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Friday, 29 November 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 【伊豆の佐殿】

11月16日から公開されてゐる川本喜八郎人形ギャラリーの新展示のうち、平家物語側のテーマのうち、【伊豆の佐殿】のコーナーには、佐々木定綱、馬上の頼朝、北条政子、北条宗時、北条時政、北条義時がかざられてゐる。

定綱は頼朝の馬の手綱を持つて立つてゐる。
こんな顔の人、ゐるよなー、といふ感じのをぢさんだ。実直さう。
衣装の柄がおもしろい。程昱のところで、四角い模様がならんでゐて、見やうによつてはいろんなものに見える、と書いた。定綱の衣装の柄もそんな風だ。程昱よりさらになんだかわからない。おそらく花柄なんだろうとは思つてゐる。なんなんだらうなあ、あの柄。

頼朝は、前回の展示のときの方がりりしかつたかなあ。
今回の展示ではすつかり成人した姿を披露してゐる。そしてその表情になんとなく屈託のある感じがする。
伊豆に流されて、無聊の日々をかこつ不満があらはれてゐるのかもしれない。
今回おなじやうに馬上にゐるせゐだらうか、妙に曹操に似てゐるやうに見える。
ギャラリーの外のケースに飾られてゐる平家物語のDVDの表紙の頼朝も曹操に似て見えるから、やはり似てゐるのだらう。
さうか、平家物語の佐殿は三国志の曹操の位置、か。
どことなくおもしろくなささうな表情をしてゐて、しかし、どこかあかぬけてゐる感じもある。
さぞかし伊豆ではもてたことであらう。
それもつまらなさうな表情に出てしまふのかもしれない。

政子は外出着の出で立ちである。
笠をかぶつてゐるので、その表情はよく見えない。
飯田市川本喜八郎人形美術館の前回の展示では、政子の意志の強さうな顔立ちが印象に残つた。
笠の下からのぞきこむやうに見ると、そんなにきつさうな感じはしないなあ。まあ、何度か書いてゐるけれど、をんなの人の顔は下からみるとふんはりやさしく見えるとのことなので、さういふことなのかもしれない。
飯田の平家物語の人形は作りなほしたものだといふから、また少しちがふのかな。

宗時は、いい人といふ顔立ちをしてゐる。
口元がすこしゆがんでゐるので、どことなく不満のあるやうすも見受けられる。でも、おそらく普通にしてゐたら、いい人、ものの道理のわかつた人の顔立ちだと思ふ。
衣装はうすい藍色で、若武者めいてゐる。どこかさはやかな印象を受けるのも、この衣装の色ゆゑかもしれない。

時政は、食へぬをやぢといつた感じだ。
立派な印象は受けない。田舎のちよつとしたお大尽といつた感じである。自分の領内では我の通る、わがまま放題の人のやうに見える。どつかと座して、すこし顎をあげ気味にしてゐるので、さういふ風に見えるのだらう。
衣装は茶色系で地味だ。髭のとげとげとした感じといい、あまり身なりにはかまはないのかもしれない。あるいはこれが一番似合ふ衣装なのかも。

義時も、衣装の色は時政に似てゐる。
片手を胸元にさしこんで、むかつて左の方を見て立つてゐる。
義時をむかつて右側とか正面から見ても、どうといふ感じはしない。お兄さんにくらべたら悪人顔かな、と、あくまで比較の問題で思ふくらゐである。
これが、むかつて左側から見ると様相が一変する。
え、このいい男はいつたい誰?
え、義時?
え?
よくよく見れば、下に着てゐる着物の色は紫だ。なるほどね、ちよつと色気があるわけだ。

あと一回つづく。

人形劇三国志の【白門楼 呂布の最期】のうち曹操とその家臣団についてはこちら
玄徳・関羽・張飛と呂布・貂蝉・陳宮についてはこちら
平家物語から【妓王と仏】についてはこちら

Thursday, 28 November 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 【妓王と仏】

11月16日から公開されてゐる川本喜八郎人形ギャラリーの新展示のうち、平家物語側のテーマは四つある。
【妓王と仏】、【伊豆の佐殿】、【鞍馬の牛若】、それと【阿部麻鳥とその家族】である。

このうち、麻鳥と家族とについては、すでにふれた。
麻鳥とその子である麻丸と円とがギャラリー外のケースに展示されてゐる。
こどもと一緒のせゐか、麻鳥くんはちよつとしぶめな感じに見受けられる。夏におなじ渋谷ヒカリエにある渋谷区防災センターで見た平家物語では、なんだかとつても若くて頼りない感じに見えた。
麻丸はお父さん似、円は……うーん、お母さん似なのかなあ。お母さんがゐないので比べられない。
八月の上映会ではまだ笛吹きだものなあ、麻鳥は。笛を吹いて、祟徳院の心を慰めたりしてゐた。
今回ゐるのは医師を志してのちの麻鳥であらう。しつかりしてゐるのも道理である。

さて、ギャラリーに入つて向かつて右手のケースのテーマは【妓王と仏】である。
凡例に逆らつて向かつて右側から説明すると、まづゐるのが朱鼻伴卜である。
平清盛に取り入つて、大いに成功した商人、とある。
その名のとほり、鼻の先が赤い。
この人、見たことあるなあ。
平家物語は、リアルタイムではちよこちよことしか見てゐない。たぶん、そのたまたま見た中に出てきたのぢやあるまいか。
飯田で飾られてゐるのも見たことないしね。
商人だからだらうか、抜け目なささうではあるが、どこか憎めない表情で立つてゐる。
緑系の縦縞の上着に、目にも鮮やかなターコイズブルーの袴が印象的だ。サテンのやうな地でつやつやしてるんだよね、袴が。

そこから先は、清盛を忠臣に仏御前と妓王との三態が並んでゐる。
右から順番にいくと、尼姿の仏御前、袿姿の仏御前、白拍子姿の仏御前、太政大臣の清盛、白拍子姿の妓王、袿姿の妓王、そして尼姿の妓王である。

全体的にいつて、仏御前の方が明るくてきつぱりした感じ、妓王はうちにこもつて幸せ薄さうな感じがする。
尼姿の仏御前はとくにきりりとして見える。話を知つてゐるからかもしれない。みづから髪を落として妓王一家に会ひに来た、そんなやうな感じがする。
きりりとした印象を受けるのは、すつくと立つて見えるからだらう。

袿姿の仏御前は、華やかな感じがする。
一番上に着てゐるのは朱色の着物で、古典柄のやうな四弁の花を等間隔に散らした模様だ。
妓王に比べると顔の形がやはらかく、目もきつぱりとしてゐる。それが華やかさの所以であらう。

白拍子姿の仏御前は、両腕を開いて、右手をぐつと前に出し、前に出てゐる右膝はまげて、左脚はうしろにのばしたやうな前傾姿勢をとつてゐる。まさに踊つてゐる最中といつたところだ。
その表情には一点の曇りもなく、かすかにほほえんでゐるやうにも見える。

一方白拍子姿の妓王は、まんがであつたなら背後に「ガーン」といふ書き文字があつたり、額に陰が落ちたりしてゐるであらうと思はれるやうな姿で立つてゐる。いや、立ち尽くしてゐる、といつた方がいいだらうか。
顔には朱の色がない。唇ばかりは朱いけれど、ほかの姿のやうに目の下に朱を入れてゐない。ただ呆然と立ち尽くしてゐる。そんな趣である。
清盛の寵愛を失つた。奪つていつたのは目の前のあの女。
そんな場面を想像してしまふ。

袿姿の妓王は、座してうつむいてゐる。
衣装の色は仏御前とおなじやうで、柄も古代柄のやうな感じではあるのだが、こちらは大柄である。
目元の険やわづかに開いたやうに見える口元から、ため息ばかりついてゐるやうにも見え、母や妹・妓女に愚痴めいたことをつぶやいてゐるやうにも見える。

尼姿の妓王のはかなげなことといつたら。
さまよひ歩いてゐる最中のやうな姿で立つてゐて、その表情もどこかうつろである。
なによりも、幸薄さうな感じがたまらない。
仏御前がきりりとしてゐるから、よけいに頼りなく見えるのかなあ。ちよつとたまらんよ。

そんなふたりのあひだにゐるのが清盛である。
衣冠束帯、とでもいふのか、説明からいくと太政大臣になつてからの姿なのらしい。
これまで三回展示があつて、清盛は一度もいいと思つたことがないなあ。
比較していふと、前回の鎧姿がやうすがよかつたけれども、それも強いて云へば、だ。
今回は、髪や髭にも白いものが増え、衣装も豪華でのぼりつめた、といふところなんだらうけれども、なんだかそんなにやうすがいいとは思へない。
わざとさういふ風に飾られてゐるのだらうと思つてゐる。
衣装はしぶい緑の地。金糸も用ゐた刺繍でいろどられてゐる。

佐殿と牛若についてはまた後日。

人形劇三国志の【白門楼 呂布の最期】のうち曹操とその家臣団についてはこちら
玄徳・関羽・張飛と呂布・貂蝉・陳宮についてはこちら

Wednesday, 27 November 2013

To Moleskine, or not to Moleskine

最初にMoleskineを使ひはじめたころは、「ユビキタス・キャプチャ」とやらをやつてみやうと思つてゐた。
モレスキン 「伝説のノート」活用術」を読んだか、あるいは著者たちのblogを読んだかなにかしたのだと思ふ。

そのせゐだらう。最初のMoleskine(実ははじめてのMoleskineとはもつと前に出会つてゐて、これは二冊目なのだが)の、とくに最初のページには断片的なメモが多い。
とりあへず書きとめてみた。
そんな内容である。

使ひはじめたのはMolekineで、その後いろんな手帳を使つてきた。
RhodiaのWebNotebook、Gmundの文庫サイズ、アサヒヤ紙文具店のクイールノート、SmythsonのPanama。
どの手帳もよかつた。アサヒヤ紙文具店のクイールノートはとくに気に入つた。また使つてみたいと思つてゐる。布貼りの表紙のものを使つてゐた。使つてゐると、布の手触りがふはふはと気持ちよくなる。書き心地はもちろん、そんなところも好きなのだ。

いろんな手帳を使つてみて、その合間合間にMoleskineを使つてゐる。
「なんだかんだいつて、Moleskineに戻るんだよなあ」
そんな風に思ふ。
なぜMoleskineに戻るのか。

いや、その前になぜMoleskine以外の手帳を使ふのか。
この理由については、以前から何度も書いてゐる。
Moleskineは使ふペンを選ぶからだ。
主な筆記用具が萬年筆のやつがれにとつては、Moleskineのやたらとにぢんで裏抜けする紙は使ひづらい。
「裏抜けしてもいいや」と思つて使つてみても、そのうち使はないペンが出てくる。
大好きなペンにも関はらず、だ。

段々それに嫌気がさして、Moleskineを使ひ終はるとペンを選ばない紙を選ぶ。
でもその一冊が終はるころには、「次はやつぱりMoleskine」かな、と思ふ。

なぜかといふ話も何度も書いてゐる。
Moleskineの、とくにポケットサイズの佇まひが好きだからだ。
大きさもちやうどよく、かたい表紙もなにかの折に書きとめるのにちやうどいい。
ペンは選ぶけれど、やつがれ愛用の中屋万年筆のペンとの相性は抜群だ。

さう、Moleskineは、なにかの折にさつと取り出してぱつと書きとめるのにちやうどいい。
最初にMoleskineを使ひはじめた理由である「ユビキタス・キャプチャ」に向いてゐるのである。

ところでやつがれにはメモを取る習慣がない。
ことの善し悪しはともかく、こどものころからメモを取るといふことをあまりしない。
最近は以前よりはとるやうになつてきたかなあと思ふ。
それでも好きで使つてゐるRhodiaのメモ帳の減りが少ないことを考へると推して知るべしだ。

すなはち、ここで何度も「ユビキタス・キャプチャ」などと書いてゐるのに、あまり「ユビキタス・キャプチャ」を実践してはゐない。
いや、あるいはしてゐるのか。

多分、あらゆるところであらゆるものごとを書きとめやうとしたら、それは断片的なメモになるはずである。
長い文章を書いてゐる暇はない。
そんなことをしてゐたら、あらゆるものごとは目の前を通り過ぎていつてしまふからだ。

でも、「いま書きたい」といふときに書きたい。
さういふせめぎ合ひがあつて、それでMoleskineとその他の手帳とを行つたり来たりしてしまふ。
さういふことなんだと思ふ。

メモよりもある程度長い文章を残した方がいい。
さういふ考へもあるのださうだ。
いいかどうかはともかく、やつがれは「長い文章を残す派」だ。
現在SmythsonのPanamaを使つてゐて思ふことは、このノートを使ふやうな人はここに断片的なメモばかりを書き残すやうなことはしないのではないか、といふことだ。
Panamaには、「このまま書き続けたい」といふ欲求を呼び覚ますものがある。
そんな気がする。

だつたらMoleskineとその他のノートとを一緒に使へばいいぢやあないか。
さうも思ふ。
しかし、どうも複数のノートの使ひわけがうまくできないんだよなあ。
来年は複数ノート使ひに挑戦してみるか。

気が早過ぎるかな。

Tuesday, 26 November 2013

名状し難きもの

ここのところあまりタティングシャトルにふれてゐない。
現在、タティングをする機会があるのは昼休みだけである。
昼ご飯を食べて、精々15分、20分あれば御の字といつた状況だ。
とても貴重な時間である。

先週はその時間をとれなかつた。
月曜から水曜のあひだ、来客のあつたためである。
お客さんとお昼をともにしなければならなかつたので、タティングにいそしんでゐる時間がなかつたのだ。

そんなの、家に帰つてからやればいい、とか、休みの日にやればいい、とといふのはかんたんだ。
平日は、帰宅後に自由にできる時間はそれほどない。
休日は、この週末は芝居を見に行つてゐた。
あいてゐる時間は、風邪といふか気管支炎といふかで、ひたすら寝ることにつとめてゐた、といふこともある。

そんなわけで、年賀状の準備は全然進んでゐない。
最初に作りはじめたモチーフをまだ作つてゐる。
こんなことで年賀状を出せるのだらうか。
はなはだ不安である。

さて、年賀状にはりつけるモチーフを作る体制に入つたところで放置されてゐるのが、これまで作つてゐた蔓日々草色のドイリーといふかランナーといふかである。
Jon YusoffデザインのThe Swirlyといふモチーフを七つつなげて六角形にしたもの同士を三つ横につないだものだ。
写真を撮るのでちよつとのばしてみた。

The Swirls

ドイリーといふには半端だし、ランナーといふには短すぎる。
これは、どうでももう少しモチーフを足さねばなるまいなあ。

この、なんと名付けてよいかわからぬものを作りはじめたのは、六月二十八日だ。日記にさう書いてあつた。
五ヶ月で三枚、かー。
あと四枚足してさらに大きい六角形を作つてはどうか。
さうも思つたりもする。
思つたりもするのだが、単純計算でいくと、あと半年はかかる計算になる。
うーん。それはあまり現実的ではないなあ。

いま編んでゐるラグラン袖のリブタートルネックセーターを編みあげてしまつたら、あとはタティングをすることにする、といふ手もある。
だが、あみものもしたいしなあ。

と、心は千々に乱れるのであつた。

そんな、あまりタティングをしなくなつてゐる状況だといふのに、土曜日にシャトルを購入してしまつた。
いいのか、そんなことをしてゐて。
いまになつてさう思ふ。
もう手遅れだがね。

そのシャトルが手元にやつてきたら、ここに書くことにしやうか。

Monday, 25 November 2013

セーターの進捗具合

Sweater in Progress

寒くなつてきた。
もつと早くセーターを編みはじめておくのだつたなあ。
毎年、おなじことを考へてゐる気がする。

ラグラン袖のリブタートルネックセーターを編みはじめたのは十月十七日のことだ。
もう一ヶ月以上たつといふのに、全然完成する気配がない。
首から編みはじめて、胴体の減らし目部分は終はり、増やし目部分に入つたところである。
すなはち、これから裾にむかつてまつしぐら、といふ寸法だ。
まだ両袖が残つてゐるがな。
どうやら年内の完成は無理だな。

さて。
前回は、減らし目とか増やし目とかしてなんの意味がある、と書いた。
今回、例によつて「戦闘技術の歴史 4」を読みながら編みつつ、この点について考へてみた。
やはり、減らし目とか増やし目とかはあつた方がいい。
なぜといつて、ないと単調になるからである。
ずーつとひたすらニ目ゴム編みをくりかへすよりは、減らし目なり増やし目なり、なんらかの変化があつた方がいい。
本を読みながら編んでゐてもさう思ふのだ。
ただ編むだけならよけいにさうだらう。

それに、「あと減らし目を二回だ」と思ふと、はげみになることもある。これは逆に負担になることもあるので諸刃の剣ではある。でもまあ、目標はないよりあつた方がいい。

ところで「戦闘技術の歴史 4」は、ナポレオン戦争に関する本である。
このセーターのできあがつたあかつきには、「皇帝」とか「エロイカ」といふ名前になるにちがひない。

それとも本はもうすぐ読み終はるから、それはないかな。
なにか次の「ながら」の友を探すだらうからね。

Friday, 22 November 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 白門楼ー呂布の最期 続き

11月16日土曜日に公開された川本喜八郎人形ギャラリーの新展示のつづき。

三森ゆりかによると、日本と一部のアジアの国々(中国とか韓国とか)とをのぞいた世界的な標準として、ものは(向かつて)左から説明することになつてゐるのだといふ。
いはれて見れば、今読んでゐる「戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編」でも、図の説明はさうなつてゐる。たくさんシャコー帽がならんでゐる図の場合、とくに番号がふられてなくても説明文は左側の帽子からはじまつてゐる。

さういふものと知りながら、敢て今回は向かつて右側から書くことにしたい。

人形劇三国志のケースの一番右端にゐるのは張飛だ。
向かつて左側を向いてゐて、左手に蛇矛を持ち、右手は「なんと!」といふかのやうに掲げられてゐる。
張飛らしい。
張飛については、最初の展示のときにも書いてゐる。いまゐるのもこのときのものとおなじ張飛だと思ふ。このときに「張飛のやうなキャラクタは、動いてなんぼ、喋つてなんぼ、なのかもしれないなあ、と、思はないでもない」と書いた。今回それを撤回したい。
三兄弟並んでゐて、一番それらしく見えるのが張飛だからだ。
なんか、やつぱり、ぢつとしてゐられないんだらうな、張飛は。

その隣が関羽。
関羽も最初の展示のときに並んでゐたのとおなじ関羽だと思ふ。
思ふのだが、ちよつと男前になつてゐるやうに見えるのは単に気のせゐか。
曹操にしても、このあと出てくる呂布にしてもさうだけれども、最初の展示のときにゐたのとおなじ人形と思ひつつも、なんだかちがつて見えるんだよなあ。ちよつとした目の位置、顔の角度、立ち姿(今回曹操も呂布も立つてはゐないが。あ、呂布は最初の展示のときも立つてはゐなかつたか)で、全然変はつてくるものらしい。それは、飯田にゐる夏侯惇のところでもすこし書いた。
作りなほした関羽はやつぱり髯がすこしさみしい感じがする。もう少しふさふさしてても、と思つてしまふ。
乾燥してて落ち着いてしまつてゐるだけなのかなあ。
落ち着いてゐる、といへば、関羽のやうすも落ち着いてゐる。
張飛が「なんと!」とでも云ひたげに立つてゐるのは、おそらく呂布のやうすを見てのことなのだらう。
おなじものを見ても、関羽はその動揺をおもてにあらはさないのだ。

その隣が玄徳。
しつこいやうだが、この玄徳も最初の展示のときにゐたのとおなじだと思ふ。
といふか、今回のエントリに出てくる人物はみんなさうか。
最初の展示のときとおなじなので、人形劇でいふところの益州入りあたりの立派な出で立ちである。これがちよつと違和感のあるところだな。
髭があるのはいい。おそらく川本喜八郎が最初に考へた玄徳にも髭はあつたはずだからだ。
しかし、かぶりもの(冠、だらうか)とかが、ちよつとこの場にはそぐはないんだなあ。
このころの玄徳つて、人形劇でいふと、すこし前に陶謙から徐州をゆづられてゐて、それを呂布に取られちやつて、でもそこに曹操とか袁術とかが絡んできて同盟組んだり裏切つたり(裏切られたり、か)してゐる、みたやうな状況だ。
そんな立派な恰好はしてないよなあ。ま、いいか。
玄徳のやうすも落ち着いてゐる。でもまあ、玄徳つていつつもそんな感じだよね、人形劇では。

ここまでの三人は、向かつて左側を見るやうすで立つてゐる。
陳宮からはちがふ。
陳宮は、最初の展示のときとおなじくすこし顎をあげた感じでほぼ正面を向いて立つてゐる。まるで「そら見たことか」とでも云ひたげなやうすだ。また、不満さうにも見える。
陳宮の思ひとしてはどちらだつたんだらう。諦観がかつてゐるのか、あるいは「もつとうまくできたものを」といふ不満があるのか。
衣装はあひかはらずなんだかお洒落さんだ。頭にかぶつてゐるものの生地もちよつと洒落てゐる。

陳宮のななめ手前に貂蝉がゐる。
座り込んでうつむいてゐる。肩にかかつた天鵞絨のマントまでが薄倖さうなやうすを醸し出してゐてたまらない。
飯田で学芸員の方からの説明によると、貂蝉をはじめをんなの人は下からふりあふぐやうに見るとふんはりとやさしい表情に見えるのらしい。
今回の貂蝉はうつむいてゐるから、下からふりあふぐやうに見るのはむづかしい。
むづかしいけれども、それはあまり気にならない。
伏し目がちでさみしげなやうすが実にいいからだ。
最初の展示のときには「笑三郎」とか呼んでゐた。今回は澤瀉屋の趣はない。

そのななめ後ろ、すこし高い位置に呂布がゐる。
最初の展示のときとおなじ人形だとは思ふ。自信がないのは、最初の展示のときにはつやつやとしてゐた唇にまつたくつやがないからだ。
今回の展示内容にあはせてつや消しでもしたのだらうか。それとも単に証明の加減か。あるいは前回とはちがふ人形なのか。
はじめて今回の呂布を見たときは前とはちがふ人形なのかと思つた。
最初の展示のときの呂布は、赤兎に乗つて顎をあげ、下々の者を睥睨するかのやうな、ちよつと暴走族のヘッドのやうな趣だつた。
顔も、人形劇のときより縦に短くなつてゐた。若々しくもあつた。
今回の展示の呂布は、床にどつかと座してゐる。戟も手にしてはゐるものの力なく床においてゐる。そして、うつむいてどことも知れぬところを見つめてゐる。
前回はうはむいて、今回はうつむいてゐるがゆゑにちがつて見えるものかと思ふ。
それに今回は赤兎もゐないしな。
「時利あらずして赤兎逝かず」といつたところか。

何度か書いてゐるが、人形劇の呂布については「なんで人気があるのかわからんなあ」と長いこと思つてきた。リアルタイムで見てゐたころは、まさかそんなに人気者だつたとは知らなかつたほどだ。
しかし、飯田の展示を見、今回のギャラリー外に飾られた写真を見、かうして展示されてゐる呂布を見ると、「なるほど、呂布、いいぢやあないか」と思ふ。
前回の展示のとき、敗残の源為朝にずいぶんと惚れ込んだものだつたけれど、それと似てゐるのかもしれない、といふ気もする。
ただ、為朝は腕の筋を切られても不敵に虚空を睨んでゐた。
呂布はちがふ。
為朝は伝説になつた。
呂布はちがふ。

ちなみに、いまのところこの呂布を見るのに一番いい位置は張飛の前だと思つてゐる。
この位置から見る呂布のやうすがいい。
以前もこの位置から見てゐた人形がゐる。
崇徳院だ。
いまの張飛とほぼおなじ位置に源義朝がゐて、おそらくいまの陳宮の位置あたりに崇徳院がゐた。
あのときの崇徳院は正面から見ると恨みがましい表情をしてゐたものだつた。その表情は、向かつて右から見ると一変する。なんともさみしげで、消へ入りさうなやうすで、なあ。
今回の展示でも、またこの位置で立ち止まつてしまふことだらう。

曹操とその家臣団についてはこちら

Thursday, 21 November 2013

川本喜八郎人形ギャラリー 白門楼ー呂布の最期

11月16日土曜日、渋谷ヒカリエの8Fにある川本喜八郎人形ギャラリーの新展示が公開された。

初日に行つてきた、と書いたら、「そらさうでせう」と云はれるだらうか。
これだけだつたら行かなかつただらうと思つてゐる。
といふのは、前日から風邪が悪化してゐたからだ。
しかし、先週の土曜日は、歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」の夜の部を見る予定があつた。
七段目である。
見逃せないだらう? このあとの土日分は完売してゐたし。

どうせ出かけるのなら、せつかくだからヒカリエにも行かう。
さういふわけで、行つてきた。

まづ、エスカレータを上がつて正面のケースに目を奪はれる。
角川書店から出版された「川本喜八郎―アニメーション&パペット・マスター」と、別冊太陽の「川本喜八郎 人形―この命あるもの 」とが二冊づつ飾られてゐる。どちらも片方はページを開いて飾つてあつて、角川の方は呂布と貂蝉との写真、別冊太陽の方は人形アニメーション「鬼」のページが開かれてゐる。
角川の方は、呂布の必死かつ真剣なやうすと、貂蝉のどこかうつろなやうすとがたまらない一枚だ。
別冊太陽の方は、渋谷でも人形アニメーションの人形を見られないものだらうかと思つてしまふやうな内容である。
ほかに、人形劇三国志と平家物語とのDVDと台本、それと前回の展示のときも飾られてゐた遺品の横にカシラの型や型から出したところなどが飾られてゐる。これだけでもかなりおもしろい。

ギャラリーの外にあるケースには、麻鳥とこどもたち(麻丸・円)がゐた。
来たね、麻鳥くん。
しかし、蓬子はゐない。中にもゐなかつた。いづれ見られるものと思つてゐる。

今回、人形劇三国志の主題は「【白門楼ー呂布の最期】」である。
入つていきなりケースの中の人物がみんなおなじ方向を見てゐるのにびつくりする。
まづ、馬上の曹操とその配下の武将・智将たち八人が向かつて右側を向いて飾られてゐる。なんだか妙に迫力がある。
そして、次のケースの右端にゐる玄徳・関羽・張飛は左側を向いてゐる。
双方の視線の先にゐるのは呂布。
さういふ趣向である。

さらに驚くことがあつた。
曹操の家臣団の中に、なんと、荀彧がゐるではないか。
しかも若い!
さうかー、新たに作つたのがあつたのかー。
これはかなり興奮する事態であつた。

では、例によつて向かつて左側から行かう。

一番端にゐるのは許褚である。
許褚はいちばん端つこ、といふ決まりでもあるのだらうか。といふのは、飯田市川本喜八郎人形美術館の前回と今回との展示で許褚の飾られてゐる場所が仁王様でいふところの阿の位置だからだが。
顔は人形劇のときの方がデフォルメがきいてゐたやうに思ふ。もつといふと、人形劇のときの方が愛嬌のある顔だつた。渋谷の許褚は、「こんな顔の人、ゐるよなー」といふ、「リアル」な顔立ちをしてゐる。
得物は斧。これは飯田にゐる許褚もおなじだな。
今回展示されてゐる中では、許褚だけ鎧の胸当て部分がよく見えるやうになつてゐる。四隅を三角形に切り落とした四角形をうろこのやうに並べたものだ。

許褚のななめ後ろは郭嘉。
最初の展示のときとおなじやうに左手を胸元にあててゐる。最初の展示のときは茶色つぽく見えた衣装は、今回はちやんと紫に見える。飯田の郭嘉よりいい男に見えるのは、やはり歯を見せてゐないからだらうなあ。

そのななめ前が夏侯淵。
このあたりは最初の展示を彷彿とさせるなあ。夏侯淵も最初の展示のときと変はつたやうすはない。これまた郭嘉同様、つくりなほした方がいい男なのがおもしろい。

そのななめ後ろが荀彧である。
人形劇三国志の荀彧といへば、老人だ。それもいまにも死にさうな(実際出てきていきなり死ぬのだが)、「我が張子房」といふよりは左慈とか紫虚上人の仲間のやうな、そんな感じだつた。
個人的に川本喜八郎に若いころの荀彧の作成を依頼した人がゐる、といふ話は聞いてゐた。
とくにこれといつて表示はないので、個人蔵の人形ではないと思はれる。
説明文に「容姿も人並みすぐれ」といふやうなことが書かれてゐる。正面から見たところは正直云つてそれほどとも思はれない。わりとふつーの顔立ちだよなあといつたところだ。
これが、横顔となるとまた趣がちがつてくる。なるほど、「容姿人並みすぐれ」とはかういふことか。さう思ふ。
衣装は全体的に緑がかつてゐる。襟元と袖口がなんとなく畳の縁のやうな感じなのがご愛嬌。

そのななめ前が夏侯惇。
人形劇ではこの時点では出てきてゐない。人形劇の夏侯惇が目を失ふのは、馬超との戦ひのときである。この展示では「三国志演義」の設定を生かしたといふところなのだらう。
渋谷の夏侯惇は、髭にうねりがあつたりして、人形劇のときよりさらにきかん気が強さうな感じだ。顔立ちもどこかラテン入つてゐる。それも、最初の展示のときにゐた遠藤盛遠のやうな陽性のラテンではなく、冷血でシリアスな、それでゐて一旦ことがあるとその冷たい血が火を吹くやうな、そんな陰性のラテンだ。
得物は槍。目には包帯代はりの布がまかれてゐる。前垂れの黒地に銀の青海波の模様がいい。

その先にゐるのが馬上の曹操。
采配を手にして、これがまあ、なんとも立派な武将ぶりで、ねえ。
最初の展示のときとおなじ曹操とわかつてゐても、なんだか別人のやうに見えるのは、前は目が横を見てゐて、今回は正面を見てゐるから、かなあ。
さきほど荀彧の横顔がたいへんよい、と書いた。この曹操の横顔もすばらしい。

曹操の先にゐるのが典韋。
典韋も人形劇のときより三割くらゐ男前があがつてゐるなあ。胸元に指した短剣も飯田の典韋より多い気がする。
許褚のところで「仁王様」などと書いた。典韋の口元は仁王様のやうに見える。
人形劇の典韋は弁慶のやうな死に方はせず、長坂橋くらゐまでは活躍する。でも渋谷の典韋はやつぱり仁王立ちしたまま死んでしまひさうな感じがするなあ。

曹操軍の中で一番右端にゐるのが程昱。
人形劇では小狡い小動物つぽい顔をしてゐて、ゆゑにたまになんだか可愛い感じがすることもあつた程昱も、ここでは実に「リアル」な顔立ちになつてゐる。陰謀大好き名参謀みたやうな感じ、かな。この方が程昱のイメージには近いかもしれない。
ただ、なぜか相変はらず小柄である。
あれ、程昱つて、背が高かつたんぢやなかつたつけか。ま、いいか。
冠は人形劇のときとほぼおなじに見える。衣装も色合ひはさうなんだけれども、細かい模様が異なる。茶色を基調とした衣装で、羽のやうな模様なんだよなあ。飯田の程昱の衣装で源氏香を並べたやうな模様の部分は、なにがなんだかわからない模様になつてゐる。四角いのはおなじなんだけれども、見やうによつては花のやうにも兎のやうにも鹿のやうにも見える。ヲレ、疲れてるのかな。

この絢爛豪華な八人の視線の先にゐるのは呂布一人。
それは次回の講釈で。

Wednesday, 20 November 2013

その後のPilot Kakuno

Untitled

パイロットのカクノを使ひはじめて十日。
いい感じで使へてゐる。
楽天イーグルス優勝ポイントキャンペーンのときに、銀座嶋屋で購入した。

細字と中字とを買つた。
細字にはパイロットの色彩雫の孔雀、中字にはおなじく稲穂を入れてゐる。
孔雀は、以前ほかのペンに入れて使つてゐた。しかし、すぐにインキがかたまるので閉口してゐた。
カクノの細字ではいまのところ順調に使へてゐる。
いつたい色彩雫の青系インキはかたまりやすいといふ話もある。実際、月夜といふインキをパイロットの萬年筆で使つてゐたときも、コンヴァータの中にどろりとしたかたまりができてゐて驚愕したものだつた。
それ以降、月夜は使つたことがない。

もしかしたら、カクノのペン先には色彩雫の青系でもかたまらないやうな素材を使つてゐる、といふことなのだらうか。
いやいやいやいや。
その可能性は低からう。
たまたまいまのところは問題ないといふだけなのかもしれないし、たまたま手持のペンではかたまらないといふだけなのかもしれない。
とりあへず経過を観察したい。

さう、カクノではコンヴァータを使用してゐる。
カクノには、パイロットの黒インキのカートリッジがついてくる。
買つてカートリッジをさして即使ひはじめられるといふ寸法だ。
カクノには、使用方法もついてくる。説明がわかりやすい。こども向けを意識してゐるからだらう。
その中におとな向けとして、コンヴァータを使ふ場合のことが書いてある。
さうか。コンヴァータはおとな向けか。

おもに細字を使ふことが多い。
使用感は、鉛筆に近い。そんな気がする。
握るところが三角形だからだらうか。あるいは紙にあたるときの感触がすこしかためだからだらうか。
これまでも、鉛筆に似た書き味(とやつがれが思つてゐる)萬年筆を使つてきた。気楽に使へるといふ意味では、カクノはこれまで使つた中でもつとも鉛筆に近い書き味の万年筆だ。

さう、鉛筆に近いといふことは、気楽に使へる、といふことだ。
小学校にあがるころ一番使つてゐる筆記具は鉛筆だつた。
長いつきあひだ。
その後シャープペンシルばかり使つてゐた時期もあつた。
最近はまた鉛筆に戻つてきてゐる。
筆記の際に主に使ふのが萬年筆であること、また、本に傍線をひくときに色鉛筆を使ふことが多いことから、さうなつてきてゐるやうだ。

鉛筆が気楽に使へるのは、間違へても消せるから、といふ面も大きい。
残念ながら、萬年筆のインキは消せない。
いや、消せないことはない。消せないことはないけれども、まあ、まづ消すことはあるまい。

おなじパイロットでもCocoonは、もつと萬年筆感覚が強い。
すくなくともやつがれが使つてゐるCocoonには鉛筆めいたところはないなあ。
Cocoonとカクノと、どちらもちがつてどちらも気に入つてゐる。

ところで、中字の出番があまり多くないのは、インキに原因がある。
Smythsonの青い紙にあはないのだ。
それは考へてなかつたなあ、と思つても後の祭り。
仕方がないので、職場で印刷物に書き込んだりするのに使つてゐる。
稲穂、いい色なのにな。もつたいない。

Tuesday, 19 November 2013

小人閑居

あひかはらず風邪である。
味はそこそこするやうになつてきたかなあと思ふものの、昼間などは「このまま味がしなくなるのかも」と思つてしまふほどだつた。
喉と鼻とだつた風邪も、気がつくと頭にもきてゐるしなあ。
寝るのが一番とわかつてゐても、さううまくはいかない世の中なのぢやよ。とほほ。

といふわけで、Jon Yusoffデザインのモチーフを21枚つないだ蔓日日草色のランナーもどきは、結び終はつてはゐるものの、整形はできてゐない。
ランナーにするにしても中途半端な大きさだ。
やはりもう少しモチーフを足すかなあ。

年賀状の準備もまつたく進んでゐない。
ビーズとたはむれたいなあと思ひつつできてゐない。
いつたいなにをしてゐるのかと思ふ。

ここのところは、一にも二にも睡眠優先、と思つて暮らしてゐる。
かう書くといふことは、なかなかさうできてゐないといふことだ。
平日は仕方がない。
朝起きて夜寝るまで、あまり余裕がない。
タティングレースの入る隙は、昼食後の時間だけである。

休日だな。
休日の過ごし方が問題だ。
芝居に行くときなんかは、芝居に行くだけでいつぱいいつぱいになつてしまふ。
あいてゐる時間はあるはずなのに、有効活用できてゐない。
うまくすれば幕間にタティングにいそしんだりするけれど、さうもいかないこともある。
だいたい歌舞伎の場合は長い幕間は食事の時間だしね。
先月の鮨屋のあとの幕間のやうに、長いけどその前の芝居を引きずつてしまつて食べるどころの騒ぎぢやない場合もないわけぢやないけれども。

もう残るところは休日しかないんだよなあ。
最近は、きこしめしつつ読書か、録画を消化しつつあみものをしたりしてゐる。
きこしめすのがすでによくないんだらうなあ。
わかつちやゐるけどやめられない。
やはりこのころの青島幸男は天才だな。

Monday, 18 November 2013

ながら族

風邪である。
どれくらゐ風邪かといふと、湯豆腐を柚胡椒入りのめんつゆにつけて食べても味がしないくらゐ風邪である。
刺激はある気がするのだが、味がない。
道理で朝からお茶の味がしないなあと思つてゐた。お茶つ葉をけちつたかなあと思つてゐたよ。

金曜日にはまだましだつた。
土曜日の朝起きて、「今日一日寝てゐればなほるな」といふ感覚はあつた。
しかし、この日は歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」の夜の部を見る予定があつた。
普段だつたら、風邪をなほす方をとつてゐたと思ふ。
普段ではなかつた。
そんなわけで、出かけていつて、まんまと風邪を悪化させて帰つてきたわけだ。

たぶん、先々週から全然編めてないなあ、といふのは、調子が悪いせゐもあつたんだらう。
そこで無理せずに寝ておけばよかつたのだ。
「なにをそんな甘えたことを」とか、いつもだつたら甘えきつてゐるのに思ふからいけない。

そんなわけで、ラグラン袖のリブタートルネックセーターはほとんど進んでゐない。
昨日、それでも起きあがつて本を読んでゐるときにちよつと編んだくらゐかな。
本を読みながら編めるのは、ニ目ゴム編みのおかげである。減らし目でちよつとちがふ編み方になる部分には目数リングを入れてゐるので、まづ間違へない。

ながら族ぢやによつて、かつてから読みながら編むは折に触れやつてきた。

風邪引いてるときはそんなことしちやいけないぞー。
といふ意見もあるとは思ふ。
しかし、なにしないで寝てゐるだけだと、「なにもしてゐない」といふ悔悟の念が生じるので、なあ。

いづれにせよ、たいした進みではない。まだ減らし目部分を編んでゐる。
いつ増やし目部分に入れるのだらうか。
ちよつと気が遠くなつてゐる今日このごろである。

Friday, 15 November 2013

コロンボ風味の「岡崎の段」

先週、11/8(金)に、国立文楽劇場で「伊賀越道中双六」の通しを見てきた。
ほんたうは九月に国立劇場で見たかつた。行ける日に席がなかつた。
どうも東京で文楽を見やうとするとさういふことになつてしまふ。
ゆゑに、ここのところ文楽とはご無沙汰であつた。

「伊賀越道中双六」を見に行つた理由はいくつかある。
ひとつは、「これを逃したら今度は二十年後だ」である。
前回、「伊賀越道中双六」の通し上演があつたのは、二十二年前のことだ。
その間、三大浄瑠璃はともかくとして、「妹背山婦女庭訓」とか「本朝廿四孝」とかは二度くらゐ通し上演をやつてゐるやうに思ふ。
なぜ「伊賀越道中双六」はないのだらうか。
地味だからかな。

ほかの理由として、今年は京都の顔見世に行かないから、といふのもある。
だつたら十一月に大阪に行つてもよからう。
さう思つたのだ。

今回一番楽しみにしてゐたのは、「岡崎の段」だつた。
見たことがないからである。
手持ちの歌舞伎のムックで、いまの坂田藤十郎が中村扇雀だつたころの写真を見たことがある。お谷をやつてゐた。夜、雪の降る中、戸口に立ち尽くしてゐるところを写したものだ。ちいさな写真だつた。

本などにあたると、必ずといつていいほど、このお谷が生まれたばかりの巳之助をつれて、いづことも知れぬ夫・唐木政右衛門を探してまはる話が出てくる。
やつとの思ひで偶然にも政右衛門と巡り会ひ、しかし、政右衛門は巳之助を殺さねばならない。
その悲劇が語られる。

いや、「岡崎の段」って、さういふ話ぢやないから。
この段の眼目は、謎解きである。
それも、コロンボ風の、「いつ如何にしてなにを手かがりに政右衛門の正体がバレるのか」といふ話だ。
実にわくわくと心躍る話なのである。

なんだよ、「沼津の段」よりよつぽど楽しいぢやんよ。

お浄瑠璃には、たまにかういふ話がある。
たとへば「本朝廿四孝」だ。
「本朝廿四孝」といふと、八重垣姫の話ばかりが取りざたされるけれど、お浄瑠璃全体からいつたら、犯人当ての物語である。
すなはち、「Whodunit」の話だ。

はじめて「本朝廿四孝」の通しを見たときは、大詰めがあつて、ちやんと犯人当てもしてゐた。
ニ度めの通しのときは、奥庭で終はつた。確かにその方がもりあがるけど、それぢやあ犯人がわかんないまんまぢやん。しかも、濡衣はただの「簑作の女房」で終はつてしまふ。そりやないよなー。

といふわけで、以下、「岡崎の段」のたねあかしになるので、おイヤな人とは、ここでおさらばでござんす。

さて。
「岡崎の段」で、なぜお谷が出てくるのか。
来なかつたら巳之助も殺されずにすんだのに。
そんな発言をしてゐる人を見かけた。

そんなものは、「岡崎の段」を通して見れば一目瞭然である。
お谷が、いやさ、巳之助が出てきたのは、政右衛門の正体を知らせるため、である。
つまり、お谷ひとりなら出てこなかつた。あるいは、もう少しちがふ展開になつてゐた。
巳之助が生まれたばつかりに、お谷はわざわざ出て来ざるを得ず、その巳之助を失ふことになつたのである。
巳之助にとつては迷惑な話だよなー。

「岡崎の段」では、和田志津馬が志津馬に惚れたお袖といふ娘につれられて、関所を守る幸兵衛の家に身を寄せることになる。
幸兵衛は、志津馬の敵である沢井股五郎に義理がある。
よつて志津馬は正体を明かすことができない。偽つて、「自分こそが沢井股五郎」と称して幸兵衛宅にやつかいになることにする。

志津馬に遅れてやつてきた政右衛門は、実はこどものころ幸兵衛から剣術の指南を受けてゐた。
幸兵衛は政右衛門の幼名しか知らない。
政右衛門は敢て名を名乗らず、幸兵衛から沢井股五郎の味方をしてもらへないかと頼まれる。
してやつたりの政右衛門。

さて、志津馬と政右衛門と、その正体はいつバレるのか。あるいはいつみづから明かすのか。

といふのが、「岡崎の段」の眼目である。

志津馬については、幸兵衛は最初から股五郎でないことを知つてゐた。
その風体から、股五郎ではあり得ないことを見抜いてゐたのである。

では政右衛門の正体は、いつ知つたのか。

幸兵衛は云ふ。
幼子を殺すとき、目に一瞬涙が見えた。
それで「ああ、こいつはこの赤子の父親、すなはち唐木政右衛門なのだ」とわかつた、と。

すなはち、巳之助がゐなかつたら、政右衛門の正体は明かされなかつた、といふことになる。
逆にいふと、巳之助は政右衛門の正体を明かすためにこそ、この場に出てきたのだ。
さういふことだつたのかー。
見てゐて、心中うなつた。

さういふ、作為の透けてみえる展開つてどうなのよ、とは思ふときもある。とくに推理小説ではよく思ふけれど、でも、「岡崎の段」はさうでもない。
よくできてるなー、と思つた。
なんでこれが上演されないのかね。

歌舞伎で上演されない理由はなんとなくわかる。
おそらく、歌舞伎では志津馬が幸兵衛の家に入るくだりはやらないのだらう。
そして、お谷と巳之助の悲劇ばかりが強調される展開なんだらう。
それではあまりにおもしろくない。ただ悲惨なだけだ。

敵討ちがあつて、敵と敵との腹のさぐりあひがあつて、それでこそ「岡崎の段」だと思ふ。

今回、語りは嶋大夫と千歳大夫とで、迫力と物語の骨格をくつきりと浮かびあがらせる点とでは申し分ない。

いやー、いいぢやん、「岡崎の段」。

このあとの「伏見北国屋の段」にもちよつとしたかけひきがあつて、おもしろい。
「伊賀越道中双六」は「沼津の段」ばかりぢやないんだなあ。

Thursday, 14 November 2013

西陣と嵐山

11/9(土)、京都に行つてきた。
京都へ行つた理由は、その前の日に大阪で文楽を見たからである。
できれば日帰りしたかつた。しかし、終演時間がチト遅かつた。
ゆゑに一泊することにして、翌日は京都へ行くことにしたのだつた。

行つたのは、西陣にある浄福寺と大河内山荘。
浄福寺は、新聞の記事で約百年ぶりのご開帳があるといふので行くことにした。
歌舞伎を見てゐると、ご開帳といふのが一大イヴェントだつたことが知れる。
ありがたいので三度も行つてしまつた、とか、近いからと思つてゐるうちに行きそびれてゐる、とか、往来の人々が話してゐたりする。
さういふ気分を味はへたら、といふ思ひもあつた。

最初のみものは本堂だつた。
なんでも、「日本最古の違法建築」だといふ。
享保年間の大火事で本堂が焼けてしまつた。さて、建てなほさうといふ段になつて、「三間梁規制」といふ法律のせゐで焼ける前の大きさで建てることができないことが判明した。
享保といふから、「奢侈規制の一種かな」と思つたけれど、解説では「建物内を広くすると幕府転覆をはかる輩が集まるから」といふので規制をしたのらしい。ふーん、なんだらう、天一坊事件のあとに強化された法律なのかな。
それぢやあといふので、中は元通りの広さに作つて、外から見たら二棟の建物に見えるやうに作ろう、といふので建てられたのがいまの本堂であるといふ。
本堂は広くて立派だ。でも、部分部分でいろんな建築方法を使つて、「つながつて見えるけどちがふ建物ですよ」といふ風に押し通したのらしい。
その「ひとつの本堂にいろんな建築方法を使つてゐる」といふのが、いまでは目玉になつてゐるのだといふから、わからないものだよねえ。

本堂の片隅に、なぜかアップライトのピアノがおかれてゐた。そこだけなんだか「アットホーム」な感じがした。
浄福寺は幼稚園を経営してゐるといふので、園児のお遊戯用のピアノなのかもしれない。後でさう思つた。

大火事はたびたびあつて、一度などは門のすぐ手前まで来て、しかし寺は無事だつた、といふことがあつたのだといふ。
人々は「鞍馬山の天狗が降りてきて風で火を消してくれたのだ」と噂したのだとか。
そんなわけで、浄福寺にはしつぽが天狗の団扇になつてゐる狛犬がゐる。これがなんだか妙に可愛い。

順路にしたがつて歩いていくと、「仏教まんがコーナー」とか、遊戯ものをおいたコーナーに出くはした。
おどろいてゐると、ご住職の絵解き法話がはじまるといふ。
これまでも京都の特別拝観には何度か行つてゐるが、ご住職のお話があるお寺なんてはじめてだつた。
もちろん聞くことにした。

お話は、主にお釈迦さまの生まれたばかりのときの絵とお釈迦さまが悟りをひらいて最初の説法をおこなつたときの絵とを中心に、展開した。主たる話は、貪・瞋・癡の三毒についてだつた。
絵を使ふとか、わかりやすい話とか、やはり園児に説明することがあるからかなあ、と思つたりした。
宗教の教へといふのは、如何に世の中自他との摩擦を減らして楽に生きるかにつきるのでは、とも思つた。

遊戯ものには、輪投げ、コリントゲーム、双六があつた。
コリントゲームは、玉が地獄に入ると、「部屋の隅にある地獄の箱を覗いてもいいですよ」といふことになつてゐる。なんだか楽しい。

仏教マンガコーナーには手塚治虫の「ブッダ」とひろさちやの本とがおかれてゐた。

ほかにも鳴き龍を見て、実際に絵の下で手をたたいてみたり、ありがたいご開帳を見たり、いろいろと忘れがたいことが多いお寺だつた。
平安時代のものといふ四天王は、現在東京区国立博物館で修復中だといふ。来年の京都の特別拝観のときに見せることができたら、といふ話だつた。
うまいな。

そのあと、らんでんに乗つて嵐山に出た。
ここでの目的地は大河内山荘だ。
ご存じ大河内傳次郎の所有する地だつたものを、いまでは一般公開してゐる。そんなところである。

七年くらゐ前に一度行つて、たいへんによいところだと思つた。
なにがいいつて、「大河内傳次郎」といふのがまつたく前面にでてきてゐないのがいい。
たぶん、ここをおとづれる人の大半は、そんなことを意識せずにゐるのではあるまいか。
まあ、来ようと思つた動機は「大河内傳次郎」なのかもしれないけれども。

竹林の小径をずつと行つたところに、大河内山荘はある。
まだ早いから今回は紅葉はのぞめまいと思つてゐた。

大河内山荘

あつたね、どうも。

大河内山荘

ここのところ朝晩と冷える日がつづいたせゐか、葉の色づいてゐる木々もあつた。
緑多めの中に、赤い木がぽつりとある。
風情ではあるまいか。

大河内山荘

大河内山荘は、「金を使ふなら、かう使ひたいね」と思つてしまふ、そんなところである。
山全体が庭になつてゐて、さらに嵐山や京都の町が借景になつてゐる。
当時はどうだつたのか知らないが、山の木々にはあまり手は加へられてゐないやうに見受けられる。それでゐて、あれこれきちんと計算されてゐる。

大河内山荘

傳次郎は、太秦での撮影のあるときに、ここで過ごしたのだらう。
最初に建てたのは持仏堂だといふ。撮影の合間にそこにこもつて座禅を組んだりしてゐたのらしい。
持仏堂は、戸が閉じられてゐて内部は見えない。中にはきつと仏像が鎮座在してゐることだらう。
贅沢ぢやあないか。

前回来たときに一番気に入つてゐたのが、頂上付近の四阿から見える景色だつた。四阿には「月香」と額が飾られてゐる。
横長の写真がそこから撮つたものだ。
写真だとよさが伝はらないなあ。
木々のトンネルをくぐりぬけて、ちよつと開けた場所にこの四阿があつて、そして眼前にひろがるこの景色、である。
脱力する、といふか、肩から力が抜ける、といふか、とにかくすばらしい展望だ。
「月」といふからには、月夜にここから下界を眺めたりしたのだらうか。月明かりに照らされる比叡山や京の町は、どれほどうつくしかつたことだらう。

お抹茶をいただいて、さらに周囲の景色を満喫する。
実にのんびりできていいところだ。
ついさつきまでは嵐山の喧噪の中にゐたといふのに。

最後に、「大河内傳次郎資料館」に立ち寄つた。
「資料館」といひながら、単に壁をぐるりと四角に囲つただけの、野天の建築物である。壁の内側に、傳次郎の写真や経歴、それとおそらく縁の人だらうと思はれる画家の絵が飾られてゐる。
中に一枚、撮影の合間に撮られたものだと思はれる写真がある。浪人態の傳次郎が、監督たちと並んで、実にいい表情でほほえんでゐる写真だ。こんな顔もするんだなあ、と、しみじみ見てしまつた。

前回はここで傳次郎の出演映画の断片を見ることができた。
今回は機械の不調か見られなかつた。
残念だなあ。

大河内山荘で傳次郎を思はせるのはこの資料館の一角だけだ。
しかも、順路にはづれたところに、ちんまりと存在してゐる。
いいなあ。かへつて大物感が出てゐるよなあ。

一度、花の時期に来てみたいものである。


大河内山荘

Wednesday, 13 November 2013

年賀状の準備

蔓日日草色(periwinkle)のモチーフつなぎは、やうやく終はりが見えてきた。

Tatted Motif in Progress

写真のモチーフを三つ横につないで、ひとまづはできあがり、といふことにするつもりだ。
つなぐ部分は全部つないだ。あとは最後、モチーフ自体を円につなぐだけである。

実は、つないで整形したところをblogに載せたくて昨日は別の話題にした。
うまくいかないものである。
夕べは妙に眠かつた。
いつも寝る前に聞いてゐる漢詩紀行100選第八巻、夕べは劉禹錫を聞いてゐるうちに、気がついたら寝落ちしてゐたやうだ。
かなり眠たかつたのらしい。

かういふときに仕上げにかかると、まづ失敗する。
あはてる作業ではない。
時間のあるときに、といつてそんなときはなかなかないのだが、落ち着いてかかつた方がいい。
さう判断して、夕べ仕上げるのはやめた。
今日の昼休みにでもできあがるだらう。
整形はそれからだが。

ほんたうは、もつとつないで大きいものにしたい。
ここでひとまづやめるのは、年賀状の支度をしなければならないからである。
一昨年はこんな年賀状を送つた。

New Year Cards 2012

年賀状は手書きに限る。
最低でも宛名は手書き。プリンタで出すやうになつたら、もう年賀状は出さなくてもいい。
それくらゐに思つてゐる。

干支によつて、描きたい年といふのがある。
午年のときはフェラーリの跳ね馬を描いてきた。
かつては、描いて、あとはプリントゴッコで量産した。
その後、プリントゴッコはプリンタにとつて代はられた。
ほかに描きたい年といつて、辰年、かな。この二年くらゐしか描きたい年はない。寅とか描けないし。

一昨年、正確にいふと一昨々年は、龍を描かなかつた。
写真のとほり、タティングレースのモチーフを量産して、年賀状に貼り付けた。
すなはち、量産できるくらゐの枚数しか、年賀状を出さない、といふことである。

中学時代の友人にお嬢さんがゐて、気に入つてくれた、と、聞いた。
社交辞令にしてもうれしい。
それに、はがれずに宛先に届いたといふのがわかつたこともよかつた。

拙blogには「タティングレース」で検索してたどりつく人が多いやうだ。
Googleで「タティングレース」で検索しても、拙blogはかなりあとの方に出てくる。
つまり、情報に飢ゑてゐる人が多い、といふことだらう。

昨今の出版状況などから見ると、タティングレースは人気のある手藝だ。
ただ、まだまだ人口は少ないし、認知度も低い。
年賀状で「こんなことをやつてゐるのさ」と主張するのは悪いことではなからう。

まあ、受け取つた人がそれを見て「タティングレースだな」とわかるかどうかといふと、謎なわけだが。

そんなわけで、今年もそろそろモチーフを作りためる時期に来た。
なにか新しいモチーフを作りたいと思つてゐるのだが、気に入つたモチーフつて決まつてるからなあ。
結局おなじものを作つてしまひさうな予感がする。

年賀状用なので、普段あまり使はないやうな色の糸も使ふ。
これもちよつと楽しみだつたりはする。

ほんたうは、「メキッキオヤのアクセサリー 」も試してみたいんだがなあ。
なかなか新しいことに挑戦するやうな気構へにならない。
疲れてるのかなあ。

Tuesday, 12 November 2013

編みて時にこれを習ふ

過去に編んだものをいろいろと引つぱりだしてきた。
突然冷えたからである。
まさかこんなに突然寒くなるとはなあ。
金曜日に書いたとほり、かぎ針編みの三角ショールはすでに使つてゐた。ほかには指なし手袋を家と外とでそれぞれ使つたりしてゐる。
今朝は、去年編んだメビウス編みのちいさなショールが加はつた。
こぶりなショールはshawletteなどと呼ぶやうだ。「ショーレット」といふことばは本邦では定着してゐないやうに思ふ。

メビウス編みはもう六年ほどやつてゐて、飽きない。
まだ編むつもりでゐる。
メビウス編みのなにがいいのかについては、過去にも何度か書いた。
輪に編んだマフラーなりショールなりがいいのは、端がないことだ。
端がないと、ほどけない。
満員電車の中でひつぱられてほどけて、人とマフラーとがはなればなれになつてしまふといふ心配がない。
また輪なので結ぶ必要がない。
すなはちマフラーで首を絞められる心配がなくなる。
実に実用的である。

見てくれや流行よりも実用第一。
さう思つてゐる。

輪に編んだショールといふか、いはゆる「スヌード」といふものが、ここ二年ほどはやつた。
たぶん今年はもう身につける人もほとんどゐまい。
やつがれは身につける。
流行する前から使つてゐたし、家にたくさんあるからだ。

すでにそんなにたくさん編んでゐるのなら、もう編む必要はないではないか。
さういふ向きもあらう。

今日出してきたメビウス編みのショールは、これまで編んできたメビウス編みもののなかでは、一番出来がいい。
扇形の模様(Fan and featherなどといふやうである)を真ん中から分散減目側と分散増目側とにわけて編んだ。ゆゑに、かぶり方を工夫すれば、襟元がしまるやうにかぶれる。逆にかぶつてもいい。
メビウス編みはもともと躰に沿ふといふのが長所だ。そこに、真ん中から減目側と増目側にわけて編むと、片方がせまくなつてもう片方が広くなる。自然と末広がりの形にできあがる。
かぶるときにどちらが広くてどちらがせまいか確認が必要ではあるものの、これがすこぶる使ひやすい。

だつたらこれで完成形でいいではないか。
さにあらず。
このショールの問題は、裏表があることだ。
もちろん、編むときにわざと裏表ができるやうに考へたのだから、文句はない。
文句はないが、実際に使つてみると、やはりめんどくさいのである。
上下があつて裏表がある、といふのは、メビウス編みのよさを半減させてしまふ。
Fan and featherだつたらガーター編みの地にしてもよかつたのだ。
愚かなり、やつがれ。

このショールはリッチモアのバカラファインで編んだ。暗い紫とtealのやうな色の段染め糸である。
ほかの色やほかの糸で編んだらどうだらうか。
さういふ妄想もひろがる。

ひとつ編むと、課題がでてくる。問題点が見えてくる。
よつてまた次を編む。
次を編むとまた課題や問題がわかつてくる。
そしてさらに次を編む。

といふ具合に、メビウス編みをつづけてきてしまつた。
たぶん、今後もしばらくはつづけるだらう。

問題は、現在ラグラン袖のリブタートルネックセーターにかかりきりで、そんな余裕はない、といふことか。

Monday, 11 November 2013

減らし目なんていらないのでは

この週末、大阪と京都とへ行つてきた。
大阪へは文楽の「伊賀越道中双六」の通しを見に行つた。
前回の通し上演は二十二年前のことである。
今回を逃したらまた二十年待たねばならないかもしれない。
ほんたうは、東京の国立劇場で見たかつた。しかし、行ける日に席がなかつた。
また、今年は十二月の京都には行かないことにした、といふのも大阪行きの理由のひとつである。
毎年十二月は京都に顔見世を見に行くことにしてゐる。さう云ひながら、これまでも行かない年もあつた。「これが顔見世の演目・配役か」と怒つた年は行つてゐない。
今年は……まあ、いろいろあつて行かないことに決めた。
ゆゑに、「だつたら大阪に文楽を見に行つてもいいかな」と思つた、といふ寸法である。

といふ話は、またの機会に譲ることにして。

そんなわけで、あみものもタティングレースもほとんど進んでゐない。
タティングレースは帰りの新幹線の中ですこしやつた。隣の席の人が眠つてしまつて寄りかかつてくるのであまり進まなかつた。

あみものは、先週は平日のあひだも進まなくて、昨日すこし進展した。
例によつて、ラグラン袖のリブタートルネックセーターをくるくる輪に編んでゐる。
現在減らし目部分に入つてゐる。
六段ごとに四目減らしてゐる。
そんなわけで、なんとなく一段編み終はるのが早くなつたかなあ、といふ気はしてゐる。
減らし目のあとには増やし目が待つてゐるので、また「なかなか進まぬ」といふことになるのは目に見えてはゐるがね。

減らし目と増やし目とは、セーターをいはゆる「シェイプする」役割を持つてゐる。
編んでゐて、なんとなく必要ないやうな気もしてゐる。
胴部分を若干細くして、胸や腰まはりはゆつたりとした形、といふのは、ジャケットではやうすよく見えるやうなるよな、といふのは体感してゐる。
しかし、セーター。
しかも、伸びゲージを取つてゐるので、躰にぴつたりするセーターである。
そんなセーターに、そんな工夫が必要なのか。

そんなことを思ふたりもする。
さう、今回のセーターは、躰にぴつたり沿ふやうなものだ。
さういふものになる予定である。
だつたら、躰の線が出るわけだし、そんな、形を作らなくてもいいのでは。

これまでセーターなんてほとんど編んだことないからなあ。
そこのところがよくわからないのだ。
洋裁もまつたくやつたことがない。家庭科の授業でやつたのが最後だ。

いま自分が編んでゐる減らし目だの増やし目だのは、ほんたうに意味のあることなのだらうか。
そんなことを考へながら編んでゐる。

それでもニ目ゴム編みはだいぶ自然に編めるやうになつてきた。
最初の裏目を編むときにすこしもたつくことがあるが、まあ、いい感じなんぢやないかな。
これで裏目への苦手意識が消へるといいなあと思つてゐる。
これまでも裏目への苦手意識が消へるといいなあと思ひながら編んだものはいくらもある。さうしたものを仕上げるたびに、裏目への苦手意識は軽減されてゐるやうに感じたりもした。
しかし、未だに裏目はイヤだな、といふ意識がなくならない。
右手に糸をかける編み方ならいいのかなあ、とも思ふが、いまさらそんなこといつてもね。

まだまだ先は長いし、袖だつて両方残つてゐる。
ひとまづ、ニ目ゴム編みが速く編めるやうになればいいかな。

Friday, 08 November 2013

かぎ針編みの三角ショールを使つてみる

去年、「編みやすくて心地いいニットのふだん着」から、三角ショールを編んだ。
毛糸はたまたま手元にあつたニッケの中細。チャコールグレーの渋い糸で、とても気に入つてゐる。

Crochet Shawl

去年、編んで満足して、使ふことはなかつた。
編みあがつたあとに整形するのがめんどくさくて、はふつておいたせゐかと思ふ。

写真のショールも整形前だ。
今回使ふにあたつて、洗つて、のばした。
今日、国立文楽劇場に行くため早起きする必要があつた。
日の出前は寒からうと思ふて持つて出た。

いいね。
薄くて軽くてあたたかい。
三拍子そろつてゐる。
編んでおいてよかつた。

黒や黒に近いショールはお悔やみのときも使へるので、一枚あると重宝する。
いま編んでゐるセーター用の毛糸があまつたら、ショールにしやうかなあ。ちよつと大きいのがほしいんだよね。
棒針で円に編むのもいいなぁ。

実際編みはじめると、時間がかかつて飽きさうな気はするがね。

Thursday, 07 November 2013

恰好つけの辭

心弱ると漢詩を読む。
あるいは史記、孫子。

恰好つけてるな、と我ながら思ふ。

昔から、漢文が好きではあつた。
中学高校の国語の授業では、つまらなくなると教科書にある漢文の教材を読んでゐた。
中学校にあがると、同級生らはこぞつて英語に夢中になり、寄せ書きなどにもつたない英文を書き散らしたものだつた。やつがれ一人は漢字ばかりを書いてゐた。

以前も書いたと思ふ。
同級生らのそんなさまを見て、「さばかり賢しだち英語書き散らして」と、やつがれは思ふてゐた。
「さばかり賢しだち真名書き散らして侍るほどにもよく見れば(いや、よく見ずとも)まだいと堪えぬこと多かり」だつたのは、やつがれの方だつた。

その後、とくに漢文に親しむこともなく、月日は流れた。
去年、「日本人の9割に英語はいらない」と、すこしおいて「日本語が亡びるとき」とを読んだ。
「日本語が亡びるとき」については、以前もすこし書いた

どちらも、「英語が必要な日本人はそれほどゐない」といふ点で共通してゐる。特に後者は「一部のエリートだけできればよい」といつてゐる。
そして、その他下々のものについては、「英語なんか勉強してゐる暇があつたら本を読め」といふ点も共通してゐる。

それはそのとほりだらう。
実際、日々生きてゐて、英語が必要になる場面がない。
朝起きて、出勤して、帰つて寝る。
休みの日は芝居に行つたりする。
その間、英語にふれる機会があるだらうか。

ない。
まつたくないのである。

前者にも言及されてゐるが、日本では海外の書籍がかなり翻訳されてゐる。
映画も字幕つきがあたりまへで、最近では吹替も多い。
街中の人々も英語で喋つたりしないし、ましてや家族や友人、である。

やつがれに英語は必要ない。
その点で、この二冊に対して異論はない。

あるとしたら、「では英語の代はりになにをするか」だ。

どちらも「本を読め」は共通してゐて、その読むべき本をあげてゐる。
成毛眞の本には具体的にこれこれと題名があげてある。
水村美苗は「近現代の日本文学、ただし谷崎潤一郎まで」と書いてゐる。
そこに、漢籍の本が一冊もないのである。

これは、もしかしたら大人への配慮なのだらうか。
いまさら漢籍を学ぶのは遅過ぎる。
それよりは読んですぐわかるものを読んでおけ。
さういふことなのだらうか。

こどものころ読んだ少女まんがには、ラテン語を学ぶイギリスやドイツのエリート校の生徒の姿が描かれてゐた。
すこし古い話だらうかと当時は思つてゐたが、どうやらイギリスのプレップスクールやパブリックスクールではいまでもギリシャ語・ラテン語が必修なのらしい。
なぜか、日本ではさういふ話を聞かない。
あれだけ欧米、とくに米と英とに学べ、といふ日本で、なぜこの話を聞かないのか。

それでゐて、日本語検定の問題は、級があがればあがるほど、漢籍からの出題が増える。
先日見せてもらつた問題集には曹操の詩の一節が出てゐた。
曹操の詩など、三国志好きでもなければ知らないのではあるまいか。しかも「短歌行」からの一節ではないのだ。
曹操の詩が出るといふことは、李白・杜甫や、白居易の詩は当然知つてゐるといふ前提だらう。

なぜさうなる。

漱石が英文学を学んで幻滅した所以は、そこに漢籍にあるやうな深遠なものがなかつたから、と聞く。
それはさうだらう。
そんなものを求めたいのであれば、ギリシャ語・ラテン語の書物にあたるべきだつたのだ。
おそらく学問をはじめた当初にはそんな知識はなかつたのだらう。

必要なのは、過去から脈々と受け継がれてきた漢籍の教養。
さうなのではあるまいか。

とか、理論武装するから、恰好つけになつちやふんだよなあ。
史記とか、単純におもしろいのである。
読んでゐて、身につまされたり、「ああ、こんな人、ゐるよなあ」と思ふのである。
左遷されてわびしいなあといふ詩や、左遷されゆく友を見送つて「今度会へるのはいつの日か、いや、そんな日がやつてくるのか」といふ詩を読んで、しみじみするのである。
栄耀栄華を尽した過去の英雄はもうゐない、それでも毎年めぐつてくる春は誰が為か、といふ一節にじーんとするのである。

えうは、さういふ話なのだ。

たまたま、やつがれの好みにあつてしまつた。
それだけのことなのである。

それだけのことについて、こんなに書いてしまふから、恰好つけ、になつてしまふのだ。
わかつてゐるのに。
愚かなり、やつがれ。

Wednesday, 06 November 2013

空想・妄想・もう予想

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーは、今週の金曜日から休館する。
休館の期間は11/8(金)から11/15(金)。
11/16(土)の11:00から通常通り開館する。

今週はもう行けまいな、と思つて昨日行つてきた。
どうやら正解だつたやうだな。
来週行つていきなり休みだつたらどれほど落胆することか。
また、行つていきなり面子が変はつてゐたら、どれほどショックなことか。
想像するにあまりある。

といふわけで、次回の展示に登場するだらう人物の予想をたててみんとてたつるなり。

平家物語はそんなにむづかしくないと思ふのだ。
たぶん、牛若丸と弁慶とが出てくるだらう。
このふたりは今回の展示に出てくるかな、と思つてゐたが、チト早かつたやうだ。
今度はゐることだらう。
たぶん。

あと、後白河法王も出てきてもいいんぢやないかなあ。
こちらも今回出てくるかと思つてゐたが、ゐなかつた。

今回の展示ではまだ幼さの残る頼朝も、すつかり成人した姿であらはれるのではあるまいか。
重盛以外の清盛の子らも並ぶかな。

さういへば西行もまだ出てきてゐない。
麻鳥が蓬子とつれだつて登場したりしないだらうか。

一番わからないのは清盛かもしれんな。
前回はうだつのあがらぬ若造の姿、今回は鎧兜も立派な武士の姿、ときて、次回はなんだらう。宮中参内のやうす、とかかなあ。

などと考へてゐると、平家物語ばかりになつてしまふ。

牛若丸と弁慶とは、できれば五條大橋の再現が見たいしね。
夏に横浜人形の家で南総里見八犬伝の展示があつたとき、いろんな場面を再現する展示になつてゐて、これがとてもよかつた。
今回のヒカリエの展示でも、平治の乱の重盛対義平は、まあ、再現一歩手前くらゐの感じだけどとてもいいし、今若・乙若・牛若をつれた常盤御前のところもなんとなく再現風になつてゐる気がする。

五條大橋。
再現できないかね。
できないかなあ。
やつがれの頭の中では夏に見た芳流閣を再現した絵が浮かんでゐるんだが。
あんな感じでやると、ケースひとつまるまるつぶさないとダメかもしれんなあ。
それはムリか。

と、平家物語の方はいろいろ空想といふか妄想もふくらむのだが。
三国志はねえ。
さつぱりわからない。

だいたい、渋谷区がどれくらゐどの人形を所有してゐるのか、不明だしなあ。

前回の展示のときにゐた曹操とか孔明とかが戻つてくるだらうか。
すくなくともどちらかは戻つてくるやうな気がしてゐる。
曹操はゐるだけで華やかだしね。
前回ヒカリエにゐた曹操は、人形劇に出てゐた曹操にくらべてちよいと品があつて、それがまたよかつたんだよねえ。

あとはわからぬ。
前回の展示のときにゐた赤兎も戻つてくるとうれしいなあ。
前回は呂布と一緒だつたので、今回は関羽でひとつ。
と思ふのだが、関羽だけ馬上だと、玄徳・張飛とのつりあひがとれなくなるか。
それになんといつても「人中の呂布、馬中の赤兎」だからなあ。

川本喜八郎は、張遼をつくりなほしたいと云つてゐた、といふやうなことをどこかで読んだ。
それがほんたうで、つくりなほしてゐたのなら、是非見てみたいものである。
張遼は、飯田市川本喜八郎人形美術館の前回の展示のときにゐた。
人形劇には出てこなかつたけれど、と説明にはあつた。
眉の動くカシラだつた。おそらく目は閉じるのだらう。
眉根を寄せて、ちよつと困つたやうな顔をした人形だつた。
なにをそんなに困ることがある。
さう問ひたいやうな表情だつた。
張遼。
いいんぢやないかな。
ゐれば、だけど。

それにしても、今回の展示はあつといふ間だつたな。
別れを惜しむひまもない。
為朝とか、もう見られないのか、と思ふ。
敗残の為朝は実にいい。
昨日も見てきて、もう何度も見てゐるのに、つくづく見入る。
為朝は、それでも最悪人形劇を見ればいい。

袁紹とか許攸とか、人形劇に出てゐたのとはちがふからなあ。
許攸は、以前も書いたけれど、「なるほど、これならある日ばつさり斬られて一巻の終はりになりさうだよなあ」といふ感じだ。
人形劇の許攸は、どちらかといふと困り顔のいい人だからなあ。袁紹の悪印象を支へるために。

袁紹は、人形劇のときより立派で偉さうだ。衣装の色が若干濃いので余計にさう感じるのかもしれない。
見てゐると、いまにも例の声で例の調子で喋りだしさうな気がする。
君とももうお別れか。

そんなわけで、なんとかもう一度くらゐは行けないものかと画策してゐる。
ムリか。
ムリかな。

Tuesday, 05 November 2013

栞作つた

草森紳一の「李賀 垂翅の客」を読んでゐる。
今年の四月、出版されてすぐに丸の内の丸善に飛んで行つて購入した。
「購入した」と書いたが、それまでたまつてゐた丸善ポイントでお買ひ物券を払ひ出して使つた。

発売を待ちかねて買つたわりには、前半部分をちびちびと読んでゐる。
休みの日にのんびりと読んでゐるからだ。
時折、山川の世界史資料集をのぞいてみたり、李長吉歌詩集にあたつたり、寄り道しながら読んでゐる。
おそらく、今年中には読み終はらないだらう。

「李賀 垂翅の客」は大部である。
しかし、栞はついてゐない。
すこし悩んで、タティングレースで栞を作つた。
四月のことである。
_Tatting with Visual Patterns_に出てゐるBlack Magicを、Lisbeth #40のScottish Thistleといふ糸で作つた。淡い紫と淡い緑と白との段染め糸である。

本を開くとこの栞がはさまつてゐる。
なんとなくいい。

ここにも何度か「普段栞は使はない」と書いてきた。
それはいまでもあまり変はらない。
栞がついてゐれば使ふ。ついてゐなければ使はない。
最近文庫本はWildSwansのカヴァをかけてゐる。カヴァには栞がついてゐるのでそれを使ふ。
そんな感じかな。

でもまあ、栞もそんなに悪くない。
李賀の本を読みながら、そんな風に思つたりもする。

昨日、以前買つたあみものの本などを片づけてゐたら、栞がはさんであつた。
写真のページと編み方のページとにそれぞれ栞があつた。
さうさう、かういふ使ひ方もいいんだよね。
普段は滅多にそんなことはしない。最初のうちは目的のページがなかなか見つからずにいらいらするが、編み進めるうちにだんだんそのページが開きやすくなつてくる。最後にはすつかり開き癖がついてゐる。

いらいらするくらゐだつたら、最初から栞をはさんでおけばいいものを。

ほかの本も見てみたら、タティングレースの本にも栞のはさまつてゐるものがあつた。
本人は、そんなことをしたことなどすつかり忘れてゐた。

さて、先週ここに、「このままだとタティングレースの仕上げ方を忘れてしまふのではあるまいか」といふ不安を書いた。
そんなわけで、この三連休の一日、録画した番組を消化しながらこんなものを作つてみた。

Jane's Bookmark

Jane's tatted bookmark、とでも呼ぶべきだらうか。
この栞もこれまで何度も作つてきた。
あつさりしてゐてまつすぐな感じが気に入つてゐる。
シャトルはニ個使ふ。
上下で裏表がわかれるので、裏になる方は、ダブルスティッチの表目と裏目との順番を入れ替へて作る。さうすると、最後が表目になる。これが次につなげるときにすこぶるやうすが悪いので、最後だけ裏目を追加する。裏になる方だけ半目多いことになるが、そのていどのことは気にならない。

作る前に、糸を選ぶのに苦労をした。
糸はLisbeth #20のVineyard Harvestを使つてゐる。普段はあまり使はないやうな色だ。
現在、タティングレースでは、蔓日々草色の糸を使つてゐる。はじめたまま放置してゐるビーズ入りの方は黒だ。
編んでゐるセーターも黒。
手持ちの糸には、なぜか生成系といふかベージュ系と、青の濃淡が多い。
その日は、生成とか青とかいふ気分ではなかつた。
それであれこれひつくり返して探し出したのがこの色合ひだ。
それなりに秋めいてゐるのではないか、と思ふ。

あちこちひつくり返してみて気がついたけれど、近頃オリムパスやダルマのレース糸をほとんど買つてゐない。
そんなものかなあ。
DMCはもともとそんなに多くなかつた。
Lisbethの試しに買つてみた糸がごろごろしてゐる。
そんな感じ。

とりあへず、ひとつ栞を仕上げたので、またしばらくは蔓日々草色の糸で作つてゐるドイリーといふかなんといふかに注力するつもりでゐる。

あ、「メキッキオヤのアクセサリー シャトルで作る花レース」も買ふた。
オヤ糸ばかり使つてゐるのだらうと思ふてゐたら、さにあらず、結構DMCとかLisbethの糸も多い。
が、それはまた別の話。

Monday, 04 November 2013

愚行はつづく

ラグラン袖のタートルネックリブセーターは、すこしづつ進んではゐる。
先週は、間違へてしまつた箇所をほどいては目を拾つてなほした、といふ話を書いた。
その後、増やし目の段は終はつて、両袖も休め、胴体だけを編んでゐる。しばらくは六段に一目づつ(すなはち四目)減らしていくことになる。

袖を別糸に取つたら、がんがん進むやうになるだらうと思つてゐた。
見通しが甘かつたらしい。
袖を休めても胴体だけで四百目弱あつた。
そら進まないわな。
それでも袖部分も一緒に編んでゐたころよりはまし、と思ふやうにしてゐる。

この三連休は思はぬ外出と、思はぬ不調とがあつて、あみものもあまり進んでゐない。
不調の原因は睡眠不足である。
先週は平日は一日として六時間以上眠れた日がなかつた。
そのうへ木曜日には三時間台しか眠れてゐない。
絶不調だつた。
これまで、さんざん(主に仕事の都合で)夜更かしを余儀なくされてきて、もう一生分の夜更かしをしてしまつたのだ。
さう思つてゐる。
今後は、睡眠不足は許されない。
残念ながら、さういふことらしい。

問題は、平日帰宅後に編みはじめると、なかなか止まらないといふことだな。
とくに興が乗るとまづい。
パピーのグランメリノクロバー匠の輪針で編んでゐる。
どうやらこの組み合はせはあまりよくないやうだ。
編み目を移動させるのにかなり苦労してゐる。
すべりがよくないのだ。
何度か針をかへやうかと思つたけれど、そのままきてゐる。
だから興の乗ることはなからう、と思ふと、さうでもないのがふしぎなところだ。

それにしても、黒といふのはいい色だ。
最近、セーターを編みながら、つくづくさう思ふ。
グランメリノといふ毛糸がいいといふのもあるのかもしれない。
なんとも、色気のあるいい色だと思ふ。

これまで、あまり黒い糸でなにかを編むといふことはなかつたやうに思ふ。
かぎ針編みのレースのショールとか、細いマフラーのやうなものとかくらゐかなあ。
タティングレースでも栞くらゐしか作つてないな。
目につらいから、といふのはたしかにある。
あとレースに黒を使ふと、妙にフォーマルな雰囲気が出てしまふから、といふのもある。
でもまあ、理由の大半は、「買へばいいぢやん」だからかもしれないな。

黒いセーターなどそこらへんに売られてゐる。
あらためて編む必要が感じられない。
たたとたた夫さんのやうに、Debbie Blissのベビーキャッシュメリノといふちよつと特殊な糸を使ふのならともかく、グランメリノていどでは、編むより買つた方が早いし安い。
さうも思ふ。

編み針との相性の悪さとあはせて考へてみると、自分のやつてゐることは愚かしいことだ。
だからこそ、つづけてゐられる。
そんな気がする秋のゆふぐれ。

Friday, 01 November 2013

2013年10月の読書メーター

2013年10月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:2821ページ
ナイス数:9ナイス

歳三の写真歳三の写真感想
表題作は小説、あとは史論といふか随筆といふか。表題作と、高台寺残党、だんだらの羽織の話と歳三の書の話がおもしろかつた。「京の歳三は、韓非子流の法家なのである(P288)」とか、「へー」と思ひつつ読んだ。云はれてみれば、歳三の写真は確かに斜め向きである。ほかの人の写真は正面切つてるものが多い。
読了日:10月3日 著者:草森紳一
心・脳・科学 (岩波モダンクラシックス)心・脳・科学 (岩波モダンクラシックス)感想
中国語の部屋を読みたくて読んだ。三十年前の話なので、今はまたいろいろ変はつてきてゐるのかもしれない。たとへば、コンピュータは小説を読んで、登場人物の出で立ちを思ひ描いたりするのだらうか。思ひ描くとして、「それはこのあひだ会つた誰某に似てゐる」と思つたりするのだらうか。将棋アプリケーションは、この手順は何年前の何月何日に誰某と対局した時とおなじもので、あの日は寒かつたなあ、などと思つたりするのだらうか。読みながら、そんなことを考へた。
読了日:10月4日 著者:ジョン・サール
史記 2 本紀 下 新釈漢文大系 (39)史記 2 本紀 下 新釈漢文大系 (39)感想
原文に近いものを読みたいといふので手に取つた。項羽本紀にはじまつて孝武本紀に終る。孝文本紀になるといきなり平和でええ帝の話になるのでつまらなく感じるが、司馬遷の武帝へのイヤミと考へるとそれなりにおもしろく読める。やはり項羽本紀がおもしろいかな。やたらと逃げまくる劉邦を見るにつけ、碇シンジくんもこれを読めばいいのに、と思ふよ。
読了日:10月19日 著者:吉田賢抗
A Stitch in Time (Star Trek: Deep Space Nine)A Stitch in Time (Star Trek: Deep Space Nine)感想
元々はAndrew J. Robinsonが演技の足しにといふことでガラックの伝記を書いてゐて、それをスタートレックのコンヴェンションで朗読してゐたもの、なのださうである。ガラックの幼少期、DS9での生活、ドミニオン戦争後のカーデシアと、三つの時間軸の話が次から次へと語られるので、時々戸惑ふ。特に、DS9での話とカーデシアの話とは入り交ぢりがち。幼少期にはじまる話は、如何にあのガラックになりしか、といふところが垣間見えておもしろい。昔なら翻訳されてゐたのかな、ハヤカワ文庫あたりで。
読了日:10月21日 著者:AndrewJ.Robinson
李長吉歌詩集 下 (岩波文庫 赤 6-2)李長吉歌詩集 下 (岩波文庫 赤 6-2)感想
東洋文庫で読んでゐたのだが、うつかり岩波書店の在庫稀少本の山の中に見つけてしまつたので。原文があつて読み下し文があつて、而して翻訳といふレイアウトの方が読みやすいからといふのもある。いづれ東洋文庫も買ふけど。とりあへずこの後はランボーでも読まうかと思ふてゐる。
読了日:10月23日 著者:李賀,鈴木虎雄
戦闘技術の歴史 2 中世編 AD500-AD1500戦闘技術の歴史 2 中世編 AD500-AD1500感想
古代篇はそれなりに戦争の名前も知つてゐたけど、中世篇はさつぱりだ。中世になると戦闘以外に覚えることが多いからなのだらうか。あるいは単に授業であまりとりあげられないだけなのか。この後三巻がなぜかないので、四巻を読む予定。防備をかためると機動力が落ち、機動力をあげやうとすると手薄になる、といふのは、なにごとにも云へることなのかも。
読了日:10月26日 著者:マシュー・ベネット,ジム・ブラッドベリー,ケリー・デヴリース,イアン・ディッキー,フィリス・G・ジェスティス
三国志演義〈4〉 (徳間文庫)三国志演義〈4〉 (徳間文庫)感想
「これ、どつかで見たよ」みたやうな話が延々つづく。傀儡となつた帝が権力を恣にする輩を密かに除かうとして露見するつて、それ、もうやつたぢやん、別の人が、みたやうな。結局人の世つてさういふことなんでせう、人は変はつても同じことをくりかへすんだよね、といふ話。黄巾の乱から百年ていど、と思ふとあつといふ間の話だ。例によつてみんなあつさりと死んでいくんだが、孔明の延命をはかる儀をはじめる夜の描写だけが妙に美しくて大いに驚く。なんちて。
読了日:10月30日 著者:羅貫中
学びやぶっく75漢詩をつくろう (こくご)学びやぶっく75漢詩をつくろう (こくご)感想
絶句とか律詩とか、平仄がどうの韻がどうのつて規則が厳しいよね、と思つてゐたのだが、どうやら絶句や律詩といふのは、ふだんからことばを集めておいて、平仄や韻にあはせてはめこんでいくものなのらしい。「決して自分勝手な発想・詩想を漢字に写し出そうというような考えを起こしてはいけません(p76)」と、太字で書いてあるのには驚いたね。ちよつと「いきなり俳句入門」を思ひ出した。
読了日:10月31日 著者:新田大作,小嶋明紀子

読書メーター

悩む理由

たうとう、現在使つてゐる手帳の最終ページが見えてきた。

いま使つてゐるのは、SmythsonのPanamaである。安売りのときに購入した。Jadeといふシリーズのものだと思ふ。
おなじPanamaでも、シリーズものは表紙と裏表紙との見返しにサテンのやうな布が貼られてゐる。この布が実に手触りがよい。通常のPanamaはおなじ部分は紙で、こちらはこちらでそこにその手帳についてのあれこれを書き記すことができるのがいい。

このblogでもさんざん次の手帳はMoleskineにするかPanamaにするかと逡巡するさまを書いてきた。
悩んでゐることは、つい書いてしまふ。
書くとなにについて悩んでゐるのか、顕在化する。
それがいい。
多分。

なぜ悩むのか。
ひとつには、どちらも好きだからだ。
Moleskineのポケットサイズは、あの大きさが絶妙だと思つてゐる。
手に持つたときにしつくりくるのだ。表紙の硬さとそのわりに軽い感じがするところとが気に入つてゐる。
出先でも、表紙が硬いおかげでテーブルなどがなくてもそのまま容易に筆記できる。
また、愛用の中屋万年筆のペンとの相性が最高によい。中屋の細軟でMoleskineに書き込んだときのふんはりと軽い感覚が好きでたまらないのだ。

ではMoleskineにしてしまへばいいぢやあないか。手元に予備もあることだし。
さう即決できぬ理由は、手持ちの萬年筆とMoleskineとの相性にある。
中屋のペンにはプラチナのブルーブラックを入れてゐる。Moleskineの紙に書いてもにぢまない。
最近購入した大橋堂のペンにはセーラーの青墨を入れた。これもMoleskineに書いてもにぢみづらいインキだ。
新たに増やした中屋のペンは、買つたときに「ブルーブラックでいいですね」と云はれて否やはないので諾といつた。ゆゑにMoleskineに使用しても問題ない。

問題は、その他のペンである。

そんなわけで、これまでも、Molskineを使つたあとは別の手帳、そしてまたMoleskine、といふ順番になつてゐた。
いま使つてゐる手帳の前はMoleskineだつた。その前がGMUND。その前がMoleskineで、その前がRhodiaのWebNotebook。その前がMoleskineで……と、延々とさかのぼる。
今回はSmythsonなので、次はMoleskine。
そんな風に考へないこともない。

だいたい、つづけてSmythsonだなんて、そんな贅沢はしてはいけないんぢやあるまいか。

さう、やつがれが一番気にしてゐるのは、そこなのだ。
Smythsonなんて、贅沢に過ぎるだらう。
あれこれ悩んで書いてきて、結局はこの一点に尽きる。

考へてみれば、Moleskineだつて十分贅沢なんだけどね。
だがしかしSmythsonである。
いいのか、そんな、分不相応なものを使つて。

さういひながら、これまでにも何冊か使つてはきた。
そもそも、買つた時点で分不相応だ。
人間、自分の分を超えたことをするのはよろしくない。
失敗するのは大抵さういふときと相場はきまつてゐる。
ここにも何度か書いてゐる、呉服屋のお嬢さんと番頭さんの話を思ひ出す。
食ふにも困る人々を見て、お嬢さんが店で商つてゐる上質の反物をあげやうと画策する。
すると、番頭が云ふのだ。
「おやめくださいお嬢さま。そんなことをしたら反物が可哀相ですし、なによりあのものたちが道を誤ります」

さう、人間、分不相応なものを手にすると、道を誤るのだ。
たからくじに当選した人は不幸になる、といふ話があるけれど、それもおなじやうなことなのだらう。
分を超えた贅沢はしてはいけない。
するのだつたら不幸になる覚悟をきめてからにしろ。

と、ここまで考へて、でもやつがれはもうみづからの分を超えてしまつてゐるのだから、いまさら悩んでも仕方ないぢやあないか、といふことに気がつく。

バカだねえ。

といふわけで、次もSmythson。
この前、かたづけをしてゐたら、安売りのときに買つて埋もれたままになつてゐたPanamaの手帳を四冊発掘したのだ。
埋もれたままにしてゐた、といふ時点でやつがれはSmythsonにふさはしくない。
ふさはしくはないが、使ふことにする。

道を誤るなあ。

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