悩む理由
たうとう、現在使つてゐる手帳の最終ページが見えてきた。
いま使つてゐるのは、SmythsonのPanamaである。安売りのときに購入した。Jadeといふシリーズのものだと思ふ。
おなじPanamaでも、シリーズものは表紙と裏表紙との見返しにサテンのやうな布が貼られてゐる。この布が実に手触りがよい。通常のPanamaはおなじ部分は紙で、こちらはこちらでそこにその手帳についてのあれこれを書き記すことができるのがいい。
このblogでもさんざん次の手帳はMoleskineにするかPanamaにするかと逡巡するさまを書いてきた。
悩んでゐることは、つい書いてしまふ。
書くとなにについて悩んでゐるのか、顕在化する。
それがいい。
多分。
なぜ悩むのか。
ひとつには、どちらも好きだからだ。
Moleskineのポケットサイズは、あの大きさが絶妙だと思つてゐる。
手に持つたときにしつくりくるのだ。表紙の硬さとそのわりに軽い感じがするところとが気に入つてゐる。
出先でも、表紙が硬いおかげでテーブルなどがなくてもそのまま容易に筆記できる。
また、愛用の中屋万年筆のペンとの相性が最高によい。中屋の細軟でMoleskineに書き込んだときのふんはりと軽い感覚が好きでたまらないのだ。
ではMoleskineにしてしまへばいいぢやあないか。手元に予備もあることだし。
さう即決できぬ理由は、手持ちの萬年筆とMoleskineとの相性にある。
中屋のペンにはプラチナのブルーブラックを入れてゐる。Moleskineの紙に書いてもにぢまない。
最近購入した大橋堂のペンにはセーラーの青墨を入れた。これもMoleskineに書いてもにぢみづらいインキだ。
新たに増やした中屋のペンは、買つたときに「ブルーブラックでいいですね」と云はれて否やはないので諾といつた。ゆゑにMoleskineに使用しても問題ない。
問題は、その他のペンである。
そんなわけで、これまでも、Molskineを使つたあとは別の手帳、そしてまたMoleskine、といふ順番になつてゐた。
いま使つてゐる手帳の前はMoleskineだつた。その前がGMUND。その前がMoleskineで、その前がRhodiaのWebNotebook。その前がMoleskineで……と、延々とさかのぼる。
今回はSmythsonなので、次はMoleskine。
そんな風に考へないこともない。
だいたい、つづけてSmythsonだなんて、そんな贅沢はしてはいけないんぢやあるまいか。
さう、やつがれが一番気にしてゐるのは、そこなのだ。
Smythsonなんて、贅沢に過ぎるだらう。
あれこれ悩んで書いてきて、結局はこの一点に尽きる。
考へてみれば、Moleskineだつて十分贅沢なんだけどね。
だがしかしSmythsonである。
いいのか、そんな、分不相応なものを使つて。
さういひながら、これまでにも何冊か使つてはきた。
そもそも、買つた時点で分不相応だ。
人間、自分の分を超えたことをするのはよろしくない。
失敗するのは大抵さういふときと相場はきまつてゐる。
ここにも何度か書いてゐる、呉服屋のお嬢さんと番頭さんの話を思ひ出す。
食ふにも困る人々を見て、お嬢さんが店で商つてゐる上質の反物をあげやうと画策する。
すると、番頭が云ふのだ。
「おやめくださいお嬢さま。そんなことをしたら反物が可哀相ですし、なによりあのものたちが道を誤ります」
さう、人間、分不相応なものを手にすると、道を誤るのだ。
たからくじに当選した人は不幸になる、といふ話があるけれど、それもおなじやうなことなのだらう。
分を超えた贅沢はしてはいけない。
するのだつたら不幸になる覚悟をきめてからにしろ。
と、ここまで考へて、でもやつがれはもうみづからの分を超えてしまつてゐるのだから、いまさら悩んでも仕方ないぢやあないか、といふことに気がつく。
バカだねえ。
といふわけで、次もSmythson。
この前、かたづけをしてゐたら、安売りのときに買つて埋もれたままになつてゐたPanamaの手帳を四冊発掘したのだ。
埋もれたままにしてゐた、といふ時点でやつがれはSmythsonにふさはしくない。
ふさはしくはないが、使ふことにする。
道を誤るなあ。
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