飯田市川本喜八郎人形美術館 -魏・呉・蜀-のうち呉
6月6日、7日と、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は「三国志-魏・呉・蜀」のうち、呉について書く。
その前に、呉のケースとはちよつとはなれたところに小さいケースがある、その話をしておかう。
このケースには紳々竜々がゐる。
あぐらをかいて座り込み頭を抱へる竜々を、なんとなくながめてゐる紳々、といつたやうすだ。
以前、落ち込んだやうすでうつむく紳々を見る竜々は、なぐさめてゐるやうに見えたがなあ。
そこがキャラクタのちがひだらうか。
それとも、ちやんと見たら今回の紳々もなぐさめてゐるやうにに見えたりするのかな。
それは今後の課題といふことにするか。
呉のケースは、蜀と魏のケースの隣にある。
呉のケースの印象は、
What ever happened to 諸葛瑾?
のひとことに尽きる。
だが、まあ、左端から順番にいかう。
左端の手前には、喬国老と呉国太が立つてゐる。
かうしてみると、このふたり、まるで夫婦のやうだよなあ。
躰は右側を向いてゐる。視線の先には二喬がゐる。
まるでこどもか孫を見るかのやうだ。
以前から思つてゐることだが、飯田で見る喬国老は、人形劇で見るときよりも厳しいやうすに見える。
呉国太はその逆だ。
飯田の呉国太は、いつでも上品な肝つ玉母さんのやうな面もちで立つてゐる。
表情がとてもやはらかい。人形劇のときはもつときついをばさんつて感じだつたのにな。
二喬を見守る姿も、ゆゑになんともやさしくていいのだ。
この二人の背後に立つてゐるのは魯粛である。
魯粛も二喬を見てゐる、のだらうか。
それとも周瑜になにごとかささやいてゐるといふ感じかな。
今回はそんなにおろおろとしたやうすには見えない。
飯田の魯粛の沓は派手ではない。地味な感じだ。いまヒカリエにゐる魯粛の沓は飾りがついてゐたりして派手なのにな。沓はひそかに派手つて、結構いいと思ふんだけどな、魯粛。
その隣、やや前に周瑜がゐる。
魯粛のかぶつてゐるものと似た形の冠(なのだらうか)をかぶり、裾にラーメンのどんぶり模様の入つた衣装を身につけてゐる。赤壁前、柴桑城から帰つてきたときの出で立ちだな。
周瑜は赤壁のあとの、もつと細い冠(なのだらうか)をかぶつた姿が好きなんだがなあ。あれは見られないのか知らん。
周瑜は、義姉も妻も見てはゐない。「おのれ曹操(あるいは「おのれ孔明」だらうか)」とでも云はんばかりに虚空を睨みつけてゐる。
うーん、周瑜は飯田の方がいい男、かな。
すくなくとも、飯田の方がきつい印象の顔立ちだとは思ふ。ヒカリエの周瑜はなんとなくやさしい顔立ちをしてゐる。すくなくとも人形劇の印象に比べると、ね。
このケースの中央手前には、二喬がゐる。
妹の小喬と姉の大喬がこちらを見てゐる。
小喬を見て愕然としたね。
いやー、ありていにいつて、これは、俗に云ふ「おへちや」といふアレなのではあるまいか。
なんといふか、この人欲しさに戦を起こすなんて、ちよつと考へられない。
そんな感じなのである。
なんだらう。たれ目なのがいけないのかなあ。
どうも、飯田で見る美人の人形にはつり目の持ち主が多い。単にやつがれの好みがさう、といふだけかもしれないけれど、でもなあ、ヒカリエの小喬はどちらかといふとため目だけど、とつても可愛く見えるがなあ。
二喬は、人形劇には直接は出てきてゐない。説明のために、紳助竜介の背後のモニタにあらはれたくらゐだ。
それにしても、うーん……何をかいはんや。
一方の大喬は、こちらはどちらかといふとつり目で、きつぱりとした顔立ちの美人である。
まあ、美人である。
すくなくとも小喬よりは「美人」と呼ぶにふさはしい。
夫亡き後、悠々自適の生活でも送つてゐたのかなあ。
そんな風にも思へる。
姉はきつぱり美人で妹はおつとり美人(といふほどでもないけれど)、といつたところかな。
この二人、どちらもつれあひに早くに死なれてしまつて、その後どうしてゐたのやら、と思ふのだが。
かうして見ると、それなりに楽しく過ごしてゐたのではあるまいか、といふ気がしてくる。
あ、小喬のつれあひは、このころはまだ生きてゐるのか。すまんすまん。
その後ろに孫権がゐる。
以前も書いたけれど、孫権はいつもおなじやうな格好なんだよなあ。たまにはもつと動きのある格好をしてもいいのに、と思ふ。
前垂れが龍、といふ話は玄徳と曹操とのときにも書いた。
孫権の前垂れは色が派手といふのが特徴である。
サテン地でものすごい緑なのだ。
「ものすごい緑」といふのは、絵の具にありさうな緑といふことだ。ヴィリジアンとでもいはうか。
これも以前も書いたやうに、だいたいここにゐる人形の衣装は帯地から作られてゐるといふが、いつたい誰がこんな派手な色の帯をしめてゐたのか、どんな着物にあはせてゐたのか。
さういふところが異様に気になる。
このケースの一番右端には、問題の諸葛瑾がゐる。
もー、ほんとにどーしちやつたのよ。
さう訊きたくなるくらゐ、意気消沈としたやうすで、おそらくは二喬の方をぼんやりと眺めてゐる。
なんかね、かう、力がないやうすなんだよね。
なにをそんなに悩むことがある?
話があるなら聞くから。とりあへず一杯やらうよ。
さう声をかけたくなるほどである。
去年のいまごろも飯田に行つて、「一番話しかけたさうにしてゐるのは諸葛瑾」と思ふた。
このときは、ちよつと顎があがつてゐて、なにか云ひたげなやうすに見えたんだよね。
さぞかし云ひたいこともあらう。つもる話もあるだらう。
そのときはそんな風に思つたのだが。
うーん、ほんとにどうしちやつたのだらうか、飯田の諸葛瑾は。
BBCのウェブサイトに、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に関する記事が出てゐた。
なぜこの絵は人気があるのか。
記事では、「謎があつて、いくら見てもその謎を解き明かせないからである」と書かれてゐた。
絵の中の少女は、わづかに口を開けてゐる。これは、当時のオランダ絵画ではめづらしいことなのださうな。
こちらをふりむいて、わづかに口を開けてゐる、なにか云ひかけてゐるところなのか、それとも云ひ終はつて口を閉ざす直前なのか。
少女が何を云つたのか、あるいは何を云ひたかつたのか、それは誰にもわからない。今後判明することもないだらう。
ゆゑに、この絵は人々を惹きつけてやまないのだ、といふのである。
飯田の諸葛瑾もそれだな。
いや、諸葛瑾の場合は云ひたいことはだいたい想像がつくやうな気もする。
想像がつくやうな気もして、しかし、やはりなんだかわからない。
ゆゑに、どうしてもそこに視線が行つてしまふのである。
ああ、しかし、なにゆゑあんなに意気消沈としたやうすでゐるのか。
気になるよ、諸葛瑾。
人形アニメーションの人形と、この日見た映像作品についてはまた機会をあらためて。
麻鳥と蓬子 無常についてはこちら。
義経の周辺についてはこちら。
平家一門の前篇はこちら。
平家一門の後篇はこちら。
木曽と鎌倉はこちら。
三国志-魏・呉・蜀-のうち蜀はこちら。
三国志-魏・呉・蜀-のうち魏はこちら。
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