つめ込め
つめ込み学習は、いけないことなのだらうか。
ずつといけなぃといふ論調があつて、なんだかさういふものなのだと思ひ込まされてゐる。
そんな気がしてならない。
いまの世の中、適切な検索語さへひき出せれば、記憶してゐなくてもなんでも探し出せる。
「ググれ」ばいいのだ。
さうも云はれてゐる。
だが、そもそも知らなければ検索しやうがない。検索しやうとさへ思はないだらう。
だいぶ前にある著名人が昔のバンド仲間に会つて楽しかつた、といふやうなことを呟いたことがある。昔のバンド仲間の名字はたまたま時の閣僚のひとりと同じだつた。
それを見て、「大臣に会ふのがそんなに晴れがましいことか」とかみついた人がゐて、ちよつと話題になつた。
かみついた人は知らなかつたのかもしれない。
呟きの主が過去には超絶有名な音楽グループにゐたことを。
そして、メンバーにとある大臣と同じ名字の人がゐたことを。
と、思ふてゐたら、世の中の反応はちがつた。
知つてゐて当然。
知らなかつたら「ググれ」。
知らないから、検索しやうなんて発想が生まれないのだらう、とは思つてもみないんだらうなあ。
知らなければ、調べてみやうなんぞとは思はない。
知らないから知りたい、と思ふといふことは、少なくともとつかかりについては知つてゐる。
入り口には立つてゐる。
まあ「なんで空は青いんだらう」だとか「なんで花は咲くんだらう」だとかいふ疑問を抱いて調べるむきもあるわけだが。
「あたりまへ」といふとらへ方をすると、調べてみやうなんぞとは思はない。
さういふことだらう。
だとしてもつめ込む必要はないのではあるまいか。
それはそのとほりだ。
でも、覚えてゐると楽しいことは世の中にいくらもある。
たとへばある和歌を読むとして、その歌よりも昔の歌に造詣が深ければ、「あ、この歌はあの歌をもとに詠んだものなのだな」とわかることもある。
知らなかつたら全然わからない。
そんなものがあるだなんて思つてもみないだらう。
記憶力のよい時期といふのはかぎられてゐる。
その時につめ込むのは至極合理的なことだと思ふがな。
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