本物らしく見せるには
先週は、ほぼなにひとつ編んでゐない。
Katnissといふくつ下を一足同時に編んでゐる、といふ話はここで何度か書いた。
放置中である。
理由はいくつかある。
四月の末くらゐから「Trouble is my business.」を地で行くやうな仕事をしてゐて、自由な時間がほとんどなかつた。
さうして忙しくしてゐるうちは、帰宅後意地でも編む。
だが、さういふ状態から抜けて、しかもその仕事をしたせゐで本来の仕事が遅れてしまつてゐる、といふ状態がつづくとチト厳しい。
家に帰りつくと、疲れてしまつてなにもできない。
「なにもできない」といふのは文字通りの意味で、布団を引くことさへできない。寝間着に着替へるさへ面倒だ。
椅子に座るとそのままもう動けなくなつてしまふのだ。
それでなにもせぬまま時間だけが過ぎて行つて、就寝時間が遅くなり、翌日最悪の状況を迎へる、といふことに相成る。
もうひとつの理由は、実は、先週、注文してゐたタティングシャトルが手元にやつてきたことだ。
以前からよく書いてゐるGR-8 Tatting Shuttleである。木はPink Ivory。持つたときに目のつまつた感じがする。そして感触はとてもなめらかだ。
いいぢやあないか。
さらに、週末に「優しいタティングレース」を買つてしまつたので、余計にタティングレース熱があがつてしまつたのだらう。
とかいひながら、疲れてよれよれの状態で結んだりするのでたいしたものは作れてゐないし、その作れたものもなんだからよれよれのぼろぼろなのだが。
さて。
そんな状態ではあるが、5/18(日)、国立劇場の小劇場で文楽の昼の部を見てきた。
竹本住大夫引退公演である。
その話はまたの機会があれば、といふことで、今回は終演後のバックステージツアーで感じたことをちよつと書く。
終演後、文楽の人形について、人形遣ひ・吉田和生に直接伺ふ機会を得た。
そこも細かい話はいろいろあるのだけれども、そこはおいて、文楽の人形の衣装は、染めの段階から注文してゐる、といふ。
人間用の衣装の柄では人形の大きさには合はないからだ。また、客席から見たときに見栄えのするやうに作る必要もある。
織りで柄を出してゐるものは当然織りの段階から注文を出すんだらうな。
刺繍も同様だらう。
さうでないと、本物らしく見えないのらしい。
文楽の人形は、1/3くらゐのスケールだらうか。昔の人と比べたら身長は1/2くらゐかもしれない。かなり大きい。
手の抜けないサイズである。
ここでも以前に書いたやうに思ふが、1/6スケールのリカちやんやジェニーの服を作る場合、人間のそれとまつたくおなじやうに作るよりは、大胆に省略したりデフォルメしたりした方が、それらしく見えることがある。
きものなども、人間のきものを仕立てるやうに仕立ててもいいけれど、すつきり着つけやうとしたらちよつと工夫が必要だ。
これが1/5スケールのスーパードルフィーになると、リカちやんでやつたやうな省略をすると途端に安つぽくなる。
できるだけ人間の衣装に近い感じでちいさく作る。さうしないと、なんだかをかしいのだ。
たとへば、やつがれはリカちやんやジェニーのセーターなどを編むときは、できるかぎり、とぢはぎのない方法で編む。
とぢたりはいだりが面倒くさい、といふこともあるし、苦手、といふのも事実だけれども、とぢたりはいだりしたときにできる縫ひしろ部分が、どうしてもゴロゴロするからだ。
世の中には、リカちやんのセーターを編むにもきちんと人間のそれを編むときとおなじやうにこだはつて編む人がゐるといふ。
それはそれでいいと思ふ。
さういふ人はきつとちやんとあみもののできる人なのだらう。
やつがれは……うーん、なんていふか、無手勝流だからなあ。
でも、とぢはぎのないセーターの方が着つけたときにすつきりして見えるんだよね。
それに、腕のあげさげもしやすい。
リカちやんに編むセーターは、さういふところが大事かな、やつがれにとつては。
それぢやあスーパードルフィー用はどうするか、といふと……やはり縫ひしろはできるだけ作らない。
あと、リカちやんのときは、ぱつと見たときにそれらしく見えればいいやといふやうなレースを使ふときがあるけれど、スーパードルフィーのときは人間用の替襟をそのまま編んでショールにしたりとかするね。糸や針はそのままのときもあるし、ちよつとちいさいものを使ふときもある。
とか書きながら、最近、全然そんなものは編んでゐないなあ。
とりあへずリカちやんの夏ものでも編むか。
くつ下を編み終へたら、だけど。
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