白への回帰
以前、「白い糸で作るレース」についてちよこつと書いたことがある。
レース編みといへば白い糸だ。
あとはせいぜい生成りか黒。
世の中のレース編みの本を見れば、たいていはさうなつてゐる。
身につけるものもさうだつた。
風工房のアイリッシュレースの本には替襟をはじめ、ヴェストなども掲載されてゐたが、すべて白か生成り、あるいは黒だつた。
レースとはさういふもの。
さう思つてゐた。
それが変はつたのはいつのころだつたらう。
やつがれが「タッチングレース」をはじめたころには、すでに白以外の色の糸でレースを作るやうになつてゐたやうに思ふ。
はじめて買つた藤重すみの「かわいいタッチングレース」には、いろんな色の糸を使つて、花や虫などを作つたものが掲載されてゐた。
Webに目を転じると、そのころから、色糸を使つた作品がいくつかあつたやうに思ふ。
あるいはもう少し後だつたらうか。
当時、オリムパスやダルマの色のついたレース糸は色が褪せるけれど、DMCのレース糸は褪せない、などと聞いたやうな気がする。
聞いたときには、「DMCしかないか」と思つたけれども、その後、「色が褪せるつていいぢやない」と思ふやうになつていまに至る。
さう、色のついたレースの糸といふのは、それ以前からあつた。昔からあつた、といつてもいい。
しかし、それでもレースのドイリーといつたら白だつた。
いまでも白かもしれない。
タティングレースをする人の中には、「白い糸や生成りの糸は物足りなくて」といふ人が存在する。
開店休業甚だしいやつがれの英語版blogにも、生成りの糸で作つたちいさなモチーフの写真を公開したら、「いつも華やかな色の糸を使つてゐるけれど、たまにはかういふ色もいいわね」とか、たぶんにお世辞のコメントをいただいたことがある。
世はなべて色糸時代だ。
すくなくともタティングレースにおいては。
だからこそ、いま白い糸、といふ気もしてゐる。
或は生成りとかね。
もうすこし色は濃くなるが、それでも生成りのヴァリエーションのやうな色の糸でタティングレースの栞を作つたら、なんだか古色然としてゐてよかつた。
東京近辺では桜の時期も過ぎ、もうすぐ「夏も近づく八十八夜」、日差しも輝く季節到来である。
そんなときに、白い糸のきらりと輝くレースを作つたりするのも、なかなか乙なんではあるまいか。
連休中になにかできるといいなあ。
休日出勤三昧かもしれんがなー。
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