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Thursday, 26 June 2014

片岡愛之助式読書

歌舞伎役者の片岡愛之助は、食事はほぼ外食で、バランスを取るために「パスタが食べたい」と思つたときには和食、「寿司が食べたい」と思つたときには洋食、といつたやうに自分の食べたいものとは別のもの、いはば「食べたいものと反対のもの」を食べるのださうである。
なるほど。
それがストレスにならない人は、それがいいのかもしれない。

昨日、出先で読む本を選ぶときに、この方法を採つてみた。
「荘子」を読みたいと思つたので、「論語」を手にしてみたのである。

……それつて、「読みたいものと反対のもの」になつてゐるのか。
チト自信はない。
自信はないけれども、そんなに間違つてはゐないと思ふ。

そんなわけで、昨日から貝塚茂樹版の「論語」をちびちびと眺めてゐる。

この読書方法になにかいい点はあるのか。
わからないねえ。
まだはじめたばかりだし。

悪い点はいくらでも思ひつくがね。
たとへば、「読みたくもない本を読むほど、人生は長くない」といふこととかね。
いつごろからだらうか、今後生きてゐるあひだに読める本について思ひを馳せるやうになつたのは。

「この本は、残された我が人生をかけてまで読むべき本か」

本を読むときに、ときどきさう考へてしまふ。
人生は短い。
「少年老い易く学成り難し」つて、朱子も云つてゐるつていふ話ぢやん。
意味の取り方がちがふかもしれないけどさ。
そして、「論語」を読むやうになつて、どうもやつがれが好かんなあと思ふてきたのは、孔子の教へではなくて、朱子学とかなんとか、さういふ後から出てきたものらしいといふことがわかつてきたんだけどさ。

いづれにしても、人生は短い。
だつたら読みたい本を読みたいときに読めよ。
心底さう思ふ。

おそらく、片岡愛之助式読書(と、ここでは名付けることにしやう)が効力を発揮するのは、人生の中で春秋に富んだ時期に限るのぢやああるまいか。
すなはち、吸収力も時間もあるころ。
世の中のあらゆることに目を向けるべき時期。

そんなものは、とつくに過ぎ去つてしまつたがね。

孔子も「論語」で云ふてゐるやうに、あるものごとを見るときに、いろんな側面から見てみるのはいいことだ。
自分の意見とは対立する意見のことも読む。
自分は思ひもよらなかつた意見のことも読む。
その理想を現実のものとするには、片岡愛之助式読書はよい読書法なのではあるまいか。

少なくともやつがれの場合は、「世の中の役に立ちたくない」だとか「役に立つものなんてくだらない」と考へがちなので、たまには「論語」とか読んでみるのはいいことなのだと思ふ。
といふか、さういふことにしたい。

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