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Wednesday, 16 July 2014

フィギュアとドール

この春から「人形活劇 新・三銃士(以下、「人形劇三銃士」)を再放送してゐる。
我が家の録画機は勝手に「人形劇三銃士」を録画してゐる。
おそらく本放送のときに予約録画してゐたことを記憶してゐるのであらう。
本放送のときに一とほり見たし、DVDにも焼いた。その後見てはゐないけれど、それは後半、とくに最終回付近の展開が「三銃士」としてはあり得ないものだつたからだつた。
まあ、ほんとにひどかつたね、「人形劇三銃士」の後半の内容は。

そんなわけでもう見ることもないだらうと思ふてゐたのだが、録画機の録画するにまかせて見直して見ると、これが案外いいではないか。

「人形劇三銃士」の人形たちはかなり異形である。
ロシュフォールなんか、シルエットだけ見たらほとんどエヴァンゲリオンだ。
リシュリューはあからさまに蜘蛛のイメージ。

そして、どの人形も躰に比してその手が異様にでかい。

それはさうなのだけれども、見てゐるうちにそんなことは気にならなくなつてくるんだよなあ。
セットのすばらしいことはもちろん、人形たちがほんたうに喋つてみづからの意思で動いてゐるやうに見えてくる。

人形に罪はない。
たとへどんなに脚本がまづかつたとしても。

さういふことなのだと思ふ。

「人形劇三銃士」の人形たちは、木製であるやうだ。
顔にはつきりと木目が浮いてゐるから、たぶんさうなのだらう。
首は髪の毛にいたるまで木でできてゐる。
おなじ人形デザインの人による「人形劇シャーロックホームズ」は、陶器でできてゐるやうに見受けられる。とくに登場人物の髪の毛のつやつやとしたやうすは、陶器のやうな感じがする。

どちらもフィギュア的だ。
フィギュアは、髪の毛をとかしたり髪型をかへたりすることができない。
「人形劇三銃士」や「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちとおなじである。

一方、「人形劇 三国志」の人形たちはといふと、髪の毛には糸が用ゐられてゐる。結ひなほさうと思へば結ひなほせるし、ちよつと具合が悪いとなつたらシケ(ほつれ毛)を作ることも可能だ。

こちらはドール的とでもいはうか。
リカちやん人形を思つてもらへればわかると思ふが、ドールといふものは、髪の毛をとかすことができる。うまくすれば髪の毛を結んだりすることもできる。
「人形劇 三国志」の人形たちもさうなつてゐる。

「人形劇 三国志」の人形たちも、「人形劇三銃士」と「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちも、どちらも胴串を使用した人形である。
着せ替へる際は、首だけ抜いて別の衣装を着付けた胴体にさすやうになつてゐる。

それだけ考へるとどちらもフィギュア的だ。

しかし、髪の毛のことを考へると、一方はドール的で他方はフィギュア的である。

もうひとつ、「人形劇 三国志」の人形たちがドール的で、「人形劇三銃士」と「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちがフィギュア的である特徴がある。
それは手だ。

「人形劇 三国志」の人形たちの手には、中にワイヤが入つてゐる。その上にシリコンをかぶせてあつて、剣や槍、楽器や扇などを持つときは、指を曲げて、つかめるやうになつてゐる。
そんなところはとてもドール的だなあと思ふ。
リカちやん人形の手ではもちろんそんなことはできないけれど、しかし、リカちやんやジェニーには手足の関節が曲がるやうになつてゐるものがある。かなり制限はあるけれど、そのままでポージングできるやうになつてゐる。

一方「人形劇三銃士」や「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちの手は木や陶器(おそらく)でできてゐる。ゆゑに、曲げたりして形を変へることはできない。
なにかを握らせやうとしたら、さういふ形になつてゐる手につけかへる必要がある。たぶんさうしてゐるんぢやないかな。
そこらへんがフィギュア的なんだよなあ。

「人形劇 三国志」の人形たちは、もともと川本喜八郎が人形アニメーションをやつてゐたからああいふ手の構造をしてゐるのだらう。
飯田市川本喜八郎人形美術館に行つて人形アニメーションの人形を見ると、そのちいさい手の指の先まで人間の関節とおなじやうに曲げることができるやうになつてゐる。
それをそのまま人形劇の人形にも生かしたのだと思はれる。

やつがれはドールの方が好きだ。
フィギュアはほとんど持つてゐない。
理由は、ドールの方が表情豊かなやうに感じるからだ。
髪の毛をいぢることができるといふのもその理由のひとつである。
フィギュアといふのは、フィギュアを作る人が作つたまま飾るしかない。
ドールは、着せ替へたり髪型を変へたりポーズを取らせたりして、如何様にも動かすことができる。
意のままになる、といふよりは、より生きてゐるものに近い感じがする。

それぢやあ「人形劇三銃士」や「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちが好きではないかといふと、そんなことはないんだよなあ。
「人形劇三銃士」の人形たちは飯田市川本喜八郎人形美術館にあるといふけれど、再放送もしてゐることだし、なんとか見られないものかと思ふし、「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちとは本放送のはじまる十月になればNHKセンターの入り口あたりで会ふこともあるのではあるまいか。
そんな風に思つてゐる。

なぜさう思ふのかといふと、「人形劇三銃士」の人形たちも「人形劇シャーロックホームズ」の人形たちも生きてゐるからだらう。

やつがれがフィギュアよりドールが好きなのは、ドールの方がより生きてゐる感じがするからだ。
そして、どうやらいままでのやつがれは、フィギュアの生きてゐるさまをよく観察してこなかつたせゐでさう思ひ込んでゐるのらしい。

まあ、よくよく考へてみると、人形劇の人形といふのは動くんだよね。
だから生きてゐるやうに感じられるのかも、といふことはある。
すると、可動式のフィギュアなら、やつがれの趣味にあふのではあるまいか。

いや、だからといつて可動式フィギュアを買つたりはしませんよ。
買ひませんとも。

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