春といふではなけねども
もうすぐ、いま使つてゐる手帳を使ひ終へる。
いま使つてゐるのはMoleskineのポケットサイズ。これまで、使ひ終へるのに罫線ありで三ヶ月、罫線なしだとものすごーく細かい字で書いたりするのでときには半年くらゐかかつてゐた。
いまのMoleskineを使ひはじめたのは二月の半ば。
ほぼ二ヶ月で使ひ終へることになる。
期間が短くなつたのは、ここにも何度か書いてゐるやうに、これまで書かなかつたやうなことも書くやうになつたからだ。
それがいいのか悪いのか。
それはよくわからない。
多分、今後わかることだらう。
ひとついいなと思つてゐることは、これまで本の感想などは全部読み終へてから書いてゐたのを、読んでゐる途中にも残すやうになつたことだ。
読んでゐる最中と読み終へたあととでは、感想もことなることが多い。
読み終へるころには途中のことを忘れてしまつてゐるといふこともある。
そんなわけで、これはちよつとおもしろいな、と思つてゐる。
芝居の感想もさうだな。
以前は見て帰つて落ち着いてから書いてゐたけれど、最近は幕間にちよこちよことそのとき思つたことを書き留めてゐる。
途中に出てきたちよつと気になるせりふとか、ちよつと気になる衣装とか、ちよつと気になる所作とか、さういふのは、見た直後でないと忘れてしまふことが多い。
最近は、幕間のメモで安心してしまつて、全体的な感想はあまり書かなくなつてしまつた。
それはそれで、まあ、いいのかなあ、とも思つてゐる。
さて。
ノートが終はりに近づくと、次のノートはどうしやうか、といふことを悩むやうになる。
Moleskine一辺倒でいければいいのだが。
世の中にはすてきなノートはたくさんあるし、気になるノートはもつとある。
今回、久しぶりにMoleskineを使つて、その最中は「今度もMoleskineでいいかな」と思つたりしてゐた。
Moleskineのいいところは、表紙がかたいので、ぱつと取り出してその場で書き込めることである。
また、サイズが絶妙だと思つてゐる。ポケットサイズを手にしたときの「ちやうどよさ」がたまらない。
適度なサイズとかたさ。
それと、やつがれの場合は、愛用の中屋万年筆の細軟で書き込んだときのふんはりとやさしい感触が好きだから、といふのがMoleskineにする理由である。
とは、すでに何度も書いてゐるな。
Moleskineにしない理由についても何度も書いた。
ペンを選ぶから。
これに尽きる。
今回、ユビキタス・キャプチュアなるもののまねごとをはじめて、Moleskineはいいな、と思ふやうになつた。
次も、と思つて、最近、気を変へた。
次の手帳はアサヒ屋紙文具店のクイールノートだ。
このノートは以前も使つたことがある。
いつかまた、と思つてゐて、だいぶたつてしまつた。
久しぶりにいいかな、と、先日池上線に乗つて、調達してきた。
クイールノートは満寿屋の紙を使つてゐる。
前回と変はつてゐなければ、うすいけど張りのある、ちよつとかたい印象のある紙だと思ふ。
Moleskineの紙のやはらかさとはまつたく違ふ。
それがまた楽しみでもある。
クイールノートは表紙に何種類かあつて、前回も今回も布張りのものにした。使つていくうちに、布がふはふはとしてきてきもちよくなる。それも気に入つてゐる。
ところで、ここにも何度か書いてゐるやうに、ノートの複数使ひを考へてゐる。
たとへば、読書ノートとか観劇ノートとかは、別にした方がいいんぢやないか、とか。
いままでおなじことを何度も考へて、それでもひとつのノートに書いてゐるのは、「ここを見れば全部書いてあるから」だ。
ノートだから使つてゐる期間にかぎりはある。だが、このころ書いたことなら、このノートに書いてある。
えうは、検索性重視、といふことだな。
また、とりあへず何でもひとつのノートに書いておいて、重要なことだけ別のノートに抜き出す、といふこともずつと考へてゐる。
一度書いたことをまた書くなんて、と、手間が惜しくて実現できてゐない。
先月世界の万年筆展で日本橋の丸善に行つたときに、うつかり注文してしまつた美篶堂のハードカヴァーノートができあがつてきた、と、連絡が入つた。
うつかり注文してしまつたので、用途を考へてゐない。
清書用のノートにしたらどうかな。
そんなことばかり考へてゐる。
美篶堂のノートは、近日中に受け取る予定である。
楽しみだなー。
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