そんなことしてゐるんだつたら早く寝ろ
この忙しいのに、NHKラジオ語学講座の録音は、日々消化してゐる。
忙しいからただひたすら消化してゐるだけなのだが、我ながらなにやつてんだよ、と思ふ。
以前は、忙しくなつてくると聞かなくなつてしまつてゐた。
何年か前に、仕事があまりなくなつて、それでいつもおなじやうな時間に帰つてこられるやうになつて、それで何年かぶりに一年間とほして聞くことができた。
それ以来、なんとか毎日、たまに土日にかかることもあるけれど、といつた感じで聞きつづけてゐる。
聞きつづけてなにかいいことがあるか、といふと、これがない。
語学が身に付いてゐるといふ実感はまるでない。
NHKラジオ語学講座に申し訳ない思ひでいつぱいである。
きつと、聞き続けることで身に付けてゐる人もたくさんゐるのだらう。
まあ、なんとなく、通年、英語以外の語学の場合は半年、聞き続けることができなくて挫折してゐる人の方が多いんぢやあるまいか、といふ気もしないではないが。
なぜ聞きつづけてゐるのか。
ひとつには、「聞かずにゐられるか」といふ思ひがある。
仕事が忙しいからといつて、聞くのをやめるのは、負けることだ。
さういふ思ひがある。
負けたつていいぢやないのさ、とも思はないでもないし、実際さうやつて聞かない日もある。
でも土日でcatch upしてるんだよなあ。
ふしぎ。
もうひとつの理由としては、「何かしらためになることをしたい」と思ふ気持ちがどこかにあるからだらうな。
これだけさんざん「役にたたないことが好き」「無用の用」とかいふてゐるのに、心のどこかではやつぱり「無駄なことはしたくない」と思つてゐるのだ。
多分。
心のどこかではさう思つてゐて、しかし、やはり役に立たないことが好きなのは変はらない。
だから身に付かないし、身に付いたとしてもやつがれ風情では役に立てることができない。
なぜならやつがれは成毛眞のいふところの「日本人の9割」だからだ。
或は水村美苗のいふところの「エリートではないその他もろもろの人」といつてもいい。
成毛眞も水村美苗も、日本人のうち英語ができるやうになるのはほんの一握り(成毛眞説では1割)のエリートでいい、といふ。
多分、さうなのだらうと思ふ。
なぜなら、日本にゐるかぎり、英語が必要な状況に陥ることはまづないからだ。
仕事でも必要ないしね。エリートぢやないから。といふか、仕事ができないから。
だいたいやつがれの勤める会社はグローバル企業を標榜してゐるはずなのに、海外から客を招いて講演会などを開くときは必ず通訳がつく。
それつてさ、社員は英語ができないつてことでせう? もつといふと、社員は英語ができなくてもいい、と思つてゐるといふことだ。
さう思はれてゐると思ふと、なんとなく「ぢやあできるやうになつてやる」と思つてしまつたりするわけだが。
でもまあ、できるやうになつても役に立たないのは、上に書いたとほりである。
実を云ふと、やはり心の中のどこかでは、ゲーテの
Wer fremde Sprache nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen.といふことばがひつかかつてゐる、といふのはあると思ふ。
これつて、案外真理なんぢやないかな。
よその国は知らず、本邦では昔から漢籍に親しんでゐる人の方がきちんとした文章を書けたんぢやあるまいか。
欧米ならラテン語か。
つまり、母国語をなんとかしたいと思ふから外国語を学んでゐる、と。
………………いや、自分で書いてゐてそれはウソだな、と思ふなあ。
ここのところ国語の文法のことを考へてゐて、結局説明するには英語の文法を持つてこないとどうにもならないことがあつたりしてはゐる。
それで学んでゐる、といへなくもないか?
まあ、いづれにしても、相当無駄なことをしてゐることにはかはりはあるまい。
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