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Monday, 09 June 2014

決断力

あみものに不可欠なのは決断力である。

あみものに限らず、手藝全般にいへることだ。

もつといふと、生きていくうへで決断力は必要不可欠なものなのだが……しかし、趣味によつてはそれほどでもないこともある。
たとへば読書だ。
趣味で読む読書には、さほど決断力は必要ない。
せいぜい本屋で「この本を買ふか否か」と迷ひ、買ふなり借りるなりして入手した後、「今読むべきか読まざるべきか」を迷ふくらゐだらう。
読んでゐる途中でおもしろくなくなり、「読むのをやめるべきか否か」を悩むことはあるかもしれない。
あと、おもしろくなり過ぎてしまつて、「今中断して眠るべきか否か」といふこともあるか。
読み終はれば、「手放すか否か」といふのもあるかな。

でもまあ、ぱつと思ひつくのはそれくらゐだ。

あみものはどうだらう。
まづ、編むべきか否か、からはじまる。
編むべきか否か。
つまり、あみものをするべきか否か、だ。
それは、あみものといふ行為自体のこともあるし、また本などですてきなセーターを見かけて「これを編むかどうか」といふのを迷ふことだつたりもする。
いづれにせよ、編むか編まないか。
ここからはじまる。

編むと決めて、次はなにを編むか、である。
上のセーターの例のやうに編みたいものが決まつてゐる場合は次の段階にうつる。
これといつて具体的に編みたいものが決まつてゐない場合は、手持ちの本をひつくり返す。あるいはblogやRavelryなどで他人の編んだものを見たりする。
あれも編みたい。これも編みたい。
或はぴんとくるものが見つからない。
ここで大いに悩む。
なにかオリジナル作品を編まうといふ場合、編み図や編み方を考へる必要がある。
その段階でまたいろいろと決断が必要になるわけだが、それは省く。

編むとして、ではそれを完成するのにかかる時間をはたして今かけられるだらうか。
ここにも判断が必要だ。
たとへば、三月ごろ、まだ寒い時期に編み込みのごつついセーターを編みたくなつたとする。
今から編んでも完成するころには暖かくなり過ぎてゐて着られない。
それでも編むか。
編んで、次の冬にそなへることにするか。
それとも今回はやめておくか。
これも毎度悩まされる問題である。

編むことにしたら、次は何で編むか、だ。
本なりなんなり手本があるとして、そのとほりに編むか。
毛糸はどうするか。手本にある毛糸を選ぶとして、色はどうしやう。
できればすでに持つてゐる毛糸で編みたいけれど、果たしてちやうどよいやうな毛糸があるだらうか。
ここで在庫をあさつて、また判断を迫られる。
ぴつたりとはいへないけれどもなんとなくイメージにあふ毛糸がある、とか。
使へさうな毛糸がいくつもある、とか。
はたまた使ひたい毛糸が出てきて、それは今編みたいと思つてゐるものとは全然別のもので、では今編みたいものをやめて目の前のこの毛糸を使ふものを編むとにするか否か、とか。
針は? ゲージを取つてから決めるか。

ちやうどよい毛糸や針がなければ買ふことになる。
買ひ物で悩むのは、なにもあみものに限つたわけではないので、ここでは端折る。
なにか別の物の買ひ物でも、買ふつもりだつたものとは別のものを買つたりとか、しかも本来買ふつもりだつたものは買つてゐないとか、さういふことはありがちなことだし。

編み始めに、どの作り目にするかを決める必要のある場合もある。
本邦の場合は、大抵は指にかけて作る作り目か、くさり編みの目を拾つてあとでほどける作り目かの二択が多い。
でも、ゴム編みからはじまる場合はゴム編みの作り目にするかとか、くつ下を履き口から編み始める場合でゴム編みの作り目が作りづらい場合に、普通の作り目より伸縮する作り目にするかとか、いろいろ悩むものである。
作り目の種類を決めたあとは、端糸をどれくらゐ取るかも重要な点だ。よく実際に編みたい長さの三倍を取るといふが、セーターを前後見頃にわけて編む場合は、脇の綴じにこの端糸のあまりを使ひたかつたりするので、ちよつと長めに取りたい。また、きつかり三倍では不安といふ向きもあらう。
ちよつとしたことだが、ここにも決断が必要になる。

編み始めたら、気になるのは、「このまま編み続けるか否か」だ。
たとへば、下の方に誤りを発見してしまつた。
どうするか。
そこまで全部ほどいてやりなほすか。
或は一部分だけなので、そこだけ縦にほどいて目を拾ふことにするか。
はたまた、大した失敗でもないので、見なかつたことにするか。
それとも、それはもうさういふ模様として、この後も定期的にくり返すことにするか。
モヘアを編んでゐる場合、それもかぎ針で編んでゐる場合は、ほどけないといつても過言ではないから、あまり悩む余地もないがな。

あるていど編めて、できあがりの大きさが把握できるやうになつたら、次はどれくらゐ編むか、或はこのサイズでは小さすぎるので編みなほしか、考へねばならない。
手本のある場合、つねに手本どほりに編むか、それとも自分にあはせて改変するか、判断を迫られる。

……いちいちあげて行かうかとも思ふたが、まあでもこれくらゐで、如何に人は逐一決断を迫られながら編んでゐるか、がわかると思ふ。
長いことあみものをしてゐる人は、無意識のうちにやつてゐることばかりかもしれない。
そして、決断することを苦にしない、といふ向きも多からう。そんな気がする。
さうして悩んで判断する一連の作業もまた、あみものの一環だ、と、とらへてゐる人もあらう。

やつがれはとかく決断力に乏しくて、できれば人生なにも決断しないで生きていけたらと思ふくらゐだ。
おそらく、全決断力をあみものとタティングレースに使ひ切つてしまつてゐるのに相違ない。

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