勧君更盡一杯酒
昨日で今回の展示は最後だといふので、渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーに行つてきた。
去年のいまごろもちやうど展示替への時期だつた。
このときはずいぶんと嘆いたものである。
去年は、いきなり展示替へのお知らせが出たからね。
今年は、「そろそろ来るだらう」と予測してゐた。
ゆゑに事前に心の準備もできてゐた。
とはいへ。
そんなわけで去年のいまごろは、「西のかた渋谷をいづれば故人なからん」とか思つてゐたりしたわけだけれども、今年もやつぱり「君に勧むさらに尽くせ一杯の酒」とか思ふてゐるのだから、成長しない。
しかも、なぜ王維。
まあいいけど。
なんとはなし、人を見送るときには酒の一献も酌み交はしてからだよな、といふのがあるのだらう。
とくに今回は曹操がゐるしな。
芸術にはとんと疎いので、曹操が詩人としてどうなのかといふことはさつぱりわからない。
でも、「酒呑みの心がわかつてるよねー」とは思ふ。
なんといふか、酔つぱらつたときに高歌放吟したくなるやうな、そんな文句がつづく。
そんな気がする。
王羲之の伯父さんだつて、酔ふと痰壷をたたいて魏武の詩をうたつた、といふしね。
王羲之の伯父さんの時代だつて、といふよりは、生前から曹操はかなり嫌はれものだつた形跡があるけど、酒呑みの心はどこでもおなじ、といふところだらう。
もちろん昨日も素面で行つてきたけどね。
行つてきて、いまさらながらに気がつくやうなこともあつた。
たとへば伴卜のターコイズブルーの袴の下にサーモンピンクの下着が見える、とか。それでゐて、色合ひが変といふ感じはしない、とか。
或は、北条義時のカシラは仲達のそれに似てゐる、とか。
「いまさらかい!」と我ながら思つたが、左右の眉の互ひちがひな感じとか、つりあがつた目、口元の感じなど、よく似てゐるやうに思ふ。
なるほどなー、義時が気になるはずだよなあ。仲達似なのだもの。
「人形劇三国志」の仲達のカシラは、ちよつとイカしてゐるからなあ。なにしろ眉も目も片方だけ動く仕掛けがある。ギミック好きにはたまらないよねえ。
仲達は、番組の中では、孔明を引き立てるためだらう、特に終盤は妙ちきりんなことばかりしでかしてゐたやうな印象がある。
「いや、仲達、もつとヤな奴だし(褒めてます)!」と、幾度思ふたことか……
さういへば、仲達は作りなほされてゐないのだらうか。
そのうち出てきたりするだらうか。
出てくるとして、やはり片眉片目の動くやうなカシラになつてゐるか知らん。
そんなことを考へたりしてゐた。
呂布・貂蝉・陳宮の三人とは、次に会へるのがいつになるかわからないといふので、チト念入りに見た。
このあとの展示がどうなるかはわからないが、孔明の死のあたりまではひととほり展示するのだらう。さうしたら、物語の序盤に出てきた人々と次に会へるのは、すくなく見積もつても二三年ののちだらう。
今回、ことに呂布がよいしねえ。
力なく座り込んで、視線を地に落とした感じがたまらなくよい。
いや、よかつた、と書くべきか。
いつ会へるかわからない、といふ意味では、荀彧もさうか。
郭嘉・夏侯淵・荀彧の三人のあたりは、今回の展示ではことによく見た。
この三角形は無双だな。
さうも思つてゐた。
そこから視線を右にうつすと、馬上の曹操がゐて、その横顔に見とれることしきりだつたんだよねえ。
渋谷の曹操は、人形劇に出てゐたときよりも品がある。ほとんど変はらないやうに見受けられるけれども、ほんのちよつと、いい感じなんだな。
以前、眉のあひだに青黛で描いた皺がないせゐか、と書いたが、これはあつた。あつて、なほ、なんとなく、上品である。
どちらがいいかと訊かれると、「どちらもそれなりに」と思ふが、今回目が正面を向いてゐるせゐか、ヒカリエの曹操はとてもよく見えたんだよね。
それにしても、いつまでたつてもお別れが上手にならない。
昨日も、帰らうとして、ふり返り、またふり返りしてしまつた。
最後に誰を何処を見やう。
それすらなかなか決められず、無駄に長居をしてしまつた。
次回こそは、さらつと帰るぞ、と心に誓ひつつ、やはりいつまでも愚図愚図してゐる自分の姿が脳裡に浮かぶよ。
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