物欲の栄え
萬年筆はもうこれ以上増えることはないだらう。
さう云ひながら買つてゐたりはするが、でもまあ、新作を見て「ほしい!」と思ふことはあまりなくなつた。
しかし、どうにもならないのがインキである。
インキはほしい。
新しいインキが出たときくとほしくなるし、古いものでも「これはいいんだよ」なんてなことを云つてゐるとほしくなる。
どうしたものかねえ。
自宅で使ふ分にはガラスペンで使へばいい。
でも、起きてゐる時間の大半は家にはゐない。
畢竟、コンヴァータにつめてペンを持ち歩くといふことになる。
インキを買ふたび替へるたび、ペンをきれいに洗浄するといふ手もある。
しかし、お気に入りのいいペンのインキはひとつに絞りたい。
なんかの間違ひでインキづまりを起こされたら目も当てられない。
つまり、「新作インキに惑はされるな」といふことなのだらう。
さう理解してゐる。
いま持つてゐるペンとインキとで十分ぢやあないか。
そのとほりだ。
人間、欲を云つたらきりがない。
足ることを知るが幸せの条件である。
ああ、柄にもないことを書いてしまつたねえ。
最近は使ふ萬年筆もだいぶしぼられてきて、常時持ち歩いてゐるのは5本、月曜日に職場に持つて行つて金曜日に持つて帰るのが8本、職場に置いてゐるのが4本、家で使つてゐるのが8本、合計25本か。
家ではほかに2本使つてゐたが、最近休ませたばかりである。カリグラフィーペンもあるが、まああれは萬年筆とは数へないことにしやう。
25本か。
普段数へてゐないからそんなにあるとは思つてゐなかつたよ。
持ち歩きの5本と平日は職場に置きつぱなしにしてゐる8本とで、最大13本を持ち歩くことがある、といふことは認識してゐたが、こんなにあるとは思つてもみなかつた。
そりやあ書いても書いても書き足りない気分がするわけだよね。
25本をまんべんなく使つてゐるかといふと、もちろんそんなことはない。
よく使ふもの、それなりに使ふもの、あまり使はないものとがある。
用途が決まつてゐるものもあるしね。
緑色のインキは読んだ本と見た芝居や映画に関することを書くときに使ふので、さういふときだけ登場する。
ナガサワ文具センターオリジナルのルノワール・ピンクは、追記に用ゐてゐるので、これまた出番が限られる。
ペリカンの800の太字とカリグラフィー用とは、気分がむしやくしやした時の気持ちの整理に使ふことが多い。すなはち、いたづら書き用やね。もつたいないことこのうへないが、でもまあ、心落ち着けることができるのでよからう。
一番よく使ふのは中屋万年筆の十角軸かな。ペン先は細軟。それとおなじくらゐよく使ふのが大橋堂のおそらく中字のペン。
あとは似たやうな頻度で使ふ。と思ふ。たぶん。
25本ていどなので、どのペンにどのインキを入れてゐるかも把握してゐる。特に記録などは残してゐない。インキを補充した日を手帳につけてゐるくらゐかな。補充できるインキの量は各社まちまちではあるが、インキの補充頻度でだいたいどれくらゐ使ふてゐるのかがわかると思つてゐる。
これ以上増えたら、なにかしら記録をつけないと、どれにどのインキが入つてゐるとか、わからなくなるよな。
つまり、やはり増やしてはいけないといふことだ。
ちよつと前までは物欲が低下してゐて、あまりものを増やしてゐなかつた。
ところがここにきてなぜか突然「あれもほしいこれもほしい」状態に陥つてゐる。
いかんなあ。
少し、気持ちを落ち着けていかなければ。
さう思つて、棚卸しをしてみたわけだが。
しかし、一度ついた火はなかなか消へないんだよなあ。
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