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Wednesday, 08 January 2014

飯田市川本喜八郎人形美術館 三顧の礼

12月21、22日に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

今回は「三顧の礼」のケースについて書く。

ケースの一番左端にゐるのは徐庶の母である。
ちいさい老婆だ。
ちいさい老婆なんだけれども、きりりと結い上げた髪といひ、凛とした表情といひ、任侠の道を行く息子の母、といふ感じがする。
もしかしたら母親の方が任侠の人なのかも。
そんな気さへするほどだ。
徐庶の母の衣装は、地味な色合ひである。淡い黄色かなんかの地に焦げ茶の模様が浮いて見える。これが煉瓦を積み上げたやうな形、といふよりは網代に組んだ感じの細かい格子模様になつてゐる。
人形劇で見たときはそんなに細かく見えなかつたんだがな。かうして見ると、実に細かい。
程昱のときにもちよつと書いたやうに、人形が着てゐてこれだけ細かいのだから、人間が着たらほとんど無地のやうに見えるんぢやあるまいか。
質素な感じだが、いい衣装だと思ふ。

その隣に立つてゐるのが息子の徐庶。
衣装は玄徳に召し抱へられて以降のものだらう。
その目は向かつて左を睨んでゐる。ケースの左脇から見るとなんとなく目が合ふたやうな気分になる。
そして、この角度から見た徐庶が一番すてきだ。
真正面から見ると、徐庶にはどこか遊侠の人の雰囲気が漂つてゐるやうに見える。
衣装の着付け方のせゐかと思ふ。
人形劇三国志では、親子・兄弟がほとんど似てゐない。
似てゐるなあと思ふのは、張角・張宝・張梁の顔の形と、馬騰と馬休とくらゐかなあ。
何進と何后とも全然似てゐない。何后と弘農王とにもおなじことが云へる。
玄徳の母と玄徳とも似てゐないしなあ。
といふわけで、徐庶の母と徐庶とも、似たところはない。
似たところはないのだけれど、どことなく漂ふ任侠の人の感じはよく似てゐる。
さういふ目で見るからなのだらうか。

徐庶の右手前に、水牛に乗つた勝平がゐる。
ちやうど飯田行きのバスの中で、この水牛と勝平とを見た。
水牛がリアルなんだよね。とくに角がすばらしい。
実物を見るとやはりよくできてゐる。
勝平は笛を持つてゐる。
考へてみたら人形劇三国志では孔明と関平とは兄弟子・弟弟子の関係なのだなあ、とかいまさらながらにしみじみ思つた。
全然そんな感じしないけどね。
でもさういへば勝平が星を見て云々したときに、関羽が「星を見るのは孔明殿に任せておけ」といふやうなことを云ふてゐたつけか。
このころはまだこの子が関平になるとは夢にも思ひもしなかつたがなあ。

その背後に水鏡先生が立つてゐる。
水鏡先生は、そのカシラがとてもリアルだ。
人形劇三国志の人形のカシラは、基本的にはデフォルメが効いてゐる。
川本喜八郎は、文楽のカシラをモデルに人形のカシラを作つたと云つてゐた。
ゆゑにデフォルメの効いた感じになるのだらう。
おなじ老人の顔でゆくと、黄忠は鬼一、黄蓋ももしかするとさうかな、厳顔はまた違ふ気がする。舅、かなあ。いや、これはやつがれが勝手に思つてゐるだけだけれども。
で、水鏡先生はなにか、といふと、これ、といふカシラが思ひ浮かばないのだ。
見る角度によつては、先代の中村又五郎によく似てゐる。
来るバスの中でも水鏡先生を見ながら、「播磨屋だなあ」とずつと思つてゐた。
ときにやさしげ、ときにきびしげに見えるあたりも、とてもよいカシラだ。
また、水鏡先生は衣装がとてもすばらしい。
おそらくは白もしくは銀鼠のごく淡いやうな色なのだと思はれるのだが、見る角度によつて色が全然違つて見えるのである。
絹、だらうな。
織の技法で絞つたやうな効果を出してゐるのだらう。
細かい柳の葉のやうな形の凹凸があつて、それで光の加減で白つぽくも黒つぽくも見えるやうになつてゐるのだ。
いいなあ。
これ、人間が着ても絶対すてきだらうなあ。
つて、もともとは誰かが着てゐたものだらうけれども。
そんなわけで、ひたすら水鏡先生の前をうろうろしては衣装の見せるさまざまな表情に見とれてしまつた。
もちろん、そのたびに印象の変はる水鏡先生にも見とれたことはいふまでもないだらう。

その隣に立つのは孔明だ。
師匠の衣装は立派だけれど、孔明の身につけてゐるのは寝間着である。
実は、水鏡先生の衣装が立派に見えるのは隣に立つ弟子が寝間着姿だからなのではあるまいか、と、ちよつとした疑心暗鬼にかられたりもした。
寝間着姿にも関はらず、手には白羽扇を持つてゐる。
さすが孔明。
孔明は前回も前々回もケースの奥の方にゐた。間近で眺めるのは、ここでは今回がはじめてである。
寝間着姿だからだらうか、その双眸も起きたてのやうにうるんで見える。
そして、寝間着姿にも関はらずなんとなくこちらを迎へ入れてくれてゐるやうな感じにも見える。
なぜだらうと思つてよくよく見ると、わづかに前のめりに立つてゐるんだな。ケースの右端から見ると、孔明は前傾してゐるのがわかる。
寝起きだらうに。
ま、迎へられてゐるのは玄徳なんだらうけどね。

その孔明から目を右下にうつすと、そこには石広元・孟公威・崔州平がゐる。
この三人が実にいいんだなあ。
いかにも飲んだくれつつ議論白熱、みたやうな感じで。
石広元がとろんとした目で見守る中、孟公威が鋭く崔州平を問ひつめ、崔州平は倒れた瓶に寄りかかるやうにして「そんなこと云つたつてよー」とでも云ひたげに口をとがらせてゐる。
そんなやうな図だ。
いいなあいいなあ。
人形劇には崔州平はひとりで出てきて玄徳に哲学的な答へを与へるだけだ。孟公威と石広元とは一緒に出てきてやつぱり飲んだくれてゐるところが出てくるけれどもね。
実際はどうだつたんだらうか。三人でかうして飲んでは議論をする、あるいは議論しつつ飲んだりしたことがあつたのだらうか。
史書には孔明の高言を受け入れてゐるのは崔州平と徐庶とのみ、みたやうなことが書いてある。
案外、孔明評で三人で意見が割れてゐた、とか、さういふ図なのかもしれないな。

孔明の隣には諸葛均がゐる。
今回、展示室の外では人形劇三国志DVDの六巻がエンドレスで流れてゐた。
リアルタイムの放送から三十年ぶりに、諸葛均の「兄はゐません」を聞いた。
記憶通りだつた。
いやはや、いいなあ、諸葛均。あのとりつくしまもにべもないクールなところがたまらない。
兄が若干前のめりに立つてゐるのに対し、弟はほぼまつすぐに立つてゐる。
皇叔だらうがなんだらうが、平等に扱ふ理知の人。
そんな感じがする。
ここの兄弟は上から段々情が薄れていくのにちがひない。
瑾が珪の子かどうかといふのはまた別の話。
諸葛均の顔は頑固さうに見える。意志がかたさう。
人形劇ではもうちよつと活躍を見たかつたねえ。

といふわけで、あと二回くらゐつづく。

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