怪談よりもおそろしい
この夏、怪談話を二つほど見た。
七月に大阪松竹座で「豊志賀の死」、八月に歌舞伎座で「怪談乳房榎」を見た。
「怪談乳房榎」は怪談といふほどの怪談でもないのだが、「豊志賀の死」は怖かつたねえ。
中村時蔵演じる豊志賀の怖さといつたらなかつたね。なんですか、あれは。放送できないよね。
萬屋の豊志賀はきつと怖いだらうと思つて、三階の上の方の席を取つて正解だつたかもしれない。そばで見てゐたら、夢に出てきたに相違ない。
歌舞伎で怪談といふと、それほど怖くないことも多いのだが、菊之助の四谷怪談といひ、今回の時蔵の真景累ヶ淵といひ、ここのところほんたうに怖い怪談を見てゐるな。
ところで、これまで見てきた中で一等怖い芝居は、怪談ではない。
いままで見た芝居の中で一等おそろしかつたもの、それは、中村歌右衛門の「摂州合邦辻」である。
芝居がはじまつてしばらくすると、死んだことになつてゐるはずのお辻こと玉手御前が実家に帰つてくる。
戸の前で「かかさん、かかさん、ここ開けて」といふそのセリフに、背筋がゾッとした。
うわ、こいつ、ほんとに黄泉の国から戻つてきたよ。
さう思つた。
あの場の玉手御前は、幽霊なのだ。
戸が開いて、中に入つたそのときにはじめて玉手御前はその肉体を得る。
さういふことなのだらう。
こちらも、「摂州合邦辻」を見るのはこのときがはじめてで、それでよけいに玉手御前に幽的めいたものを感じたのかもしれない。
その後「摂州合邦辻」は何度か見てゐるが、絶えて「怖い」と思ふたことはない。
その次に怖かつたのは、やつぱり中村歌右衛門で「伊勢音頭戀寝刃」の万野。
その次が中村芝翫の玉蟲で「平家蟹」。これも歌右衛門で見てゐたらもつと怖かつたかもしれない。
世に「一番おそろしいのは人間」などといふことばがある。
この三つは、「さうですよ、この世で一番おそろしいのは人間なのです」と云ふてゐる。
そんな気がする。
しかも、玉手御前も万野も玉蟲も、その考へてゐることがまつたくわからないといふわけではないところが、また念入りにおそろしいのだ。
とくに玉蟲は、自分もああなりかねないところがあるので、よけいにおそろしい。
でもやつぱり怪談も苦手なのだよなあ。むー。
時蔵の豊志賀は間近で見ておくべきだつたらうか。
いや、やはりやめておいて正解だ。
怖いのダメなんだよ。
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