一日間風神雷神図屏風三双鑑賞
美術館や博物館には滅多に行かない。
人ごみが苦手だからである。
もつと云ふと、藝術作品に興味がないんだな。
いや、それともあるのだらうか。
展覧会といふのは混んでゐても空いてゐても、ほかの客を気にし乍ら見ることになる。
「この絵、ぢつくり見たいんだけどなー」と思ひつつも、客が多いと係員に「足を止めないでください」とか注意されるし、少なければ少ないで、自分ばかりでこの絵を独占してもほかの人に悪いし、と気にかかる。
だつて好きな作品は、やつぱり心行くまで楽しみたいぢやん。
そんなわけで、去年「書聖 王羲之」展に行つたのを最後に展覧会の類には行つてゐないし、その前は多分十年くらゐあいてゐる。東急文化村で見たマグリット展、かな、「書聖 王羲之」展の前は。
そんなやつがれが、この連休は展覧会に行つてきた。
ひとつは東京国立博物館の開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」。
もうひとつは出光美術館の「日本の美・発見IX 日本絵画の魅惑」である。
さう。
一日で風神雷神図屏風を三双すべて見る。
それが今回の任務であつた。
#「任務」て……
「栄西と建仁寺」展で俵宗達の、東京国立博物館本館で尾形光琳の、出光美術館で酒井抱一の、それぞれの風神雷神図屏風を見ることができる。
いい時代に生まれたなあ。
もとい。
三者の風神雷神図屏風を比較した話なんぞといふものはいくらもあるだらう。
さう思つて、ここには書くまいと思つてゐた。
あたりまへのことは書かない、といふ、左氏伝の筆法である(違。
でもまあ、ありきたりではあるけれども、思つたことを書いておかう。
一日で三双すべてを見る。
それに伴ふ弊害を考へないではなかつた。
多分、一番最初に見た絵に引きずられるだらう。
さう思つてゐた。
実際、危惧してゐたとほりになつた。
一番最初に見たのは伝・宗達の風神雷神図屏風だつた。
ご覧になつた向きにはご存じかと思ふが、見てゐるだけで楽しい気分になつてくる絵である。
NHK教育TVの「びじゅチューン」といふ番組で、井上涼なる人物が、「風神雷神図屏風を見て、デートの場にかけつけて来た二人を思ひついた」といふやうなことを云ふてゐた。
なるほど、この絵を見てゐると、そんな微笑ましさを覚えなくもない。
屏風自体は横長で、ゆゑに空間の広さを覚える。
ほんのわづかだが、雷神の方が風神より高い位置にゐるやうに見える。肘があがつてゐるからだらう。
空間とわづかな位置の違ひだけで、格段に生き生きとしたやうすに見える。
といふのが、光琳の風神雷神図を見るとよりよくわかる。
光琳の屏風は縦長だ。
さらに、風神と雷神との周囲の雲が黒くかなりはつきりと描かれてゐる。とくに雷神の方の雲は宗達に比べて描かれてゐる範囲が広い。
つまり、空間が狭い。
風神と雷神との上下の位置はほとんどおなじやうに見える。ゆゑに互ひに向かひあつてゐるやうに見える。向かひあつてゐるやうに見えるのに、なぜだか「デート」の趣はない。
#だからデートぢやないんだつてば。
光琳の方が皺の描き込みなども多くて、宗達と比べると若干リアルな感じがする。
それと、光琳の方が保存状態がいいのか、色がはつきりくつきりしてゐる。
そんなあれこれがないまぜになつたのだらう、光琳の風神雷神図からは宗達のそれほど躍動感を感じなかつた。
それぢやあ抱一は、といふと、不思議と動きのある絵なんだなあ、これが。
抱一の屏風も縦長で、それは光琳と変はらない。
ちがふのは、皺などの描き込みが光琳より少ないのと、雲の描き方もまばらなこと、そして、一番ちがふのは、雷神の方が風神より高い位置にゐることだ。
抱一は、宗達の風神雷神図を知らなかつたといふ話がある。
それがほんたうだとするなら、光琳の風神雷神図を見て「俺ならかう描く」と思つたのだらう。
見る人が見れば、もつといろいろあるんだらうが、やつがれにはこれが精一杯だ。
さうさう、雷神つて、おへそがあるのね。
あるなら他人のを取るなよなー。
「栄西と建仁寺」展では、実は水墨画がおもしろくて、海北友松が若いころに描いた襖絵なんか、友松つぽさが稀薄で、おもしろかつたなあ。もちろん「雲龍図」や「竹林七賢図」もおもしろかつたけど。
といふやうな話は、まあ、また機会があれば。
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