編んでます編んでます
今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」を見始めた。
あみものの進むこと進むこと。
さうか、やつがれに足りなかつたのはこれか。
しみじみさう思つた。
何度か書いてゐるやうに、やつがれは芝居見物中だとて編んでゐたいと思ふ。
芝居がつまらないから、ではない。
芝居がおもしろいから、である。
Yarn HarlotのStephanie Pearl-MacPheeは、自著のなかで映画館で映画を見ながら編むときは木製または竹製の針を使用する、と書いてゐる。普段はメタル製の針を好むけれど、木製の方が音がしないからだ。
あみものの雑誌に連載されてゐるエッセイに、「こどもの運動会や学芸会を見てゐるときにも編みたい」と書いてゐる人がゐた。
この人は、クラシック音楽の演奏会を聞きに行つたときにも編みたい、と、書いてゐる。
この話は何度か書いてゐるか。
映画がつまらないから、自分のこどもが運動会や学芸会で活躍しないから、あるいは自分のこどもが出てゐないから編みたい。
さういふこともあるかとは思ふ。
やつがれの場合、TV番組の大半はそんな感じだ。
つまらないとは云はない。つまらないとは云はないが、TVを見てゐるあひだ、手持ち無沙汰なのだ。
手が動いてゐないこの時間がもつたいない。
そんなに真剣に食ひ入るやうに見るTV番組など、それほどない。
だいたいこどものころからTVを見ながら家族とオセロをさしてゐたやうな人間なので、なあ。
しかし、そればかりではない。
目の前でなにかすばらしいことが展開してゐる。
だから、自分もなにかすばらしいことをしながら見たい。
さういふことだ。
これも何度も書いてゐることだが、北村薫の小説で、主人公がおいしいクッキーを食べながら本を読まうとする場面がある。
おいしいものを食べながら本を読むのが至福の時なのだ、といふ。
好きなことをしながらもうひとつ別の好きなことをする。
また楽しからずや、である。
そんなわけで、ラグラン袖のリブタートルネックセーターの袖は、これまでになく進んだ。
とか云ひながら、まだ最初の片方の袖を編んでゐる最中だけれども。
袖は、二本の輪針を使つて編んでゐた。
これも進まない理由のひとつだつた。
輪に編む方法は、四つほど考へられる。
四本針・五本針を使ふ。
輪針を使ふ。
輪針を二本使ふ。
二本針で袋編みにする。
このうち、やつがれが好きなのは、四本針・五本針を使ふ方法か、普通に輪針を使ふ方法だ。
しかし、袖は輪針で編むには円周が短い。輪針だと早晩コード部分が邪魔になつてくる。
そして、ちやうどいいサイズの四本針・五本針が手元になかつた。
そんなわけで、同じサイズの輪針を二本用ゐて袖を編みはじめた。
円周の短いものを輪針で編むなら、二本使ひをするよりはマジックループの方が好きだ。
しかし、クロバーの匠の輪針のコードは、マジックループに用ゐるには硬過ぎる。
苦渋の決断であつた。
輪針の二本使ひのなにが苦手といつて、編んでゐない方の針がぶらぶらすることである。
また、編んでゐない方の針で編みはじめやうとしたときに、針に目をうつす作業がわづらはしい。
くつ下など円周の短いものを編むときに輪針の二本使ひを好む人がゐるといふけれど、とても信じられない。
この方法のなにがいいのか、さつぱりわからないからだ。
もちろん、四本針・五本針や、コード部分のやはらかい長い輪針が手元にない、といふのなら仕方のないことではある。
といふわけで、今回何年かぶりにやつてみたわけだ。
ダメだ。
この方法は、やつがれにはむかない。
針から針に移動するときに、目を針にうつす作業が発生するのに堪へられないのだ。
業を煮やして京橋の越前屋で五本針を買つてきた。
最初からさうすればよかつたよ。
かくして、さくさく進むやうになつた(当社比)袖の編みを、できるだけ早く終はらせたいと思つてゐる。
このセーター、試着すると薄くてぬくいんだよね。
ここのところ突然寒くなつてきたし、いいと思ふんだよね。
夜八時からはじまるTVドラマでも見ながら編むとするかな。
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