My Photo
May 2025
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

« 最近のノートとペンの組み合はせ | Main | 費やした時間で達成感を得るか »

Monday, 24 March 2014

なぜ編むのか

自分はほんたうにあみものが好きなのだらうか。

そんなことを考へてしまつたのは、_Free-Range Knitter_を読んだからである。

_Free-Range Knitter_は、副題に_The Yarn Harlot Writes Again_とあるとほり、_Yarn Harlot_の続編といつた趣の作品である。
The Yarn Harlot こと Stephanie Pearl-McPheeは、_Yarn Harlot_を出版した後もいろいろと本を出してゐる。その本は、_Yarn Harlot_につづくものではない、といふ判断なのだらう。

著者があみもの好きでなかつたら、誰をあみもの好きといふのか。
blogを読んでゐる人なら、さう思ふかもしれない。

しかし、_Free-Range Knitter_を読むと、そこのところのアイデンティティを考へさせられる。

たとへば、なぜあみものをするのか。
あみものが好きだから。
それは当然あるだらう。
けれども、著者はいふ。
「正気でゐるために、あみものが必要なのだ」と。

たとへば、銀行や役所で長い行列に並んでゐるあひだ。
たとへば、医者に行つて順番待ちをしてゐるあひだ。
あるいは、映画を見てゐる最中でさへ、著者はあみものが必要だといふ。
すべては「正気でゐるため」「節度を保つため」だ。

わかるなー。
なんとなく、わかる。
この本の中にも、「あみものをするなんて、我慢強いのね」みたやうなこを云はれることがある、といふやうなことが書いてある。
「それはちがふ」と、著者は云ふ。
我慢強くないから、短気だから、辛抱たまらぬから、あみものが必要なのだ、と。
あみものさへしてゐれば、待ち行列にも耐へられる。
手を動かしてゐれば、診療所の退屈な待合室にも座つてゐられる。
映画を見てゐるときに手が動いてゐないなんて、もつたいないぢやない。

最後だけはちよつと違ふか。
しかし、まあ、さういふことなのだ。
と、やつがれは思つてゐる。

ところでやつがれは、普段持ち歩く荷物が多い。
一時よりはだいぶ減らした。それでも毎日かばんが重たい。
それはなぜかと考へると、理由はいろいろある。
ひとつには、出かけたくないから。ひとつには、なにか自分を守るものがほしいから。ひとつには、持ち歩くものを厳選できないから。
そして、出先で突然することがなくなつてしまふことに耐へられないから。

そんなわけで、タティングシャトルにはいつも糸を巻いてあるし、巻いてゐる暇がないときには、糸ごと持ち歩いてゐる。
タティングシャトルを持ち歩くわけは、その方があみもの道具よりは小さくて軽いから。
それにすぎない。
実際、以前はあみかけのくつ下やマフラーを常に持ち歩いてゐたしね。赤坂駅で人を待つてゐるときに、エミーグランデでポットホルダーを編んでゐたこともある。

つまり、なにもしてゐない状況に耐へられないのだ。
そして、そのなにもしてゐない状況から逃れるには、あみものが(そしてやつがれの場合はときにタティングレースが)必要なのである。

時間をつぶすんだつたら本を読んだりスマートフォンをいぢつてゐたりすればいいぢやない。
さうも思ふ。
実際に、本もつねに持ち歩いてゐるしね。

でもそれぢやあダメなんだなあ、といふ話は、次回の講釈で。

« 最近のノートとペンの組み合はせ | Main | 費やした時間で達成感を得るか »

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference なぜ編むのか:

« 最近のノートとペンの組み合はせ | Main | 費やした時間で達成感を得るか »