減らし目なんていらないのでは
この週末、大阪と京都とへ行つてきた。
大阪へは文楽の「伊賀越道中双六」の通しを見に行つた。
前回の通し上演は二十二年前のことである。
今回を逃したらまた二十年待たねばならないかもしれない。
ほんたうは、東京の国立劇場で見たかつた。しかし、行ける日に席がなかつた。
また、今年は十二月の京都には行かないことにした、といふのも大阪行きの理由のひとつである。
毎年十二月は京都に顔見世を見に行くことにしてゐる。さう云ひながら、これまでも行かない年もあつた。「これが顔見世の演目・配役か」と怒つた年は行つてゐない。
今年は……まあ、いろいろあつて行かないことに決めた。
ゆゑに、「だつたら大阪に文楽を見に行つてもいいかな」と思つた、といふ寸法である。
といふ話は、またの機会に譲ることにして。
そんなわけで、あみものもタティングレースもほとんど進んでゐない。
タティングレースは帰りの新幹線の中ですこしやつた。隣の席の人が眠つてしまつて寄りかかつてくるのであまり進まなかつた。
あみものは、先週は平日のあひだも進まなくて、昨日すこし進展した。
例によつて、ラグラン袖のリブタートルネックセーターをくるくる輪に編んでゐる。
現在減らし目部分に入つてゐる。
六段ごとに四目減らしてゐる。
そんなわけで、なんとなく一段編み終はるのが早くなつたかなあ、といふ気はしてゐる。
減らし目のあとには増やし目が待つてゐるので、また「なかなか進まぬ」といふことになるのは目に見えてはゐるがね。
減らし目と増やし目とは、セーターをいはゆる「シェイプする」役割を持つてゐる。
編んでゐて、なんとなく必要ないやうな気もしてゐる。
胴部分を若干細くして、胸や腰まはりはゆつたりとした形、といふのは、ジャケットではやうすよく見えるやうなるよな、といふのは体感してゐる。
しかし、セーター。
しかも、伸びゲージを取つてゐるので、躰にぴつたりするセーターである。
そんなセーターに、そんな工夫が必要なのか。
そんなことを思ふたりもする。
さう、今回のセーターは、躰にぴつたり沿ふやうなものだ。
さういふものになる予定である。
だつたら、躰の線が出るわけだし、そんな、形を作らなくてもいいのでは。
これまでセーターなんてほとんど編んだことないからなあ。
そこのところがよくわからないのだ。
洋裁もまつたくやつたことがない。家庭科の授業でやつたのが最後だ。
いま自分が編んでゐる減らし目だの増やし目だのは、ほんたうに意味のあることなのだらうか。
そんなことを考へながら編んでゐる。
それでもニ目ゴム編みはだいぶ自然に編めるやうになつてきた。
最初の裏目を編むときにすこしもたつくことがあるが、まあ、いい感じなんぢやないかな。
これで裏目への苦手意識が消へるといいなあと思つてゐる。
これまでも裏目への苦手意識が消へるといいなあと思ひながら編んだものはいくらもある。さうしたものを仕上げるたびに、裏目への苦手意識は軽減されてゐるやうに感じたりもした。
しかし、未だに裏目はイヤだな、といふ意識がなくならない。
右手に糸をかける編み方ならいいのかなあ、とも思ふが、いまさらそんなこといつてもね。
まだまだ先は長いし、袖だつて両方残つてゐる。
ひとまづ、ニ目ゴム編みが速く編めるやうになればいいかな。
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