できることだから
あとちよつと、あとちよつとのところでメビウス編みのショールは編み上がることなくそのままになつてゐる。
ここのところ、めうに忙しくて、な。
まあ、この連休のうちにでもできあがることとは思ふ。
もうほんたうに、あとちよつとなのだ。
それにしても、なぜやつがれはあみものをするのだらう。
何度も書いてゐるやうに、「自分は不器用ですから」なやつがれである。
家庭科も図画工作も美術もまるでダメであつた。
なのになぜあみものをするのか。
以前も書いたやうに、学校で習つたわけではないから、といふのは大きい。
家庭科の授業でもあみものはあつたけれども、別に編み方を教へてくれたわけでなし、なんだか各人好きなものを編んだ、といふ記憶しかない。
すこし前に、あみものやタティングをするのは達成感を得るため、などと書いた。
その後考へて、でもそれだけぢやないな、と思ふやうになつた。
なぜ編むのか。
それは、多分、「自分にもできることがある」といふ実感を得たいから、だらう。
ときどき思ふのだが、やつがれにはできることがほとんどない。
楽器が弾けるわけでもないし(過去には演奏したりしてゐたので、もしかしたらできるのかもしれないけれども)、料理がうまいわけでもない。家の片付けも苦手だし、仕事もできない。
ないない尽くしの中で、唯一あみものだけは、まあ、人並みにできるのではないか、と思ふわけだ。
それでも整形は苦手なんだけどね。
あみものができるのは、それなりに時間をかけてきたからである。
お道具もいろいろ持つてゐるので、元手もかかつてゐる。
大抵の人間は、できるやうになるよな、それくらゐ時間も手間もかけてゐれば。
つまり、やはりやつがれにできることなんて、ほとんどないつてことなんだよなあ。
まあ、わかつてゐたことではあるけれども、あらためてさう考へるとちよつと気持ちが萎えるよね。
とりあへず、ショールが終はつたら、くつ下でも編むかな。
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