川本喜八郎人形ギャラリー 鹿ケ谷
四月二十五日から展示中の渋谷ヒカリエは川本喜八郎人形ギャラリーについて、今回は平家物語のうち「鹿ヶ谷」を書く。
一昨年だつたらうか、辻村寿三郎の「平家物語」の展示に行つた。
鹿ヶ谷の説明文に、「鹿ヶ谷の陰謀は、陰謀でもなんでもなくて、単に酒の上での戯れごとだつたのではないか」といふやうなことが書かれてゐた。
なるほどなあ。
平家に不満を持つた人々が集まつて、酒を酌み交はす過程で、
「どうですか、ひとつ、平家なんか打倒してやりませうよ」
なんてな話になるわけだよ、酔つた勢ひでさあ。
それでどんどん盛り上がつちやつて、そのうちとつくりが倒れたもんだから、
「瓶子が倒れましたぞー」
とか、ますます楽しくなつてきちやつた、と。
だから策といつてもなんだか杜撰だし、実際、酔ひが覚めたら「なんだつたつけ……ま、いつか」くらゐの感じだつたのではあるまいかなあ。
でもほら、ゐるでせう、さういふ酒の席にひとりくらゐはなんだかまはりの盛り上がりに乗れない人つて。
といふわけで、「鹿ヶ谷」のケースの一番左端に座してゐるのが、その「ひとり盛り上がりに乗れなかつた男」、多田行綱である。
いや、まあ、盛り上がりに乗れたか乗れなかつたかはわからないが。
さうでもないか。打倒平家といふ波には乗れなかつたんだよな、蔵人は。
狂騒の中ではよかつたけど、みんなと別れてふと我に返つたときに、「だが待てよ」と思つてしまつたのだらう。
行綱は、三角眉の尻が上がつてゐて、ちいさな目の尻は下がつてゐる、そんな顔立ちをしてゐる。
この場では、とりあへずみんなの仲間入りをしてゐる。
そんな印象で座つてゐる。
衣装は、ちよいとくすんだ黄色の大柄なもの。陰謀の場にはそぐはないが、酒盛りの場であればばつちり。そんな出で立ちだ。
やつがれの中ではすつかり「鹿ヶ谷の陰謀」といふのは、実は単なる酒盛りの果て、といふことになつてゐる。
でも、中には本気の者もゐただらう。
たとへば、行綱の隣に座つてゐる西光なんかは、本気も本気、「やつたるでー」といつた状態だつたのではあるまいか。
いかにもきかん気の強さうなカシラがさう物語つてゐる。
身につけてゐるものも、この中ではかなり質素な感じだ。
「オレがこんなに本気なんだから、みんなだつておんなじだらう」
そんな風に思つてゐるやうにも見受けられる。
よくわからないのがその隣に座つてゐる成親さまだ。
あ、うつかり「さま」をつけちやつた。
ご存じ藤原成親は、平重盛の義兄である。
さう、平家の次期頭領たる重盛の妻は、成親の妹なのである。
なのに反旗を翻すのか。
説明にもあるとほり、成親は、宗盛に先を越されて本来ならば自分がつくはずだつた位につけなかつた。
おそらく、宗盛のあとはまた誰か平家一門のものがその位につくのであらう。
自分の番は永遠に回つてはこない。
成親はさう考へたのにちがひない。
さうでなければ、平家にたてつかうなんて、無謀だ。
娘はあつちにゐるわけだしさあ。
まあ、もしかすると当時は自分の娘に対する考へ方がいまとは違つたのかもしれない、と思はないでもない。
嫁に行つたものは嫁に行つたもの。家を出て行つたのだから、あとは知るか。
それはちよつと乱暴かもしれないが、さういふ考へ方もあつたかもしれない。
いづれにしても、成親は、どこまで本気だつたのかよくわからない。
ここにゐる成親は不満顔である。
すこしあがり気味の顎からそんな感じを受けるのかもしれない。
衣装は、これまでに見てきた藤原家の人々よりは質素に見える。
その成親のななめうしろに燦然と立ち尽くすのが、このケースの主役・後白河法皇である。
いや、このケースの主役は俊寛なのかな。
ま、いいか。
いづれにしても、ひとり高いところに立つて、じろりと彼方を睨みやる姿がとてもいい。
身につけてゐるものも、これでもかといふくらゐきらびやかである。金糸をふんだんに使つた法衣に九条袈裟。全体的には、黄緑色のやうにも見える、ちよつと玉虫色を想像させるやうな色合ひだ。
派手といふ意味では、浄海入道よりずつと派手だ。そして、その派手な衣装に、人形はけつして負けてゐない。見事に着こなしてゐる。
いやはや、目を引くわー。
後白河法皇のカシラも、「陰謀大好き」つてなやうすに見える。しかも、時忠にはない妖気のやうなものさへただよつてゐる。
実際陰謀好きだつたのではあるまいか。
鹿ヶ谷ではどこまで本気だつたのか、不明だが。
「平家? 倒れてくれればラッキーかな」くらゐな感じだつたのかなあ。
さて、そのななめ前方で、成親・西光・行綱を睥睨するやうにして立つてゐるのが、俊寛僧都である。
こちらも、後白河法皇には遠く及ばないものの、身につけてゐるものは立派なものだ。
豪勢な頭巾をかぶり、小豆色かな、法衣には白つぽい花かつみの模様が散らしてある。
俊寛は、このあと鬼界島に流されて、御赦免船には乗れず、弟子の有王丸がやつてきた時にはもう都での威風はまるでなく、といふ悲劇的な話で有名だ。
ここでは、都にゐたころのエラそーでちよつと人を人と思はぬやうな雰囲気の漂ふ俊寛である。
目の玉の動くカシラだしね。
眉もはねあがつた形で、如何にも気が強さうだ。
この俊寛が、鬼界島に流されて、といふのが、次回の話である。
「赤壁‐苦肉の計」の前篇はこちら。
「赤壁‐苦肉の計」の後篇はこちら。
「厳島」の前篇はこちら。
「厳島」の後篇はこちら。
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