生地の再現
三連休の最初の二日、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
詳しい話はまた後日にまはすとして、ざつと書くと、人形劇三国志はわりとオールスター但し孫権以降の江東を除く、といつたところ。
人形アニメーションは花折りや鬼、道成寺に不射射、火宅に李白といつたさまざまな作品に出演した人形が並べられてゐる。
平家物語はなし。
今回はとにかく人形アニメーションの李白がすばらしくて、その周りをぐるぐる回つてひとり回り込みを実現してゐた。
もうひとり、目を奪はれたのが、水鏡先生である。
もつといふと、水鏡先生の衣装、かな。
たまたま飯田行きの前日に人形劇三国志DVDの六巻が手元にとどいた。
はからずも飯田への道中、水鏡先生初登場の場面を見ることになつた。
水鏡先生とはリアルタイム放送以来だ。変はらないわー。あたりまへだけど。
どこか先代の中村又五郎を思はせる風貌も、あの喋りかたもなにもかもなつかしい。
今回の展示には、この水鏡先生もゐる。
人形劇を見てゐたときには気付かなかつたけれど、その衣装が実にいい。
見やうによつては白にも濃い灰色にも見える。
よくよく見ると、柳の葉のやうに細く長い模様を凸凹に配置したやうな生地だ。
織りの技法によつてさういふ効果を出してゐるものかと思はれる。
多分、白または銀鼠のやうな淡い灰色の絹糸で織られてゐる。凸凹が色の濃淡になつてあらはれるのだらう。
いいなあ。人間が着ても絶対いい。渋くてそれでゐて絹の光沢が華やかだ。
まあ、もともとは人間の着てゐたものだらうけれど。
あまりにも気に入つてしまつたので、とにかく見つめてみた。
織りはわからんなあ。
だが待てよ。
これ、編みで再現できるんぢやあるまいか。
ゴム編みの変形といふか、かのこ編みの変形といふか。
そんな感じで編地に凸凹を作つたら、いいんぢやないかなあ。
しかも、絹糸で。
そんなわけで、帰りの道中は水鏡先生の衣装を再現することばかり考へてゐた。
帰宅していろいろ見てもみた。
二目一度とかけ目とのくり返しでも似たやうな効果が出る。
すくなくとも毛糸なら出るだらう。
問題は、絹糸でかけ目をすると目が大きくなつてしまふことなんだよなあ。
うーぬー。
悩むよりは実践あるのみ、かな。
この休みにでも、ためし編みをしてみるか。
ところで水鏡先生の隣には寝間着を着た孔明が立つてゐた。
もしや、水鏡先生の衣装が立派に見えたのは、隣の弟子が寝間着姿だつたからではあるまいか。
そんな気もする秋のゆふぐれ。
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