展示室にひとりきり
飯田市川本喜八郎人形美術館でも、渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーでも、まつたく客のゐない状態といふのがある。
まつたく客のゐない、といふのはウソか。
ひとりはゐる。
すなはち、やつがれだ。
とくにギャラリーの方は係員がゐるわけでもないので、ほんたうにひとりきりだ。
いや、ひとりではないのか。
いまでいふなら、三十四人と二頭とひとり、だ。
はじめてそんな状況になつたときの、あの気持ちは、なんと云つたらいいだらう。
突然気分が舞ひあがる。
まるでこの世にはここにゐる三十四人と二頭と自分としかゐないかのやうな、宇宙を我が手に入れたかのやうな全能感。
そして、世界はこのちいさな箱の中で完結してゐるのかもしれない、といふ、孤独にも近い思ひ。
周囲に他人のゐるときは遠慮してぢつくり相対したい人形の前も素通りしてゐるけれど、このときばかりはたれに遠慮することなく、ひたすらその前に立ち尽くす。
これが美術館の方になると、空間のひろがる分、心の容積もぐんと大きくなる気がする。
こちらは美術館員の方がゐるので、その分の差し引きはあるけれども、ね。
ヒカリエの人形ギャラリーでは、ほぼ行くたびにそんな気分を味はへることがあつた。
最近はない。
おそらくおとづれる人が増えてゐるのだらう。
喜ばしいことである。
だからといつて上記のやうな感覚を覚えることがなくなつた、と、悲しむことはない。
さういふ状況の発生しやすい時間帯に行けばいいだけの話である。
だいたいしよつ中さういふ状況の中にゐるとまづい。
この施設が自分のためだけにあるかのやうな錯覚を覚えるやうになるんぢやあるまいか。
そんな気がする。
二月二十八日、三月一日と、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
美術館では、たつたひとりになるといふことはあまりないやうに思ふ。
単にしよつ中行くわけではないからさう感じるのかもしれない。
今回はちがつた。
まづ、二十八日の金曜日だ。
新宿を立つたのが午後一時。この日は美術館には行けないだらうと思つてゐた。
ところが、これまで飯田に行くやうになつてはじめて、バスが定刻前に終点に着くといふ事態に遭遇した。
行きも帰りも含めて、はじめてだなあ、こんなことは。
これなら間に合ふ、といふので、急遽人形美術館に向かつた。
入館券を求めると、「中は真つ暗ですけど、人に反応して電気がつきますから」と云はれた。
こんなことを云はれたのもはじめてだつた。
階段をのぼり、お手洗いで身支度を整へて展示室に入ると、ほんたうに真つ暗だつた。
注意を受けてはゐたものの、一瞬躊躇して、次の瞬間に照明がついた。
なるほど、客のゐないときは、電気を消してゐるのか。
照明は人形を傷めるものな。
すなはち、客は自分ひとりだつた。
普段の平日は、閉館一時間前などは、ずつとこんな感じなのではあるまいか。
一時間弱のことではあつたけれど、妙に濃い時間を過ごした。
翌日は土曜日で、団体客が多かつた。
おそらく観光バス一台分くらゐの人数で、すくなくとも三団体くらゐは入れ替はり立ち替はり来てゐたやうに思ふ。
盛況だなあ、と思つてゐたときのことである。
喧噪を避けて、川本喜八郎のインタヴュー映像などを見て、さて、と、展示室に向かつた。
中に入ると、真つ暗だつた。
え、と思つた。
団体客が去つて、束の間の空隙が生まれた。
さういふことだつたらう。
そんな時間が、団体客と団体客とのあひだにすこしづつあつた。
すこし、と書いたが、最長で一時間くらゐあつたかもしれない。
これまでこの美術館に来てゐて、こんなに長いことほかの客が来ないのははじめてだつた。
いままで、立ち止まつたことのない人形の前で立ち止まる。
さきほど、団体客への説明を小耳にはさんでゐたので、人形の前を左右に行つたり来たりしてみる。
それだけで、人形の表情が刻々と変はつていくやうすがよくわかる。
一度往復して、それでやめやう、と思ふ。
思ふて、しかし、こんな機会は二度とないかもしれない。
さう思ふて、また往復する。
往復して、自分の一番気に入つてゐる角度で立ち止まる。
これで終はりにしやう。
しかし、まだほかの客は来ない。
さう思つてまた一往復して、立ち止まる。
そんなことを下手したら三十分くらゐやつてゐたのではあるまいか。
我ながら、飽きないねえ、と思ふが、その時は「これが最後の機会だ」「これで最後だ」と思ひながらうろうろしてゐた。
ふしぎなもので、見れば見るほど別れ難い。
今回の展示を見るのはこれで最後だ。
さう思ふと、ますます別れ難くなる。
見れば見るほど好きになる、といふ研究結果はある。
でも、十分に見たのなら、そこで満足するはずだ、といふ思ひ込みがある。
ゆゑにふしぎに感じるのだらう。
一度見た展示にまた行くのはムダなのではないか。
行く前はさう思つてゐた。
今回は、飯田に行つて、正解だつた。
問題は、美術館はとくに、かういふ状況が頻繁に発生するとまづいなあ、といふことか。
まあ、美術館は人のゐないときは展示室の照明が落ちてゐるから人形にとつてはいいことなのか。
むづかしいな。
突然照明のついたとき、「チッ、邪魔な野郎が来たぜ」などと思はれてゐないことを祈るばかりである。
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