができない理由はわかつてゐる。
天の邪鬼だからだ。
親から「これをやれ」「あれをしろ」と云はれたことはことごとくできなかつた。
反発してしまふのである。
親からだけではない。
教師から云はれたことでもさうだ。
小学生のときに、学校で「新聞を読むやうに」とさへ云はれなかつたら、いまごろやつがれは新聞好きだつたかもしれない。
教師にさう云はれて、「絶対読むもんか」と思つた。とくに朝日新聞だけは読まないと心に決めた。
ひとり暮らしをしてゐたときに「読まず嫌ひはいけないよな」と思ひ、ちやうどよい機会なので半年だけ朝日新聞を取ることにした。

親だとか教師だとか、目上の人間から云はれると、どうもすなほに取り組む気になれない。
困つたものだが、さういふものとして自分とつきあつてゐる。

でも、世の中の人はちがふだらう?
すなほな人たちだつてたくさんゐる。
親のことばにはしたがひ、教師から「新聞を読め。新聞といつたら朝日新聞のことだぞ」と云はれれば疑ふことなく朝日新聞を読むやうなこどもはたくさんゐると思ふ。

それでもなほ、世の中の人は他人から「かうやるといいんですよ」と云はれたことをまつたくやらずに済ませることが多いやうに思ふ。
やつたらよくなるのに。
たとへば、糖尿病や高血圧対策に歩くといい、と云はれて実際に歩きまたつづける人がどれくらゐゐるだらうか。
病気のことなら命にかかはることだからまぢめに取り組むかもしれないが、仕事上のことで「この本を読むといい」とか「かういふ手順で取り組むといい」とか云はれて、ほんたうにその本を手に取り、教へられた手順に従ふ人がどれくらゐゐるのか。

謎である。

世の中には、やつがれとは逆に同僚とか目下の人に云はれたことには従へない、といふ人もゐるだらう。
それは、自分の逆と思へばなんとなくわかる。

しかし、まぢめに他人の話を聞いてゐて、「それはいいですね」と社交辞令でなく云ひながら、取り組めない人もかなりの数ゐる。そのはずだ。
そしてやつがれもまた、話を聞いた時には「それはいいな」と思つたはずなのに、実際にやつてみて一度しかやらなかつた、とか、そもそも手をつけることさへしなかつた、といふことがたくさんある。

どうしてなんだらう。
やつてみたら、いいことだとわかるのに。
やらなくても、やつた場合の結果は予測のつくものなのに。

てなことを、「どうしたらわかりやすい文章を書くことができるのか」といふこととほぼ並行して考へてゐる。
だつて、もし万が一わかりやすい文章を書く方法を導き出せたとして、誰も話を聞いてくれなかつたりしたら、意味がないではないか。
もつといふと、わかりやすい文章を書く方がわかつたして、それを自分が実践できなかつたら、ますます意味がない。

といふわけで、冒頭の問ひになる、といふわけだ。
人はなぜ「これをやるといいよ」と云はれたことができないのか。

人のことはいいか。
自分はなぜ「これをやるといいよ」と云はれたことができないのか。

そんなわけで、みづから考へて「これをやるといい」と思つたことはできるだけ実行しやうとしてゐるのだが。
なかなかむづかしいんだよなあ、これが。

それでも自分で「やらう」と決めたことはできたり、少なくとも一度はやつてみることができるやうになつたりはしてゐるんだけどね。

ぬぬ、でも、さうしたら、なぜやつがれはさうできるやうになつたのだらうか。

謎は尽きぬなあ。

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