地動説を信じてゐたはずが
自分の力でどうにもならないことは、悩んでも仕方がない。
そのとほりである。
だから、出勤する朝、人身事故とやらで電車が止まつてゐても、悩むことはない。
さういふものなのである。
自分にできることは、事故があつても間に合ふやうな時間に家を出ること。
それくらゐだ。
と、達観するには、未だ至つてゐない。
だいぶさういふ風に考へられるやうになつてきたとは思ふ。
しかし、疲れはどうにもならない。
普段の通勤時間が下手すると一時間くらゐ伸びてしまふのだ。
朝家を出た時間はいつもとおなじなのに、職場に着く時間はいつもより遅れる。
すなはち、帰りもいつもより一時間は遅れる、といふことだ。
気疲れはもちろん、身体的な疲れは如何ともし難い。
さうすると、悪循環で気分の方も落ち込んでくる。
疲れは気から?
まあ、さうなのだらう。
そこがどうにもならないから困つてゐるのだ。
これはなにも通勤時の電車の遅延にかぎつたことではない。
自分の力ではどうにもらならないとなど、いくらでも起こりうる。
それらをさういふものとして受け流すにはどうしたらいいのか。
巷でいふ「スルー力」が足りないのか。
それはあらう。
一番大きい障碍は、「世界は自分を中心に回つてゐる」と無意識のうちに思つて
ゐること、なんだらうけどね。
世界の中心は自分でなどあり得なくて、あなたの人生の中ではあなたが主人公なのかもしれないが他人の人生の中ではあなたは脇役で、ものごとの中心にゐるよりものごとの周辺にゐた方がずつといろいろものが見えるぢやあないか。
さうも思ふ。
といふか、自分ではずつとさう思つて生きてきたつもりだ。
でも、ちがふ。
無意識層では、「世界の中心はヲレ」なのだ。
日曜の朝にプリキュアなんぞを見てゐると、「ジコチュー」とかいふのが出てくる。
なんだよ、やつがれの「ジコチュー」の足元にも及ばないぜ。
見るたびにさう思つてゐる。
ひきこもり願望が強いのは、「世界の中心はヲレ」な自分を守りたいからなんだ
らうな。
世界の中心は自分ぢやない
そして、ときにその現実を受け止めることができない。
昨日、横入りされて、そんなことを考へてゐた。
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