ちよつとした変化
ココログでは、特に設定をいぢらないと、一度に十件のエントリを表示するのらしい。
「らしい」といふか、さうなつてゐるからさうなのであらう。
そんなわけで、二週間に一度は川本喜八郎人形ギャラリーなり飯田市川本喜八郎人形美術館のことを書きたいと思つてゐる。
このブログを表示したときに、一件でも彼らに関する話題があると嬉しいからだ。やつがれが。
などと書きつつ、ここのところ彼らについてはなにもないエントリがつづいてゐた。
もう一月も終はる。
一月の川本喜八郎人形ギャラリー模様について、ちよこつと記録を残しておきたい。
この前の年末年始もさうだつたやうに、今回も渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーではちよつとした展示替へがあつた。
入口前のガラスケースの展示が正月仕様になつてゐた。
麻鳥とその子らが立つてゐるケースが、年末から年始にかけて、迦葉になつてゐた。
髪を結ひ、紫地に金糸で鳳凰(だらう)を描いた豪勢な着物を着てゐて、三番叟の持つてゐるやうな鈴のやうなものを掲げて立つてゐた。
展示替へはそれだけ。
そのつもりで中に入つてみたらばこは如何に。
北条義時の目が、前を向いてゐるではないか。
以前も書いたやうに、義時は、目だけ左の方を見てゐて、それがなんともよかつた。
そんな義時を左側から見たときのやうすのいいことといつたら。
北条義時といふのは、こんなにいい男だつたのかのう。
さう思ふことしきりであつた。
その義時が、真正面を見てゐる。
いや、まあ、いいんだけど。
さう、これがまたいいのだ。
正面を見てゐると、趣が変はつて、それはそれでいいんだなあ。
さうして見ると、義時は結構いい男に作られてゐることがわかる。
左を見てゐる義時の方が好きではあつたけれど、正面を見てゐる義時は、それはそれでいい。
さう思つた。
目を左に転じると、定綱もちがふ。
定綱は、前はすこし顎をあげた感じであつた。
頼朝の乗る馬の手綱を手に、わづかに馬を見上げるやうな、そんな感じで立つてゐた。
その定綱が、顎を引いてゐる。
最初は、記憶違ひかと思つてゐた。
定綱はもともとさうして立つてゐて、やつがれの記憶がまちがつてゐるのではないかと思つた。
しかし、義時のこともある。
おそらく、ちよつとばかり定綱の顎を引いたんだらうな、迦葉を飾るときに。
さうして見ると、定綱は顎を引いてゐる方がよいやうに見える。
以前より思慮深げに見えるのだ。
頼朝の忠義な家臣。
そんな感じが強くなつた。
迦葉は、1月19日まで飾られてゐた。
その後、ギャラリーをおとづれたら、なななんと、義時の目が、また左を見てゐるではないか。
なんとまあ。
この方が、胸に一物あり、といふ感じがしていい。
でも、真正面を見てゐた義時もよかつたなあ。
こんなちよつとしたことで、全然印象が変はるんだなあ。
しみじみ。
ところで、定綱は今でも顎を引いたままで立つてゐる。
定綱はこの方が好きだな。
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