川本喜八郎人形ギャラリー 赤壁‐苦肉の計 前篇
早いもので渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの展示替へから一週間。
予想はことごとくはづれて……といふほどでもないか。後白河法皇出てきたしな。
まあ、そんなわけで、当然のやうに初日から行つてきたわけである。
これまでは平家物語の人形のかざられてゐたギャラリー外のケースには、関平がゐる。
人形劇のときよりも凛々しい顔立ちをしてゐるやうに思ふ。
人形劇のときは、勝平の成長した姿といふことで、幼いころの趣を残したカシラになつてゐたからな。
それでなんとはなし幼い印象が抜けなかつたのだらう。
ギャラリーの外でお客さんをお出迎へする関平には、そんな心遣ひは不要だつたのにちがひない。
どことなく中村勘九郎に似てゐるなあ、と思ふ。顔の形かな。あるいは顔のパーツの配置具合かもしれない。
衣装は全体的な色の印象は赤で、人形劇のときは下はターコイズブルーのやうな色だつたやうに思ふけれども、今回は淡い感じの色合ひになつてゐる。
中に入つて、むかつて左側が三国志、正面と右側が平家物語だ。
三国志は「赤壁‐苦肉の計」と銘打たれてゐる。
さうかー、やはり官渡の戦ひは無視されてしまふ運命なんだなあ。
関羽の千里行もなし、といふことは赤兎馬もなし、である。
さう、今回は、これまでの展示ではじめて玄徳・関羽・張飛の三兄弟がゐない。
これにはちよつと驚いた。
「人形劇三国志」つていつたらやつぱりこの三人でせう。
三兄弟に代はるのが孔明、といふことなのかな。ことなのかも。
といふわけで、入口に近い方から行かう。
入口に一番近い位置にゐるのは、蒋幹である。
人形劇のときとほとんど変はつたところはない。
衣装もサテン調の明るい牡丹色だ。肩口に黄色い花がついてゐるところが念入りに派手である。なぜか左前だけどなー。
カシラもおどけた眉にびつくりしたやうなどんぐり眼は人形劇のときのままだ。
これまでの展示からいくと、あまり出番の多くなかつた人形は人形劇のときとかなり異なる出来になつてゐる、といふ印象がある。
たとへば初回の展示の李儒や陳宮がさうだし、その次の蹇碩などもさうだ。
出番の多かつた人形はほとんど変はらない。
前回の程昱はかなり変はつてゐたけれど、よく出てゐてあれだけ印象が違ふのは程昱くらゐだ。
ほかの人形もすこしづつちがつてゐたりはする。たとへば曹操はちよつと上品になつてゐるし、張飛はちよつとおとなつぽくなつてゐる。孔明は若干カシラが卵形に近い形になつてゐるやうに見受けられる。
そこいくと、蒋幹は「もしかして飯田からつれて来たのか?」と思ふほど人形劇のときのままだ。
それとも、蒋幹はとにかく衣装が派手だしやることも大げさだから、その印象が強くて、実はかなり変はつてゐるのにそんなに変はつたやうには見えないのだらうか。
まあ、そのうち赤壁前夜を見なほすことにするよ。
その隣、やや奥にゐるのが龐統である。
龐統は、初回の展示のときにもゐて、そのときには「どこか風狂めいた印象がある」と書いた。
正直云つて、正面から見ると怖かつた。瞳孔が開いてゐて、どこを見てゐるのかわからない。
それが、向かつて右側から見たときには、実にいい表情に見えたものだつた。
今回の展示では、初回のときの右から見たときの印象に近いものがある。
もつと云ふと「かつこいい(敢て幼児語を使ふ)」。
初回の展示のときには、右から見ると夢見る青年の顔つきだつた。
今回の展示では、もつと大人に見える。
初回のときには口にくはへてゐた猫じやらしを、今回は手にさげてゐる。猫じやらし込みで衣装なのかね。
衣装は、当然かもしれないが初回のときのままだ。地味で質素な出来で、唐草模様の刺繍もかなり太い糸で刺されたものである。
そこがまたいいんだけどー。
その隣、ちよいと手前にゐるのが諸葛瑾だ。
人形劇のときより若干顔が長くなつてゐる。
だがまだ驢馬の名前にするには足りないなー。まちつと長くないとなー。
人形劇の諸葛瑾はその役回りのせゐか、非常に「苦労人」といつた趣の顔をしてゐたやうに思ふ。
今回の展示では、苦労人めいた部分は影をひそめ、謹厳実直なところにちよいと「頼りになる男」風味を加へたやうな顔立ちになつてゐる。なんていふのかな、「切れ者」度があがつてゐる、とでもいはうか。皮膚の色もすこし白くなつてゐるんぢやないかな。
人形劇の諸葛瑾といへば、その実直さうな様子のわりに衣装はきんきら(でも渋い)だつた。
今回の展示でもきんきら具合は変はりない。ただ、前掛けが若草めいた緑色の三升のやうな柄に龍を散らした柄になつてゐて、これが人形劇のときにはなかつた爽やかさを醸し出してゐる。しかも散つてゐるのが龍の模様だし。
その下は菊の花を散らした模様で、こちらは金色がかつてゐるけれどもちよいと地味。
諸葛瑾の隣が諸葛亮。
Twitterで「美しい」とつぶやいてゐる人がゐたけれど、向かつて左から見た孔明は、実に厳しいやうすに見える。
うつくしいといふよりは、怖い。
いや、わかる。
「おそろしいほどのうつくしさ」とか「うつくしくて怖いほど」といふことはある。
あるけれど、うーん、多分、今回の孔明は、厳しい感じを目指して飾られてゐるんぢやないかと思ふ。
正面から見ても、多少はやはらぐものの、やはり厳しい空気を纏つてゐるものなあ。
右から見てはじめて、「あら、孔明先生、実はお若いのね」といふ感じがする。
赤壁なんだし、人形劇のときのやうすからいへば、もつとお気楽な感じでもいいのになあ。
「人形劇三国志」の赤壁の戦ひ前後つて、孔明はひとりで楽しげだものな。
それとも、上にも書いたやうに、孔明ひとりで玄徳・関羽・張飛の肩代はりをしてゐる、と考へると、その重責から厳しい表情になつてしまつたりする、といふことなのかな。なのかも。
蒋幹と諸葛瑾がすこし右、龐統がすこし左を向いて立つてゐるのに比べて、孔明は正面切つて立つてゐる。
怖い感じがするのはそのせゐもあるのかも。
ここまでの四人はなぜか右側だけ沓の先がのぞいてゐる。
かうして見ると、孔明の衣装といふのは一見質素なんだよなあ。
黒くて透ける上着の下は瓶覗きとでもいひたいやうな、ほとんど白に近い水色の衣装で、沓もあつさりとしたデザインである。このあと出てくる魯粛などは沓の先にも宝玉のやうなものがついてゐるが、さkうした飾りは孔明にはない。
この飾り気のなさがいいのだらう。
孔明の隣は魯粛。
初回の展示のときは、まさに「おろお魯粛」の名に恥ぢないおろおろつぷりだつた。
今回はおろおろしたやうすはないやうに見受けられる。
ただ、初回のときにも抱いた「なんだか顔が薄い」といふ印象はそのままだ。
なぜ薄いかといふと、顔のパーツの色が薄いからである。
あと、これも初回も思つたけれども、魯粛は目まはりが浅くて、これでほんとに目を閉ぢたりできるのか知らん、と疑問である。
そこまではわからないからなあ。
上にも書いたとほり、魯粛の沓の先には緑色の宝玉がついてゐる。冠りものにも緑色の石がついてゐるのでおそろひといつたところか。
さうさう、魯粛はなぜか沓の先が両方とも覗いてゐるんだよね。
なぜなんだ。
もしかしたら沓の先の飾りを見せたかつたのかな。
孔明は書いたとほりだし、龐統は沓だけゴテゴテしてゐたらをかしいし、諸葛瑾も沓はそれほど派手ではない。蒋幹の沓はもつとゴテゴテしててもいいのになあ。
そんなわけで、魯粛の沓を見せたかつたに三千カノッサである。
その隣、ちよいと後方に、馬上の趙雲がゐる。
前回の曹操よりすこし右側の位置、かな。
この趙雲が凛々しくて、なあ。
趙雲は、初回の展示のときは槍を構へて半身になつて立つてゐた。
今回も槍を持つてゐる。でも赤壁の趙雲つて、どちらかといふと弓の印象が強いがなあ。あれは船上なので、まあ、いいのか。
初回のときは、「人形劇のときより皮膚の色が赤みがかつてゐるやうに見える」と書いた。どちらかといふと、赤みはそのままで、人形劇のときより色白なのかもしれない。
あと、初回のときは勇ましさ一番、みたやうな感じだつたけれども、今回は勇ましいといふよりは、やはり「凛々しい」だなあ。
凛々しい若武者。
だいたい「人形劇三国志」の趙雲の印象といへば、「いつも爽やか好青年」だ。もうそれは、死の直前までさうである。
実際は、まあ、ちよつとヤな奴だつたりする場面もあるし、さうさういつでも爽やかでもなかつたりもするのだが、そんな事実を忘れてしまふほど、「いつも爽やか好青年」の印象は強い。
まあね、ちよつと見とれるくらゐいいよ、今回の趙雲は。
その隣が徐盛。
かう云つちやあなんだが、最初見たときは「あんた誰?」くらゐのいきほひで誰だかわからなかつた。
名札を見て、「え、徐盛なの?」と驚くほどである。
人形劇のときの徐盛は、もつと、こー、いはば「人形めいた顔」をしてゐた。
人形なんだからあたりまへなんだけどもさ。
「人形劇三国志」の呉の面々といふのは、濃いぃ顔立ちの人が多い。
そもそも孫堅がさうだし、程普、甘寧、闞沢、黄蓋……あげたらキリがない。
周瑜と魯粛と諸葛瑾とがちよつと趣がちがふけれども、特に武将は「濃いぃ」カシラが多い。
南方の明るさを人形のカシラに表現するとかうなるのか。
程普・甘寧・徐盛については常々さう思つてゐた。
それが、今回の展示の徐盛は違ふ。
なんていふのかなー、をぢさん?
さう云つてしまつたらおしまひか。
人形劇のときのデフォルメのきいた感じはなくなつて、なんだかリアルな顔立ちをしてゐる。
なんでこんなに変はつてしまつたのか。
訊きたいときに訊く相手がゐないといふのがさみしいやね。
といふわけで、つづく。
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