ノートがあまりに減らないのは
好きなことについて書くことは、むづかしい。
四月からアサヒ屋紙文具店のクイール・ノートを使ひはじめた。
このノートについては、ここにも何度も書いてゐる。
萬年筆との相性も最高だ。
ゆゑにどんどん書けるだらう。
さう思つてゐた。
使ひはじめたころは。
ところが、である。
なんだかあんまり書き込んでゐないんだよなあ。
使用済みのページ数がなかなか増えない。
Moleskineのポケットサイズ罫線ありと比べると、クイール・ノートは方眼用紙になつてゐて、マス目にそつて書くとかなり字が細かくなる。
また、クイール・ノートはほぼ文庫サイズなので、Moleskineのポケットサイズに比べたらちよつと大きい。その分一ページに書ける量も多くなる。
しかし、サイズはあまり問題ではなささうだ。
今回、クイール・ノートを使ふにあたつて、「ほんたうに好きなことについて書いてみたい」といふやうなことを考へた。
好きなことつて……ここにもいくらでも書いてゐるぢやあないか。
さうも思ふ。
これまで使つてきたノートにも、好きなことはくどいほどに書いてきた。
だが、ほんたうに好きなこと、好きなことを好きである実体については、ほとんど書けてゐない。
自分ではさう思つてゐる。
ほんたうに好きなことについては書けないので、勢ひ、その周辺のことにばかり言及してしまふ。
そして、中心よりも周辺の方が広いのはあたりまへで、ゆゑにいくら語つても語り尽くせない。語らうとすればするほど、外郭へ外郭へと対象が広がり、二進も三進も行かなくなる。
また、真に好きなことではないから、いくらでもことばを費やせてしまふ。
妙な話かもしれないが、さうのである。
だいたい好きなことは好きのだ。だから、いくらでも語れる。いくらでも語れて、でも、肝心要のことについては、ことばが及ばない。なんとか迫らうとしてことばを費やして、そして、徒労に終はる。
いつもさうである。
いつそ、ほんたうに好きなことについてはなにも云はないことにしたらどうか。
さう思ふこともある。
そして、Twitterでつぶやいた内容の解析結果を見てみると、ほんたうに好きなことや好きなものの名称は、ほとんどつぶやいてゐない。
その周辺のことやものについては、何度も何度もつぶやいてゐるといふのに。
もしかしたら、自分が「ほんたうに好きなこと」と思つてゐる、その「好きなこと」は、実は全然好きでもなんでもないことなのではあるまいか。
さう思ふこともある。
だから語れないのではないだらうか。
それはありうるかもしれない。
いはゆる、思ひ込みだ。
そこらへんのこともつきとめやうとして、今回のノートには「ほんたうに好きなことについて書きたい」とか、最初のページに書いてみたんだがなあ。
どうやらこれがなかなか書き込めない原因のひとつなのらしい。
最近やつとそのことに気がついた。
語れないのなら、もう語るまい。
それについては語らず、その周辺について何千語何万語と語つてみやう。
さうするうちに、語らずにいるものの輪郭くらゐは見えてくるのではあるまいか。
と、開きなほるのに、すこしかかつてしまつたな。
でもまあ、今のノートを使つてゐるあひだは、ちよつと抵抗してみやうかなと思つてゐる。
ほんたうに好きなことについて、できるだけ向き合ふやうにして、つづつてみたい。
多分、心の底では書きたくて仕方がないのだと思ふてゐる。
書きたくて仕方がないけど、書けないんだよな。
まづは今のノートを使ひきるまで、無駄な抵抗を試みることにしやう。
« 近頃の萬年筆事情 | Main | 2014年5月の読書メーター »
Comments