川本喜八郎人形ギャラリー 白門楼ー呂布の最期
11月16日土曜日、渋谷ヒカリエの8Fにある川本喜八郎人形ギャラリーの新展示が公開された。
初日に行つてきた、と書いたら、「そらさうでせう」と云はれるだらうか。
これだけだつたら行かなかつただらうと思つてゐる。
といふのは、前日から風邪が悪化してゐたからだ。
しかし、先週の土曜日は、歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」の夜の部を見る予定があつた。
七段目である。
見逃せないだらう? このあとの土日分は完売してゐたし。
どうせ出かけるのなら、せつかくだからヒカリエにも行かう。
さういふわけで、行つてきた。
まづ、エスカレータを上がつて正面のケースに目を奪はれる。
角川書店から出版された「川本喜八郎―アニメーション&パペット・マスター」と、別冊太陽の「川本喜八郎 人形―この命あるもの 」とが二冊づつ飾られてゐる。どちらも片方はページを開いて飾つてあつて、角川の方は呂布と貂蝉との写真、別冊太陽の方は人形アニメーション「鬼」のページが開かれてゐる。
角川の方は、呂布の必死かつ真剣なやうすと、貂蝉のどこかうつろなやうすとがたまらない一枚だ。
別冊太陽の方は、渋谷でも人形アニメーションの人形を見られないものだらうかと思つてしまふやうな内容である。
ほかに、人形劇三国志と平家物語とのDVDと台本、それと前回の展示のときも飾られてゐた遺品の横にカシラの型や型から出したところなどが飾られてゐる。これだけでもかなりおもしろい。
ギャラリーの外にあるケースには、麻鳥とこどもたち(麻丸・円)がゐた。
来たね、麻鳥くん。
しかし、蓬子はゐない。中にもゐなかつた。いづれ見られるものと思つてゐる。
今回、人形劇三国志の主題は「【白門楼ー呂布の最期】」である。
入つていきなりケースの中の人物がみんなおなじ方向を見てゐるのにびつくりする。
まづ、馬上の曹操とその配下の武将・智将たち八人が向かつて右側を向いて飾られてゐる。なんだか妙に迫力がある。
そして、次のケースの右端にゐる玄徳・関羽・張飛は左側を向いてゐる。
双方の視線の先にゐるのは呂布。
さういふ趣向である。
さらに驚くことがあつた。
曹操の家臣団の中に、なんと、荀彧がゐるではないか。
しかも若い!
さうかー、新たに作つたのがあつたのかー。
これはかなり興奮する事態であつた。
では、例によつて向かつて左側から行かう。
一番端にゐるのは許褚である。
許褚はいちばん端つこ、といふ決まりでもあるのだらうか。といふのは、飯田市川本喜八郎人形美術館の前回と今回との展示で許褚の飾られてゐる場所が仁王様でいふところの阿の位置だからだが。
顔は人形劇のときの方がデフォルメがきいてゐたやうに思ふ。もつといふと、人形劇のときの方が愛嬌のある顔だつた。渋谷の許褚は、「こんな顔の人、ゐるよなー」といふ、「リアル」な顔立ちをしてゐる。
得物は斧。これは飯田にゐる許褚もおなじだな。
今回展示されてゐる中では、許褚だけ鎧の胸当て部分がよく見えるやうになつてゐる。四隅を三角形に切り落とした四角形をうろこのやうに並べたものだ。
許褚のななめ後ろは郭嘉。
最初の展示のときとおなじやうに左手を胸元にあててゐる。最初の展示のときは茶色つぽく見えた衣装は、今回はちやんと紫に見える。飯田の郭嘉よりいい男に見えるのは、やはり歯を見せてゐないからだらうなあ。
そのななめ前が夏侯淵。
このあたりは最初の展示を彷彿とさせるなあ。夏侯淵も最初の展示のときと変はつたやうすはない。これまた郭嘉同様、つくりなほした方がいい男なのがおもしろい。
そのななめ後ろが荀彧である。
人形劇三国志の荀彧といへば、老人だ。それもいまにも死にさうな(実際出てきていきなり死ぬのだが)、「我が張子房」といふよりは左慈とか紫虚上人の仲間のやうな、そんな感じだつた。
個人的に川本喜八郎に若いころの荀彧の作成を依頼した人がゐる、といふ話は聞いてゐた。
とくにこれといつて表示はないので、個人蔵の人形ではないと思はれる。
説明文に「容姿も人並みすぐれ」といふやうなことが書かれてゐる。正面から見たところは正直云つてそれほどとも思はれない。わりとふつーの顔立ちだよなあといつたところだ。
これが、横顔となるとまた趣がちがつてくる。なるほど、「容姿人並みすぐれ」とはかういふことか。さう思ふ。
衣装は全体的に緑がかつてゐる。襟元と袖口がなんとなく畳の縁のやうな感じなのがご愛嬌。
そのななめ前が夏侯惇。
人形劇ではこの時点では出てきてゐない。人形劇の夏侯惇が目を失ふのは、馬超との戦ひのときである。この展示では「三国志演義」の設定を生かしたといふところなのだらう。
渋谷の夏侯惇は、髭にうねりがあつたりして、人形劇のときよりさらにきかん気が強さうな感じだ。顔立ちもどこかラテン入つてゐる。それも、最初の展示のときにゐた遠藤盛遠のやうな陽性のラテンではなく、冷血でシリアスな、それでゐて一旦ことがあるとその冷たい血が火を吹くやうな、そんな陰性のラテンだ。
得物は槍。目には包帯代はりの布がまかれてゐる。前垂れの黒地に銀の青海波の模様がいい。
その先にゐるのが馬上の曹操。
采配を手にして、これがまあ、なんとも立派な武将ぶりで、ねえ。
最初の展示のときとおなじ曹操とわかつてゐても、なんだか別人のやうに見えるのは、前は目が横を見てゐて、今回は正面を見てゐるから、かなあ。
さきほど荀彧の横顔がたいへんよい、と書いた。この曹操の横顔もすばらしい。
曹操の先にゐるのが典韋。
典韋も人形劇のときより三割くらゐ男前があがつてゐるなあ。胸元に指した短剣も飯田の典韋より多い気がする。
許褚のところで「仁王様」などと書いた。典韋の口元は仁王様のやうに見える。
人形劇の典韋は弁慶のやうな死に方はせず、長坂橋くらゐまでは活躍する。でも渋谷の典韋はやつぱり仁王立ちしたまま死んでしまひさうな感じがするなあ。
曹操軍の中で一番右端にゐるのが程昱。
人形劇では小狡い小動物つぽい顔をしてゐて、ゆゑにたまになんだか可愛い感じがすることもあつた程昱も、ここでは実に「リアル」な顔立ちになつてゐる。陰謀大好き名参謀みたやうな感じ、かな。この方が程昱のイメージには近いかもしれない。
ただ、なぜか相変はらず小柄である。
あれ、程昱つて、背が高かつたんぢやなかつたつけか。ま、いいか。
冠は人形劇のときとほぼおなじに見える。衣装も色合ひはさうなんだけれども、細かい模様が異なる。茶色を基調とした衣装で、羽のやうな模様なんだよなあ。飯田の程昱の衣装で源氏香を並べたやうな模様の部分は、なにがなんだかわからない模様になつてゐる。四角いのはおなじなんだけれども、見やうによつては花のやうにも兎のやうにも鹿のやうにも見える。ヲレ、疲れてるのかな。
この絢爛豪華な八人の視線の先にゐるのは呂布一人。
それは次回の講釈で。
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