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Tuesday, 18 March 2014

おなじものを何度も作るか?

一度作つたものを、もう一度作るか否か。
これはなかなかにむづかしい問題だと思ふ。

時間のある人はいい。
手の早い人はいい。

しかし、人は大抵ほかにもしなければならないことがあるし、そして世界は編みたいものや結びたいものであふれてゐる。
一度作つたものとおなじものを作つてゐたら、編みたいもの結びたいものをすべて作るのは、無理ではあるまいか。

無理である。
そもそも、おなじものを二度作ることを避けても無理である。
すくなくともやつがれはさうだ。

実は、ここのところタティングレースのドイリーを作りたくて仕方がない。

ドイリー。
それは不要なもの。

と、ここでも何度も書いてきた。

ドイリー。
それはレース編みの代名詞。入り口にして出口。なにか深遠なるもの。

えうは、レース作りをしてゐると、不要とはわかつてゐても折にふれてなぜか作りたくなるもの。
それがドイリー。
と、いつたところだらうか。

最近、日々見てゐるタティングレースのblogで、みなさんなんだかすてきなドイリーを作つていらつしやる。
最初は「ドイリーだからなあ。やつがれには不要不要」と思つてゐた。

しかし、何枚も見てゐるうちに、いつしか「作りたいなあ」と思ふやうになつてゐた。
この、「見てゐるうちに好きになる」は「視線のカスケード」などと呼ばれる現象だ。
たとへば、苦手なものも何度も見てゐるうちに苦手ではなくなつていく。
ゴキブリが苦手ならゴキブリを毎日見るやうにすればそのうちに、平気になつていく……
平気になるほど見たくないけどな。
といふか、ゴキブリが苦手なのは、普段見かけないからなのだらう。あるとき突然あらはれる。彗星のごとくあらはれる。ゆゑに苦手なのだらう。

それはさておき。

つまり、人の作つてゐるドイリーを見てゐるうちに、やつがれもまたドイリーを作りたくなつてしまつた。
さういふ寸法だ。

ほかの人々の作つてゐるものとおなじドイリーを作らうか。
さうも思つた。
でも、とりあへず自宅にあるタティングレースの本などを広げてみることにした。

作つてみたいドイリーはさまざまあれど、なんとなく目はかつて作つたことのあるドイリーに向いてしまふ。

疲れてゐるな。
さう思ふ。

疲れてゐるときといふのは、図を見ながらタティングするのが苦痛なのである。
ここのところThe Twirlyばかり作つてゐるのは、このモチーフが大層気に入つてゐるから、といふのが一番の理由だけれども、「なにも見なくても作れるから」といふのもまた大きな理由なのだ。
スティッチの数もシャトルを持ち帰る位置もスプリットリングの場所も、すべて頭に入つてゐる。

あみものblog界で有名なWendyさんは、かつて編んだものは編み方が頭に入つてゐるといふ。
なんでもMENSAの会員らしいからなあ。さういふ人はさういふ脳みそを持つてゐるのだらう。
我が身をふり返つてみると、つい最近編んだものでさへ、一度仕上げてしまふともうどう編んだものやらわからない。
それはタティングレースでもおなじことだ。
ゆゑに、かつて作つたことのあるドイリーだとて、いまから作つたらまた一からスティッチの数やピコの数を数へる必要がある。
これまで作つたことのない新たなものを作るのとまつたくおなじ手間がかかる、といふことだ。

それでもなほ、かつて作つたことがあるものを選び差うになる、といふことは、やはり疲れてゐるんだらうな。

そんなわけで、作るドイリーが決まらず、結局 The Twirly ばかり作つてゐる。
あー、でも、みんなが作つてゐるドイリーを作つてみるかなあ。

ところで、タティングレースでは栞はおなじものを何度も作つたことがある。
Mary KoniorのBlack Magicなどはいくつ作つたかわからないし、Kersty AnearのFloralもさうだ。
いくつも作つたはずなのに、いづれも手元にない、といふのが不思議なんだけどね。

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