飯田市川本喜八郎人形美術館 劉備と曹操 のうち劉備
12月21、22日に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
前回、「劉備と曹操」のケースの話のうち、曹操だけで終はつてしまつた。
といふわけで、今回は劉備。
曹操とその仲間たちの一番左端は程昱と典韋。
その左隣に立つのは美芳と淑玲とである。
え、それつて、つまり、張飛とかを隣に立たせたら、一触即発つてな感じだから? いや、即戦つてしまふかもしれないか。
そんなことを思ひながら見る。
美芳は手前に立つてゐる。
これが、妙に可愛くてなあ。
前回の展示のときも、ケースの左端から見たときの美芳は可愛かつたけどね。その位置から見ると、張飛の方を見てゐるやうにも見えたんだよね。
今回はとくにどこを見てゐるといふわけでもない感じ。
しかし可愛い。どうしたんだらう。
さういへば、前々回の貞姫も異様に可愛かつたのに前回は全然そんなことなかつたんだよなあ。
ほんとに飾り方ひとつで違ふんだなあ。
美芳は、腰にちいさなポシェットを提げてゐるのも可愛い。売り上げを入れるんだらうか。ちいさいからハンカチとかなんとかが入つてゐるのかな。衣装と色や模様をあはせてあるのもお洒落。
美芳の背後には淑玲と玄徳の母とがゐる。
左側に玄徳の母が座つてゐる。
人形劇ではかなり辛辣なことも云ふし、厳しいところもある母親だ。
でも、飯田にゐる玄徳の母は、なんだかさつぱりした顔つきの気さくさうなおばあさんだ。
気さくさうな、といふのは人形劇でもさうか。
その右にゐる淑玲は、今回はちよつとうつむいて立つてゐる。
前回の展示のときは、空を見上げて胸を抱くやうにして立つてゐた。これがいたく可愛くてなあ。まるで「玄徳さま」などと呟いてゐるかのやうに見えたものだ。
何度か書いてゐるけれど、人形劇の淑玲は、大変可愛く見えるときもあれば、なんだかもつさりとどんくさく見えることもあつた。
今回の淑玲も可愛いなあ。
学芸員さんは、「なんだか落ち込んでゐるやうに見える」といふやうなことを云つてゐた。
今回展示に玉桃がゐるからだらうか。
といふ話は、また玉桃が出てきたときにでも。
そんなわけで、今回の展示では、落ち込む淑玲を励ます玄徳の母、みたやうな感じになつてゐる。
なんだかいいぞ。
その左手前に張飛がゐる。
今回の最初のエントリで、川本喜八郎が小川英に送つたといふ三兄弟のことを書いた。
現在ヒカリエにゐる張飛もさうだけれども、作りなほした張飛は、どこかまぢめさうに見える。
人形劇に出てゐた張飛はもつと可愛かつた。人形劇用といふことで、意識してさう作つたといふ向きもあるのかもしれない。
飯田のこのケースにゐる張飛は、たしかに展示室の入口付近にゐる張飛やヒカリエにゐる張飛よりは可愛い。カシラが全体的に丸みをおびてゐるし、目も丸い。
でも、なーんか違ふんだよなあ。
動いてないからかなあ。
さう思つてよくよく見てみると、この張飛には目尻に朱がさしてある。
んー、人形劇の張飛はさうだつたらうか。
いや、そんなことはないはずだ。
もしかすると、物語終盤にはさうなつてゐたのかもしれない。
最後は亡霊として登場するしね。いまはの際の孔明を迎へに来る一団の中にゐたんだよね。
張飛はわづかに左の方向を見てゐる。
そちらの方向に敵でもゐるのか。
しかし、弱過ぎるのかはたまた遠過ぎるのか、ちよつと気の抜けたやうなやうすに見える。
蛇矛も構へてはゐないしね。
その斜め後ろに玄徳。
玄徳は、前回の展示のときは実にやうすがよかつた。
「玄徳つてこんなにやうすがよかつたか知らん」と失礼なことを思ふくらゐよかつた。
白竜に乗つてゐたからかもしれない。白馬の王子さま(髭はあるけど)といつた趣だつたんだよな。
今回ゐる玄徳も前回の玄徳とおなじかと思ふが、前回の凛々しさには欠ける。
ふしぎである。
手には采配を持つてゐて、張飛とおなじやうにやや左を見てゐる。
玄徳についてはちよつとがつかりする話を聞いてしまつた。
髭のない玄徳はもうゐないのださうである。
がーん。
川本喜八郎は直接玄徳のカシラに髭を描いてしまつたといふんだなあ。
さ、さうなのかぁ。
思ふに、淑玲と結婚した後のあのカシラは、髭の描かれた後のカシラだつたんだらう。
ショックだなあ。
でも云はれてみればさうであつたか、とも思ふ。
人形劇三国志の第23回「三顧の礼」で孔明と対峙する玄徳は、孔明より若く見えるもんなあ。親子ほども年がちがふといふのに。
年が若く見える所以はカシラだけではないとは思ふけれどもね。多分に姿勢がものを云ふ気がするんだ、若さには。
それに、川本喜八郎は、玄徳を元々もうちよつと年上な感じに作るつもりだつたやうなことを云つてゐるしね。
そのせゐか、夏に買つたTシャツの絵の玄徳にも髭がある。
その斜め前に関羽。
関羽は、人形劇のときが圧倒的にやうすがよかつた。
さう思つてゐる。
ヒカリエにゐる関羽と比べると、目がすつきりしてゐるのだ。切れ長な感じ、とでも云はうか。
でも今回飯田で見て、やつぱりなんか違ふ気がしたんだなあ。
どうやら関羽の顔にもところどころに朱がさしてある。
最近見た第58回「関羽死す」でもなかつた気がする。
関羽は、死して後もかなり何度も登場する。もちろん亡霊として。
その時に朱をさした、といふことは考へられる。
しかし、前々回前回今回と展示を見てきて、まつたくおなじ人形でもちよつとした恰好のちがひでまつたく異なる人形に見えるといふのを痛いほど経験した身としては、今回はたまたまかういふ感じに見える、といふだけなのかな、といふ気もする。
関羽もまたやや左を見て立つてゐる。
張飛とちがふのは、戦はうと思へば即戦へるやうなやうすに見える、といふことか。
青龍刀の構へ方がね、そんな感じなんだよね。
かういふ細かいところで関羽と張飛との違ひが見えるのが楽しいよなあ。
今のヒカリエの展示でもふたりの違ひがわかるやうになつてゐる。
このケースの一番右端は趙雲。
趙雲は、前回の展示のときの玄徳の前に畏まつて膝をついてゐる感じが大変によかつた。
うつむいた横顔のすてきだつたこと。
今回は、正面を向いて立つてゐる。
かうして見ると、趙雲もかなり困惑したやうな表情をしてゐる。
眉根が寄つてゐるんだよな。
趙雲つてこんなだつたか知らん。
人形劇の趙雲には「いつも爽やか好青年」といふ印象しかない。
なにしろ、趙雲を老いぼれ呼ばはりした、といふので姜維はやつがれの不興を買つてゐるくらゐである。
わかつてゐる。
姜維の出てくるころの趙雲はすでに老将なわけで、敵に老いぼれ呼ばはりされても仕方がない面もないわけではない。
それでもなほ、人形劇の趙雲は死のそのときまで「いつも爽やか好青年」なのである。
今回の展示の趙雲はその「爽やか」な面もあまりないし、「好」青年にも見えないなあ。
槍を肩に担いでゐるあたりとか、ちよつとやさぐれてゐるやうにも見えなくもない。
さういふ趙雲を見るのもまた一興か。
桃園の誓ひ・黄巾の乱・宮中の抗争についてはこちら。
漢末の群雄と連環の計の前半についてはこちら。
漢末の群雄と連環の計の後半についてはこちら。
劉備と曹操の曹操部分についてはこちら。
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