飯田市川本喜八郎人形美術館 平家一門 後篇
6月6日、7日と、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は展示室内で一番大きなケース「平家一門」の続きを書く。
鎧姿の人々についてである。
ケースの中央手前には、平敦盛がゐる。
鎧姿で、床几のやうなものに腰掛けて、笛を吹いてゐる。
笛は青葉ではなくて小枝の笛。ちやんと蒔絵のやうな模様が入つてゐるところにぐつとくる。
この敦盛を、巨大なケースにゐるほぼ全員の人形が見てゐる。
そりやあ経盛も心配顔になるはずだよなあ。
敦盛は、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの現在の展示にもゐて、やはり笛を吹いてゐる。こちらは青葉の笛、といふことになつてゐたと思ふ。烏帽子を被り、お貴族さまのやうな出で立ちである。
やはりといふかなんといふか、鎧姿の方が凛々しくてよいね。
基本的には、人形劇に出てゐた人形の方がいい、と思ふことが多い。
後白河法皇がさうだし、徳子もさうだなあ。
でも、「基本的に」といふのはやつがれの思ひ込みなのかもしれないと思ふこともある。
重盛は、いまの展示のやうすからいふと、飯田の方がずつといい。
このあと出てくる人形劇三国志の小喬も、渋谷の方が断然可愛い。
頼朝は甲乙つけがたい。
衣装やポージングの違ひで生じることなのかもしれないが、必ずしも人形劇に出てゐた方がいい、とは云ひきれないなあ、と、思ふ所以である。
敦盛も、人形劇に出てゐたらう渋谷の敦盛よりは、新たに作られた飯田の敦盛の方がいい。
満座の注目を集めるに足る。
そんなよさがある。
敦盛本人は、そんなに意識してゐないのかもしれないが。
すくなくとも、この後の熊谷次郎とのことなどは、知る由もなからうが。
敦盛の横、といふか、二位の尼のやや斜め前に知盛が立つてゐる。
渋谷の知盛と色合ひは一緒だ。白を基調にした鎧姿である。
カシラは、渋谷の知盛より奇異な印象を受ける。
おそらく眉毛の上がり具合がさう思はせるのだらう。
あるいは単に首の傾げ具合でさう見えるだけなのかもしれない。
よくよく見ると、渋谷の知盛とそれほどの差異はないやうだからだ。
なんとなく奇異な表情でゐながら、知盛からは滋味がにぢみだしてゐるやうに見える。
惻隠の情、といふのかなあ。
昔、山藤章二が週刊誌かなにかで似顔絵塾を開いてゐた。
投稿された似顔絵の中に、とあるプロレスの選手を描いたものがあつた。
山藤章二はこれを表して「チャンピオンには負けた相手に対する惻隠の情が不可欠である。この絵はこの選手がこの情に欠けることをよくあらはしてゐる」と云つてゐた。
さう云はれてみると、これまで見てきた横綱でやつがれが「イヤな横綱だなー」と思ふのはみなこの「惻隠の情」に欠ける人ばかりだ。
飯田の知盛には、これがある。
まあ、最後に負けるのは知盛側なんだけれども。
でも、なんていふんだらう、相手に対する思ひやりつてぇのかな、さういふものがあるんだよね、知盛には。
その知盛の後方には、やつがれの中では平氏三大こまつたちやんの一人・惟盛が立つてゐる。
「平氏三大こまつたちやんの一人」などと書いたが、この鎧姿の惟盛がこれまたやうすがいいんだよねえ。
いま渋谷にゐる惟盛は青い衣装で笙だかなんだかを吹いてゐる。その姿はさはやかなのかもしれないが、いまひとつ魅力に欠ける。
飯田の惟盛は、白を基調としてやはり青い印象の強い鎧をつけてゐる。
これが実に凛々しい若武者ぶりなんだよなあ。
富士川の合戦とか知らなかつたら、なんてすてきな武士だらう、と思ふにちがひない。
人形劇の「平家物語」は、清盛とそれに連なる平氏は悪、源氏といふか義経は善、といふ風に描かれてゐるといふけれど、それに対する川本喜八郎なりの返答なのかもしれないなあ、とも思ふ。
新たに重衡とか惟盛とかをやうすよく作つてゐるのは、ね。
惟盛の隣が忠度。
緑と紫とを組み合はせた色合ひの鎧が、なんとなく鄙の侍めいた印象を醸し出してゐる。
忠度は、渋谷の方が凛々しいなあ。
渋谷の忠度は小鼓を打つてゐて、正面を見据ゑてゐる。さぞかし小鼓も善く打つのだらうと思はせるものがある。
飯田の忠度は、敦盛を見てはゐるものの、なんとなくちよつとみんなの輪からはづれた感じがする。
一番端にゐるからかもしれないし、照明のあたり具合のせゐかもしれない。
忠度の前、知盛の隣、ケースの一番右端手前にゐるのが教経である。
教経は、もう最期の姿なのだらうか。
髪の毛は捌けてゐて、兜も烏帽子もつけてはゐない。
この髪の毛が細かく波打つてゐるのが、おもしろい。
歌舞伎では、性格の強い人物の髪の毛はうねつてゐる、と相場が決まつてゐる。
いま歌舞伎座でかかつてゐる「実盛物語」には瀬尾といふ悪役が出てゐて、この瀬尾の髪の毛はぐるぐると波打つてゐる。
教経の髪の毛も、さういふ意なのかな。
教経は、現在のヒカリエのケースでも一番右手の手前にゐる。こちらはきちんと烏帽子をかぶつてゐて、表情は険しい。
ヒカリエの平家一門は、若人の演奏をみんなで聞いてゐる、といふ趣になつてゐる。
「そんなことしてゐる場合か!」と、教経は思ふてゐるのかもしれない。
鎧の色合ひは、飯田も渋谷も黒。
飯田の教経の方が目は小さいかな。しかし、きりりと目尻があがつてゐて、きつい性格をあらはしてゐるのはどちらも同じだ。
さて、このケースとその次のケースとのあひだに、ふたつの小さなケースがある。
どちらも一人用で、そのケース二つ分くらゐの間隔をあけて並んでゐる。
片方のケースには朱鼻伴卜、もう片方のケースには金売り吉次が座つてゐる。
座つてゐて、どちらも相手のやうすをうかがつてゐる。
これが今回、とてもいいんだよねえ。
一応、ここからは「木曽と鎌倉」といふ展示内容なのらしい。
伴卜は、桃色がかつたベージュの地に、かたばみか何か四つ葉を散らした柄の衣装を着てゐる。男物の羽裏なのださうである。ところどころ、つやつやとした糸で刺繍が入つてゐる。
袴がターコイズブルーのサテン地といふのは渋谷でみたのとおなじだ。
躰は平家一門の方を向いてゐて、しかし、顔は吉次の方を見てゐる。
見てゐるといふよりは、まさにやうすをうかがつてゐる、とでもいふかのやうな表情をしてゐる。
一方の吉次は、大柄の茶色系の衣装で落ち着いた感じがする。
吉次の表情は、伴卜よりもおとなしい。おとなしいが、元々のカシラのやうすから、厳しい印象も受ける。
伴卜は清盛に取り入り、吉次は秀衡のもとにて商ひで儲けやうとした商人だ。
この、平家対奥州藤原氏といふ対立がおもしろい。
争つてゐたのは、武士ばかりではないし、平家と源氏とばかりでもない、といふわけだ。
伴卜の背後から吉次を見ると、伴卜の手前のガラスに吉次を見やる伴卜の姿が映る。
これがまたいい。
伴卜の背と、こちらを見る吉次と、そしてそんな吉次を見る伴卜とを一度に見ることができるのだ。
もちろん、吉次の背後から見たらその逆を見ることができる。
このケース間の緊張感がたまらないぞ。
といふわけで、以下まだつづく。
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