飯田市川本喜八郎人形美術館 三国志‐魏・呉・蜀‐のうち魏
6月6日、7日と、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は「三国志ー魏・呉・蜀ー」のうち、魏について書く。
今回の魏のテーマは、「許褚を叱る曹操」なのださうである。
ええー、なにをしたの許褚。
まづは向かつて左から見て行かう。
一番左側の手前に夏侯淵が立つてゐる。許褚の方を見てゐるとおぼしい。
そのやうすが、なんとも云ひがたい。
なんとなく、「そら見たことか」と云つてゐるやうにも見えるし、「あーあ、云はんこつちやない」と云ふてゐるやうにも見える。
どつちもあんまり変はらないか。
夏侯淵のくせに生意気だぞー、と、人形劇を見てゐた身としては思ふ。
夏侯淵は、人形劇のかなり初期から出てゐて、それゆゑにか、性格のなかなか定まらなかつた人物である。
一等最初はそれなりにやうすよく登場したものの、そのうちなんだかちよつと三枚目な演技をしてみたり、あ、さうさう、曹操の父親の護衛とかもしてるんだよね。夏侯淵がついてゐながら、曹嵩はまんまと殺されてしまふのである。
それがそのうちそれなりにやうすよくなるわけなんだが。
そんな輩にとやかく云はれたくないよなあ、許褚だつて。
その夏侯淵のすこし後ろにゐるのが荀彧である。
人形劇の荀彧なので、老人態である。
なぜここに荀彧。
ふしぎだが、おそらくは全体のバランスのため、だらう。
曹操を忠臣に文官と武官とをふたりづつ、といふバランスのためにつれてこられたのにちがひない。
曹操の謀臣はほかにもゐるが、多分、それもバランス的に荀彧が一番ふさはしいと思はれたのだらう。
仲達ぢやあこの場にそぐふまい。脇でさらなる陰謀をたくらんでゐるやうに見えてしまふ。
荀攸だと郭嘉と似通つてゐるからね、見た目的に。
荀彧は、曹操をなだめやうとしてゐるやうにも見えず、ただそこに控へてゐる、といふやうに見える。
人形劇の荀彧はほとんど出番がないからなあ。曹操の悪行三昧を表現するためにだけ登場したやうなものだし。
さういふ影の薄さはあるともいへる。
この場の中心にゐるのはもちろん曹操である。
前回も書いたけれど、曹操・玄徳・孫権の共通点として、前垂れ部分の絵が龍、といふのがある。
曹操の龍が一番いいねえ。
例によつて曹操は真つ赤な出で立ちで、前垂れだけが水墨画のやうな趣になつてゐる。白と灰色と黒となのだが、金糸や銀糸をあしらつてあつて、豪華だ。
玄徳と孫権と、どちらも龍は前を向いてゐるのだが、曹操のだけは横顔になつてゐる。しかも玉を持つ手が描かれてゐて、五本指だ。
雄か。
衣装の華やかさも目を引くが、その表情も実にいい。
向かつて右前方、許褚の方をぐつとにらんでゐる。
この表情が見る角度によつて全然ちがふんだよねえ。これが実におもしろい。
正面から見たら単に睨んでゐるだけのやうに見える。
これが許褚のあたりから見ると、まことにおそろしい形相に見える。ケースの横から見ても同様。
うわー、怒らせちやつたよ。
そんな感じだ。
いつたい許褚はなにをそんなに怒らせるやうなことをしてしまつたのか。
とにかく、この曹操はいろんな角度から見ることをおすすめする。
曹操がそんな形相だから、許褚はすつかりしよぼんとしてしまつてゐる。
愛嬌のある顔をうつむけて、意気消沈といつたやうすだ。
前回前々回その前と、許褚はいま義仲や頼朝のゐるケースの一番左端にゐた。この許褚をして「口さへあけてゐれば阿の仁王様である」と書いたことがある。
そんな勇ましいやうすをしてゐた許褚が一転、どうしたしょぼくれやうだらう。
いつたいなにをしでかしたんだか。
だいたい許褚がそんなにやらかすことがあるのか。
とても気になつてしまふ。
上にもかいたとほり、許褚のあたりから見た曹操の顔は鬼の形相だからね。
そら顔をも得あげぬ、といつたところだらう。
そんな許褚の斜め後ろにゐて、曹操にとりなしてゐるのが郭嘉である。
うーん、飯田の郭嘉はやはりそんなにいい男ではない。
をかしいなあ。人形劇のときはあんなにいい男だつたのに。
しかし、この場で曹操をなだめることができるのは、郭嘉しかゐない、といつたところなんだらうなあ。
なにしろ曹操は何かにつけて「郭嘉が生きてゐれば」とか云ふてゐたし。人形劇の中でもね。
また多分とりなし方がいいのだらう。
あまり情によらず、理によつたとりなしかたをするのにちがひない。
この郭嘉はね。
以下、もう少しつづく。
麻鳥と蓬子 無常についてはこちら。
義経の周辺についてはこちら。
平家一門の前篇はこちら。
平家一門の後篇はこちら。
木曽と鎌倉はこちら。
三国志ー魏・呉・蜀ーのうち蜀はこちら。
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