手帳に書くこと
来年の手帳を使ひはじめてゐる。
来年の手帳はSmythsonのSchott's Miscellany Diaryだ。
11月の最終週から使へるやうになつてゐる。
使ふ前は、11月25日を心待ちにしてゐた。
気がつけばその日だつた。
実際には、それ以前から予定などをちよこちよこ書き込んではゐたけれど、手帳が来たばかりのころは来年の用事といつて、青山劇場の「真田十勇士」しか入つてゐなかつた。
いまでも芝居の予定以外は入つてゐないなあ、来年については。
もともと、やつがれにはあまり予定などない。
あるといつて、芝居見物の予定くらゐである。
芝居見物に行ける日は限られてゐる。
したがつて、予定が重ならないやうにしたい。
手帳を使ふ理由といつたらそれくらゐかなあ。
仕事関連の予定は、持ち歩くものにあれこれ書き込むのはちよつと抵抗があるんだよね。
昨今、「セキュリティセキュリティ」とたくさんさうにかまびすしいからだ。
それで書き込むとしても、なんの、とは書かずにただ「会議」とか、会議室の場所だけ書くとか、客先の最寄り駅だけ書くとか、さういふことになる。
ところで世間で「セキュリティ」とかいふときに問題になつてゐるのは、持ち運びのかんたんなノートPCとかタブレットPC、携帯電話にスマートフォン、と相場がきまつてゐる。
手帳は、見過ごされてゐることが多い。
先日、手帳を落としたといふ人の話を聞いた。
関係先を謝罪して回つたとのことだけれども、社用の携帯電話やPCをなくした時ほどのお沙汰はなかつたやうだ。
をかしい。
手帳の方がよほど危険なのに。
だいたい社用PCや携帯電話には、パスワードを設定するきまりがあることが多いと思ふ。最近ではさうしたきまりのない企業の方が少ないのではあるまいか。
だとしたら、誰かが置き忘れたPCを入手したとしても、なかの情報を取り出すにはそれなりに苦労しなければならないはずだ。
なかにはさうしたことを生業にしてゐる人もゐやうから、「そんなの、かんたんだよ」といふ向きもあらう。
でもなあ、やつがれだつたらやらないな。めんどくさいもの。
その点手帳はちがふ。
開いたら即中身が見える。
鍵付き手帳を使つてゐるならともかく、そんな人は見たことないしなあ。かく云ふやつがれも使つたことはない。
「自分は悪筆だから大丈夫」といふ人もあらう。
さういふことはあるかな、とは思ふ。
しかし、いくらなんでも最低限自分には読める字で書くだらう。
といふことは、ほかの誰かにも読める可能性が高い、といふことだ。
悪筆読解担当だつたことのあるやつがれの云ふことだ。間違ひはない。
とはいふものの、世の中の「セキュリティ」とかいふものは、ちよつと過剰になりすぎてゐる気はする。
それくらゐしないと、といふか、それくらゐやつてもなほ、セキュリティに対する意識の低い人は低いし、なにも考へてゐない人もゐる。
だから仕方ないのかなあと思ふ一方で、どうも「取り締まるために取り締まつてゐる」やうすが見受けられるのだ。
社内でセキュリティ担当になつた人を見てゐるとわかる。
自分には社のセキュリティを守るといふ任務が与へられてゐる。
そのためには、どんな過酷なことでもする。
こんなことを書くと、「そんな人間、ゐないよ」といふ人もゐるかもしれない。
人間は、取り締まる側に回ると、なんでもする。
大義名分を与へられると、人殺しも辞さない。
校門圧死事件がいい例である。
遅刻はいけないことだ。取り締まる必要もあらう。
だが、遅刻した人間を殺してもいいものだらうか。
取り締まる側は、「遅刻はいけないことだ」「取り締まらねばならない」といふ思ひにとらはれて、そして、そんな他人を取り締まる力を持つた自分にいつしか酔ふて、大切なことを忘れてしまふのだ。
手帳には、そんなことも書き込んだりしてゐる。
なにしろ予定がないものでな。
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