川本喜八郎人形ギャラリー 白門楼ー呂布の最期 続き
11月16日土曜日に公開された川本喜八郎人形ギャラリーの新展示のつづき。
三森ゆりかによると、日本と一部のアジアの国々(中国とか韓国とか)とをのぞいた世界的な標準として、ものは(向かつて)左から説明することになつてゐるのだといふ。
いはれて見れば、今読んでゐる「戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編」でも、図の説明はさうなつてゐる。たくさんシャコー帽がならんでゐる図の場合、とくに番号がふられてなくても説明文は左側の帽子からはじまつてゐる。
さういふものと知りながら、敢て今回は向かつて右側から書くことにしたい。
人形劇三国志のケースの一番右端にゐるのは張飛だ。
向かつて左側を向いてゐて、左手に蛇矛を持ち、右手は「なんと!」といふかのやうに掲げられてゐる。
張飛らしい。
張飛については、最初の展示のときにも書いてゐる。いまゐるのもこのときのものとおなじ張飛だと思ふ。このときに「張飛のやうなキャラクタは、動いてなんぼ、喋つてなんぼ、なのかもしれないなあ、と、思はないでもない」と書いた。今回それを撤回したい。
三兄弟並んでゐて、一番それらしく見えるのが張飛だからだ。
なんか、やつぱり、ぢつとしてゐられないんだらうな、張飛は。
その隣が関羽。
関羽も最初の展示のときに並んでゐたのとおなじ関羽だと思ふ。
思ふのだが、ちよつと男前になつてゐるやうに見えるのは単に気のせゐか。
曹操にしても、このあと出てくる呂布にしてもさうだけれども、最初の展示のときにゐたのとおなじ人形と思ひつつも、なんだかちがつて見えるんだよなあ。ちよつとした目の位置、顔の角度、立ち姿(今回曹操も呂布も立つてはゐないが。あ、呂布は最初の展示のときも立つてはゐなかつたか)で、全然変はつてくるものらしい。それは、飯田にゐる夏侯惇のところでもすこし書いた。
作りなほした関羽はやつぱり髯がすこしさみしい感じがする。もう少しふさふさしてても、と思つてしまふ。
乾燥してて落ち着いてしまつてゐるだけなのかなあ。
落ち着いてゐる、といへば、関羽のやうすも落ち着いてゐる。
張飛が「なんと!」とでも云ひたげに立つてゐるのは、おそらく呂布のやうすを見てのことなのだらう。
おなじものを見ても、関羽はその動揺をおもてにあらはさないのだ。
その隣が玄徳。
しつこいやうだが、この玄徳も最初の展示のときにゐたのとおなじだと思ふ。
といふか、今回のエントリに出てくる人物はみんなさうか。
最初の展示のときとおなじなので、人形劇でいふところの益州入りあたりの立派な出で立ちである。これがちよつと違和感のあるところだな。
髭があるのはいい。おそらく川本喜八郎が最初に考へた玄徳にも髭はあつたはずだからだ。
しかし、かぶりもの(冠、だらうか)とかが、ちよつとこの場にはそぐはないんだなあ。
このころの玄徳つて、人形劇でいふと、すこし前に陶謙から徐州をゆづられてゐて、それを呂布に取られちやつて、でもそこに曹操とか袁術とかが絡んできて同盟組んだり裏切つたり(裏切られたり、か)してゐる、みたやうな状況だ。
そんな立派な恰好はしてないよなあ。ま、いいか。
玄徳のやうすも落ち着いてゐる。でもまあ、玄徳つていつつもそんな感じだよね、人形劇では。
ここまでの三人は、向かつて左側を見るやうすで立つてゐる。
陳宮からはちがふ。
陳宮は、最初の展示のときとおなじくすこし顎をあげた感じでほぼ正面を向いて立つてゐる。まるで「そら見たことか」とでも云ひたげなやうすだ。また、不満さうにも見える。
陳宮の思ひとしてはどちらだつたんだらう。諦観がかつてゐるのか、あるいは「もつとうまくできたものを」といふ不満があるのか。
衣装はあひかはらずなんだかお洒落さんだ。頭にかぶつてゐるものの生地もちよつと洒落てゐる。
陳宮のななめ手前に貂蝉がゐる。
座り込んでうつむいてゐる。肩にかかつた天鵞絨のマントまでが薄倖さうなやうすを醸し出してゐてたまらない。
飯田で学芸員の方からの説明によると、貂蝉をはじめをんなの人は下からふりあふぐやうに見るとふんはりとやさしい表情に見えるのらしい。
今回の貂蝉はうつむいてゐるから、下からふりあふぐやうに見るのはむづかしい。
むづかしいけれども、それはあまり気にならない。
伏し目がちでさみしげなやうすが実にいいからだ。
最初の展示のときには「笑三郎」とか呼んでゐた。今回は澤瀉屋の趣はない。
そのななめ後ろ、すこし高い位置に呂布がゐる。
最初の展示のときとおなじ人形だとは思ふ。自信がないのは、最初の展示のときにはつやつやとしてゐた唇にまつたくつやがないからだ。
今回の展示内容にあはせてつや消しでもしたのだらうか。それとも単に証明の加減か。あるいは前回とはちがふ人形なのか。
はじめて今回の呂布を見たときは前とはちがふ人形なのかと思つた。
最初の展示のときの呂布は、赤兎に乗つて顎をあげ、下々の者を睥睨するかのやうな、ちよつと暴走族のヘッドのやうな趣だつた。
顔も、人形劇のときより縦に短くなつてゐた。若々しくもあつた。
今回の展示の呂布は、床にどつかと座してゐる。戟も手にしてはゐるものの力なく床においてゐる。そして、うつむいてどことも知れぬところを見つめてゐる。
前回はうはむいて、今回はうつむいてゐるがゆゑにちがつて見えるものかと思ふ。
それに今回は赤兎もゐないしな。
「時利あらずして赤兎逝かず」といつたところか。
何度か書いてゐるが、人形劇の呂布については「なんで人気があるのかわからんなあ」と長いこと思つてきた。リアルタイムで見てゐたころは、まさかそんなに人気者だつたとは知らなかつたほどだ。
しかし、飯田の展示を見、今回のギャラリー外に飾られた写真を見、かうして展示されてゐる呂布を見ると、「なるほど、呂布、いいぢやあないか」と思ふ。
前回の展示のとき、敗残の源為朝にずいぶんと惚れ込んだものだつたけれど、それと似てゐるのかもしれない、といふ気もする。
ただ、為朝は腕の筋を切られても不敵に虚空を睨んでゐた。
呂布はちがふ。
為朝は伝説になつた。
呂布はちがふ。
ちなみに、いまのところこの呂布を見るのに一番いい位置は張飛の前だと思つてゐる。
この位置から見る呂布のやうすがいい。
以前もこの位置から見てゐた人形がゐる。
崇徳院だ。
いまの張飛とほぼおなじ位置に源義朝がゐて、おそらくいまの陳宮の位置あたりに崇徳院がゐた。
あのときの崇徳院は正面から見ると恨みがましい表情をしてゐたものだつた。その表情は、向かつて右から見ると一変する。なんともさみしげで、消へ入りさうなやうすで、なあ。
今回の展示でも、またこの位置で立ち止まつてしまふことだらう。
曹操とその家臣団についてはこちら。
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