余白大好き
どうも余白が好きなのらしい。
先日、TVで「シェルブールの雨傘」を見た。
たまたまチャンネルをかへたら放映してゐた。
見てゐて、「この家では暮らしていけないし、この店では働けないなー」としみじみ思つた。
壁紙がすごいのである。
TVで見るからかもしれないけれど、配色、模様ともにものすごいことになつてゐる。
よく登場人物たちはをかしくならずにゐられるものだ。
さう思ひながら、最後まで見てしまつた。
かつて何度か見てるんだけどなー。
それを見て思ひだしたのが、「SHERLOCK」である。
あの下宿の壁紙、あれもダメだ。
なんといふか、余白がないのである。
びつちりと模様が配されてゐて、目の休まる暇がない。
住人は、おそらく壁紙など見てはゐないのだらう。
住んでしまふと、さういふことは気にならなくなる。
そんな気もする。
しかし、たまに見るこちらとしては「あの壁紙はないわー」と思ふのだつた。
で、さらに思ふのが、いまの歌舞伎座の緞帳だ。
どうも今回は「これ」といふ緞帳がない。
建て直す前の歌舞伎座にあつた緞帳の方がよかつたのに。
ついさう思つてしまふ。
なぜさう思ふのか。
おなじ画題の絵でも、以前と今とでは全然ちがふからだらう。
たとへば「朝日に富士」だ。
以前の「朝日に富士」の緞帳は「朝陽の富士」といふ題名の絵だつたと記憶する。
上手側に富士山があつて、下手側に太陽が登りつつある、そんな絵だつた。
今の「朝日に富士」の緞帳は、まんまん中に、どかんと富士がある。
なんか違ふんだよなー。
中学三年生のときに、学校で華道をちよつとだけ習つたことがある。
一週間に一度45分ていどを一年間、とはいつても夏休みがあつたりなんだりするので正味十ヶ月ほどか、そんな時間ではたいしたことを学べたとも思へない。
覚えたことといへば、花は三角形に配置する、といふことだけだ。
それも、正三角形ではなく、頂点はちよつとずらすのがいい、と、そのとき思つた。
ど真ん中に主たるものが大きくある、といふ絵が、おそらくそんなに好きではないのだ。
先日風神雷神図屏風についてちよつと書いたけれども、あの屏風が好きのは、真ん中があいてゐるからだ。
右と左とに風神と雷神とが描かれてゐて、真ん中はあいてゐる、その真ん中になにかあるやうな気がするぢやあないか。
そんなわけで、伝宗達の屏風が一番好きだな、と思つたわけだ。
華道で習つたこともおそらくは似たやうなことで、三つの主たる花材を三角形それぞれの頂点に散らして配置せよ、といふことなのだと思つてゐる。
以前の「朝日に富士」の緞帳の絵には富士と朝日とを左右に散らしてバランスをとつてゐるやうな絵だつた。
それが好きだつたんだらうな。
余白とは関係ないけれど、色使ひも前の緞帳の方が好きだつた。
今の「朝日に富士」の緞帳は、色が多すぎるやうに見える。
以前の緞帳は、富士山にわづかに白があり、朝日が朱色で、あとは全体的に一色の色がグラデーションになつてゐる、といつた趣だつた。
今の緞帳は、もつとカラフルである。
どちらがいいかは好き好きだ。
単にやつがれは前の方が好きだつた、といふに過ぎない。
もうひとつ、「水際の生き物」といふやうな画題の緞帳も前の方が好きだつた。
以前の緞帳は「海潮音」といふ題名だつたと思ふ。
波打ち際があつて、上下に千鳥だらうか、鳥がそれぞれ一列づつ飛んでゐるさまを描いた緞帳だつた。
今回の緞帳は、川辺にいろんな生き物がゐる、といつた感じで、にぎやかである。
にぎやかで、つまり、前回に比べて余白が少ない。
もしかすると、それはそれでなにかしらバランスのとれた絵なのかもしれない。
まだよく見たことがないからわからないだけで。
さう思はないでもないのだが、なんとなく「前の方がよかつたのになー」などと、幕間の緞帳紹介ときに思つてしまふのである。
今回の緞帳で好きだなと思ふのは、夕顔の緞帳、かなあ。
あまり歌舞伎座の緞帳を云々する話を聞かない。
といふことは、かうして「ああでもないかうでもない」といふ自分がどうかしてゐるのかもしれないなあ。
まあ、でも、余白は大事。
やつがれにとつては。
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