今年の手帳を振り返る ほぼ日手帳篇
七月になつて早二日。
今年も残り半分をきつてしまつた。
今年は、はじめてSCHOTT'S MISCELLANY DIARYをスケジュール帳として使つてゐる。
ほかに日記帳として集文館の掌中版三年手帳も去年から引き続き使つてゐる。
今年は、ほぼ日手帳を使ひつづけられなかつたな。
と、過去形で書いてしまふと、なんなのだが、しかし、まあ、そのとほりである。
去年の暮れには、ここ三年ほどすゑ置き手帳と化してゐたほぼ日手帳を持ち歩くつもりでゐた。
手帳カヴァも新調したしね。カンダミサコの文庫サイズ用手帳カヴァ。これがいいんだよねえ。萬年筆を指す円筒型のペン差しもついてゐるしさ。
それでなぜ使はなくなつたのか、といふと、ほぼ日手帳の新たな使ひ方を見つけられずにゐるからだ。
去年、三年手帳を使ふやうになつて、書き記す内容がほぼ日手帳とほぼおなじなのが気になつてゐた。
ほぼ日手帳の方がたくさん書けるので、より詳しく書き記すことができる。でも、三年手帳の内容で十分な気もする。
かつては、逆の流れをたどつたんだけどね。
もともと集文館の三年手帳を使つてゐたところへほぼ日手帳を使ふやうになつた。書く内容はほとんど一緒で、でもほぼ日手帳の方がいろいろ書ける。
といふので、三年手帳は使はなくなつた。
今回、なぜそれとは逆の流れをたどることになつたのか。
ほぼ日手帳では書ききれないことが増えたからだ。
三年手帳からほぼ日手帳に移行したときは、ほぼ日手帳の一日のページで十分だつた。
それが足りなくなつて、別にノートを使ふやうなつた。
さうすると、ほぼ日手帳になんでもかんでも書かなくてもいいのである。
一昨年、昔使つてゐた三年手帳が出てきて、読み返してみたらなんだかおもしろかつたので、また使ふことにした。
去年一年は三年手帳とほぼ日手帳とどちらも使つてゐて、このままだつたらほぼ日手帳はなにか別の用途に使ふべきだな、と思ふやうになつた。
それで今年も使ひはじめてみて……うーん、いまだにこれといつた使ひ道を思ひつかずにゐる、といふわけだ。
このまま、日付は無視して普通にノートとして使ふかな、とは思つてゐるけれどもね。
ただそれにはほぼ日手帳はやはりちよつとかさばるんだよね。
すゑ置きにして、読書ノートにでもしやうか知らん。
そんな風に思つてゐる。
SCHOTT'S MISCELLANY DIARYについては、まさか半年も使ひつづけられるとは思ふてゐなかつたのだが。
それはまた別の話。
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