客子常畏人
何度か書いてゐるけれど、中村吉右衛門の朗読する「漢詩紀行」を毎晩のやうに聞いてゐる。
いまのところ、手元には第八巻と第十巻とがあつて、おもに聞くのは八巻だ。「酒に対してまさに歌うべし - 三国志のうた -」といふ副題がついてゐるからな。まあ、当然、はたいふべきにもあらず、といつたところか。
播磨屋さんの朗読で聞いて、あらためて「いいなあ」と思ふ詩もある、とはこれも以前書いた。
たとへば、曹丕の「雑詩」など、以前は眺めて終はりだつたが、いまはかなり気に入つてゐる。
播磨屋さんのおかげである。
三国志については「人形劇三国志」くらゐの知識しかないので、曹丕といふと、顔がふつくらまんまるで目のつりあがつた人、くらゐの印象しかない。あ、あと、皇帝になつたと思つたらあつといふ間に死んでしまふ、とかくらゐかな。
「三国志演義」を読むと、曹丕には兄がゐたことになつてゐる。父である曹操を救出する際に命を落としてしまふのだつた。
さういふ展開のゆゑか、場合によつてこの兄が大変出来のよかつたことになつてゐたりする。
曹丕にはもうひとり気をつけねばならない相手がゐた。
弟の曹沖である。
しかし、この弟もまた夭折してしまつた。
曹丕は思ふたらうか。
兄が死に、母が正室として迎へられ、自分が兄弟の中では一番年嵩になつた。父の跡を継ぐのは自分だ、と。
ところが、さううまくはいかなかつた。
別の弟・曹植がゐたからである。
詩才に恵まれた曹植は父から愛された。
と、ものの本には書いてある。
境遇はよくなつて、しかし、安心はできない。
曹丕はずつとさういふ状況にゐたのではあるまいか。
よつて、「客子常畏人」といふことになるのではないか。
曹丕の「雑詩」はかうである。
西北有浮雲 亭亭如車蓋
惜哉時不遇 適与飄風会
吹我東南行 行行至呉会
呉会非我郷 安得久留滞
棄置勿複陳 客子常畏人
西北の空に浮き雲がある 車蓋のやうな雲だ
残念ながら時機を得られず 飄風に吹き流されてしまふ
東南へと流されて 呉の会稽まで来てしまつた
会稽は自分のふるさとではない なんで長いこととどまることができやうか
だがそれはもう云ふまい 旅人はいつでも他人に気を許すことなどないのだから
たぶん、曹丕にとつては自分のゐる場所が常に「呉会」であり、自身は常に「客子」だつた。
つまり、いつでも「畏人」な状態だつたのではあるまいか。
そして、弟の方が父に好かれたのも、この常に「呉会」にあつて「畏人」の兄よりも可愛げがあるから、だつたのではないかなあ。
作品と作者とを同一視するのはあやまつてゐるとはわかつてゐても、さう思はずにはゐられないのだつた。
« くつ下編んでます | Main | 都内一のパワースポット »
Comments