さとりの境地
この秋冬は、まだあみものの新刊を買つてゐない。
店頭で見かけて、「いいなあ」と思つてゐる本は何冊かある。
しかし、いづれも購入には至つてゐない。
あみものへの愛が冷めたのか。
それはあるかもしれない。
この夏はまつたくといつていいほど編めなかつた。
ここにも毎週のやうに書いてゐたかぎ針編みのスカーフだが、最後の四玉目に入つて、そのままになつてゐる。ここでやめるには長さが足りない。しかし、これまでの進捗具合を考へると、最後まで編み切るにはあと一ヶ月はかかるだらう。
なんとなく、このままになつてしまふのではないか、といふ気もしないではない。
まあでも、ここまで編んだからなあ。なんとか編みあげたいものである。
そんなわけで、もしかするとこの秋冬は、あみものの新刊を一冊も買はないのではないか、といふ気がしてゐる。
なぜか。
本を買はなくても、編みたいものはいくらもあるから。
それが理由だと思ふ。
買はなくても、すでに手元には山のやうにあみものの本がある。
その中から選んで編んでゐても、このまま不自由なく暮らしていけるだらう。
それに、これまで編んだものを見てゐると、いはゆる「フリーパターン」のものが多いんだよね。
前回編んだViking Socksもさうだし、いま編んでゐるラグラン袖のリブタートルセーターもさう。
セーターは、フリーパターンといひながら、首から輪で編む方法に変へたので、結局自分であれこれ計算して編んでゐる。
なんか、もう、それでいいかなつて。
去年も二枚ほどメビウス編みのマフラーを編んだ。
きつと今年も編むだらう。
ほんたうに、もう、それでいいかなつて。
といふのは、いまだけの気分で、なにかのきつかけに怒濤の物欲が蘇つて何冊も本を買ひこんでしまふ可能性もないわけぢやあない。
あと、まだ「手編み靴下研究所」を見かけてゐない。
見たら買つちやふかもなー。
そんな風にも思つてゐる。
いまのところ、買ふだらうなあと思つてゐるのは、「メキッキオヤのアクセサリー」だ。
多分、自分で作ることはないけれど、資料として買ふだらう。
そんな気がする秋のゆふぐれ。
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