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Tuesday, 31 December 2013

飯田市川本喜八郎人形美術館 漢末の群雄と連環の計

12月21、22日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つた話のつづきである。

黄巾の乱の後、といふか、董卓とその討伐軍の人々のケースがかなり圧巻である。
「漢末の群雄と連環の計」といふテーマのケースである。

この美術館にはじめて行つたのは4月のこと。それ以前のことは知らない。
人形劇三国志の人形展といへば、新宿高野で開催されたものに行つて、そのあとは当時ジャスコといふてゐた各地のスーパーマーケットで開かれたものに行つたくらゐだ。
すなはち、三十年近く前に会つたきりの人形がここにゐることになる。

ケースの左端奥からいくと、袁紹などはまさにその「三十年ぶり」のひとりだ。
袁紹は、渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーの前回の展示のときのお気に入りでもあつた。
ヒカリエの人形劇三国志の人形は、何度も書いてゐるが人形劇に出てゐたものではない。新たに作りなほされたものである。
作りなほされた袁紹はえらく立派であつた。
衣装の色も紫はもとのとほりとはいへだいぶ華やかだつたし、黄色だつた部分はオレンジがかつてゐて、これまた華やかさを弥増しにしてゐた。
頬の赤みも「きこしめしてゐるのか?」と思ふくらゐで、それがさらにお大尽感を醸し出してゐたやうに思ふ。
今回飯田にゐる袁紹は、当然人形劇のときのままなので、衣装の黄色い部分は黄色いし、といふよりはむしろ金色といふべきかもしれないが、紫の部分はちよつと上品な感じの紫だ。
ヒカリエにゐた袁紹に比べると、地味、とはいはないが、チトおとなしい出で立ちである。
そのせゐか、なんだか妙にやうすがいいんだなあ。
なんていふんだらう、若々しい感じがする、とでもいふのかなあ。
登場したばかりのころの袁紹つて、こんな感じだつたよな。
後の優柔不断でダメダメな袁紹とはちがふ、若くてはりきつてゐて、天下取りに一番近い位置にゐた人。
今回の袁紹にはそんな趣がある。
若さゆゑに、未来がある。
そんな風に見えた。

その前にゐるのが袁術。こちらも「三十年ぶり」だ。
このたびしげしげと見たところ、袁術はわりといい男の顔立ちなのだな、と思つた。
いい男なんだけど、顔の左右のバランスがかなりくづれてゐるのでさうは見えない。
顔の左右のバランスはどの人形でもちがふのださうだけれども、袁術はとくにバランスがくづされてゐるやうに感じる。
眉とか目とか鼻とか口とか、部分的にはとてもよい形をしてゐる。
でも、左右で互ひ違ひになつてゐるせゐで、そのよさがチト影をひそめてしまつてゐる。
さういや、轅門の呂布が袁術と玄徳とに休戦をもちかける場面でも、袁術は妙にやうすがよかつたんだよな。かうして見るとそれも納得できる。

さらにその前にゐる劉璋も「三十年ぶり」仲間だ。
劉璋は本来はここには入らないのだけれども、と、人形の説明文のところにもある。そのとほりだけれども、いいんぢやないかな。
人形劇の劉璋といふと、なんともお間抜けな人、といふ印象がある。
やつがれの勝手な思ひ込みかもしれないけれど、劉璋と劉表とはなんとなく似てゐる。あ、人形劇では、ね。
なんとなく似てゐるのだけれど、劉璋はバカ殿、劉表はお人好しのお大尽、といふ相違がある。
さう思つてゐた。
けれども、目の前にゐる劉璋はどこからどう見ても立派な殿さまだ。
顔立ちもきりりとして見える。
うーん、をかしいなあ。どこで印象を受け損ねたんだらう。
劉璋は、沓もおもしろい。沓の先に龍の飾りがついてゐるのだ。多分、今回展示されてゐる人形の中では一番豪華な沓を履いてゐる。

その横にゐる李粛も「三十年ぶり」。つて一々書くのも何かね。
劉璋のとなりに李粛つてのがなんとも妙な並びではある。
人形劇の李粛は、呂布のもとに赤兎を運び、丁原を裏切つて呂布につけ、と、暗に告げるだけの人物である。その後のゴタゴタとは無縁だ。
虎賁中郎将なんだよね。近衛の隊長、みたやうな感じだらうか。
ゴタゴタとは無縁の近衛の隊長である李粛は、腕を組んでやや足を開き気味に立つてゐる。
偉さう。
董卓なんぞが出てこなければ、つつがなく勤め終へた人なのかもしれない。
そんな趣がある。

ケース後方には貂蝉がゐる。
舞の最中だらうか、ほぼ正面を向いてゐる。
実に華やかだ。
これが前回飾られてゐたのとおなじ人形だといふのだからなあ。
おなじ人形といふだけならそんなにおどろかない。
衣装も装飾品も、すべて前回とおなじなのだといふ。
いや、前回、こんなに華やかぢやなかつたけどなあ。
前回見に行つたときも「はかなげな感じ」とか書いてゐるし。
このとき、学芸員の人に「下からふりあふぐやうに見るとふんはりとやさしい表情をしてゐるんですよ」と教へてもらつた。
今回の貂蝉は位置的にも下からふりあふぐやうに見るのはちよつと無理だ。
無理だけど、華やかな佳人といつた風情は貂蝉にふさはしい。

ケース後方中央には、赤兎に乗つた董卓がゐる。
赤兎は、前回は関羽を乗せてゐた。このときは静止してゐるやうな感じで飾られてゐた。
今回、ちよつと動きがあつて、それがいい感じだ。
学芸員の方の話だと、たてがみも前回とすこし変へてゐるのだといふ。
これで乗せてゐるのが董卓でなければねえ、とは云ふてはいけないことだらうか。

しかし、その董卓がまた立派でいいんだよなあ。
以前から何度か書いてゐるけれど、人形劇三国志に出てくる董卓には、どこかだらしない印象を抱いてゐた。
ヒカリエの一番最初の展示のときにゐた作りなほされた董卓は実に立派でやうすもよくて、「やうすよく作りなほしたのか知らん」くらゐに思つてゐた。
飯田の前回の展示で董卓を見て、自分の抱いてゐた印象がまちがつてゐたのかな、と思ふやうになつた。
人形劇に出てゐた董卓も、立派に見えたからだ。
黒地にいろんな色合ひの金糸の刺繍をほどこした衣装が立派さを醸し出してゐる。
いろいろ考へたけれど、初登場当時の、知恵の輪に夢中だつたころの董卓にだらしないところがあるやうにも思ふ。
なにがだらしないつて……うーん、髭、かな。
もしかしたら、すこし離れたところから見ると、髭のだらしない感じがよく見えないのかもしれない。

といふわけで、このケースの中身についてはまた後日。

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